今日の、うらじゃ踊りに、孫(小学2年女児)も出場するとか、「この暑いのに、熱中症に罹ったらどうするの」と、おばあちゃんが、しきりに洗濯物を干しつつ心配顔で、右往左往しています。
街では、この暑さを少しでもと、宣伝用に配られた「うちは」が、道行く人の手に手に持たれて、しきりに動いて、夏の日差しに閃いています。
この「うちは」について、「松の落葉」で、我;高尚先生は、次のように説明されておられます。
団扇を「うちは」というのは、うちうちのものであって、翳のかたちに似ているのでなづけらてたようです。「うちは」もともと高貴なお方に、お付の人が、後ろの方から見えないように、そっと翳のように風を送ったものであったようです。それが、段々と、普通の人の間に広まって、自分の手で自らを扇ぐようになったのですが、これは、あくまでも内々のことであって、外に出て使うなどというのは、随分と人に対して非礼になるとして使ってはいなかったようです。
私事(ひとりごと);
私が思うに、江戸時代の中ごろになると(元禄頃)浮世絵(夕涼み、湯上りなどに)にもしばしば登場するようになり、一般化したのではないかと思われますが、正式の座では使われることはなく、やっぱり内々で使われていたようです。
内輪もめとか内輪ごとなどと言う言葉と、同じ出の言葉ではと思われます。
人ごみを 又別けて行く うちはかな
手に持てる うちはを翳す 暑さかな
うちは持つ 手は斜め前 夏日差し
街では、この暑さを少しでもと、宣伝用に配られた「うちは」が、道行く人の手に手に持たれて、しきりに動いて、夏の日差しに閃いています。
この「うちは」について、「松の落葉」で、我;高尚先生は、次のように説明されておられます。
団扇を「うちは」というのは、うちうちのものであって、翳のかたちに似ているのでなづけらてたようです。「うちは」もともと高貴なお方に、お付の人が、後ろの方から見えないように、そっと翳のように風を送ったものであったようです。それが、段々と、普通の人の間に広まって、自分の手で自らを扇ぐようになったのですが、これは、あくまでも内々のことであって、外に出て使うなどというのは、随分と人に対して非礼になるとして使ってはいなかったようです。
私事(ひとりごと);
私が思うに、江戸時代の中ごろになると(元禄頃)浮世絵(夕涼み、湯上りなどに)にもしばしば登場するようになり、一般化したのではないかと思われますが、正式の座では使われることはなく、やっぱり内々で使われていたようです。
内輪もめとか内輪ごとなどと言う言葉と、同じ出の言葉ではと思われます。
人ごみを 又別けて行く うちはかな
手に持てる うちはを翳す 暑さかな
うちは持つ 手は斜め前 夏日差し