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日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

わたしはまことのぶどうの木

2009-06-21 08:25:55 | メッセージ
本日の宣教 「わたしはまことのぶどうの木」ヨハネ15:1~10より

イエスは言われます。4、5節、「ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことはできない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。」
枝は、実を結ぶために幹にしっかりとつながっていなければなりません。枝それ自体のうちに実を生み出す生命力を持ち合わせていないからです。枝は木にとどまる限りにおいて枝としての存在理由があります。枝が実を結ぶためには、木の幹からしっかりとそれに必要な養分や水分を得なければなりません。
花や野菜の栽培をする時に水やりをいたしますが。そんな時につい花や葉っぱの部分に水をかけたくなりますけれども、そんなことをすれば逆に花や葉は傷んでしまいます。ポイントは幹の根元に水を十分注いであげることです。豊かに実がなるためには、その根元の幹から枝が十分な水分と養分を受けることが不可欠であります。それらが枝に行き届けば、行き届くほどその枝は実りをつけます。「まことのぶどうの木である主イエス」に真実につながることによって初めて、豊かな実を主ご自身が結ばせてくださいます。そうでないと魂に必要な養分が行き届きませんから、おのずとその人の信仰は枯れ、廃れていく他ありません。
ここで押さえておかねばならないことは、農夫であるみ神は、枝である主の弟子たちを裁き、切捨てるためではなく、豊かに実を結ばせるところに、本来の御意志があるということです。そのみ神のご愛をしっかり心に留め、応えていきたいものです。
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