私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

頼山陽と吉備津4 鶏頭樹園

2008-01-26 10:30:41 | Weblog
 わが高尚先生は、五十一歳の時、社務と家督を嫡子『高豊』に譲り隠居され、悠々自適の生活をするために別荘「鶏頭樹園(かえでのその)」を、宮内の吉野町お建てになっておられます。そのあたりの様子は詳しく『松屋文後集』にあります。

 「おなじ宮の郷のうちながら、松の屋とははなれて、吉野まちというまちのひんがし。普賢院という寺の北隣におのがおり所をつくれり。さるは年老て、御社の事とるわざ、家のことども、みな高豊にゆずりて、いとまもあり、今はのこりのよはひもわずかなれば、をりをりにゆきて心をやり、つれつれをもまぎらはさんとての事なりけり。めもはるかにおもしろき所にて、かへでの園とぞいう。しかいふゆゑはかへでの木数をつくしてうゑつればなり。此木とさくらとはよその国にたえてなく、み国に名たたるうゑ木なるに、松桜のなみたてる堤をうしとらのかたにみわたす所なれば、まがきのうちにこれをと思ひよりたるぞ。・・・・・」

 この園も今では跡形もなく取り払われてしまって、その姿すら留めてはいませんが、写真に残っているのでそれを紹介します。
        
 なお、山陽との関係ですが、この庵には、当時、山陽の筆になる「鶏頭樹園」という横額あったと伝えられていますが、今では見られません。どこかにそっと姿を隠しているのではと思い、それとはなしに吉備津内を捜していますが・・・・。