父方の実家は田舎の山の中にあって、過疎化が進んでもう住んでいる人も少なくなって小学校などもとうの昔に廃校になっている場所なのですが、その中の一つの空き家を見て不思議な感覚になりました。
10年ほど前の話なのですが親類の人と父の実家に行きました。
誰も住んでいないので時々、風を通したり掃除をしに行くのですがそのついでに近所を少し散歩していました。
子供の頃から行っている場所なので久しぶりに行くと懐かしいのですが、近所にある一軒の空き家が目につきました。
その時まで忘れていたのですが、少し前にこの空き家が出てくる印象的な夢を見たのでした。
夢の中ではこの空き家の玄関が大きく開かれていて、そこから印象的な風貌の人とその人を取り巻くような形で女の人が何人か歌い踊りながら出てきます。
花吹雪が舞って、その空き家の前の3畝ほどある小さな畑には鮮やかな黄色や赤やピンクの花が満開に咲いているのが見えました。
この人たちの陽気さといったら、おめでたい雰囲気というのはこういうことなのだと思わず納得してしまうほどの晴れ晴れとしたものなのでした。
この中央にいる男性の服装は目に染み入るほどの眩しい黄色い衣装で、周りの女性たちも黄色の衣装に裾に花の柄が入ったような着物のような衣装でした。
とても陽気に歌い踊りながら出てきます。私はその光景を少し離れた場所から見惚れていたのですが
一瞬、夢の中で我に返った瞬間があったのですが、そうするともうその夢は醒めて目が醒めてしまいました。
その夢の中の空き家と現実の目の前の空き家を比較してみると、目の前の空き家は当たり前なのですがしんと静まり返っています。家の前の小さい畑も土のままで何も植えられていませんでした。
この夢はとても印象に残っていたのですが、それから少し経ってテレビを見ていると沖縄の文化や神さまを紹介している番組が放送されていました。
その中でミルク神という沖縄の神さまが紹介されていました。
夢の中で中央にいた人にそっくりなので驚きました。まさか。と思いましたが、神さまだったのかと驚きました。
沖縄の神さまが、本州の山奥にある空き家を玄関のようにして使っているのだろうかと思いました。
このことは今も謎なのですが、人間が見える世界というのは限られていますのでたとえば人間の世界では空き家だったりする建物も、違う次元では玄関代わりになっているということもあるのかもしれないなと思いました。
前にローカルのテレビ局で放送されていた内容なのですが、有名な神社を取材した時にテレビカメラにそこにあるはずもない優美な建物の屋根が映っていたというのをリアルタイムで見たのを覚えています。
その建物の屋根の一部が映っているのですが、昔の中国のお寺の屋根のように少し先が反った形の屋根でした。
薄緑の屋根で、雨が上がったあとで雫が光っている近くの木の葉の間から見える格好で映っていました。
その場所には何もないらしいのですが、その時の番組の説明としてこの神社は龍神さまに縁のある神社なのでもしかしたら龍神さまの住処なのかもしれないですね。ということでした。
今次元の壁が薄くなってきているといわれていますが、このような不思議なものを目撃する機会が多くなるのかなと思うのですが、もしそうであっても以前ほどあまり違和感を感じなくなっているなと思います。
もうすでに少し前の3次元の空間からかなり離れているという実感があるからなのでしょうか。
3次元以上の世界というのは制限がかなり外されていて楽しい空間なのではないのかなと思います。
10年ほど前の話なのですが親類の人と父の実家に行きました。
誰も住んでいないので時々、風を通したり掃除をしに行くのですがそのついでに近所を少し散歩していました。
子供の頃から行っている場所なので久しぶりに行くと懐かしいのですが、近所にある一軒の空き家が目につきました。
その時まで忘れていたのですが、少し前にこの空き家が出てくる印象的な夢を見たのでした。
夢の中ではこの空き家の玄関が大きく開かれていて、そこから印象的な風貌の人とその人を取り巻くような形で女の人が何人か歌い踊りながら出てきます。
花吹雪が舞って、その空き家の前の3畝ほどある小さな畑には鮮やかな黄色や赤やピンクの花が満開に咲いているのが見えました。
この人たちの陽気さといったら、おめでたい雰囲気というのはこういうことなのだと思わず納得してしまうほどの晴れ晴れとしたものなのでした。
この中央にいる男性の服装は目に染み入るほどの眩しい黄色い衣装で、周りの女性たちも黄色の衣装に裾に花の柄が入ったような着物のような衣装でした。
とても陽気に歌い踊りながら出てきます。私はその光景を少し離れた場所から見惚れていたのですが
一瞬、夢の中で我に返った瞬間があったのですが、そうするともうその夢は醒めて目が醒めてしまいました。
その夢の中の空き家と現実の目の前の空き家を比較してみると、目の前の空き家は当たり前なのですがしんと静まり返っています。家の前の小さい畑も土のままで何も植えられていませんでした。
この夢はとても印象に残っていたのですが、それから少し経ってテレビを見ていると沖縄の文化や神さまを紹介している番組が放送されていました。
その中でミルク神という沖縄の神さまが紹介されていました。
夢の中で中央にいた人にそっくりなので驚きました。まさか。と思いましたが、神さまだったのかと驚きました。
沖縄の神さまが、本州の山奥にある空き家を玄関のようにして使っているのだろうかと思いました。
このことは今も謎なのですが、人間が見える世界というのは限られていますのでたとえば人間の世界では空き家だったりする建物も、違う次元では玄関代わりになっているということもあるのかもしれないなと思いました。
前にローカルのテレビ局で放送されていた内容なのですが、有名な神社を取材した時にテレビカメラにそこにあるはずもない優美な建物の屋根が映っていたというのをリアルタイムで見たのを覚えています。
その建物の屋根の一部が映っているのですが、昔の中国のお寺の屋根のように少し先が反った形の屋根でした。
薄緑の屋根で、雨が上がったあとで雫が光っている近くの木の葉の間から見える格好で映っていました。
その場所には何もないらしいのですが、その時の番組の説明としてこの神社は龍神さまに縁のある神社なのでもしかしたら龍神さまの住処なのかもしれないですね。ということでした。
今次元の壁が薄くなってきているといわれていますが、このような不思議なものを目撃する機会が多くなるのかなと思うのですが、もしそうであっても以前ほどあまり違和感を感じなくなっているなと思います。
もうすでに少し前の3次元の空間からかなり離れているという実感があるからなのでしょうか。
3次元以上の世界というのは制限がかなり外されていて楽しい空間なのではないのかなと思います。