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バラムとロバ(更新)

2019-11-03 14:00:08 | メッセージ

礼拝宣教 民数記22・21-35 

 

「背景」

モーセとイスラエルの民がエジプトを出て、モアブの平野まで進んできた時のこと。

 モアブの人々は、イスラエルがアモリ人に対して勝利し、その国を支配下においたあり様をことごとく見て、恐れを抱き、気力もうせて「今やこの群衆は、牛が野の草をなめ尽くすように、我々の周りをなめ尽くそうとしている」と口にします。

 そこでモアブの王バラクは、ペトルの地に住んでいた霊能者バラムに「イスラエルの人々を呪ってほしい」と使者を送るのです。使者は礼物を携えていました。まぁ大層な報酬を持って行ったわけです。

その夜神はバラムに、「あなたは彼らと一緒に行ってはならない。この民を呪ってはならない。彼らは祝福されているからだ」と命じられます。

そこでバラムは神の言葉を王の使者に語り、帰るように伝えます。

しかし王は、前よりも多くの身分の高い指導者たちをバラムに遣わし、「あなたを大いに優遇します。言われることは何でもします。どうか来て、わたしのためにイスラエ

ルの民に呪いをかけてください」と伝えさせます。

王バラクは、先に送った使者と同じように再度「わたしのために、彼らに対する呪いをかけてください」と言わせています。

 

王は霊能者バラムから「神が呪ってはならないと言われる」と、神さまの御心を聞いていたのです。

ところが王は、全能者なる神さまの御意志ではなく、自分の個人的な思いや願望によって相手を破滅させよう、と再度、霊能者バラムに依頼をするのです。これはまさに異教的、呪術的な考え方です。この願いの出所は、真の神を神とせず、「自分の願望こそ実現されるべき」という神への背神と傲慢です。


 聖書を読みますと、神は占いやまじないを嫌われると随所に出てまいりますが。

それは神の御心を尋ね求めること、又、神に信頼して生きること、一言でいえば「神を神として生きる」。そう言う信仰に反して、人が自分の願望や欲望を満たすために神さまを自分の思い通り動かそうとまでする、そのような人の心のさもしさと傲慢を、神さまが大変いとわれるからです。

私たちは物事が思い通りにいかない時も、又窮地に立たされるような時も、唯、全てをご存知で、祈りと願いに耳を傾け、万事において最善を成してくださる神さまにどこまでも信頼して生きてゆく。これこそが最善の祝福の道であり、信仰であります。

 

さて、王のそのような申し出に対して霊能者バラムは、「たとえバラクが、家に満ちる金銀を贈ってくれても、わたしの神、主の言葉に逆らうことは、事の大小を問わず何もできません」と答えます。

素晴らしい、信仰者の受け答えですね。が、しかし一方で彼はバラクの使者たちをすぐに帰らせることをせず留まらせて、「主がわたしに、この上何とお告げになるか、確かめさせてください」と言います。

確かに口では、「わたしの神、主の言葉に逆らうことは、事の大小を問わず何もできません」と言うのですが、何かの思いが、王の使いをすんなり返そうとさせはしないんですね。ここにはバラムの心が2つに割れ、揺れ動いている様が表れています。

神に仕える心と自分の思惑(おもわく)。神のみに仕える心が、地上の王と貢物を前に揺らいでしまったのかもしれません。

 

その夜、神はバラムに「これらの者があなたを呼びに来たのなら、立って彼らと共に行くがよい。しかし、わたしがあなたに告げることだけを行わねばならない」とお告げになります。

ただ、それは「これらの者があなたを呼びに来たなら行くがよい」とあるように、主なる神が「行きなさい」と命じておられるのではないのです。

イエスさまは「あなた方はただ然りは然り、否は否でありなさい」とおっしゃいましたが。ここでバラムは神さまに従うがどうかを試みられているのです。

そういう中で結局、「バラムは朝起きるとロバに鞍をつけ、モアブの長と共に出かけた」というのです。ここからが本日の箇所でありますが。

 

「バラムとロバ」

まあそうして彼が出発しましたところが「神の怒りが燃えあがった」というのであります。

神は、バラムがバラクの高官たちと共にモアブに行くことを許されながらも、バラムに対して怒りを現わされたというのですね。これは一体どうしてなのでしょう?
それは先に触れたように、二心となり神に従う道をあやふやにしたバラムの心を知って非常に憤られたからです。


神さまは全てのものをお造りになられた父なるお方です。

その愛はねたむほどに強く、ことにご自分の民としてお選びになった者にはその愛が裏切られるような場面において、燃え上がるような怒りと悲しみをもって臨まれるのであります。

バラムに関しましても神さまはお怒りになられますが、それならなぜ神さまはきっぱりとバラムに「行くな」と禁止されなかったのでしょうか?

