これまで生きてきて、戦争に巻き込まれるでもなく、わりと無事に平和に生きてこられたのは良かったのですが、これまでの人生でいつも漠然と不満があったのは、わけがわからない。ということでした。
普通に生活して人生のイベントをこなし、そして人生を終える。というのは幸せなことかもしれませんが、わけのわからないまま、大きな流れの中に混じって流されたくない。ということがどこかいつも頭の隅にありました。
この不満はとても深い、深層心理といいますか、魂の根源から湧いてくるようなもので、たまに消えていても、フツフツと継続して湧いてくるものでした。
世の中で戦争が起こって、大きな災害が起こって、経済危機が起こって、それにただわけもわからずに巻き込まれて渦の中に飲み込まれるのはイヤだったのです。
どうしようもないことだから。とか、そんなものだから。という、曖昧な答えでは、片づけられないものだったのです。
日本は8時間労働ですが、ちょっと考えるとこの時間働いて、家に帰って休日も束の間の休息をしてまた仕事。という生活というのは、考える時間。というのがないのだということに気が付きました。
戦争が起こるのは不可抗力な出来事で、世界中には食べ物が溢れかえっているのに飢餓が発生する国が出てきます。
わけのわからないことが多すぎるのです。
社会のルールや制度や仕組みも変わっていきます。なぜ、そうなったかということはわかりません。
ただ、そのルールや仕組みに従うだけなのです。
わけのわからない世界の闇や靄の向こう側には、なにかの存在が見えます。それは、まったく、自分たちのことしか考えない人たちの存在がありました。
その時はとても厚い雲がかかっている感じで気配が感じとれても姿は見えませんでした。もちろん全体像などわかるわけがありません。
わけのわからない世界。でのんびりとわけのわからないまま暮らすのもいいですが、私は、知りたかったのです。
わけの分かる世界で、雲の向こう側にいる、つまらない人たちの顔を、とっくりと拝んでみたかったのです。
今、インターネットではそれが出来るようになりました。誰がその人たちなのかということもはっきりと見て取れます。多くの情報が、画像付きで載っているからです。
ようやく、厚い雲の向こう側に出られた感覚なのです。
そして、よくわかる世界のほうが、わからない世界よりも面白いなと思うのです。
ふわふわと、定まらない足元がようやく固まって、彼らのつく嘘にだまされない体制が整ったように感じるのです。