ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

ニコニコニコニコ(^^)・・・して・・

2015-01-31 10:37:13 | 日々の暮らし・思い出
今朝のおむつ替えの時の声掛けに義父はニコニコニコニコしていた。

それが終えて話しかけた時もニコニコ。

その後、テーブルで夫の弟とコーヒーを飲みながら話していると、

私が居る方を向いて「○×ちゃーん」と呼んだ。

傍に行くと一点の曇りもない満面の笑みを浮かべて私に向かって右手を出した。

その手を握ると、

「・・あんたは愛情深い(そう聞こえた)・・・本当にええ人やった・・」と。

そして私の手を強く握ってその手を自分の胸にとんとんと何度も寄せた。

嬉しくて涙が出そうだったけど、私もニコニコして、

「私もおとうさんと会えて本当によかった」と言った。

二人で見つめ合ったよ。

見つめ合っているのがなんだか照れくさくなって私は、

お父さん、目薬、さそか・・と言ってしまった。

(義父の目に涙と目やにがついていたのにも気が付いて)

そうしたら、義父は「ええ(やらんでええ)」と言って目を閉じた。

そしてまた静かに寝てしまった・・ように見えた。

おとうさん、ほんとにありがとうね。



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意志とあきらめ

2015-01-30 16:45:46 | 日々の暮らし・思い出
義父がベッドの柵を握って起き上がろうとして、

それが出来ずにうつ伏せになってしまい、

布団も掛けずにはぁはぁと息遣いが荒くなり、

その声に気付いて・・・体勢を変えたり、布団を掛けたりしたんだけど、

じゃあ、そうならないようにどうしようかと考えた云々・・をこの前書いた。

で、ベッドの柵をつかめないように、段ボールを柵にかぶせるようにした、

・・というのをした。

これなら掴めない、大丈夫!と私たちは思った。


その晩は夫が傍に寝た日。

荒い息遣いで目が覚めた夫が見てみると・・・なんと!

