礼拝宣教 創世記26章15~33節
一昨日の8月15日は関西地方連合社会委員会主催による、こども&おとなの8・15平和祈祷集会が大阪教会を会場に開かれ、70名近い方の参加があり、キリスト者の元国会議員で講師の服部良一さんから「崖っぷちの政治状況から~いよいよ九条改憲の時代に」と題して貴重なお話を伺いました。
さて、本日は創世記26章から「平和の泉は湧く」と題し、御言葉を聴いていきます。
この個所は、「信仰の父祖」と言われるアブラハムの息子「イサク」に関する貴重な物語であります。創世記にはアブラハムやイサクの子ヤコブとその子であるヨセフに関するエピソードは数多く記されているのですが、不思議なことにイサクに関するエピソードはこの26章唯一つであります。この個所だけからイサクの人となりを読み取るのはいささか難しい気もいたしますが、この貴重に残されたイサクの物語から今日私たちに必要なメッセージを聴き取っていくことができたらと思います。
「受け継がれる信仰の祝福」
聖書にはイサクが父アブラハムと同様、「神の祝福を賜る者」として描かれています。26章2節以降で、主はイサクに現われ、「わたしはあなたと共にいてあなたを祝福し、これらの土地をすべてあなたとその子孫に与え、あなたの父アブラハムに誓ったわたしの誓いを成就する」と宣言されますが。この神の祝福はイサクによるものではなく、父アブラハムからイサクへと受け継がれてきたものであったのです。
そのように一方的に与えられた「神の祝福」とその継承でしたが、イサクもまた父と同様、試練や危機的な状況下においても、主の御声に聞き、それに従う者としてその信仰の道を歩んでいくのです。
偉大な父アブラハムの陰で目立たない存在であったイサクでしたが、彼はアブラハムの死後、本日の26章12節にあるように「イサクがその土地に穀物の種を蒔くと、その年のうちに百倍もの収穫があった。イサクは主の祝福を受けて、豊かになり、ますます富み栄え、多くの羊や牛の群れ、それに多くの召し使いを持つようになった」とあります。イサクが豊かな収穫に与ったのは、その地の環境が特別良かったからではありません。彼は飢饉が起こったため主の約束に地を一旦離れようとしますが、主の「エジプトに下って行ってはならない、わたしが命じる土地に滞在しなさい」との御声に聞き従う覚悟を決め、そのゲラルの地に寄留し決して良いとは言えない環境の中で種を蒔くと、そのような収穫を得た、というのです。聖書はイサクが信仰をもって主の御声に聞き従ったそのことに、私たちの目を向けさせるのです。
私たちは肉の目で見て、これなら成果が出そうだとか。この環境、この状況ではだめだと判断してしまいがちです。そこで主は何とおっしゃっているのだろうか。何を望んでおられるのだろうか。祈りのうちに主に聴いて従っていくことが実に大切です。主の道に従っていくことは安易な道ではないかも知れませんが、後には豊かな実りがあり、主の栄光が表される出来事へとつなげられてゆくと信じます。不毛と思えるような地に信仰の種を蒔き、百倍もの収穫を得たイサクの姿をまず心に留めたいと思います。
「井戸を掘り直す」
ここからが本日の箇所となります。その舞台となりましたのは、まさに今イスラエルとパレスチナとの争いが起こっている場所でありますが。
さて、主の祝福で豊かにされたイサクは、このゲラル地方にいたペリシテ人たちから妬まれるまでになります。ペリシテ人たちは、「イサクの父アブラハムが僕たちに掘らせた井戸をことごとくふさぎ、土で埋めてしまう」のです。
イサクの生きていた時代に井戸を掘るには、実に多くの時間と労力が必要でした。
水は生きていくうえでなくてはならないものであります。自分たちが飲むばかりでなく、田畑にも撒かねばなりません。家畜にも飲ませ、体を清め、洗濯にも使います。水があるということは、その地で生きていけるという一つ大きな保証を得るようなものです。イサクにとって父アブラハムの残してくれた井戸は大きな遺産であり、宝であったに違いありません。ところがそれがことごとく塞がれ、土で埋められてしまったのです。
ペリシテ人の王であったアビメレクはイサクの繁栄ぶりに強い脅威を感じ、イサクにここから出て行っていただきたい、と言います。イサクがペリシテ人へ怒りを覚えないはずはありません。しかし聖書はイサクの心情については何も触れることなく、イサクは感情の赴くままにそれをぶつけて争うようなことはしません。むしろ争いを避けるように彼は自らゲラルの外れの谷に移り、そこに天幕を張って住むのであります。