 

それは先に申しましたようにバラムを試みられた、どのようにバラムが行動するか見守っておられたのだと思います。

バラムが自分でも気づかないうちに二心を起こし揺らいでいることを神さまは見通しておられ、彼がどのようにするのかをじっと注視しておられたのです。      神さまは人間をロボットのようにはお造りになりませんでした。自分で考え、自分で選び取ることを一人ひとりに委ねておられるのです。

こと信仰者に対しては、その人が何をどう選び取っていくのかを、神さまは期待を持

ってじっと見守っておられるのです


バラムは自分がどう行動するかを自分で決めなければなりませんでした。            

結局彼は、「よかった、Goサインがでたぞ」ということで自分の思いを果たすべくモアブの地に向かおうとします。

しかしそれは彼が神さまの試みであることに気づけなかったと言う事であり、神さまの御意志、すなわち「神はイスラエルの民を祝福し彼らを呪ってはならないと願っておられる」ことに、従いえなかったと言うことでありましょう。

私たちは様々な試みとも言える状況の中で何をどう神の前に選び取ってゆくかが問われています。

コロサイの信徒への手紙1:9以降には、「どうか、”霊”によるあらゆる知恵と理解によって、神のみ心を十分に悟り、全ての点で主に喜ばれるように主に従って歩み、あらゆる善い業を行なって実を結び、神をますます深く知るように」とあります。

 

自分の判断最優先で、主の御心を見失うことの無いように聖霊のお助けをいただきながら祈り、み言葉に聴き、歩む者でありたいと願う者です。

 

さて、バラムはロバに乗り、二人の若者を従えていたのですが。そこへ主の御使いが抜き身の剣を手にして道に立ちふさがっていました。

この主の御使いを見たロバは、道をそれて畑に踏み込みました。一方、バラムはロバを打って、道に戻そうとします。

 すると今度は主の御使いは、ぶどう畑の間の狭い道に立っていました。ロバは主の御使いを見るや、その道の石垣に体を押しつけ、バラムの足も石垣に押しつけたのです。するとバラムはまた、ロバを打ちました。

さらに進むと、剣を手にした主の御使いは、今度は右にも左にもそれる余地のない狭い場所に立ちふさがっていました。ロバはその主の御使いを見るや、バラムを乗せたまま、もうよけようが無いものですから、とうとうその場にうずくまってしまいました。するとバラムは遂に怒りを燃え上がらせ、まあ本気でロバを杖で激しく打ったというのです。


まぁつまりロバは三度剣を手にした主の御使いの姿を見ているのに、バラムにはそれが全く見えていなかったんですね。

バラムは何とかして自分の願う道を通したいと急いでいたために、主の御使いに気づきません。それに気づいて災いを避けようとしたロバは、彼にとって自分の願望を邪魔するものに過ぎません。

 しかし本当は命の恩人(ロバなのに恩人というのも変ですが)、ロバはバラムに罪を犯させまいとする存在なのです。

それがわからないバラムは、ただ自分の思いを妨げるかに見えるロバに対して、激しく怒りを燃え上がらせたのです。


これは一つの教訓とも言えます。

私たちには人としての願望があります。しかし余りにもそれに固執してしまったり、自分は絶対正しいと頑なになってしまうと、周りの忠告にも聞く耳持たず、せっかくの助言もいまいましいものに聞こえてしまうでしょう。それは危機から守り罪を犯させないため、又大きな過ちから遠ざけるために神が遣わされた人、あるいは出来事かも知れないのに、それを疎んじてしまうということがあるかもしれません。

