外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

油断は大敵

2015-07-04 19:20:48 | 大学野球
久し振りに、早稲田野球の記事が新聞に載りました。
記事へのリンク

褒めてもらうことは、気持ちがいいです。
でも、学生スポーツは勝つも負けるも紙一重ということを忘れてはいけませんね。
戦力充実で優勝候補筆頭であった明治が、主力投手のコンディション調整が上手くできなかったため、Bクラスという結果に終わりました。

例えば、早稲田の投手陣。
早稲田の春の優勝は、下級生投手の活躍なしでは語ることが出来ません。
しかし、まだ身体づくりの途上にある下級生投手を目一杯 起用しましたので、身体への負担は大きかったはず。
選手権の決勝戦における大竹、小島両投手は、明らかに疲れていました。

一方、野手も難しいです。
春は「今年の早稲田は弱い」という前評判を見返してやろうという意識が、部員の気持ちを火の玉
にしました。
一転、「早稲田は強い」という前評判となった今、どのように気持ちを高めていくのか、これは難題です。

幸い、大学ジャパンに参加するのは茂木くんだけ。
東伏見に全員が腰を据えて、練習に専念できる環境です。
ただ、夏の鍛練は厳しい内容になると思いますし、オール早慶戦などの遠征もあります。
ぜひコンディション管理には万全を期して欲しいと思います。
学生コーチの皆さん、よろしく頼みますよ。

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日本ハムの有原投手が4勝目をあげ、新人王候補に浮上しました。
有原、初完投あと2人から被弾降板も4勝目 新人王候補に浮上(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース


有原くんは、先発完投型にこだわって、ぜひ大成して欲しいと思います。
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戦火に散った伝説の左腕

2015-07-04 12:04:36 | 大学野球
昨日は沖縄戦で命を落とした早大野球部出身の近藤清さんを話題にしました。
今日は、盟友 明治大学出身で戦火に散った名投手 嶋清一さんを取り上げたいと思います。

嶋投手は、1937年(昭和12年) 和歌山県 海草中学(現在の向陽高校)のエースとして出場した甲子園で5試合連続完封で優勝、加えて、その準決勝と決勝は2試合連続ノーヒットノーランという、前人未到 不滅の偉業を成し遂げた大投手です。

甲子園「名投手」「名選手」百選


YouTubeに、甲子園の試合風景が残っています。
"嶋 清一" を YouTube で見る


嶋投手は、1940年(昭和15年)に明大予科に入学。
その秋に神宮デビューを果たします。
写真の後列右側が嶋さん。

しかし、1943年(昭和18年)に繰上卒業となり学徒出陣し、海軍に入りました。
そして、1945年(昭和20年)3月29日、ベトナム沖で輸送船団警護にあたる海防艦に電探係として乗っていたところ、敵潜水艦の魚雷攻撃により沈没し、嶋投手は戦死。
まだ24歳という若さでした。

なお、嶋投手は、あの野球漫画「巨人の星」にも登場します。
主人公 星飛雄馬の父 一徹が戦地で負傷した際、同じ戦場に居合わせた元甲子園球児が嶋さんという設定でした。

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今年は戦後70年という節目の年なので、戦争体験者の証言が新聞やテレビで取り上げられる機会が増えています。

しかし、証言されるご存命の方々は終戦時に せいぜい二十歳前後。
どうしても、戦争での被害者としての側面に偏った証言になってしまいます。
また、先人や戦死者に敬意を表するあまり、ややもすると美談となりがちです。

一方、戦争で指導的立場にあった人々、あるいは戦地で実際に軍隊を動かしていた人々は終戦当時に概ね40歳以上と考えられますので、さすがにご存命ではないでしょう。
ですから、先の戦争における加害者としての側面については、時すでに遅し。
なかなか証言を得ることが難しいと思われます。

これから目にする数々の終戦70周年記念企画には、そのことを十分に踏まえて、時には頭の中で修正を加えながら、接するようにしたいと思います。














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