「荒れ野に生きる道しるべ」 出エジプト記20:1-11から
今朝は旧約聖書の中でも特に重要な律法の柱である「十戒」のところからみ言葉を聞いていきます。この十戒は本日の出エジプト記20章の他に申命記5章のところにも記されています。内容はほぼ同じですが、ただ注目すべきこととして、申命記ではモーセがこの十戒について次のように語っています。
「今日、わたしは掟と法を語り聞かせる。あなたはこれを学び、忠実に守りなさい。我々の神、主は、ホレブで我々の先祖と契約を結ばれたのではなく、今ここに生きている我々すべてと結ばれた」。
さて、この十戒でありますが、出エジプト後、荒れ野を旅する民たちが、厳しく過酷な荒れ野にあって解放された神の民として生きていくための言うならば「道しるべ」となってゆきます。ちょっと考えてみて下さい。車の行き交う横断歩道を前に、小さな子どもが渡ろうとしています。その子は幼くてまだ信号の意味も危険も理解できません。いつ自分勝手に道を飛び出してしまうか分かりません。その子にはその手をしっかりとつないで横断歩道を一緒に渡ってくれる、危険と安全について教え、手引きしてくれる人(大人)が必要なのです。
そのように十戒は出エジプトに象徴される世の力から解放を受けたばかりの民が、あらゆる世の危険から守られ、導かるために大切な手引きでもあるのです。
今朝は旧約聖書の中でも特に重要な律法の柱である「十戒」のところからみ言葉を聞いていきます。この十戒は本日の出エジプト記20章の他に申命記5章のところにも記されています。内容はほぼ同じですが、ただ注目すべきこととして、申命記ではモーセがこの十戒について次のように語っています。
「今日、わたしは掟と法を語り聞かせる。あなたはこれを学び、忠実に守りなさい。我々の神、主は、ホレブで我々の先祖と契約を結ばれたのではなく、今ここに生きている我々すべてと結ばれた」。
さて、この十戒でありますが、出エジプト後、荒れ野を旅する民たちが、厳しく過酷な荒れ野にあって解放された神の民として生きていくための言うならば「道しるべ」となってゆきます。ちょっと考えてみて下さい。車の行き交う横断歩道を前に、小さな子どもが渡ろうとしています。その子は幼くてまだ信号の意味も危険も理解できません。いつ自分勝手に道を飛び出してしまうか分かりません。その子にはその手をしっかりとつないで横断歩道を一緒に渡ってくれる、危険と安全について教え、手引きしてくれる人(大人)が必要なのです。
そのように十戒は出エジプトに象徴される世の力から解放を受けたばかりの民が、あらゆる世の危険から守られ、導かるために大切な手引きでもあるのです。