ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

動物的!?な義父

2013-10-31 15:53:31 | 日々の暮らし・思い出
一昨日は3人で出かけ・・といっても図書館と日帰り温泉。

帰宅して、義父は夕方早々にベッドへ行った。

そしてそのまま夕食もとらずに寝た。

翌朝6時頃起きて、普段なら雨戸を開けるのに、開けないで、

トイレに行き、パジャマのままで神棚に朝の祈りをして、

(普段は着替えてからする)

その次、「ごみを出す日か」と言った。

ごみ出しはいつも義父がしているので、

普段なら、その発言の後ごみ出しへと行動が移る。

けれど、昨日は「又、横になるわぁ」と。

そして昼まで爆睡?!

今まで、天気がいい日にこんなことはなかった。

普段と違う行動に夫と私は「これは要観察だね」と言い合った。

その後何度も義父の傍に行って、息の確認。

いつ何があるか、わからない、そういうのが常にある。

一般的な97才という年齢にどうしても拘ってしまう私だ。

何か異常じゃないのか・・???

どこか不調なのか・・・??

寝てるけど、お昼ごはんを作ってから、ベッドの傍で声かけた。

「要らんけどなぁ」と言いながらも、起きて来た。

普段着に着替えて、うどんと柿をいつも通り食べた。

そして「車のドア開けてくれんか、」と言って、

本を持って車へとスタスタ。

これからの時期、午後は何処の部屋よりも車の中が暖かいと言って、

昨冬から車が義父の書斎になったので、車へ。

途中で一度トイレに来てから、夕方まで読書だったよう。

家に戻り、風呂を浴び、「いい湯だったぁ」。

晩酌をして少しのご飯を食べ、いつも通り7時前に就寝。

起きてからは変わったことは何も無かった。

一昨日は疲れたので睡眠が必要だったのではないか・・・

これが夫と私の推測。

以前も風邪を引いたとき、食事もしないで延々と3日くらい寝て、

起きてきたときは治っていた義父だ。

今日は3人で「そして父になる」という、

福山雅治が出る映画を観に行った。

途中寝もしないで観ていたけど、終わってから、

「なにやらよくわからなかった・・」と一言。
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「事実ならあってはならぬ」

2013-10-29 09:59:45 | 新聞を読んで
今朝の毎日川柳の舞蹴釈尊さん作。

「事実ならあってはならぬ」空々し・・というもの。

政治家がそういう言葉遣いをするのを聞いたことがある。

まぁ、なんとなく言いたいことはわかる気はする。

悪いことはいけないのに・・みたいな。

けど、事実って、あるから・在ったから、事実と云うのだろうし、

なので、言葉からすれば、あってはならぬ・・という表現は

これからのことについての思いということになるけど、

事実なら・・が最初にあるということは、それは既にあるということだよね~

・・言葉尻を捕まえてうるさいね~と思う自分も居る。


事実ならあってはならぬ・・という表現を空々しいと感じたので、

この句になったのだと思うし、それを選者が選んだということは、

この、空々しいという感覚が共感を呼ぶと判断したからだろうと思う。

事実を事実として受け止めることから始まるのに、

ナントナク、他人事みたいに云ってる感じを、

マイケルジャクソンさんはつかまえたのかなぁ。
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しつこいなぁ・・

2013-10-27 14:58:42 | ひとの幸福
私も相当しつこいけど・・・

在りのままでいい・・の「在り」とは存在の状態のこと。

存在はどんなものでもじっとしていない。

動かない石もミクロレベルでは振動している。

太陽も月も火星も国も人も建物もあなたも私も、

昨日のそれと今日のそれとは同じじゃない。

さっきのそれと今では同じじゃない。

存在、在り、といっても動き続けているもの。

そういう意味で『わがままな人』というのは表現的には有り、だけど、

事実にはないから、

観察出来るのはやはり一瞬一瞬の自分の意識だろうと思う。

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元凶。

2013-10-27 14:38:29 | ひとの幸福
太陽とか月、火星水星・・・なんかに対しての、

私たちの境地は“在りのままでいい”になっている。

太陽にひっかかる人は多分居ない。

太陽に対して、そんなふうに光線を送ってくるのは間違ってる、

なんて思っている人は居ないんだろうと思う。

月に対してもだ。他に頼らず自分から輝くべきだ、

なんて思ってる人は居ないと思う。

それほど親しくない人に関してもそうだ。

(なかにはテレビに出て来るひとに関してそういう境地じゃない場合もあるけど)


