新年礼拝宣教 マルコ1章14-20節
主の年、聖暦2022年明けましておめでとうございます。
本年よろしくお願いいたします。
今月からマルコ福音書を4月半まで礼拝の宣教箇所として読んでまいります。
今日の個所は、イエスさまがまず「ガリラヤで伝道を始められた」というところがございます。
イエスさまは、エルサレムというユダヤ人たちの中心都市、神殿のある都からでなく、辺境の地ガリラヤから神の国の福音を語り始められました。
ガリラヤはローマの植民地政策の直接的な影響も濃く、ユダヤ人以外の外国人も多く住んでいる所でした。そういったことから、律法と戒律の遵守を重んじる都の人たちとは違い、自由な考えや信仰観をもって生活していたようです。
そのため、このガリラヤの地の人々はエルサレムに住むユダヤ人から見下され、「ガリラヤからいったい何のよいものが出ようか」などと言われていたのです。
イエスさまはそういったガリラヤの地の人々からまず、「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と宣教活動を開始されたのでした。
そしてもう一つイエスさまが福音宣教と同時になされたこと、それが「神の国の福音のために一緒に歩んでいく弟子たちを召し出す」ことであったのです
それはイエスさまが神の国の訪れを宣言し、病気の人をいやし、最後まで父の神の御心に従い通されたように、弟子たちもまたイエスさまの証言者として、さらに主の御跡に倣い、従う者とされる。そのためでありました。
イエスさまには多くの弟子たちがいたようですが。彼らは宗教家や律法学者のような専門の知識をもっていたわけではなく、実に様々な職種や立場の人たちであったのです。
今日の所ではイエスさまが後に12弟子、そして使徒とされる4人の漁師を弟子として選び、立てていかれるのですが。
ちなみに、この当時パレスチナ地方の殆どの人々が食べていた魚はこのガリラヤ湖で漁れたものだそうでう。それは実に37種類にも及び、非常に豊かなものであったということで、驚きです。きっと漁師たちも自分の仕事に誇りとやりがいを持って働いていたのでしょうね。
私は23年前にエジプトとイスラエルに旅行する機会があったのですが。エルサレムのホテルのランチで出されたのが、ガリラヤ湖でしょうか?養殖されているセントピーターズフィッシュ(ペトロの魚)を素揚げで戴いたのですが、とても淡泊なお味でした。同じ外来淡水魚のブルーギルとは違い、うまかったと記憶しています。
ところで、イエスさまが弟子たちをお選びになるこの記事をお読みになって、まずどんなことをお感じになられるでしょうか。
一番多いのは「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」とのイエスさまの呼びかけに、「二人の漁師がすぐに網を捨てて従った」。この「すぐに」というのは驚きですよね。
イエスさまのこのような呼びかけにそんなに即座に答えられるものだろうかと思いますよね。まあ漁師を生業としていた彼らが、網を捨てるなんて、、、と。まあこの網は漁師にとって生活の資でありますから、これを捨てるというのはちょっと常識的には考えられないことであったはずです。
ただ、どうもこの漁師たちはここで初めてイエスさまにお会いしたというよりは、ガリラヤにおいてイエスさまが神の国の福音が宣教されていた時から、何度かイエスさまについての噂を耳にしていたり、又イエスさまのお話を予め聞く機会もあったのではないだろうかとも思えます。
まあ、おそらくそれまでは「群衆の一人」としてイエスさまの福音を聞いていたに過ぎなかったのかもしれません。ところが、そのイエスさまはこの日「群衆の一人」としてではなく、彼らと個人的に出会われたのです。
それが16節「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった」という言葉にありますように、ここにイエスさまが彼らと出会おうとされるそのまなざしを感じとることができます。それは単に見たというのではなく、原文では「じっくりと観察し、見極める」という意味があるそうです。