段ボールをかけてない右側の柵を両手でつかんでそれを自分の腹に乗せていた、という。

今までいつも左側の柵につかまってベッドから降りようと?していたようなので、

段ボールを右側にはしなかった・・・のだった。

きっと左側がつかめなかったので、じゃあ、右側から・・と思ったのかと思う。

トイレに行くつもりか、何処かへ行くつもりだったのかわからないけれども、

ここから降りて何処かへ行きたいという意志がすごく強いのだなぁと思った。

その意志を実現するに必要な体力を十分持っている、と思った。

ただ、左脚が骨折で動かないから出来ないだけで。


義母も肺炎がキッカケで寝たきりになってしまったけれど、

トイレで用を足してズボンを上げるとき、一人で立てなくなって、

おむつをしてくれと自分から言ったのだった。

トイレで排便することを自分から諦めたのだ。

おむつをすることを納得していた。

義母は自分でそれを選んだ。

だからベッドから降りようとはしなかった。

そのせいか、呆けてもそういう行動はとらなかったんだけど、

義父の場合、骨折したその日まで、自分で歩いて自分でトイレに行っていた。

そういう暮らしの中、肺炎と十二指腸潰瘍と骨折が重なって、

おむつでの排便に納得もくそもない状態から、一気に寝たきりになってしまったのだ。

で、高齢者寝たきり効果の呆け状態の時には、

トイレに行こう、ベッドから降りよう、となってしまうのだと思う。


こうなってもしかたない、と自分で納得して・・

・・という意識に到達する時間もなく、寝たきり呆け状態になっちゃったせいで、

こういうことになるのかと思った。

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義父の昨日今日・・・

2015-01-28 15:21:23 | 日々の暮らし・思い出
一昨日はなんだか聞き取れない言葉をずっとうわごとのように言っていた。

目を開けたり閉めたりしていた。

昨日今日はすごく静かで、飲もう食べようという気がまるでないような様子。

こんな風を見ていると、もうそんなに長くないんじゃないか・・・

どうしてもそんなふうに思ってしまう。

熱もないし、酸素も十分なのに。

どうして義父がこういう状態になっているのか、わからない。


「神との対話」の本によると、

人は身体と精神と魂(本当はこういう言葉で完全に表せられるものじゃないけれど、一番近い言葉としてはこれだそう)で出来ていて、

死というのは、魂がこれ以上この身体にいてもすること(心が成長すること)がない、と見限ったとき、

身体から離れて行くという現象・・・

確かこんなふうに書かれてあったと思う。

信じているわけじゃないけど、そういう解釈もあるなと思ったことがあった。

人生のそれまでは、『魂』は身体や精神の思うまま為すままを、

ただそうかと観察するだけで何もしない、できないのだけれど、

死の時を決めることだけは出来る、とあった・・と思う。

あぁ、そうなのだなとこれについては納得した私だ。


おとうさんに宿っている魂はもう成長のチャンスはないと決めてしまうんだろうか・・

それとも、もうしばらく居てくれるんだろうか・・・


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世界がぜんたい幸福にならないうちは・・・

2015-01-28 15:00:59 | ひとの幸福
前に書いたけど・・・

自分ではなんとも思ってなかったことでも、人によっては

・・そんなあなたの対応じゃ、相手はつけあがるよ、もっと強く言っていかなくっちゃダメだ・・・

などと言う人もいる。

ひとはそれぞれいろんな考えを持っているから、人によっては、そんなことを言う人もある。

そういう言葉に、そうか、自分は甘いのか!?・・・

などと思うようになり、

厳しく振る舞ったりする・・・

こんなふうに人との相互作用で思いや行為が変わってくる。

世界はそんなふうな相互作用で出来ている。

宮沢賢治の、「世界がぜんたい幸福にならないうち は個人の幸福はあり得ない」

という言葉がいってるのもそういうことだと思う。

みんなが幸福になったら自動的に個人は幸福にならざるを得ない。

その“みんな”の始まりは“私”であり、“個人”なんだけども。
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「わかってほしい」という気持ち

2015-01-28 14:46:38 | ひとの幸福
人にわかってほしい、という気持ちがこの世にある。

それは、わかってもらえてない、というのが前提にあるからだろう。

そのことがさびしく感じる、というより、

わかってもらえないと落ち着かない、どうしてもわかってほしい・・

と、なるのは、どういうことなんだろう??

