ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

ごろつき

2012-10-10 11:29:38 | 日々の暮らし・思い出
イブ3才の或る場面、『ごろつき』としか見えない。

娘が「ご飯だよ」と声かけしても、一度ですっと来たことはない。

何やらかんやら言って、延ばしている。腹が減ってないのかもしれない。

風呂上りに身体をタオルで拭くのも、ひとが出したのでは気に入らない様子。

ナンタラカンタラ言って、我を張っているふう。

思い通りに行かないと騒ぎ立てる。

そういう時は本当に『ごろつき』という言葉がぴったり。

こうしたいという欲求が強い子だなと5月に会ったとき思ったけど、

磨きがかかった感じ。

なんでこういうふうに“なった”んだろう?

娘を観ていると、言葉でイブをなんとかしようとしている節が多いように思う。

イブにしてみたら、これまで、いつも何かを“やらされ”て来たのかもしれない。

やらされることに関して、もう嫌だ!という恨みみたいな感情が湧くんじゃないだろうか?

自分はロボットじゃない!

そんな気持ちが積もっているのかもしれない。

それで、そこでそうまで言うことないだろう・・みたいな場面でも自分がやる!と突っ張ることになる。

こういう態度は何を表しているのか、ここへ来てずっと考えてきたんだけど、

今日、こうして書いていると、こんな展開になった。

こうしたこともそうだけど、なっている現象は必ずそうなる心の仕組みがあるのかと思う。

あーせい、こ-せいと本人の心などおかまいなく、事柄を進めてきた結果なのか・・なぁ。

さて・・・
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知恵

2012-10-08 22:08:36 | ひとの幸福
今日3才のイブが床拭きワイパー(クイックルワイパー)を持って、

大人の真似をして床を拭いていた。

ベビーベッドが高床になっていて、娘がベッドの下も拭いて、とイブに言った。

普通にワイパーを持っていたんじゃ、奥の方までワイパーが届かない。

持っている柄をぐっと下げるんだよ、と娘はイブに言っていた。

それを聞いて、これは『知識を教える』だなと思った。

こういう時の、たとえば、

「どうしたら奥の方まで拭けるだろうね~?」というような問いかけは「教え」とは言わないのかと思った。

その言葉を聞いて、考えて、自分で実践してみる・・・

こうしたらいいかな・・どうかな・・?・・あっ、先まで届いた!