おそらく彼ら漁師たちもイエスさまのその視線を強く感じ取ったのではないでしょうか。ここでイエスさまと彼ら一対一の出会いが起こっていったのです。そしてそういう中で、彼らはイエスさまの「わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしよう」との呼びかけに、まさに身も心も突き動かされ、捕らえられたのであります。
こうして彼らは「すぐに網を捨ててイエスさまに従った」(18)のであります。
それは単なる感情的、又衝動的な思いや決断によるものではなく、「神の国」の到来の実現に向けた主イエスの圧倒的な迫りによってもたらされたものであったのです。
「今そうせずにはいられない」という魂の底からあふれ出てくる思い、それが主イエスとの出会いによる彼らの体験であったのでありましょう。
また、イエスさまは19節「すこし進んで、ゼベタイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、すぐに彼らをお呼びになった。
この二人も「父ゼベタイを雇人たちと一緒に残して、イエスの後について行った」とあります。
ここでよく話題になるのは、先のシモンと兄弟のアンデレは網を捨ててイエスに従った。ヤコブと兄弟ヨハネは父ゼベタイを雇い人たちと一緒に舟に残してイエスの後について行った。つまり主イエスに従うこととは何もかもすべてを投げ捨て、またこれまでの関係をも絶ち切ってしまうことなのか?ということであります。
それについては、興味深い事にこの後に続く29節以降に、イエスさまがシモンとアンデレの家を訪ね、シモンのしゅうとめの熱を去らせ、いやされた記事が載っているのです。それですっかり元気になったシモンのしゅうとめさんが、食事を作って一同をもてなすという、ほのぼのとする情景が描かれているわけです。
つまり、シモンら兄弟がイエスさまの弟子として選ばれて従ったとしても、イエスさまはその彼らの家族との絆やつながりを大事になさり、その関係性を断ち切って従って来なさいと命令されているのではないことがわかります。シモンの家族を大事にされ、そのつながりをいつくしんでおられるそのご様子が伺えます。
私ごとで恐縮ですが、私が聖書の学びを深めて行きたいとの献身の思いが与えられた時、小倉に母一人を残して大阪に来ることに対し、私は後ろめたさを感じた時がありました。が、決断をして初めての大阪の地に一人出てきました。その大阪での2年間はこの大阪教会に教会籍を移し、大阪キリスト教短大神学科での学びとアルバイト、そして教会生活が守られていきました。そしてさらに献身の思いが強く与えられて、福岡の西南学院大神学部での4年間の学びと教会での研修を終え、たくさんの方々のお祈りとご支援によって牧師として立てられていきました。そのまあ6年間の時を経る中で、私は母の親としての苦労やその支えの尊さを改めて知ったのです。そして母も私が牧師として立たされていくことを喜び、応援してくれるようになっていきました。
イエスさまに従い行く道は、何もかも捨て去り、絶ち切っていくこととは違いました。一時的な苦難や試練はありましたが、その道を通ることによって得られる主の御計画と豊かな祝福が確かに用意されていたのであります。
さて、イエスさまは「人間をとる漁師にしよう」と弟子たちを招かれました。
それは、神の前に失われたようになっている存在が、神の愛と祝福のもとにあって新しく生きる者とされていくという大いなる目的のためであります。
彼ら自身がイエスさまと一緒に出かけていき、心や体、魂のいやしを必要としている人、悩み苦しんでいる人、悲しみと絶望の中にいる人と出会い、その関わりを通して、主なる神さまの愛とそのお働きを知る者とされるため。さらに、その福音を持ち運ぶ者とされるためであります。
「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るように」(ヨハネ15章16節)と、主イエスはおっしゃいましたが。そのイエスさまは、今日も私たち一人ひとりに向けて「わたしに従ってきなさい。人間をとる漁師にしよう」。さあ、わたしと一緒に歩いていこう、と呼びかけておられます。その御声に期待と喜びをもって応え、主のお働きの実りに共に与っていく1年でありたいと願います。