私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

宇賀神

2008-01-05 14:23:16 | Weblog
 わが国の福神と言えば、「宇賀神」が最初であったようですが、江戸に入ってから、人々の間にどうしてかは分らないのですが、大黒様、戎さま、弁天さま、布袋和尚などの七福神がその位置を取って代わってしまったようです。
 まず、今日は、わが国で昔から信仰されていた福神「宇賀神」について考えて見ます。
 
 吉備津宮の御手洗池(竜神池)の中にある真っ赤なお宮さんが吉備津神社の宇賀神社です。
 この宇賀神社は元禄四年に描かれた吉備津宮御絵図によると「弁才天」となっております。
 弁才天が、どうして宇賀神になったのかははっきりとはいえないのですが、弘法大師が授けたと言われている『大黒天神式』によると大黒天、大聖歓喜天、弁才天、荼吉尼 サエ神などの神を「宇賀神」と言ったとでています。それから、この弁才天は、インドでは水の神であったとも言われています。この2つから吉備津神社の御手洗池の中にお祭りされているから、江戸時代に入って「弁才天」と呼ばれたのではないでしょうか。
 これは私の憶測で、論拠も何もないのですが、もしかして、藤井高尚先生あたりが昔の資料でもお調べになって、江戸以前には「宇賀神」としてお祭りしてあったとして江戸の終わりごろより宇賀神社としてお祭りしたのでなないかと思われます。
 一方、また、この神が「昔の稲荷神社だ」ともその入り口に書いてありますが、これも、誰がそういったかとは分らないのですが、多分、これも高尚先生あたりから飛び出してきたのではとも思っています。
 というのも、「宇賀うが」という神様は古事記、日本書紀などのわが国の古い本にはその名前はありません。鎌倉時代の『塵袋』という本に、「福の神を宇賀という」と書いてあり、これが『宇賀』という字が書物に出た最初のようです。
 それ以前には「うが」という言葉は、古事記には「宇迦之御魂神」{書紀には倉稲魂(うがのみたま)}とあり、この神は食べ物を司る神であったようです。「うが」とか「うけ」という言葉で言われていました。この倉稲魂(うがのみたま)神が稲荷神だったのです。だから、「うが」が稲荷の神の元にもなるのです。
 要するに、この『宇賀神』は「五穀の神」「食物の神」であり、人間が生きていく上で一番大切なものを護ってくれる神様であり、人々にとっても一番の福の神であって福徳を授けてくれるありがたい神様に日本で最初になったのです。

 明日は「七福神」のうち、「大国さま」と「戎さま」について考えて見ます。