やり方を一部始終教えて貰っても、出来るだろうけれど、

喜びはそれほど得られないんじゃないか。だってロボットみたいだ。

自分であーでもないこーでもないと考えることと、それを自分でやってみること、

・・そうして得られた、「あっ、そうか!」は『知恵』になるのかと思った。


教えるのではなく、自ら学ぶ・・・そういう言葉があった。

教えるのはどこまで行っても知識なんじゃないだろうか・・・

教えてもらうだけじゃ『知恵』にならない。


上に書いた例なんかはヒントを聞いて、考えたくてたまらなくなって考えて気がつく「知恵」かと思う。

『知識』も知りたくて、自ら教えを乞うこともある。

知識がダメで知恵がいいなんてことは一切無いし、知識が無ければ知恵も浮かばないだろう。

多くの知識は考えるのにとても役立つだろうし。


『知恵』は必ず、あっそうか、そうなのか、という気付きがあるものかと思う。

それは忘れない。身体で覚える。そして必ず喜びを伴う。

気づきというのは頭でわかるんじゃないんだろう。

知識は頭でわかるものだけど。

気付いて、何度も何度もやって、体得にまで行くのかと思う。

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3才

2012-10-08 21:27:36 | ひとの幸福
たかが3才・・というなかれ・・・本当にそう。

3才だからこそ、彼女にはこちらがそのまま観える。

ひとの心の在りようをじっと見てる。観てる。

ちょっとでもこちらに否定があると嗅ぎつける。

本当にここに来てよかった。

剛は要らない。柔だけで真実は表せる、と思った。

ひとがどうしようと毅然とした態度をとる・・という言葉がある。

毅然と、というと、何か厳格なみたいなニュアンスを感じていた私だったけど、

『毅然』の意味は意志がしっかりしていて、ものに動じないさま。

ものに動じない、というと梃子でも動かない石のように思っていたけれど、

柳の葉のように風のままにさらさら動くけど、風が止まれば止まって、

根っこは全然動かない・・・そんなふうなのも毅然とした心だなぁと思った。

対応はどこまでも心柔らかく、受けて受けて、それでいて動じない・・

娘とも、なんか、しみじみと話せて、嬉しかった。

自然とやりたくなる・・それが本当に楽で楽しいだけの人生だね~



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アダム2週間

2012-10-07 22:25:00 | 日々の暮らし・思い出
アダムは今日で生まれて2週間。2週間しかこの世に生きてない。

私もそういう時があったのだろう。

憶えていたらどんなに面白いだろうと思うのだけど・・・

まっさらなのかなぁとも思うけれど、まっさらとも言えないようにも思う・・

この子の歴史は2週間じゃない。母親のお腹で過ごした月日もあるし、

最近は前世や子宮に居たことや宇宙に居たことなんかを覚えている子供もあるらしい。

親を選んで生まれてきたとかも聞く。


人と人とを比べたりするけど、

よーいドンと言うスタートからそれぞれは異なるものなんだから、

比べること自体出来ないんじゃないかと思う。

これは3267g、これは2744g、これは目がこんなふう、これは鼻がこんなふう、

これは目が青い、これは肌が黒い、これはお尻が青い・・・

いろんな特長がそれぞれにある、というだけのこと。


いろいろと便宜上相対的に表現するしか、表現できないのでそうするけど、

それに価値の高低は無い。アダムを見ると自然とそう思う。


アダムはおっぱいを飲んでは眠り、眠りながらや起きているときにも排便排尿し、

身体を洗って貰い、オムツを替えてもらい、されるがままになっている。

なにも思っていないのだろう。

起きているときもそうだけど、寝ているときもいろんな表情をして、見飽きない。


アダムの母親はアダムを見て可愛いだけだ、と言う。

イブを見ると可愛いだけではないようだ。

いろんななにかがどうにかなりあって、そうなった・・んだろうな。

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我を張る

2012-10-06 11:39:28 | 日々の暮らし・思い出
ここに来た日、次女と話をしていると、

「仕組みがわかると、あーそうかぁ、やれそうだなって思ったよ」

「自分が変わったって思うよ」と言った。

なんのことか、わからないね。これから書くね。

些細なことで次女は配偶者と揉める。

自分が悪くないのになんで謝らなくっちゃならないのっ!

・・・これ。しょっちゅうこんな感じでやってたみたい。

まぁ、そうなるように育てたのはかなりの部分私なので。

それがこの前電話で話したときに、あんたはすぐに自分が正しいって突っ張る、

プライドが高いよ、それで我を張るんだから。

・・こんなことを私は言った。

そうしたら、次女はいたく感心して、

そうか、そういう私だったから、あんなふうになっちゃうんだっ・・

・・って思ったみたい。

今まで、「~なふうなやり方したらいいんじゃないの」なんて言っちゃってた時は、

「頭ではわかるけど、そんなこと出来ないよ」

・・これだった。

それはそうだな~と今はわかる。そんなふうに言われたって出来ないもんだ。


正しいって突っ張ってたから(そういう心の状態だったから)、

あんなふうな態度をしてたんだということが、

一皮向けたみたいな感じでわかったよう。

軽い言葉で簡単に転換してしまった。

あの時、聴こうっていう時だったんだね。きっと。

こういうのも『相共鳴して』というのかもしれない。




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石垣島にて

2012-10-05 13:32:58 | ひとの幸福
那覇からでも一時間くらい飛ばないと石垣島に着かない。遠いもんだね~

空港にはイブとおばあちゃん、イブのお父さんが迎えに来てくれた。

イブは顔を合わせるなり、ニコニコとした。

可愛い。途中で運転席に座る、とか言ったりしたけど、まぁスムースに自宅までたどり着いた。

イブは家に着くとおもちゃを出して説明してくれたり、

赤ちゃんを撫でたり、といろいろ忙しい。

赤ん坊は携帯写真で見た印象よりずっとずっと小さくて、

友達なんかはすぐにでも居酒屋に行くような顔だね~

と言ってて、なかなか上手い表現だと思ってたけど、

会うと居酒屋にはまだ行きそうもない顔だった。

イブとは全然違う顔付きで、どんな少年になるのか楽しみだ。

でも今回は第一ギャングエイジ期のイブとのやり取りが一番楽しみ。

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思い

2012-10-04 09:42:19 | ひとの幸福
机は構造なのか概念なのか・・なんて書いたけど、

「構造」という言葉は言葉なので、概念。

「概念」の意味は事物の本質をとらえる思考の形式。

「人」という概念もある。

概念は言語に表現され、その意味として存在する。(広辞苑より)