そこにも、アブラハムがかつて堀った井戸が幾つかあったのですが、アブラハムの死後やはりペリシテ人がそれらを塞いでしまっていました。
イサクはそれらの井戸を掘り直し、父が付けたとおりの名前を井戸に付けます。きっと彼は「父さん、私はあなたの井戸を受け継いでゆきますよ」と、父への敬意を込めそうしたのでしょう。また、それらの井戸だけでは足りなかったのでしょう。新しく水が豊かに湧き出る井戸を掘りあてるのでありますが。ゲラルの羊飼いたちが、「この水は我々のものだ」と言ってイサクの羊飼いに争いをしかけます。イサクはその井戸を「エセク・争い」と名付けます。イサクはそこで争わず、もう一つの井戸を掘りあてますと、それについても争いが生じ、彼はその井戸を「シトナ・敵意」と名付けます。イサクはそこでも争わず別の井戸を掘りあてるのですが、その井戸についてはもはや争いは生じなかったため、イサクはその井戸を「レホボト・広い場所」と名付け、「今や、主は我々の繁栄のために広い場所をお与えになった」と、言うのであります。
「イサクの信仰」
これらのエピソードから見えてくるのは、彼がアブラハムとは違った信仰のカラーを持っていたということです。それは一言でいえば、「柔和で粘り強い」信仰といえましょうか。
イサクはペリシテ人たちが「あなたは我々と比べてあまりにも強くなった」と言ったように、彼らと争うだけの力を持っていました。しかし彼は、決して争いや敵意という力でもって解決しようとはしません。汗水流し苦労して掘り当てた貴重な井戸を手放しつつも、しかし屈することなく新しい井戸を約束の地に掘り出すことをあきらめません。彼は温和な人物であったようにも見えますが、それ以上に、感情に流されることなく、ねばり強く解決を(それはその地に生活する人たちとの共存の道でもあったわけですが)探り続けたのです。それが遂には、その地においての繁栄のレホボト・広い場所を得ることに至らせたのであります。
そこには、イサクの神への信仰、主の「その地に留まりなさい」との御声に信頼し、父アブラハムの祝福を受け継ぐのだ、というその固い決意が、イサクの根底にあったのです。
世の中では、イサクのように敵意を棄て去り、争いを避けることは、弱腰な生き方だと思われるかも知れません。けれどもそこには、彼の計りがたい苦悩があり、自己放棄を要したのであります。
フィリピの手紙1章29節に、「あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられている」と記されています。キリストの福音に与った者にはキリストの福音、神の御心を知るがゆえに、苦しみを負わなければならないこともあります。しかし、それをも恵みとして与えられているのです。実に重い言葉でありますが。何より主イエス御自身が、まずそのような道を歩まれたことを私たちは覚え、主に従う道を選び取っていきたいと、願うものであります。
さて、イサクがベエル・シェバに上り、「わたしは、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしはあなたと共にいる。わたしはあなたを祝福し、子孫を増やす。わが僕アブラハムのゆえに」との主の言葉を聞くと、父アブラハムがそうしたように、そこにイサクも又祭壇を築き、主の御名を呼んで礼拝します。そしてそこに天幕を張り、井戸を掘ったということであります。
「平和の泉は湧く」
26節以降には、あのイサクを追い出したペリシテ人の指導者アビメレクが参謀や軍隊の長と共に、イサクのもとを訪ねてきます。
イサクは、「あなたたちは、わたしを憎んで追い出したのに、なぜここに来たのですか」と尋ねます。彼らは「主があなたと共におられることがよく分かったからです。我々とあなたとの間で誓約を交わし、あなたと契約を結びたいのです」と、和平の協定を申し出ます。
イサクの心のうちには「何を今さら」という思いもあったのではないでしょうか。しかし、そこでもイサクはアビメレクらの申し出を受け入れて、「彼らのために祝宴を催し、共に飲み食いした」というのであります。この下りを読むと真に不思議な思いがします。
「妬み」、「争い」「敵意」をもってイサクに挑んできたペリシテ人たちが、ここに来てイサクに和平を申し出るのです。一体何が彼らのうちに起こったのでしょう?
