平成20年の元旦です。
元旦早々、闇の中、普賢院の除夜の鐘を直にと思い家をでました。寒波が身を切るような中、大勢の吉備津神社参拝者で、新設の県道は混雑を極めていました。
駐車した車の中を繰るようにして、宇賀神社の太鼓橋を通り、普賢院へお参りします。
真っ暗な鐘付き堂から、時おり「ゴーン」というなんともいえないようなはらわたを抉るようとしか言いがたい、重くて荘厳な響きが闇を貫いて耳に飛び込んできます。堂は真っ暗で、空のやや明るい中にぼんやりとシルエットを浮かび上がらせています。明かりも何もありません、僧の唱えるお経でしょうか、その辺り一帯に流れ、お山にも静かに静かに跳ね返っています。誠に清々しい元旦です。
しばらくその荘厳なる闇の風景を楽しみ、大聖歓喜天のお堂から流れ来る読経にひきつけられるように、其処へと足を向けます。
ここにも僧の読経の声が広い道内から流れます。
時おり流れる鐘の音とこの読経の声と闇とを経緯として、不思議な織物を編んでいます。
闇を縫う 空に錦の 除夜の鐘 亮
しばらくその闇の景色を楽しんで、本堂に向かう。中にはここにも僧が又一人、なにやら沈黙のお経を称え奉っています。そのお堂に立ち入っていいのかどうかもわかりませんが、その入り口は開いて、石油ストーブも暖かそうに燃えています。
私は、許しも請わずに、ずうずうしくこの黙読の僧の後ろへ控えさせて頂きました。
相変わらず鐘は打ち続けられています。
静寂の時間がしばらくたちます。蝋燭の僅かばかりの明かりがお堂の中を照らしています。もの皆寝静まる丑三つ時です。
この本堂には、何時のまにやら僧が3人になり、沈黙を破って突然に読経が始まりました。
時折り聞こえ来る鐘付き堂からの音は、この静かなる二人の僧侶の読経を打ち消しては、己が自身もまた時と共に動いて消え入りそうになって流れていきます
高低のメリハリのある合唱の読経はなんだか別の世界にいるのではと言う錯覚を誘ってくれます。正座する苦しみも忘れさせてくれるほどです。
闇とほのかな明かりと読経と諸仏像と天井が映し出す不思議な世界に入り込んでしまいました。
そんな私の初詣ででした。
なお、私の正月飾りをもう一つ
元旦早々、闇の中、普賢院の除夜の鐘を直にと思い家をでました。寒波が身を切るような中、大勢の吉備津神社参拝者で、新設の県道は混雑を極めていました。
駐車した車の中を繰るようにして、宇賀神社の太鼓橋を通り、普賢院へお参りします。
真っ暗な鐘付き堂から、時おり「ゴーン」というなんともいえないようなはらわたを抉るようとしか言いがたい、重くて荘厳な響きが闇を貫いて耳に飛び込んできます。堂は真っ暗で、空のやや明るい中にぼんやりとシルエットを浮かび上がらせています。明かりも何もありません、僧の唱えるお経でしょうか、その辺り一帯に流れ、お山にも静かに静かに跳ね返っています。誠に清々しい元旦です。
しばらくその荘厳なる闇の風景を楽しみ、大聖歓喜天のお堂から流れ来る読経にひきつけられるように、其処へと足を向けます。
ここにも僧の読経の声が広い道内から流れます。
時おり流れる鐘の音とこの読経の声と闇とを経緯として、不思議な織物を編んでいます。
闇を縫う 空に錦の 除夜の鐘 亮
しばらくその闇の景色を楽しんで、本堂に向かう。中にはここにも僧が又一人、なにやら沈黙のお経を称え奉っています。そのお堂に立ち入っていいのかどうかもわかりませんが、その入り口は開いて、石油ストーブも暖かそうに燃えています。
私は、許しも請わずに、ずうずうしくこの黙読の僧の後ろへ控えさせて頂きました。
相変わらず鐘は打ち続けられています。
静寂の時間がしばらくたちます。蝋燭の僅かばかりの明かりがお堂の中を照らしています。もの皆寝静まる丑三つ時です。
この本堂には、何時のまにやら僧が3人になり、沈黙を破って突然に読経が始まりました。
時折り聞こえ来る鐘付き堂からの音は、この静かなる二人の僧侶の読経を打ち消しては、己が自身もまた時と共に動いて消え入りそうになって流れていきます
高低のメリハリのある合唱の読経はなんだか別の世界にいるのではと言う錯覚を誘ってくれます。正座する苦しみも忘れさせてくれるほどです。
闇とほのかな明かりと読経と諸仏像と天井が映し出す不思議な世界に入り込んでしまいました。
そんな私の初詣ででした。
なお、私の正月飾りをもう一つ