24日の朝刊によりますと、「法務省は23日午前、3人の死刑を執行した」という記事がありました。今の法相になって、10人の死刑を執行したという。「死刑廃止」論が一方で、声高らかに叫ばれていますが、どうでしょう。極悪の犯罪を平然とおこなうような人には、死刑は当然だと思うのですが。
さて、この死刑について、我;先生は、
「わがみかどのいにしえは、重い罪のある人は、当然切られてもよいのですが、大方は遠流にして、死刑にした例は大変少なかったようです。神様が、人の命を大層惜しんだためだといわれてきました。もし、これ以上はないという極悪な人を死刑にする時でも、獄令は、3度に渡ってよく調べて、それから死刑を行い、その日は、朝から、朝廷においても歌舞など音楽はやめたという。だが、平安の終わりごろから、保元の戦の後頃から、
「世のなかのさまがいたくかわれるにつれて、この死刑もいとおほくなりぬ」
とお書きになっています。
でも、その後、再び、「天の下をさまりぬれど」昔みたいに死刑が少なかった時代には戻らなかった。それは、世の中の人の心が段々と悪くなって、なだめただけでは悪をやめる人が少なくなったからだろう。「あしきわざする人の数そふゑにこそあらめ。いともいともかなしむべきことなりしか」とお書きになっています。
私事(ひとりごと);
死刑員で、刑務所が満杯で困っているとも聞くのですが。本当に、悲しむべきことですね。
新聞記事を見ると、何か死刑を執行した「大臣が悪い」のだと、いわんばかりのような印象を受けるのですが、私のひがごとでしょうか?これについてもご意見がいただけたら。
また、この先生の文からは、裁判の3審制が、わが国でも、みかどの昔は行われていたようですが、鎌倉や江戸では、判決が即、執行となっていたようですが。赤穂浪士の事件でも分るように。
さて、この死刑について、我;先生は、
「わがみかどのいにしえは、重い罪のある人は、当然切られてもよいのですが、大方は遠流にして、死刑にした例は大変少なかったようです。神様が、人の命を大層惜しんだためだといわれてきました。もし、これ以上はないという極悪な人を死刑にする時でも、獄令は、3度に渡ってよく調べて、それから死刑を行い、その日は、朝から、朝廷においても歌舞など音楽はやめたという。だが、平安の終わりごろから、保元の戦の後頃から、
「世のなかのさまがいたくかわれるにつれて、この死刑もいとおほくなりぬ」
とお書きになっています。
でも、その後、再び、「天の下をさまりぬれど」昔みたいに死刑が少なかった時代には戻らなかった。それは、世の中の人の心が段々と悪くなって、なだめただけでは悪をやめる人が少なくなったからだろう。「あしきわざする人の数そふゑにこそあらめ。いともいともかなしむべきことなりしか」とお書きになっています。
私事(ひとりごと);
死刑員で、刑務所が満杯で困っているとも聞くのですが。本当に、悲しむべきことですね。
新聞記事を見ると、何か死刑を執行した「大臣が悪い」のだと、いわんばかりのような印象を受けるのですが、私のひがごとでしょうか?これについてもご意見がいただけたら。
また、この先生の文からは、裁判の3審制が、わが国でも、みかどの昔は行われていたようですが、鎌倉や江戸では、判決が即、執行となっていたようですが。赤穂浪士の事件でも分るように。