転入会証し M・K(青年)
私の父は牧師で、母は看護士です。男三人兄弟のまん中に生まれました。私は小学一年の時、主の晩餐で使われるアルコール入りのぶどう酒が飲みたくてバプテスマを受けました。中学一年の時、熊本から大阪に引越して来ました。中学と高校の時、悪いことをいろいろとしており、警察のお世話になることも何度かありました。教会に行くという感覚はなく、礼拝に出席するのも嫌でした。
高校を卒業する頃、連合の青年会を知り、参加するようになりました。青年のKさんに出会ったのも、この頃です。連合の青年会に行くようになり、同世代や少し上の世代の人と関わり、関西にあるいろいろな教会に行きました。その中で、大阪教会に来たこともありました。そして、悪いことをしなくなっていました。
私は20歳から7年半自動車修理工場で自動車整備をしていましたが、25歳頃から、平日だけでなく日曜や祝日も仕事をするようになり、教会に行くことが少なくなり、連合の青年会にも行かなくなりました。だんだん教会から離れ、行く気もなくなり、行かない事が当たり前になっていました。そして、社長と喧嘩して仕事を辞めました。
父が牧師を引退し、家が教会でなくなった時、開放感がありました。今、仕事は工場で夜勤をしています。毎日、夕方に出社し翌朝帰宅しています。土、日は休みですが、生活のリズムが普通と逆なので土、日も起きるのは午後でした。教会から完全に離れたと思っていましたが、聖書や教会のことを考えたりするようになり、「教会に行ってみようかな?」と思うようになりました。たまに、日曜の朝に起きることがあり、当時、無牧師だった東大阪教会や両親の行っている北大阪教会などに行ったりしていました。
2005年4月に、母から大阪教会に新しく牧師が来たことを聞き、礼拝に出席しました。その後も、朝起きれたときは、どこかの教会に行っていました。大阪教会にもクリスマス前や年明け、そして、イースターの案内がきて礼拝に出席しました。そして、朝起きれた時は「大阪教会に行こう!」と思うようになっていました。
2006年6月、朝起きれた時に教会に行くのでなく、教会に行くために、朝起きようと思うようになり、2週目から毎週出席するようになりました。そして、「何かと企画の多い教会だなぁ」と思いました。
今年から、青年会としての活動が始まり、誘われる側や参加する側でなく、企画などをする側や行動していく側へと変わってきました。土、日は教会や教会関係などを優先し、仕事はしないようにしました。その理由は、去年10月、礼拝後にバーベーキューをした日、仕事で礼拝に出席せず、バーベーキューにだけ参加しました。バーベーキュー後、数人が教会に残り、話をしている時、壮年のRさんが「自分はクリスチャンだから日曜日は教会に行く。だから仕事はしない!と、会社に言ってある。」と言われたのを聞いたからです。
大阪教会に来るようになってから、キリスト教関係の本や聖書のいろいろな箇所を読むようになりました。そして、いろいろな箇所をバラバラに読むだけでなく、一度、最初から最後まで通読してみようと思いました。それは、壮年のKさんが「今まで聖書を何度も通読してきた。今でもしている。」と言われたのを聞いたからです。毎日、少しの時間、読みはじめると、疑問も含め、発見が多く、調べたりメモを取ったりするようになり、なかなか読み進めることは出来ませんが、少しずつ読んでいます。
私には苦手なことや、出来ないことがたくさんあります。それは、人前にでること。人前で話をすること。人前で歌うこと。人前で祈ること。人と話をすること。文章を作成することなど。出来ることより出来ないことが多いです。ただ、今は苦手な事、出来ない事も、出来ないからしないのではなく、少しずつ出来るようにしていきたいと思っています。
最後に、大阪教会に来てから、心に残った聖書の箇所を読んで終わります。
主は一人、信仰は一つ。バプテスマは一つ。すべてのものの父なる神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。 エフェソの信徒への手紙 四章五~六節