昨日書いたけど、あの実に些細な出来事であるかき餅事件(事件じゃないか・・)

あれも、前の私の行為は(自分の考えの方が正しいっ!)が瞬時に働いていた、ということだ。

あ~いう些細な出来事から、世界的な大きな戦争、紛争まで、

トラブルモード、戦いモードになる元は全部、(自分が正しい)が元凶だ。

ちっちゃなちっちゃな感情的トラブルの元凶も“正しさ”だ。

“正しさ”がこの世をつくっている。

いいものもよくないものも。
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在りのままでいいよぉ

2013-10-26 14:33:49 | ひとの幸福
在りのままでいい・・と聞くと、

やんちゃなままでいい、とか、わがままなままでいいとか、

一人のひとの傾向全体をとってそういう姿に対して在りのままでいい、

と言う場合もあるけれど、

私がよくここで言ってるのは、瞬間瞬間の姿、状態についての反応のことなんだ。


昨日こんなことがあった。

以前頂いたお餅を冷凍してあったんだけど、

それを切って、炒って、かき餅にしようということになった。

切った後、ちょっと干してから炒るんじゃないか、と私が言った。

夫はいや、そのまま炒ればいいんじゃないか、と言った。

この時、はっと思った。

こんな場合、相手が夫でなかったら、そんなに強くは出ないけど、

相手が夫だと、以前の私は、

「そんなの、干さなかったらただの焼餅じゃん」と言い張ったな、と思った。

昨日は彼の発言をあ、そうか、と受け入れられたのだった。

そして言うとおりやってみようと思った。

餅を切ってから少しだけ炒り始めた。

やってみて、かき餅にはならなかった。

それで残りの細く切った餅を部屋の中に広げて干している。

在りのままの一瞬を拒絶せずに対応できたことが

自分の気持ちがすごく心安らかでとげとげしくなくって、

不愉快じゃなかった。

気分というのは本当にいい仕事してる、と思ったよ。



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茶の湯の言葉

2013-10-26 14:09:55 | 本を読んで
同じく、塩月弥栄子さんの本の中から・・

茶の湯の言葉で『かなうはよし 叶いたがるは悪し』

というものがあるそう。

茶道と禅とは関係あるらしいけど、それはこの言葉からもそうかなと思った。

叶いたがるは悪し・・・これは量子力学の観測者効果だね。

叶えよう叶えようとすると叶わない。

「かなうはよし」の「かなう」は、かなうことに“なった”という意味だろうと思う。

“なる”にはなるだけのプロセスがあるもの。

叶いたがっても無理というもの。


茶の心でいう「和」とは

すべてのことに逆らわないこと・・・そういう言葉もあった。

そうだな、やっぱり。

それも冷たく形だけ、「あっ、そう、やりたければやればいいでしょ!」

なんてのは違うね。

逆らわない、というのは心から起こるところの動作、行為もそうだけど、

心 のことだから。在りのままでいい、という。

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どうにかなる  どうにかする

2013-10-26 13:56:22 | 本を読んで
塩月弥栄子さんの『思いのままに生きなさい』という本を読んだ。

名前は聞いたことがあるくらいでほとんど何も知らない人だった。

この人は今95才で、お茶の裏千家の長女として生まれた人のよう。

120才まで生きるつもりだと言う。

茶道の極意も何も知らない私なので、そういう意味でも

とても面白く読んだ。

最後の方のページに・・・

どんな土壇場に立たされようと「どうにかなる」という確信と、

「どうにかする」と思う行動力があれば問題は解決します。

「なる」「する」を支えるのが、

人間の生命力なのです。

・・こういうのがあった。


在りのままを受け取る、といったことをずっと書いて来ていて、

自他の言動を、ことの是非無く、ただ、そう言ったな、そうしたな、と、

穏やかに受け取れる境地のことなんだけど、

それはこの塩月弥栄子さんの文章と繋がるものがあると思った。

こうでなきゃいけない・これこれでないと困る・・・

そういった心境でいると、“なんとかなる”という発想は浮かばない。

「なんとかなるなんて・・そりゃなんとかはなるだろうけど、

こういうことにならなきゃいけないんだから・・・」

そういう心境でいるということは、

望まないことになったときに、その状況を“なんとかする”という発想にはなりにくい。

その状況をを拒絶している間は状況は動かない。

事実はなんとかなる、ものだし、なるようにしかならないものだと、

わかっていれば、目の前の状態、状況も、そうしてなっているものだと、

わかる。

それは在るがままの姿を在りのままに受け取っている心境だ。

そして、なんとかしたい、という意志はその時点では、

何もしないということになる場合だってある。

何もしない、という選択も大きな行動力かと思う。
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「蓮と鶏」