 この事を通して、主は私に何とおっしゃっているだろうか、と謙遜さを持って耳を傾ける者でありたいと、私自身思わされる訳ですが。


「ロバがしゃべる」

 さて、そこで主はロバの口を開かれます。

ロバが「わたしがあなたに何をしたというのですか。あなたは三度もわたしを打ったのです」といいますと、

それに対してバラムは「お前がわたしを侮(あなど)ったからだ。わたしの手につるぎがあれば、いま、お前を殺してしまうのだが」と答えます。

バラムは主の御使いの剣が自分に向けられているのも知らず、そのように言うのです。

さらにロバはこう言います。「わたしはあなたが、きょうまで長いあいだ乗られたろばではありませんか。わたしはいつでも、あなたにこのようにしたでしょうか」。

バラムは「いや、しなかった」としか答えることができなかったとあります。

何だか漫才のやりとりでも見ているかのようで、思わず関西弁に翻訳したくなりますが。

聖書で動物が言葉を話すのは他に創世記のヘビがおりますけど、主が口を開かれたのはこのロバだけなのですね。何ともユニークな個所でありますけれども。


「バラムの心の目が開かれる」

 さてそこで、主は今度はバラムの目を開かれます。すると、彼は、主の御使いが抜き身の剣を手にして、道に立ち塞がっているのを見るのです。

 驚き身をかがめてひれ伏すバラムに、主の御使いは「なぜあなたは三度もろばを打ったのか。あなたが誤った道を行くので、わたしはあなたを妨げようとして出てきたのだ。ロバはわたしを見て三度も身を巡らしてわたしを避けた。もしろばが身を巡らしてわたしを避けなかったなら、わたしはきっと今あなたを殺して、ろばを生かしておいたであろう」。

それを聞いたバラムは主の御使いに言います。「わたしは罪を犯しました。あなたがわたしをとどめようとして、道に立ちふさがっておられるのを、わたしは知りませんでした。それで今、もし、お気に召されないのであれば、わたしは帰りましょう」。

 

ここでバラムは自分の罪を主である神さまの御前で悔い改めています。

「自分の中に神に従い得ない所があったかもしれない」「どこか不従順な思いがあったかもしれない」そのように彼の心の中が探られたんですね。

 

私たちも時にこう言うことがあるのではないでしょうか。

「信仰のあり方が今問われているなぁ」「あのことは主の御心に叶わなかったのではないだろうか」。そう自問自答したり後悔したりと。そう言うときは本当に謙遜にされますね。

 

 さてそのように、主のみ前で身を低くするバラムに対してみ使いは言われます。

「この人たちと共に行きなさい」。今度は「行きなさい」とお命じになっていますね。
ただし釘を刺して「ただわたしがあなたに告げることだけを告げなさい」とおっしゃるのです。

ここで主の御使いはバラムになぜ「引き返せ」とおっしゃらなかったのでしょうか?

それは、バラム自身がその信仰を問われ、改めて主に従う道を見出したからではないでしょうか。

主は、この新しくされたバラムを遣わし、「神が告げられる言葉」のみを伝えるという「使命を託された」ということなのでしょう。

 

バラムはこの後、モアブの王バラクに対して、主に命じられたとおり、主の告げられることだけを告げます。

 多くの宝を積まれ、王がイスラエルの民を呪うよう願っても、バラムは「主がわたしの口に授けること。わたしはそれだけを忠実に告げるのです」と答えます。

もし彼にロバと御使いの一件がなく、そのまま目的地に辿り着いていたなら、もしかすると王と多くの宝を前にして、主の御心に反する事を行い口にしたかもしれません。

 私たちは色んな出来事に遭遇した時、心変わりしたり、揺さぶられたりしやすい者であります。ただ、自分のそんな弱さを認めて心から謙遜にされ、主の御心に尋ね求める他ありません。

 詩篇103編にございますように、「主は憐れみ深く、恵みに富み、忍耐強く、慈しみは大きい。そのようなお方」であられます。

私たちの救いの主にいつも目を向け、信頼をし、誠実に従っていく道を歩んでいくものとされたいと願います。


最後に、今日の箇所で興味深いのは、このバラムとロバの出来事は当面のイスラエ

ルの民の全くあずかり知らないところで起こったという事であります。主の民は敵の呪いから守られ、主の祝福は奪い去られることはなかったのであります。隠れた神さまのお守りとお導き、御配剤があったということであります。

 

 私たちも、なかなか気づくことができませんが、後になって、「あのとき、主が助けを送っていてくださったのだなあ。あの出来事を通して私を守っていて下さったんだなあ」というようなことが後になってわかった、そういったことはございませんか。

主は愛するものを、気づかないうちにも守りのみ手を持って持ち運んでいてくださるのです。

 

ローマ8章28節で使徒パウロは次のように記しています。

「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っています」。

アーメン。

私たちは、日々神さまに愛され、守られ、祝福されています。そのことを知っているということは、どんなに感謝で、ありがたいことでしょうか。又、さらに主にある兄弟姉妹に祈られ、執り成されています。

主にある愛のつながりによる、このキリストのからだなる教会が私たちに与えられています。それもまた本当に世にはない恵みであります。

主に益々信頼して、主の見前に共に進む神の民とされますよう祈り求めつつ、この礼拝からそれぞれの持ち場へと遣わされてまいりましょう。

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