共感を求めているのか・・・いや・・・

他者がわかってくれないと自分の気持ちが落ち着かないというのは

共感云々とは違うだろう・・

自分の心情の安定のために他者の理解が必要、ということは、

精神的に自立していない状態といえるねぇ・・・

うん・・そういうことだな・・・


反対に、わかってもらえなくても平気という心情もある。

自分のしていること、思っていることが

人にわかってもらえてなくてもいい、ということだけど、

どうしてそうなっているのかというと、

自分が思っていること、自分がしていることは、自分がわかっている。

それだけで十分だ・・という状態かと思う。

そう考えると、ひとの理解が必要だとなっている人は、

自分が思っていること、していることを当の自分がわかってやってない、からじゃないか・・

自分が自分のことを認めてやってないのか・・・・・


それを別の表現で言うと、自分の思っていること、していることに自信がない・・

というんだろうか・・・





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(トイレに行きたい)気持ちから・・・

2015-01-27 10:40:09 | 日々の暮らし・思い出
いやはや、いろいろあるもんです。

義父を介護しているといろんなことが起こる起こる。

このところ、意識が(今ここ)という時空じゃないところにいるみたいで、

排便をしたい、トイレに行きたい、と思ってだろう・・・・

ベッドの柵につかまって、脚を下ろそうとして出したり、を何度もする。

その他に、昨夜はズボンを下ろすつもりなのだろう、おむつを全部下に下ろしてた。

その時におむつに大便がなけりゃいんだけど、

そういう時に限ってあるんだねぇ。

当然手やシーツや寝間着がきれいではなくなる。


どうしようかと夫と二人で考え、

着物式寝間着を上下に切って、

手が入らないように下は腰巻みたいに腰骨あたりでぐるっとひもで縛ってみたら、

今朝、その布は背中の方にまわっていた。

その時は幸いにおむつは外れてなかったけど、

幸いでない場合は外すことが出来るわけだ。

腰巻をひもで腰に縛ってあっても、スカートと同じでめくればすぐに触れるもんね~

やってみて自分が考え足らずであったなぁと再確認したのであった。

昨夜そういうことがあって、今朝、

「おはようございます(^^)」と挨拶したけど、

にこりともしない無表情だった。

こういうことは初めてだ。


今朝はパジャマを着てもらって、

上着とズボンの穿きぐちとを合わせて大きな安全ピンで3か所止めた。

こうすれば手がズボンに入らないはず・・・

いま、それをやっている最中。

安全ピンをいじって、それが外れたら肌を傷つけるかもしれないから、ちょっとそれが心配だ。

まぁ、今は昼間だから様子を見られるからいいかと。


義父は寝ていて、

今の状態を認識できてない中で、

「こんなところでおしっこなんかしちゃいけない、

早くトイレに行かなくっちゃ」

・・そういう気持ちが強いんだろうと思う。

脚を出してもそれ以上動けず、おむつを外しても、

トイレには行けず、そして我慢が限界を超え、してしまう・・・

情けない気持ちになっているかもと思うとなんとかしてあげたいと思ってしまうけど、

仕方ないとしか言えないね・・・


脚を出したりできないように、

介護用品のカタログでベッド柵のもっと高いものはないか探した。

このベッドのセットではなかった。

じゃあ、今の柵はそのままで、柵を握れないように

柵の内側に段ボールを夜だけ貼るとかしたらどうか・・そう夫が言った。

うん、いいアイディア♪

そのカタログにはおむつをいじったり出来ないような寝間着やパジャマもいろいろあったよ。

寝たきりになるとこういうことはよくあることなんだなと納得したわ。

介護生活もやってみて、じゃこうしよう、あーしよう、という連続だ。

でも、それが結構面白いよ。

何千円もするそういうパジャマのアイディアだけ頂いて、

うちにあるものをなんとかしてそういう機能を持つものに変えられないか

考えたりやってみたりするのが私はやっぱり好きなんだなぁ。

義父はいま、静かに寝てる。






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人との関わりで・・

2015-01-25 15:17:39 | ひとの幸福
人との関わりがキッカケで人生が思いもよらない方向に動き出すことがある。

考えてみればいろんなことがそうだ。

そしてそのことがよい結果をもたらすのか、悪くなるのか、