2007年7月29日
私の父は牧師で、母は看護士です。男三人兄弟のまん中に生まれました。私は小学一年の時、主の晩餐で使われるアルコール入りのぶどう酒が飲みたくてバプテスマを受けました。中学一年の時、熊本から大阪に引越して来ました。中学と高校の時、悪いことをいろいろとしており、警察のお世話になることも何度かありました。教会に行くという感覚はなく、礼拝に出席するのも嫌でした。
高校を卒業する頃、連合の青年会を知り、参加するようになりました。青年のKさんに出会ったのも、この頃です。連合の青年会に行くようになり、同世代や少し上の世代の人と関わり、関西にあるいろいろな教会に行きました。その中で、大阪教会に来たこともありました。そして、悪いことをしなくなっていました。
私は20歳から7年半自動車修理工場で自動車整備をしていましたが、25歳頃から、平日だけでなく日曜や祝日も仕事をするようになり、教会に行くことが少なくなり、連合の青年会にも行かなくなりました。だんだん教会から離れ、行く気もなくなり、行かない事が当たり前になっていました。そして、社長と喧嘩して仕事を辞めました。
父が牧師を引退し、家が教会でなくなった時、開放感がありました。今、仕事は工場で夜勤をしています。毎日、夕方に出社し翌朝帰宅しています。土、日は休みですが、生活のリズムが普通と逆なので土、日も起きるのは午後でした。教会から完全に離れたと思っていましたが、聖書や教会のことを考えたりするようになり、「教会に行ってみようかな?」と思うようになりました。たまに、日曜の朝に起きることがあり、当時、無牧師だった東大阪教会や両親の行っている北大阪教会などに行ったりしていました。
2005年4月に、母から大阪教会に新しく牧師が来たことを聞き、礼拝に出席しました。その後も、朝起きれたときは、どこかの教会に行っていました。大阪教会にもクリスマス前や年明け、そして、イースターの案内がきて礼拝に出席しました。そして、朝起きれた時は「大阪教会に行こう!」と思うようになっていました。
2006年6月、朝起きれた時に教会に行くのでなく、教会に行くために、朝起きようと思うようになり、2週目から毎週出席するようになりました。そして、「何かと企画の多い教会だなぁ」と思いました。
今年から、青年会としての活動が始まり、誘われる側や参加する側でなく、企画などをする側や行動していく側へと変わってきました。土、日は教会や教会関係などを優先し、仕事はしないようにしました。その理由は、去年10月、礼拝後にバーベーキューをした日、仕事で礼拝に出席せず、バーベーキューにだけ参加しました。バーベーキュー後、数人が教会に残り、話をしている時、壮年のRさんが「自分はクリスチャンだから日曜日は教会に行く。だから仕事はしない!と、会社に言ってある。」と言われたのを聞いたからです。
大阪教会に来るようになってから、キリスト教関係の本や聖書のいろいろな箇所を読むようになりました。そして、いろいろな箇所をバラバラに読むだけでなく、一度、最初から最後まで通読してみようと思いました。それは、壮年のKさんが「今まで聖書を何度も通読してきた。今でもしている。」と言われたのを聞いたからです。毎日、少しの時間、読みはじめると、疑問も含め、発見が多く、調べたりメモを取ったりするようになり、なかなか読み進めることは出来ませんが、少しずつ読んでいます。
私には苦手なことや、出来ないことがたくさんあります。それは、人前にでること。人前で話をすること。人前で歌うこと。人前で祈ること。人と話をすること。文章を作成することなど。出来ることより出来ないことが多いです。ただ、今は苦手な事、出来ない事も、出来ないからしないのではなく、少しずつ出来るようにしていきたいと思っています。
最後に、大阪教会に来てから、心に残った聖書の箇所を読んで終わります。
主は一人、信仰は一つ。バプテスマは一つ。すべてのものの父なる神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。 エフェソの信徒への手紙 四章五~六節
2007年7月29日