私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

お盆が近づいてきました

2007-08-10 12:17:22 | Weblog
 お坊さんによる我家のお盆供養も済み、お墓の掃除もしました。
 今日から新幹線等のお盆休みのための帰省客の混雑が始まると、新聞で報じられています。
 さて、「松の落葉」では、高尚先生は、221項に亘って随想を載せられていますが、その中で仏に関する項目は、たった二つしかありません。その一つを紹介します。
 

 「僧の身のおこないのよう昔今ことなる事」で;
 「ほうしの身のおこなひのよう、むかしとはかわれること多し。」して、その例として、
 ①に、普通の法師(なみなみのきわにいたりては)では、妻を持つのがあたりまえであったのですが、今はめったにそんな事はしないようになった。
 ②に、酒を飲むことは、今では、そんなにとがめられたりはしないのだが、昔は違った。
 ③に、ものを蓄え金銀を人に貸して、利息を取ったりするのは、寺をよく守るよき法師だと、言われるのですが、昔は厳しく禁じられていた。
 
 この3つについて高尚先生は、
 「妻を持つことは悪しき事であり、酒を飲むことは五戒の一つだが、心が乱れないように飲むのは、そんなに悪い事ではない。物を蓄え、まして、それを貸して利を得よう等とは以ての外のことだ。貪嗔痴を仏道では大変悪い事だと忌み嫌います。金銀を蓄え、それを人に貸すのは貪であり、貸して返さない人あれば怒りいらだつ事多い、これは嗔であり、それが嗔である事を知っていながらやるのは痴である。だからここ3つは悪い事に違いない。そんなことをしながら、僧侶が、人に「してはいけません」と教えても、聞いてもらえるはずがない。
 そして、その結びに、
 「仏の道にいる輩の、かばかりのことわきまへぬはいかなるにか、いとかたわらいたく、にくくさへおもはるるわざになん」
 と。

 私事(ひとりごと);
 この高尚先生の随想を読んでと、かって、ある人にお聞きした話を思い出しました。皆さんはどう思われますか?。
 
 「私のお寺の住職さんは、葬式でも、法事でも、お経も心に響くように上手に読んでくれ、お墓にもお参りもしてくれるのですが、それが済むと、「はい失礼します」と、さっさと、ご自分のお車でお帰りになるのだそうです。
 仏事が済んだ後は、食事をしながら、その場で、住職さんを中心に、仏について説教やら色々なお話をされながら、そこに集まった人々と親交を暖められるのが、世間一般のお坊様がなさる普通のことであると、お聞きしています。これがお寺と壇家を繋ぐ特別な昔からの絆はないかと思います。大袈裟に言いますと、仏教と私達を結びつけ、仲立してくれる重要な役割をになっているのではないでしょうか。
 このお坊様のようななさりようですと、これでは仏の有難さなんか、私達にはわかりっこありません。もっと、もっと、ご自分の職の、僧侶たる社会的責任のなんであるかをわきまえたお勤めをしてもらいたいものだと何時も思っているのです。
 坊さんとは何でしょうかね。
 これでは、まさに葬式坊主です。これだけだったら、お寺さんなんかは必要ないことでしょう。益々仏教離れが進むのではないでしょうか」
 と。

 でも、世間には、できるだけ簡単に安く済ましたい人もいるようですから、案外こんなお寺さんがもてるのかもしれません。先に、書いた「鬼の話」ではないのですけれど。心より、お金のほうが大切な人が増えているようですね、淋しい感じが私はします。私って、古い男でござんしょうか?