むろん、イサクが繁栄し、その力が彼らにとっての脅威になっていったので、今のうちにという皮算用があったのでしょうが。
しかし、それだけではないように思えるのです。そこには、幾度と「妬み」「争い」「敵意」を被っても、それに歯向かうことなく撤退しながらも、ひたすら井戸を掘るイサクの信仰者としての姿、又、それを祝福し繁栄を与える神が彼と共に生きて働いておられる。そのことを見せられたからではないでしょうか。彼らペリシテ人たちはそのようなイサクをして、「神が彼らと共にいる」ということを認めざるを得なくなったのではないでしょうか。
そうして今日の聖書の奥深いメッセージを次の31,32節の御言葉に見出すことができるのであります。「次の朝早く、互いに誓いを交わした後、イサクは彼らを送り出し、彼らは安らかに去っていった。その日に、井戸を掘っていたイサクの僕たちが帰って来て、『水が出ました』と報告した。」
イサクはペリシテ人たちの妬み、さらにゲラルの羊飼いたちの争いや敵意に対して、同様の仕打ちで争うのではなく、その状況の中でも主に信頼をおきながら、粘り強く井戸を掘り続けるのです。そして、その事を祝福するかのようにイサクの僕が掘っていた井戸から水が湧き出るのです。まさに「平和の泉はここに湧く」のであります。「目には目、歯には歯」という報復や争いによる解決ではなく、平和の主に従う信仰によって、与えられた不屈の精神で井戸を掘り続けたことが、彼らを妬み敵視したペリシテ人たちのうちにも「平安」が訪れ、和解のうちに共存する道を選び取らせたという事を、聖書は今日私たちに語り伝えているのであります。
イサクが井戸を掘り直し続けることができたのは、彼が命の水の源が誰のものであるのかを知っていたからです。私どもは、その神さまが御独り子イエス・キリストを地上に与えてくださり、十字架の贖いと死をもってつきることのない命の泉を湧きあがらせて、救いと真の平和を勝ち取ってくださったと、信じております。主イエスが自分に敵対する罪深い者、迫害する者や敵対する者のために執り成し、祈られて真の和解の道を示されたことを心に留め、私たちも、平和の泉が今日もつきることなく内外に溢れ出すよう祈り努めたいと願います。
世界にも紛争が絶えません。外交的な努力を指導者たちは決してあきらめることなく、粘り強い対話と和平の交渉が続けられてゆくよう祈るばかりです。私たち日本の国の先行きについても大変危惧の念を抱くことばかりですが。8・15平和祈祷集会の講演の最後に講師の服部良一さんが、「日本は、東アジアの近隣諸国から学ぶ材料がいっぱいある」とおっしゃった言葉が心に残りました。
今後も国政の動きに注視しつつ、世の風潮に流されることなく、身近にあるところからの出会いや出来事に向き合う中から、平和の働きにつながることがきっとあるのではないでしょうか。主の「平和の泉は湧く」ことを信じ、絶えず祈ってまいりましょう。
一昨日の8月15日は関西地方連合社会委員会主催による、こども&おとなの8・15平和祈祷集会が大阪教会を会場に開かれ、70名近い方の参加があり、キリスト者の元国会議員で講師の服部良一さんから「崖っぷちの政治状況から~いよいよ九条改憲の時代に」と題して貴重なお話を伺いました。
さて、本日は創世記26章から「平和の泉は湧く」と題し、御言葉を聴いていきます。
この個所は、「信仰の父祖」と言われるアブラハムの息子「イサク」に関する貴重な物語であります。創世記にはアブラハムやイサクの子ヤコブとその子であるヨセフに関するエピソードは数多く記されているのですが、不思議なことにイサクに関するエピソードはこの26章唯一つであります。この個所だけからイサクの人となりを読み取るのはいささか難しい気もいたしますが、この貴重に残されたイサクの物語から今日私たちに必要なメッセージを聴き取っていくことができたらと思います。
「受け継がれる信仰の祝福」
