・・・・・この前、書いた文章・・
今回の経験の、普段の暮らしとの一番の違いは、
やりたいことを自分で意識的に探さなくても、やりたいことが
そっちから私に向かってどんどんやって来た、ということかな。
それが認知症が遠ざかった感覚の原因かな、と思ったんだ。
やりたいことが私に向かってどんどんやって来た・・・
これを読んでどういうことかわかったかしら・・??
私が他の人だったらわからない・・・と思ったんだ。
で、ちょっと書くね。
娘2人がそれぞれ家族を持ってそこで暮らしているんだけど、
片一方は共働き、片一方も共働きなんだけど、今育休中でその上病児の世話や赤ちゃんがいる、という暮らし。
・・という、まぁ、忙しい、という状況。
そこで彼女らの手助けをしたい、と猛烈に思っちゃったんだよ。
私にやれることは家事くらいしかない。
私も彼女たちくらいの年齢の時はやはり幼児2人付きの共働きで忙しかった。
洗濯は夜やるのが当たり前、ここへ来てから夜干しはいけないなんぞと義父から聞いたことがあったけど、
そんなこと言ってる場合じゃなく、夜干しは当たり前中の当たり前だったし、
如何にして短時間で夕飯の準備をするか、が大きなテーマでありました。
今回手助けしたい、となってしまった私なんだけど、
家事の中で大きなウエイトを占める食事作りが普段はあまりやる気のないもの・・
だけど、それがなんと!とてもやる気でやれた。
家ではおならを自然にしてしまうもんだけど、
葬式やら結婚式なんかに列席してる時に、発生か・・と思われる場合でも自然と我慢するように、
娘らの暮らしをこの目で見たら、自然とやる気が出て来た・・・
やる気というもの、いろんな状況状況で相互作用で起こってくるものだと再確認したのでありました。
帰宅してから台所に立つのも楽しくなりました。
やる気、やりたい気持ちでやることは何でも楽しい。
これは真実であります。
トイレ掃除、汚物処理、なんでもそう。
やりたい気持ちでやれるのはそこに自分以外の人の役に立つのではなかろうか・・という思いがあるから。
ここで私がやる気がそれほど大きくなくても食事作りをしていたのも夫がいるからで。
いや、多分この頃は自分一人でも作るだろうと思うようになったよ。
ここに移住する前の4か月間の一人暮らしの時は納豆とパン豆腐くらいしか食べていなかった。
手を加える必要のないもので済ませていた。そう済ませていた、んだ。
この自分をも他の人と同じように扱いましょう、という気持ちが出てきたんだな。
自分をおろそかにしちゃいけない。
・・え~っと何の話だっけ??
そう、認知症から遠ざかったわけは・・・
他の人や自分に役立つように、という気持ちがあると、そこに工夫が生まれる・・・
あ~してみよう、こうしてみよう、と意識的に事を行える・・・
マンネリの自動的な行いにならない・・・
これが認知症から遠ざかったわけなんではなかろうか、と思ったんだよ。
そういえば、以前、テレビで、
大人になると経験をたくさんしてるからなんでも自動的に行えるようになるので、
脳が活発に動かなくなって、それが認知症に繋がる・・云々といっていたなぁ・・・
子供の頃、自転車に乗れるように練習してる時はすごく脳が活発に動いているけど、
乗れるようになると頭を働かせなくても自動的に乗れちゃう。
自転車に乗る時は乗れる以上乗れちゃうから仕方ないけど、
自他に役立つ料理というのは創意工夫が生まれる宝庫なのかもしれない。
帰宅してから、台所に立つ時間が増えたし、
明日からは岩手の小学生の孫や息子家族も来るので、
こんな自分が嬉しいよ。
今回の経験の、普段の暮らしとの一番の違いは、
やりたいことを自分で意識的に探さなくても、やりたいことが
そっちから私に向かってどんどんやって来た、ということかな。
それが認知症が遠ざかった感覚の原因かな、と思ったんだ。
やりたいことが私に向かってどんどんやって来た・・・
これを読んでどういうことかわかったかしら・・??
私が他の人だったらわからない・・・と思ったんだ。
で、ちょっと書くね。
娘2人がそれぞれ家族を持ってそこで暮らしているんだけど、
片一方は共働き、片一方も共働きなんだけど、今育休中でその上病児の世話や赤ちゃんがいる、という暮らし。
・・という、まぁ、忙しい、という状況。
そこで彼女らの手助けをしたい、と猛烈に思っちゃったんだよ。
私にやれることは家事くらいしかない。
私も彼女たちくらいの年齢の時はやはり幼児2人付きの共働きで忙しかった。
洗濯は夜やるのが当たり前、ここへ来てから夜干しはいけないなんぞと義父から聞いたことがあったけど、
そんなこと言ってる場合じゃなく、夜干しは当たり前中の当たり前だったし、
如何にして短時間で夕飯の準備をするか、が大きなテーマでありました。
今回手助けしたい、となってしまった私なんだけど、
家事の中で大きなウエイトを占める食事作りが普段はあまりやる気のないもの・・
だけど、それがなんと!とてもやる気でやれた。
家ではおならを自然にしてしまうもんだけど、
葬式やら結婚式なんかに列席してる時に、発生か・・と思われる場合でも自然と我慢するように、
娘らの暮らしをこの目で見たら、自然とやる気が出て来た・・・
やる気というもの、いろんな状況状況で相互作用で起こってくるものだと再確認したのでありました。
帰宅してから台所に立つのも楽しくなりました。
やる気、やりたい気持ちでやることは何でも楽しい。
これは真実であります。
トイレ掃除、汚物処理、なんでもそう。
やりたい気持ちでやれるのはそこに自分以外の人の役に立つのではなかろうか・・という思いがあるから。
ここで私がやる気がそれほど大きくなくても食事作りをしていたのも夫がいるからで。
いや、多分この頃は自分一人でも作るだろうと思うようになったよ。
ここに移住する前の4か月間の一人暮らしの時は納豆とパン豆腐くらいしか食べていなかった。
手を加える必要のないもので済ませていた。そう済ませていた、んだ。
この自分をも他の人と同じように扱いましょう、という気持ちが出てきたんだな。
自分をおろそかにしちゃいけない。
・・え~っと何の話だっけ??
そう、認知症から遠ざかったわけは・・・
他の人や自分に役立つように、という気持ちがあると、そこに工夫が生まれる・・・
あ~してみよう、こうしてみよう、と意識的に事を行える・・・
マンネリの自動的な行いにならない・・・
これが認知症から遠ざかったわけなんではなかろうか、と思ったんだよ。
そういえば、以前、テレビで、
大人になると経験をたくさんしてるからなんでも自動的に行えるようになるので、
脳が活発に動かなくなって、それが認知症に繋がる・・云々といっていたなぁ・・・
子供の頃、自転車に乗れるように練習してる時はすごく脳が活発に動いているけど、
乗れるようになると頭を働かせなくても自動的に乗れちゃう。
自転車に乗る時は乗れる以上乗れちゃうから仕方ないけど、
自他に役立つ料理というのは創意工夫が生まれる宝庫なのかもしれない。
帰宅してから、台所に立つ時間が増えたし、
明日からは岩手の小学生の孫や息子家族も来るので、
こんな自分が嬉しいよ。