いろいろあると思う。

一人の人間の人生を囲む周りの人全てが常に、

怒りや蔑みや妬みや僻みやイライラなんかのまるでない、

気持ちいい人ばかりだったら、

何か事が起こっても、関係も含めていろんなことがそうそう悪くならないんじゃないかと思う。


最近知人が離婚した。

ちょっとしたキッカケで別居となって、

その時はまさか離婚にまで行くとは当の二人も思ってなかったように見えた。

それから数か月。

その間のことを遠くから眺めていて思う。

夫婦二人の気持ちだけで事が進めば離婚にはならなかったのかもしれない・・・

いや、離婚が悪いと言ってるわけじゃなくて。


昨日も書いたことと関連するのだけれど、

自分の体験を感想を交えて人に話すと、人によっては

・・そんなあなたの対応じゃ、相手はつけあがるよ、もっと強く言っていかなくっちゃダメだ・・・

などと言う人もいる。

話す相手はその人の友人知人だから、どちらかというとその人の味方になろうとして、

いろいろ言うことなどよくある。

そういう言葉に、そうか、自分は甘いのか!?・・・

などと思うようになり、

その後、別居中の配偶者に会った時、ちょっと自分に無理をして、

損得勘定を入れた態度になったりする・・こともあるかもしれない・・

それがキッカケで相手は前より硬くなる・・可能性が高いかもしれない・・

それがキッカケで・・・となり・・・

それを受けて・・・とかになり・・・。


こういう時、両方の周りが あ~、そうなの~ 的な態度で、

そんなことしたら損だ、とか相手が悪いとか、あなたが悪いとか、

そういう評価的な言動をしなかったら・・・

どうなったのかなぁ・・と思うんだ。


また、そういう周りであっても、損得勘定や~するべき観に惑わされずに、

自分を思ってくれる気持ちだけを受け取って、

自然な気持ちだけでやっていけばどうだったんだろうかな、とも思う。


けれど、まぁ、そうじゃないからいろいろあるんだし、

そして、いろいろなくっちゃ、心が成長できるチャンスもないのだから、

そのことをいいキッカケに出来ればいいんだけど・・・

こうしてひとの例では観えるもんだけど、

自分のことになると・・ではありますが。


ひとの人生は、周りの人や物や過去の自分や未来の自分(そう思っている処の)との

相互作用で進むのだなぁとの思いを強くしたよ。


ひとが想像もしなかったようになることなど簡単に起こるものだ。

こうすることで、何を実現したいのか、と、

自分の思うこと、することを見張っていないと、

こんなことになるなんて想像もしなかった、なんてことになるのは当たり前だね。

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考えや損得 と 気持ち

2015-01-24 16:10:51 | ひとの幸福
人とのやりとりでぱっと何か思って、

その思いがその時はちっとも不快なものでもないのに、

後になってそのやりとりを他の人に話すと、

その人が、

そいつひどいじゃないか・・

あなたを馬鹿にしてる態度だ・・・

そんなことじゃ君が損するじゃないか・・・

・・そんなふうに言われることがある。

こういうことって誰でもあるんじゃないかな。

そういうことを聞いても、そうかなぁ、だけで済んでしまうこともあるし、

一緒になって腹が立ってくることもあるんじゃないか・・


他の人に話さなくても、後になって考え出すと腹が立ってくるということもある。

こういうのってどういうことなんだ・・と考えると、


自分の、その時の、(今ここ)の気持ち・感情より、

ものの見方や考えや自分が損をするというような損得勘定が優位に立ってしまうことだ。

こういうことってあまり喜ばしくない。そう思う。

次に繋がるものが変なふうになる。


ひとの価値観、見方で自分の人生ドラマを穢したくない。

自分の考えで自分の気持ちを消したくない。

考えより気持ちが大事。

気持ちで生きて行きたい。

気持ちよく生きて行きたい。




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腫れてるよ。

2015-01-24 14:57:10 | 日々の暮らし・思い出
今日の義父は今日を生きてない感じがするよ。

ベッドでの姿勢を座位にして朝の景色を見てもらったら、

「あぁ、ええ天気だ。 今日も一日無事に済んだ。ありがとうございます」と言ってた。

彼の中では夕方だったんだろうな。

倒れる前は毎朝毎夕必ず神棚とお日様の方向に深く頭を下げ、祈っていた義父。