聖書にはイサクが父アブラハムと同様、「神の祝福を賜る者」として描かれています。26章2節以降で、主はイサクに現われ、「わたしはあなたと共にいてあなたを祝福し、これらの土地をすべてあなたとその子孫に与え、あなたの父アブラハムに誓ったわたしの誓いを成就する」と宣言されますが。この神の祝福はイサクによるものではなく、父アブラハムからイサクへと受け継がれてきたものであったのです。
そのように一方的に与えられた「神の祝福」とその継承でしたが、イサクもまた父と同様、試練や危機的な状況下においても、主の御声に聞き、それに従う者としてその信仰の道を歩んでいくのです。
偉大な父アブラハムの陰で目立たない存在であったイサクでしたが、彼はアブラハムの死後、本日の26章12節にあるように「イサクがその土地に穀物の種を蒔くと、その年のうちに百倍もの収穫があった。イサクは主の祝福を受けて、豊かになり、ますます富み栄え、多くの羊や牛の群れ、それに多くの召し使いを持つようになった」とあります。イサクが豊かな収穫に与ったのは、その地の環境が特別良かったからではありません。彼は飢饉が起こったため主の約束に地を一旦離れようとしますが、主の「エジプトに下って行ってはならない、わたしが命じる土地に滞在しなさい」との御声に聞き従う覚悟を決め、そのゲラルの地に寄留し決して良いとは言えない環境の中で種を蒔くと、そのような収穫を得た、というのです。聖書はイサクが信仰をもって主の御声に聞き従ったそのことに、私たちの目を向けさせるのです。
私たちは肉の目で見て、これなら成果が出そうだとか。この環境、この状況ではだめだと判断してしまいがちです。そこで主は何とおっしゃっているのだろうか。何を望んでおられるのだろうか。祈りのうちに主に聴いて従っていくことが実に大切です。主の道に従っていくことは安易な道ではないかも知れませんが、後には豊かな実りがあり、主の栄光が表される出来事へとつなげられてゆくと信じます。不毛と思えるような地に信仰の種を蒔き、百倍もの収穫を得たイサクの姿をまず心に留めたいと思います。
「井戸を掘り直す」
ここからが本日の箇所となります。その舞台となりましたのは、まさに今イスラエルとパレスチナとの争いが起こっている場所でありますが。
さて、主の祝福で豊かにされたイサクは、このゲラル地方にいたペリシテ人たちから妬まれるまでになります。ペリシテ人たちは、「イサクの父アブラハムが僕たちに掘らせた井戸をことごとくふさぎ、土で埋めてしまう」のです。
イサクの生きていた時代に井戸を掘るには、実に多くの時間と労力が必要でした。
水は生きていくうえでなくてはならないものであります。自分たちが飲むばかりでなく、田畑にも撒かねばなりません。家畜にも飲ませ、体を清め、洗濯にも使います。水があるということは、その地で生きていけるという一つ大きな保証を得るようなものです。イサクにとって父アブラハムの残してくれた井戸は大きな遺産であり、宝であったに違いありません。ところがそれがことごとく塞がれ、土で埋められてしまったのです。
ペリシテ人の王であったアビメレクはイサクの繁栄ぶりに強い脅威を感じ、イサクにここから出て行っていただきたい、と言います。イサクがペリシテ人へ怒りを覚えないはずはありません。しかし聖書はイサクの心情については何も触れることなく、イサクは感情の赴くままにそれをぶつけて争うようなことはしません。むしろ争いを避けるように彼は自らゲラルの外れの谷に移り、そこに天幕を張って住むのであります。
そこにも、アブラハムがかつて堀った井戸が幾つかあったのですが、アブラハムの死後やはりペリシテ人がそれらを塞いでしまっていました。