「机」という字は思い、なんていうと誤解されそうだけど、

「机」という認識が在ることと、机そのものが在ることは別。

目隠しされて入った部屋に机が在っても、

目隠しされてる自分にとっては「机」は無い。

「机」という言葉が頭に浮かばない。

事実はそこに在っても、認識が無いと自分にとっては机が無い。

アインシュタインが誰も見ない月は無いと言うのか???と叫んだらしいけど、

誰も月を見なかったら「月」という言葉は存在しない。

「誰も見ない月」という言葉が在るなら、そこに既に月は在る。

幽霊なんかいない。UFOなんて無い。魂なんて無い。霊魂なんて無い。

あの世なんて無い。

そう言う人にとっては無いんだろう。

けれど、そう言ってるということはそれが在るとなってる、ということ。

無いものが在るとわかっている。

でも、そういう自分を知らない。
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つくりと働き

2012-10-04 09:15:15 | 新聞を読んで
今朝の毎日新聞に養老先生の文章が載っていた。

時々養老先生のこの欄が出て来る。今日のはこういうの。

口というのは解剖学的な器官の名前じゃなく、

機能を表わす言葉、概念である。肛門もそう。構造の名は肛門管というらしい。

口は構造名は唇と口腔。

「つくり・構造」と「機能・概念」との相異について云ってた。

口を慎め!なんていうのは働きについて云ってる。

概念の言葉は多い。敵・味方なんてのもそうだ。

昨日の敵は今日の友というように、ころころ変わるもの。

まぁ、口は機能を表わす言葉・概念だけど、肛門に変わったりしないけどね。

でも嘔吐なんかは口が出口になってるなぁ。でもそれは働きじゃないか・・

いや、働きといえば働きだよね。

「お金・現金」というのも概念だね。

その紙や金属、通帳の数字にはそういう働きがあることを表わしている。

「机」というのは構造なのか概念なのか・・・

それを踏み台としてしか使ってない場合も広い世の中にはあるかもしれない。

ダイニングテーブルなんかも、物置にしてる人もある。

そういう場合、つくりはテーブルだけど、機能は物置。

まぁ、いいや、そういうことはどうでも。

構造は簡単には変えられないど、機能だったらいくらでも変わる可能性がある。

意識は機能、はたらき。



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事実を明らかに

2012-10-03 19:34:55 | ひとの幸福
日清戦争後、尖閣諸島を中国から奪った。

いや、そうじゃない!事実無根だ。

いや、ナンタラカンタラ・・・

どうせなら、もっともっと古く遡ったらどうだろう。

日本大陸は中国とくっ付いていた。

もっと前は・・・もっともっと前は・・・

事実を明らかにしたらいい。

地球にアメーバしかいなかった頃や、人類が生まれたばかりの頃まで。



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2012-10-03 18:19:12 | ひとの幸福
中国の偉いさんに野田さんが尖閣諸島をどうぞお使いください、

魚もどうぞご自由に、と言ったら中国の人はどうなるか・・

そう云ったようなことが青い本に出ている。

国と国と言っても、話すのは人。心と心だ。


売ろうとすすめると、手を引っ込める。

取ろうとするから、やらぬと来る。

紙に書いた権利・義務の手形と心に焼き付けた親愛の情とは

どちらが確かなものか。枕が高く出来るか。


どちらが確かなものか、やってみなければわからない。

そして、本当に心底その気持ちになってやってみなけりゃわからない。

野田さんが仮に青い本の著者みたいな心になって、

そう言った時に、日本人の多くは非難ゴウゴウだろうな。

この腰抜けめ!と罵倒するだろうな。

それでもその野田さんは国民がそんなふうになることなんか百も承知で、

にっこり笑って、「ちょっと待っていてくださいね」。
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後ろ向き