長いこと口の中でなにやら話していたものだ。

神さまと話していたんだろう。

今朝の言葉もそういうことだったのかと思う。

昨日から熱も少しあり、右頬から首にかけてが腫れている。

朝はちょっと触れるくらいでも顔をしかめた。

さっきはもう平気だった。

どういうことが起こっていたのか、いるのか、わからない。

まだ腫れはあるし、それと関係あるのかないのかわからないけど、熱もまだある。

わからないことばかりだ。

明後日の月曜日にナースが来てくれるけど、

素人判断だけど、肺炎用の抗生剤を飲んでもらった。

アイスノン枕して、冷えぴた貼って、

布団の具合や部屋の温度湿度に気を付けて様子を観よう。

これ以上熱が上がりませんように。

でも、見た感じ苦しそうでもない。

さっきまで私には聞き取れないことを何度も話していた。

うぅん・・・わからないよぉ・と返事すると、

そうかそうか(^^)じゃあ、しかたないなぁ(^^)・・みたいな対応をしてくれた。


今日はこれから関東に居る夫の弟が来る。

彼はこうなった父親の姿を見てどんなふうだろう・・・

でも来てくれるのは嬉しい。

彼は彼でうち以外にも用事があるようで、ここから出かけることもあるだろうけど、

2週間くらいは滞在して行くと言っていた。

その間に私は美容院に行きましょう。


さぁ、今晩は酒盛りだ♪

今朝揚がってるはずの魚を買おうと思って近くのスーパーに行ったんだけど、

今日はするめ烏賊だけだったよ。

それの刺身と、ワタで久しぶりに塩辛も作ろうかな♪

日にちをおかないで、烏賊のワタ和えとしてすぐに食べるのも美味しいんだよ。

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顔つき

2015-01-23 09:45:59 | 日々の暮らし・思い出
義父の退院後ひと月が過ぎた。

義父の様子を観て来て、いろいろわかるようになったことがある。

顔が広がったような締まりのない顔つきの時は、

今ここ という時空に意識が住んでなく、過去に住んでいる。

「○○を配ってくるわぁ」「畑に行ってくる」「浜に行く」

「トイレに行ってくる」「温泉に行こうか」・・・・

・・そういう時はこんなことを話す。

声が変に大きめな時も過去という時空に居る。

何を言っているのかわからない、ぼよ~んと広がったような声の時も、

過去に居る。

一日の中でも今どこに意識が住んでいるのか、が違うよう。

昨日書いたみたいな発言はその時の、 今ここ だったのかなと思う。

そういう時は締まったきりりとした顔つきで、話し方も穏やかだ。

普通の人でも顔つきって表わすなぁって思う。

その人のその時の心を。

そうした長い年月で蓄積された心が、今そこに、

しわの具合や表情に現れているのかなと思うことがある。

顔の造作は変わらないけれど、

ずっとたたみっ放しだった洋服の折じわみたいに取れない表情があるような気がする。

テレビで自民党の麻生さんが映ると、その口の歪み具合に、

この人は幼い頃はこんなふうに口が曲がっていなかったんじゃないかな、

なんて思う。

いや、実際のところは知らないから、勝手な感想だよ。

お義父さんは98才なのに、顔は本当にしわがなく、つるっとしている。

一本もないという事は勿論ないけれど、

ほっぺた、鼻の周りは、つるりんぴかぴか。

きっと心が割といつも穏やかで、激しい感情表現なんてしなかったんじゃないかな。

腕や手はしわくちゃだけれど、

そこは心というより今までの身体の動きが現われているのかもしれない。

けれど、顔がしわくちゃでもすごくいい顔つきの老人も居る。

そういう人はいっぱい笑って、自分を抑えずに在りのままの感情表現をしてきた、

そんな人なんじゃないかなぁ・・・

これも勝手な感想であります。


私もいい顔つきの人で居たいけど、

過去の多くの多くの多くの多くの・・・恥ずかしい心や、

自分を抑えて頑張ってきたことなんかを思い出すと、

この顔つきでももうしかたないや と思う。

けど、これ以上ひどくならないように心しなくてはいけないね。

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出て来るもの・・・

2015-01-22 16:40:51 | 日々の暮らし・思い出
午前中に訪問看護のナースが来てくれ、

訪問診察のドクターの指示で造血剤入りの点滴を又してくれた。

この点滴は5回やるそう。

昨日ここに書いた「点滴に十二指腸潰瘍の薬」というのは私の勘違いでした。

ここに訂正し、お詫びします。(まぁ、ちょっと言ってみた)