2013-10-26 13:25:24 | 言葉
金子みすずの詩を読んでたらこんなのがあった。

「蓮と鶏」

泥の中から

蓮が咲く。

それをするのは

蓮じゃない。


卵のなかから

鶏が出る。

それをするのは鶏じゃない。


それに私は気がついた。

それも私の

せいじゃない。

・・・以上。

簡単な短い言葉で、こんなふうに表せるなんて凄い。
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いろんな人が居るこの世界

2013-10-25 16:24:42 | ひとの幸福
高速道を走って3人で群馬県まで行った。

そこから母のお墓参りやらなんやらで東京に行った。

サービスエリアで義父、「昔の人は偉いもんやなぁ、こんな道路作ってぇ」

と感心していた。

今の瞬間から見て過去は全部昔というふうにもいえるし、

義父の言う通りだと思った。

群馬の夫の弟宅はインターから10分くらい走った所なので、

ほとんど高速道を乗り継いで着けてしまう。

高速道路を作ると一言で言っても、本当に大変だろうと思う。

道路作りに関して何の知識も無い私だから、

わからないし、なんとも言えないけど、

計画、用地買収から始まって、どれだけの人が関わっているんだろう。

それぞれがそれぞれの能力を持って作り上げたものだ。

高速道の是非(高速道が自然を壊しているとか)のことはここでは置いとくね。

サービスエリアのトイレもどんどん進化している。

いつも綺麗だし、使い勝手もいい。

ここまでするか、と思うくらい、

使う人が気持ちよいようにと思って作られているんだろうなと思う。

周りを見ても、そういうプロセスを経てなっているものばかりだと思う。

いろんな人がそれぞれいろんな持ち味・能力を持って

作られている。

人の手によって作られた豊かな物でいっぱいだ。

みんなみんなやってもらったことばかり。

様々な人が居るってことがこんなに豊かな世界になる基だ。

一人一人その人が出来ることを合わせるとこうなるんだな~と

この頃感心ばかりしてる。

豊かな世界だ。

金子みすずの「みんなちがってみんないい」という言葉を思い出す。

この圧倒的な事実を目のあたりにすると、

自分一人では何にも出来ないということがすごくはっきりする。

偉そうになれない・・というのはそういう事実に則した心境なのかもしれない。





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偉そうな自分

2013-10-25 13:23:30 | 実例体験観察
私にとっての心の遷宮以後、やってる行動は変わりがない。

行為は変わったところも出てきたかなと思う。

人と接していて、

(あ、こういうとき、以前はこう思って、気持ちが暗くなってたな)

と気づくことがあった。

偉そうな自分の発見だ。

在りのままの姿(偉そうな)に気づくことでしか、

偉そうでなくなる姿に変わって行かないんだと思う。







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大きくなりたい放題

2013-10-25 09:23:06 | ひとの幸福
自分の経験は聞いて聞いてというモードで意気込んでいろいろと話す。

ひとの経験の話については「あ」で終わる。

基本的に(話したい)が強い。

そういう傾向の人は結構居る。

何人かで話しているのを見ることがあるけど、

面白いくらいにそれぞれが自分の話したいことを話している。

会話がかみ合わないこともある。

自分の関心がある話が耳に入ると、

話の途中でもそれについて自分の考えを話し出すことも多いよう。

ひとは本当に自分が主人公で自分が大好きなのかなぁと思う。

歩いているコースに老夫婦が居なくなった家がある。

居る間は幾つも在る庭の植木がいつもきれいに整えられていて、

それぞれの木が互いに尊重し合っているように見えた。

全体でバランスがとれていた。

老夫婦が居なくなってどれくらい経つだろう。

多分1年は経つ。

庭の木はそれぞれが大きくなりたい放題状態で、

美しく感じられない。

なんだか、似ている。


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2才8ヶ月

2013-10-25 08:41:21 | 日々の暮らし・思い出
近くの友人に関東のお土産を持って行った。

そこには可愛い2才がいるので、2才に会うのも楽しみなんだ。

2才に会った前回はいつだろう・・・

たしか夏だった・・2才のこの時期の2~3ヶ月の成長は凄い。

まぁ、よく喋る喋る。

話すのが嬉しくてたまらないみたい。

三語文も喋る。

過去の経験を話していた・・これは周りがかなりいろいろと教えているんだろうか!?