イサクはそれらの井戸を掘り直し、父が付けたとおりの名前を井戸に付けます。きっと彼は「父さん、私はあなたの井戸を受け継いでゆきますよ」と、父への敬意を込めそうしたのでしょう。また、それらの井戸だけでは足りなかったのでしょう。新しく水が豊かに湧き出る井戸を掘りあてるのでありますが。ゲラルの羊飼いたちが、「この水は我々のものだ」と言ってイサクの羊飼いに争いをしかけます。イサクはその井戸を「エセク・争い」と名付けます。イサクはそこで争わず、もう一つの井戸を掘りあてますと、それについても争いが生じ、彼はその井戸を「シトナ・敵意」と名付けます。イサクはそこでも争わず別の井戸を掘りあてるのですが、その井戸についてはもはや争いは生じなかったため、イサクはその井戸を「レホボト・広い場所」と名付け、「今や、主は我々の繁栄のために広い場所をお与えになった」と、言うのであります。
「イサクの信仰」
これらのエピソードから見えてくるのは、彼がアブラハムとは違った信仰のカラーを持っていたということです。それは一言でいえば、「柔和で粘り強い」信仰といえましょうか。
イサクはペリシテ人たちが「あなたは我々と比べてあまりにも強くなった」と言ったように、彼らと争うだけの力を持っていました。しかし彼は、決して争いや敵意という力でもって解決しようとはしません。汗水流し苦労して掘り当てた貴重な井戸を手放しつつも、しかし屈することなく新しい井戸を約束の地に掘り出すことをあきらめません。彼は温和な人物であったようにも見えますが、それ以上に、感情に流されることなく、ねばり強く解決を(それはその地に生活する人たちとの共存の道でもあったわけですが)探り続けたのです。それが遂には、その地においての繁栄のレホボト・広い場所を得ることに至らせたのであります。
そこには、イサクの神への信仰、主の「その地に留まりなさい」との御声に信頼し、父アブラハムの祝福を受け継ぐのだ、というその固い決意が、イサクの根底にあったのです。
世の中では、イサクのように敵意を棄て去り、争いを避けることは、弱腰な生き方だと思われるかも知れません。けれどもそこには、彼の計りがたい苦悩があり、自己放棄を要したのであります。
フィリピの手紙1章29節に、「あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられている」と記されています。キリストの福音に与った者にはキリストの福音、神の御心を知るがゆえに、苦しみを負わなければならないこともあります。しかし、それをも恵みとして与えられているのです。実に重い言葉でありますが。何より主イエス御自身が、まずそのような道を歩まれたことを私たちは覚え、主に従う道を選び取っていきたいと、願うものであります。
さて、イサクがベエル・シェバに上り、「わたしは、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしはあなたと共にいる。わたしはあなたを祝福し、子孫を増やす。わが僕アブラハムのゆえに」との主の言葉を聞くと、父アブラハムがそうしたように、そこにイサクも又祭壇を築き、主の御名を呼んで礼拝します。そしてそこに天幕を張り、井戸を掘ったということであります。
「平和の泉は湧く」
26節以降には、あのイサクを追い出したペリシテ人の指導者アビメレクが参謀や軍隊の長と共に、イサクのもとを訪ねてきます。
イサクは、「あなたたちは、わたしを憎んで追い出したのに、なぜここに来たのですか」と尋ねます。彼らは「主があなたと共におられることがよく分かったからです。我々とあなたとの間で誓約を交わし、あなたと契約を結びたいのです」と、和平の協定を申し出ます。
イサクの心のうちには「何を今さら」という思いもあったのではないでしょうか。しかし、そこでもイサクはアビメレクらの申し出を受け入れて、「彼らのために祝宴を催し、共に飲み食いした」というのであります。この下りを読むと真に不思議な思いがします。
「妬み」、「争い」「敵意」をもってイサクに挑んできたペリシテ人たちが、ここに来てイサクに和平を申し出るのです。一体何が彼らのうちに起こったのでしょう?