血が混じったものを大量に吐いたので、貧血になっているはずということで、

造血剤なんだそうだ。

午後には訪問診療のドクターも来てくれた。

熱もなく、顔色もよく、酸素濃度も問題なし、血圧もよし、腸の調子もよし、でした。


夫から聞いたんだけど、

十二指腸は昔から弱かったらしく、酒やコーヒーは控えてくださいと言われていたそう。

亡くなった義母は「もう年なんやから好きなもん飲んだらええ」と言っていたらしく、

それを私たちも踏襲していたわけなんだけど、

そのツケが回ってきたのかもしれない。

持病がこの時期一気に開花?してしまったのかもしれない。

倒れたキッカケは骨折だったけど、

そのキッカケで今までのいろいろが表に出て来たということなんだろうな。

なるべくして、なっている、ということなんだろうと思う。

こういう体験を見ると、自分も死の近くになったとき、

何が出て来るのだろうと思う。

死の近くでもない、明日、来月、来年、と私の身体はどんなことが起こってくるんだろうか。

起こってほしくないことが起こらないで済むように、

やって行くことがあるのかと思った。


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ひとに『振り回される』ということ

2015-01-22 16:10:49 | ひとの幸福
ひとの言動に『振り回される』という表現がある。

自分の考えをしっかり持ってないからそういうことになるんだ・・とかも聞くことがある。

ここで言う、自分の考えをしっかり持つってどういうことなんだろうか・・・


Aさんが優しくしてくれると、嬉しがり、

そのAさんが優しい態度をしないとき、心が乱れる・・・

それの繰り返し。

「Aさんに『振り回されている』」という心理はこういうことかと思う。


どういう意識の仕組みで、

『ひとに振り回される』という心の状態になるのかと考えると、

その人の優しそうな様子を見て、無意識的に“Aさんは優しい人”というラベルを付けてしまう・・・

だから、そうではないAさんを感じると、

混乱してしまう。

何故って、その人の中では“Aさんは優しい人”に決まってる。

丸だった物が次見たら四角い物になっていたりしたら、

驚いてしまうように。


それがしょっちゅうだったら混乱するのは当然だ。

今は丸に見える、となっていたら、混乱はない。

次に見た時には 今は四角に見える、だけの話だ。


心は動くから。固定してないから。


人の色々な面に振り回されない人は、

Aさんが優しい態度の時、優しいな、 今、こんなふうなんだなと思い、

Aさんがそうでないとき、ふーん、今、こんなふうなんだな、と思う・・・

そんな、「あぁ、そう」的な心でいつも居るということなんだろうな。

ひとは周りとのそのときどきの相互関係や、

虫の居所具合(それも、相互関係でなったもの)で優しくなったり、

そうでなかったりすることがあるからねぇ。


それが「自分の考えをしっかり持っている」と言えば言えるかな。

でもそれは無意識的な心の状態なんだろうな。

「観察はするが判断しない」という。
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「あんたも幸せになってな」