この2才の意識に、過去が在るようになったんだろうか??

それとも大人の話し方を真似ているだけなんだろうか???

専門家はわかるんだろうけど、今の私にはわからないよ。


「遊びに来てくれてありがとうって言いな」って、

友人が何度も2才に言わせようとしていた。

ニコニコ笑いながら。

2才に言わせることを楽しんでいるみたいだけど、

そういう大人にとってはそれは遊びの一つなんだろうな、と思った。

けど、2才にとっては遊びで終わらないんだろうと思う。

確実に次に繋がるように思う。

観察して真似る。

ひとに何かを(させよう)という意識を学び、習い、

そしてそこからの行為をするようになる可能性を含んでいるように思う。

そんなふうに思ったけど・・・





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義父の様子

2013-10-23 08:52:13 | 日々の暮らし・思い出
群馬の息子宅に滞在してる間、義父は一度だけ近所に出ただけだという。

去年はそこで一緒に菊花展に入ったり、滝を見に行ったりしたんだけど。

家にいて畑に行くのも軽トラに乗って行く。歩いては行かない。

畑に行くのは坂道ばかりなのできついみたいだ。

出かける前、歩くと腰が痛いと言ったことがあった。

それもこちらが聞き出したからで、自分からそういうことは言わない。

痛いとか痒いとか、そういった訴えを殆どしない義父だ。

痛みや痒みが無いから訴えない、というより、

そういうことは言わない、というのが義父の生き方なのかとも思う。

先日マッサージをしてもらう機会があって、

義父もやってもらった。

以前はそういう機会があっても、

いやいや、結構です、といった感じだったんだけど、

気持ちよさそうにやってもらっていた。

これから再びたくさん歩くことが出来るのかなぁ・・・

マッサージとかしょっちゅうやれば元気に歩けるようになるんだろうか・・・

・・・やってみないとわからないね。




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癒されるって・・ ②

2013-10-22 13:18:51 | ひとの幸福
このタイトルで書いてから、続きを書こうと思ってたら、

昨日は上天気でいろいろと用事がいっぱいで、

パソコンの前に座る暇がなかったよ。

心が二つの世界になっていること・・それがどんな場合でも幸福になる、

快適になる、のを邪魔してると思う。けれど、

それが(いけないこと)じゃない。

二つの世界を否定するのも二つの世界への入り口だ。

戦争“反対”という心も。

原発“反対”という心も。

殺人は“いけない”という心も。

軽蔑、侮蔑、冷笑、は“良くない”という心も。

否定するのは“良くない”という心も。

上に書いたの、みな、在るがままでは“いけない”という心。

みな、二つの世界への入り口。

戦争することに共感できないうちは始まらない。

原発を推進したいひとの気持ちに共感できないうちは始まらない。

殺人したいひとの気持ちに共感できないうちは始まらない。

軽蔑、侮蔑、非難する人の気持ちに共感できないうちは始まらない。

否定する心に共感できないうちは始まらない。

それでも、

実際、ひとを殺した人はしかるべき場で反省してもらうことは必要。

いま、暴力を振るっているひとたちにそれを止めてもらうことは必要。

有害物質を撒いている原発をなんとかしてなくすことは必要。

必要なもの、こと、がある、この物理的世界は

二つの世界という心が作る。

一つの世界になると、必要なもの、こと、が一つずつ自然に消えていく。
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空気

2013-10-22 09:18:00 | ひとの幸福
ワタシの遷宮(!?)の後、夫との間の空気が変わった感じ。

穏やかでない時が無いくらいの感じ。

小さな泡立ちが出ても、すぐに自然と引っ込む感じ。

そこで留まらず、前に進む感じ。

面白いもんだ。これがずっと続くのか、何処かの時点で終わるのか、

今の時点ではわからないことではあるけれど、

娘との間は逆戻りしていないから、同じようにこのままいけるんかな・・・

もっといいものになるかな・・・

それとも何かあってあっけなく崩れてしまうかな・・・

どうなっていくのかと楽しみにしてる。

娘とワタシ の間の空気はその二人で作られるし、

夫とワタシ の間の空気もその二人で作られる。

当たり前のことだけど、それぞれ違う空気。

これからどんな風がそこに吹くんだろう。

ナンタラ会は気風を作る会です・・というコトバがあったけど、

気風なんて作ろうとして作れるもんじゃない。

どんな気風であっても、その場に居るひとで自然に作れてしまうものだ。

一点の曇りもない、後戻りしない、そういうものになっていけばいいなぁ。

そうなったら素敵だ。




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