むろん、イサクが繁栄し、その力が彼らにとっての脅威になっていったので、今のうちにという皮算用があったのでしょうが。
しかし、それだけではないように思えるのです。そこには、幾度と「妬み」「争い」「敵意」を被っても、それに歯向かうことなく撤退しながらも、ひたすら井戸を掘るイサクの信仰者としての姿、又、それを祝福し繁栄を与える神が彼と共に生きて働いておられる。そのことを見せられたからではないでしょうか。彼らペリシテ人たちはそのようなイサクをして、「神が彼らと共にいる」ということを認めざるを得なくなったのではないでしょうか。
そうして今日の聖書の奥深いメッセージを次の31,32節の御言葉に見出すことができるのであります。「次の朝早く、互いに誓いを交わした後、イサクは彼らを送り出し、彼らは安らかに去っていった。その日に、井戸を掘っていたイサクの僕たちが帰って来て、『水が出ました』と報告した。」
イサクはペリシテ人たちの妬み、さらにゲラルの羊飼いたちの争いや敵意に対して、同様の仕打ちで争うのではなく、その状況の中でも主に信頼をおきながら、粘り強く井戸を掘り続けるのです。そして、その事を祝福するかのようにイサクの僕が掘っていた井戸から水が湧き出るのです。まさに「平和の泉はここに湧く」のであります。「目には目、歯には歯」という報復や争いによる解決ではなく、平和の主に従う信仰によって、与えられた不屈の精神で井戸を掘り続けたことが、彼らを妬み敵視したペリシテ人たちのうちにも「平安」が訪れ、和解のうちに共存する道を選び取らせたという事を、聖書は今日私たちに語り伝えているのであります。
イサクが井戸を掘り直し続けることができたのは、彼が命の水の源が誰のものであるのかを知っていたからです。私どもは、その神さまが御独り子イエス・キリストを地上に与えてくださり、十字架の贖いと死をもってつきることのない命の泉を湧きあがらせて、救いと真の平和を勝ち取ってくださったと、信じております。主イエスが自分に敵対する罪深い者、迫害する者や敵対する者のために執り成し、祈られて真の和解の道を示されたことを心に留め、私たちも、平和の泉が今日もつきることなく内外に溢れ出すよう祈り努めたいと願います。
世界にも紛争が絶えません。外交的な努力を指導者たちは決してあきらめることなく、粘り強い対話と和平の交渉が続けられてゆくよう祈るばかりです。私たち日本の国の先行きについても大変危惧の念を抱くことばかりですが。8・15平和祈祷集会の講演の最後に講師の服部良一さんが、「日本は、東アジアの近隣諸国から学ぶ材料がいっぱいある」とおっしゃった言葉が心に残りました。
今後も国政の動きに注視しつつ、世の風潮に流されることなく、身近にあるところからの出会いや出来事に向き合う中から、平和の働きにつながることがきっとあるのではないでしょうか。主の「平和の泉は湧く」ことを信じ、絶えず祈ってまいりましょう。