2012-10-03 16:10:17 | ひとの幸福
年若い友人が「私は後ろ向きだからダメだ」みたいなことを言った。

後ろ向きな思考をしてしまうことを悩んでいるふう。

いいんだよ、そのままで。ダメじゃない。

そう言っても、納得してくれない。

なんでそれで悩むのかわかる?と私。

後ろ向きが良くないから?と友人。

ううん、前向きに生きたいというエネルギーが強くあるからじゃないかな。

前向きに生きたい、なんてのが無い人は、

後ろ向き思考をしてたって全然悩まない。

だから、いいんだよ、そのままで。


後ろ向きがダメだ、って思っているうちは、

どうしても後ろ向きのままになっちゃう。

後ろ向き思考の固まりだった長女との体験でやっとやっと気が付いた私だ。

戦争反対ってやってるうちは戦争が続くのと同じことなんだろうな。

・・・こんなことは言わなかったけど。







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ぶうさんへ

2012-10-03 15:43:38 | ひとの幸福
さっき書いたものにコメントくれた人がいた。

見たらわかるけど、私のためにここに書こう。

「昔ね、「どんな時でも100%自分が悪いと思える?」って問われた事があります。

それからちょくちょく(100%自分が悪いと思うってどういうことだろう)と考えるようになりました。

この頃もしそうならどんなに心が静かだろうかと思うことがあります。」

ぶうさん、本当だね。私もそう思うよ。

ぶうさんが云ってる、もし、そうならどんなに心が静かだろうかと思う・・

の中身と私が思ってるところと同じかどうかわからないけれど、

多分同じかと勝手に思ってる。

ぶうさん、て何処のどなたか知らないけれど、又ね♪

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突っ張り合い

2012-10-03 13:05:56 | ひとの幸福
自分だけのせいでそうなったんじゃないと突っ張る相手に対して、

相手はそれが気にいらなく、

謝らせたい、みたいなモードになることもある。

これはどういうことなんだろう?

相手が謝らない事には気が済まない。

迷惑掛けたんだから謝るのが筋ってもんじゃねえか・・ええっ~!?

頭さえ下げれば、こちとらぁ文句は言わねえよ・・

相手の頭が下がらないことが気にいらない。

そっちの頭が上がったままじゃ、こちとらぁ引っ込みがつかね~

そっちが頭さげね~っつうことは、こっちの方が低い所にいるようじゃね~か?

そう、自分が低い位置に居ると思うことが不満なんだ。

何か起こった、そのこと自体はどうでもよくて、

自分さえ人より高い所に居ればご機嫌ということなんだ。


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謝らない

2012-10-03 12:55:39 | ひとの幸福
何か失敗して、その結果起こった現象で、ひとに迷惑をかけることがある。

そうした時に相手にすぐ、ごめんなさいと謝ると、

相手はその謝罪をすんなり受け入れて、いやいや、いいんだよ、

誰でもそういうことはあるもんだ・・みたいな展開になることがある。

ヤクザっぽい例でいうと・・

そうだよぉ~ そうやって素直に謝ればこっちだって悪いことにはしねぇよ~

・・みたいになる。

それが、自分のせいだけでそうなったんじゃない、なんて、

失敗を認めないで突っ張る場合がある。

100%自分一人が原因で何かが起こることなどあまり無いもので、

なにかしらいろいろと繋がってそういう結果になるものだ。

なので、100%自分が原因なら謝るけど、

自分だけが悪いんじゃない、他の人のせいでもあるんだから、

自分だけ謝るのは腑に落ちないとかなんとか・・で謝りたくない・・

そうして、突っぱねる。頭を下げたくない。

そうか、頭を下げたくない、わけだ。

頭を下げるのは沽券にかかわる・・で、下げない・・ということは、

自分の値打ちがそれによって下がるという判断がそこにはある。

失敗したと認めることは自分の値打ちを下げるものである・・

失敗しても認めないことが値打ちを下げないことになる・・ということか。

自分の値打ちを下げたくないので突っ張る。我を張る。

その結果、周りの人は「あの人はちょっとね~」と言う。

値打ちが下がった。

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静かな気持ち

2012-10-02 19:26:14 | 日々の暮らし・思い出
昨日今日と体験のことを書いた。

そのせいなのかどうか・・まだわからないけれど、

気持ちがとても静かで落ち着いている感じ。

海が凪いで居るような、そんな感覚。

経験はしたことがあるよ、これ。

でも長続きしなかった。今度はどうかな~

でももうじき夫と離れる。

この続きがどうなるか観てみたいのにちょっと残念。

次女の所へ行くと、ここでは出来ない次女との体験が出来るから、楽しみだ。
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