2015-01-22 13:02:37 | 日々の暮らし・思い出
昨夜は義父も私たちもぐっすり寝たな、という感じ。

私も朝8時近くになって目が覚めた。昨夜8時頃に寝たんだよ。

よく寝るわ、ホント。一回も目は覚まさなかったよ。

義父も今朝はいい顔つき。

ボケっぽい時と顔つきがまるで違う。

しゃきっと正気の顔は穏やかでいい顔。

新聞を見てもらい、私が今日の日付を指して、

「退院してちょうどひと月経つよ」と言ったら、遠くを見るような目つきをして、

「そうかぁ~」と。

レースのカーテンを開けて庭と前の道を見てもらう。

それを見ながら「わしは幸せや。・・・あんたも幸せになってな。・・・・

人生まだまだこれからや。・・・呆けた時もあった。」と彼は言った。

それを聴いて感動してしまった。

すごく嬉しかった。

『人生まだまだこれからや』

義父の98才という年齢から見れば年齢的にそうだ、ということを言ったんじゃなくて、

私のこれからの人生に大きなエールを送ってくれている感じがした。

おとうさんがいつか亡くなった後でも、

おとうさんは私を見ていて応援してくれている、と思える気がした。


最後の“呆けた時もあった”は多分最近の自分の様子を自分でわかったんだろう、と思う。

私のことを言ってくれたその後だから、私が呆けたこともあった、ともとれるけれど。

まぁ、それも言えることだけどね。

でも、きっと自分のことだろうと思うんだ。

亡くなった義母も倒れてからの日で、天皇陛下がなんたらとか、

普通の会話ではないようなことを話したことがあって、

その翌日だか二、三日後だったかに、「わし、へんなこと喋ったろう・・」と言っていたことがあったし。

自分の意識がおかしくなったことが正気の時にはわかるのだ。

私も9才の頃だったか、高熱が出たことがあり、その時、

「足の指がこんなに大きくなっちゃった~」と何度も何度も

傍にいた母に言った記憶がある。

その時、母が心配そうな顔をしながらも、

そうかそうかと言って見てくれてたことも思い出す。


義母や義父の例も私の思い出もみな、、

自分の心を観ている、もう一人の自分が居るってことだ。

なんの判断もせず、ただただ観ている、観察しているだけの存在が

誰の心にも在る。









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真夜中のアクシデントでした

2015-01-21 16:44:49 | 日々の暮らし・思い出
夜中に義父は結構な量のどす黒いものを吐いた。

痰が絡んでいるような音がしたので見てみると口の中に痰が。

口腔用の濡れテッシュで拭き取っていたら、

次に黒っぽい色のついた痰?が出て来た。

こりゃ、吸痰器でやった方がいいなと思って、

吸い込んだらどろっとしたものが。

吸痰器のそれは捨てないで明日看護婦さんに観てもらおうとそのままに。

吸痰が終えて、ベッドを立てていたら、

口からびゃーっと出るわ出るわ、黒っぽいもの。

寝間着、毛布、布団までそれがかかった。

それがおさまってから着替えてもらおうと思ったんだけど、

いつも着替えるのは寝たままでしている。

でももし寝ている姿勢でまた吐いたら気管に入ると思って、

座位のまま着替えた。何とかうまく出来た。

考えたら座位の方が袖を通すのなんか楽に決まっている、と思ったわ。

寝間着もシーツも毛布も布団カバーも洗って納戸に干した。

この頃はまた交替で一人が義父が寝ている部屋の隣の部屋に寝ているんで、

昨夜は私の番。

黒っぽいものが出て来たとき、これは見てもらう方がいいなと思って、

寝ている夫に声かけて起きてもらったんだけど、

いろいろしてから、その後は二人で起きていなくてもよさそうな感じだったので、彼には休んでもらい、

私は洗濯したり、編み物したり、おむつ替えの為の消耗品のセットをしたりしながら

義父の様子を観ることにした。

するとさっき電話したナースからこれから伺うと言う。

大丈夫そうだと答えても来ると言う。で来てもらった。

血圧や酸素濃度、体温を測っておむつ替えも一緒にしてからナースは帰った。

どれも異常はなかった。

帰るときにナースはもしものことがあっても家で最期まで看取るということですね、

と確認し、何かあったらすぐに電話くださいと言って帰った。


四時半ごろにはもうすることがなくて、それに脚も疲れたので

隣の部屋の布団に潜り込んだ。

間のガラス戸は開けたままで、義父の様子がわかるようにして。

神経をそっちに傾けて横になっている・・・と、

うぅっ・・うぅっ・・という、それは声ではなく、

口から出てしまうといった感じの音・・

「あがっ~」というようなちょっと大きな声・・

そんな音を聞くとそれらの音全部が彼の体調の悪さを示すものに思えてしまって、すぐ傍に行く。

気分悪いか、吐きそうか、大丈夫か、そんな声掛けをすると、

彼ははぁ~とのんきそうな声。

顔色も悪くない。熱もない。声にも力がある。

大丈夫なんだな、と思って、

また布団の中に。

すると又声がする。具合が悪くなったんじゃないか・・

すぐ傍に行く。

でも、大丈夫。

そんな繰り返しをしていたんだけど、

身体が冷えてしまって、義父の部屋のファンヒーターをつけ、

ベッドの隣で毛布にくるまることにした。

そんななんだかんだで、朝になったよ。

義父は要らないものを吐いてすっきりした顔。

昼間にまたナースが来て点滴をしていってくれた。

義父は昨日や一昨日と比べるととても気分がよさそう。

よかったよかった。

いつもは睡眠不足だと心臓がばくばくするんだけど、

なんだか今日はそんなこともなく過ぎてゆきそうです。

でも夕飯は超簡単にするよ。







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生き生きした言葉

2015-01-20 16:13:32 | 日々の暮らし・思い出
眠り姫みたいに眠ってばかりいる義父。

起きていることがしんどいんだろうか。

昨日おむつ替えの時、彼は腰を上げてくれて、

「あ、動かしてくれて、おとうさん、ありがとう♪」と言うと

「こちらこそありがとう」と言った。

一日言葉を発するのは本当に少ないなかでのその言葉。

なんて生き生きとした言葉だろう!と思った。
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