給水塔(ポンプで地下水をくみ上げ、水圧のみで鶏舎へ配水していた)高さ4m
我が家の家業は養鶏業であった。
そうは言っても、息子たちは自覚していないようなので書いておく。
両親が高齢となり廃業したが、それまでは専業農家として養鶏場を営んでいた。
我が家は、不動産収入のある農家とは異なり、農業のみで勝負していたガチンコ農家だった。
畜産業は、生き物が相手なので、365日休みがない。
最盛期には朝の7時から、夜の11時ごろまで働いていた。
鶏のエサやりから、採卵、出荷準備、配達まで、すべて家族労働だった。
現在では、ほとんどの養鶏場が企業経営となっており、(上場企業も経営している)
個人の養鶏場の出る幕はほとんどない。
父親は、技術にこだわる人間だったので、いろいろ研究して鶏を育てていた。
鶏の餌も、単純に配合飼料をそのまま与えるやり方ではなかった。
細かいところまで言うと大変なので、
ざっとのところを説明しておく。
鶏の餌づくりの工程1.
まず始めに鉄の鋳物で出来た大釜で大量の湯を沸かす。(かまどで沸かした)その中に、一袋20キロのトウモロコシの飼料や、一袋30キロのふすまなどを次々に投入していく。さらに細かく裁断した燕麦や菜っ葉を入れて、ぐらぐらと煮詰めていく。
大釜(横幅1.4m深さ0.65m)
工程2
これを、トウモロコシの粉やふすま、魚粕、牡蠣殻など、各種調合した飼料を予め敷き詰めておいた長さ6mほどの縦長の箱の中に、スコップで均等に載せていく。
工程3
かくはん機という、くじらのあばら骨のような鉄の棒がグルグル回る機械を動かし、餌をかき混ぜる。箱の両サイドには専用のレールがあり、かくはん機は、レールの上を自走し2往復ぐらいで、煮込みのエサと配合飼料がきれいに混ざり合う。
出来立ての餌からは湯気が出ていた。
ここからは餌やりの工程
工程1
出来上がった餌を、鳥小屋まで運ぶのに、魚市場で使うトロ箱のようなヒノキで出来た四角い箱を使っていた。スコップで箱に餌を入れ、リヤカーで運ぶ。量があるので、2回に分けて運んでいた。
縦長の鶏舎が何列も並んでおり、各ゲートに2箱づつ、餌箱を下していく。
工程2
各ゲートの餌箱の餌を、給仕機と呼ばれる自走する餌箱に移し替える。
手やりでは縦に長い鶏舎の鶏に均等に餌を配膳するのは不可能だ。そこで、ある一定の長さの餌箱をゆっくり動かしながら食べさせる。これだと鶏も均一に餌が食べられるし、人間も楽だ。
ここまで書いて、少し疲れてきた。
餌は、午前と夕方の2回与える。
餌作りの工程はちょっとした町工場のようだった。
各種の機械やローテクを駆使して作業が行われるが、基本的にすべての管理は自分たちが行う。機械はむろん専門業者に発注したものだが、メンテナンスはすべて自分たちが行っていた。
父は、土木、電気系統の知識に精通していた。
かんじんな卵だが、やはり手間をかけただけのことはあったと思う。
廃業してから、生まれて初めて市販の卵を買ってきたときのことだ。
驚いた。
自分の思っていた卵のイメージと違っていた。
失って初めてありがたさに気づくのは世の常だろうか。
我が家の家業は養鶏業であった。
そうは言っても、息子たちは自覚していないようなので書いておく。
両親が高齢となり廃業したが、それまでは専業農家として養鶏場を営んでいた。
我が家は、不動産収入のある農家とは異なり、農業のみで勝負していたガチンコ農家だった。
畜産業は、生き物が相手なので、365日休みがない。
最盛期には朝の7時から、夜の11時ごろまで働いていた。
鶏のエサやりから、採卵、出荷準備、配達まで、すべて家族労働だった。
現在では、ほとんどの養鶏場が企業経営となっており、(上場企業も経営している)
個人の養鶏場の出る幕はほとんどない。
父親は、技術にこだわる人間だったので、いろいろ研究して鶏を育てていた。
鶏の餌も、単純に配合飼料をそのまま与えるやり方ではなかった。
細かいところまで言うと大変なので、
ざっとのところを説明しておく。
鶏の餌づくりの工程1.
まず始めに鉄の鋳物で出来た大釜で大量の湯を沸かす。(かまどで沸かした)その中に、一袋20キロのトウモロコシの飼料や、一袋30キロのふすまなどを次々に投入していく。さらに細かく裁断した燕麦や菜っ葉を入れて、ぐらぐらと煮詰めていく。
大釜(横幅1.4m深さ0.65m)
工程2
これを、トウモロコシの粉やふすま、魚粕、牡蠣殻など、各種調合した飼料を予め敷き詰めておいた長さ6mほどの縦長の箱の中に、スコップで均等に載せていく。
工程3
かくはん機という、くじらのあばら骨のような鉄の棒がグルグル回る機械を動かし、餌をかき混ぜる。箱の両サイドには専用のレールがあり、かくはん機は、レールの上を自走し2往復ぐらいで、煮込みのエサと配合飼料がきれいに混ざり合う。
出来立ての餌からは湯気が出ていた。
ここからは餌やりの工程
工程1
出来上がった餌を、鳥小屋まで運ぶのに、魚市場で使うトロ箱のようなヒノキで出来た四角い箱を使っていた。スコップで箱に餌を入れ、リヤカーで運ぶ。量があるので、2回に分けて運んでいた。
縦長の鶏舎が何列も並んでおり、各ゲートに2箱づつ、餌箱を下していく。
工程2
各ゲートの餌箱の餌を、給仕機と呼ばれる自走する餌箱に移し替える。
手やりでは縦に長い鶏舎の鶏に均等に餌を配膳するのは不可能だ。そこで、ある一定の長さの餌箱をゆっくり動かしながら食べさせる。これだと鶏も均一に餌が食べられるし、人間も楽だ。
ここまで書いて、少し疲れてきた。
餌は、午前と夕方の2回与える。
餌作りの工程はちょっとした町工場のようだった。
各種の機械やローテクを駆使して作業が行われるが、基本的にすべての管理は自分たちが行う。機械はむろん専門業者に発注したものだが、メンテナンスはすべて自分たちが行っていた。
父は、土木、電気系統の知識に精通していた。
かんじんな卵だが、やはり手間をかけただけのことはあったと思う。
廃業してから、生まれて初めて市販の卵を買ってきたときのことだ。
驚いた。
自分の思っていた卵のイメージと違っていた。
失って初めてありがたさに気づくのは世の常だろうか。