ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

ストレスの誘因・・・仲のいい夫婦は・・・

2015-03-29 11:00:47 | 本を読んで
この前読んだ本からの抜粋・・・・

・・・トーマス・ホームズ、リチャード・ラーヘ両博士は

発病の可能性を見るために、

ストレスの誘因となる43の項目を表にしてその物差しとした。

配偶者の死後1,2年以内にガン、その他の重い病気にかかりやすい。

伴侶を失った悲しみは免疫力を一年以上の間弱めることが明らかになった。

別の研究でコントロールできないストレスは、

その日のうちに病気と闘うT細胞の力を弱めることがわかった。・・・

・・・以上。


仲のいい夫婦の死期は近い、というのを聞いたことがあるけど、

こういうことなのかと思ったよ。

私の母は父の死後32年間生きた。

その事実は何を物語るか!?

そう、その通り母の場合、伴侶を失った悲しみ・・ではなく、

伴侶を失った喜び・・だったからだと思う。

父の死後、母の免疫力はぐんと高くなったんじゃないかしらん。


父はいろいろと問題を起こす人だったので、

その父が亡くなって、母は本当にせいせいしたんだろうと思う。

そんなことを言っていた。

父の葬儀の際、ある時母が泣いているのを見て、

あんな父だったけど、母も泣くんだなと思って、後でそう言ったら、

即座に「もらい泣きしちゃったよ」と言ってた。

悔やみを言ってくれた人が泣いてたもんだから・・・って。

そう言った母の様子を見て、その言葉に嘘はなかった気がした私だ。

父がちょっとかわいそうだけど、母がそう思ってしまったのも本当に無理はないと思っている。

そんな夫婦なら離婚してしまえばいいのにと若い頃は思ったこともあるけれど、

大正生まれの母はそういう選択肢を選ばなかった。

いいとか悪いとかそんなことは一切言えないし、ない。

夫婦という人間関係は人間関係の中で一番密度の高い関係かなと思う。

全ての人間関係はひとを成長させるためにあるのかと思っている私だけど、

配偶者の言動が自分にとってあまりにハードルが高い(受け容れられないことが多い)と、

生きる気力もしなびてしまう。

ハードルの選手もいきなり高いのを飛ぶ練習をするわけじゃないだろう。

今の自分の能力よりちょっと高いハードルから始めるんじゃないかと思う。

私も前の夫は当時の私にとって、本当に高いハードルだったなぁ。

そのハードルを越えようとホント頑張ったなぁ・・

その頑張りが無駄だったとは全然思わないし、

今の自分に繋がっていると確かに思うけれど、

別れたその晩、帰って来て、明かりが付いていない(夫が居ない)のを見たとき、

解放感で胸ははちきれんばかりだったことを思い出す。


そんな解放感が人生に一度もない方がいいに決まっているんだろうけど、

今の夫がもしも、私より先に亡くなるようなことがあったら、

解放感なんか絶対ないと思う。

免疫力も下がってしまう気もする。

多くの幸せを与える人は多くの悲しみも与える。


多くの人にすごく嫌われている人間は最後に多くの人に大きな喜びを与えられる。

何故ならその人は居なくなること(死ぬこと)が出来るから。

こういう話も何かの本で読んだことがあるよ。

義父の七七日忌

2015-03-21 16:25:06 | 日々の暮らし・思い出
今日は義父の七七日忌。

うちの親族と近所の人たちとの40人くらいが参加。

寺で坊さんにお経をあげてもらい、

その足で墓へ行き、

火葬場で受け取った骨をお墓に入れた。

もっと早くにそれをする場合が多いそうだけど、

今回、寺の坊さんにそうすると言われた。

そうだ、それを納骨というそう。

ママはなんだかわからない・・ので、あ~そうですか。


墓から帰ると今度は我が家にみんなが来てそこで坊さんがお経をあげる。

終わるとみんな、お焼香をする。

その後、近所の人たちは帰り、

親族で念仏を唱える。これが結構長い。

義母の時は念仏ばあさんというのがいて、

その人がイニシアチブをとり、あいだあいだに鉦(かね)をならす。

みんなで西国33箇所の寺の和歌みたいのを詠む。

風流だなぁと思うけれど・・・

今回はその念仏ばあさんも年を取り、その代わりになる人もいないようで、

カセットテープを流す。

風流だなぁと思うけれど・・・


それが終えて親族が一緒に食事。

ちょっと豪華なお弁当やら寿司をとり、

うちでお吸い物やサラダや漬物やきんぴら牛蒡なんぞを作り、

お話しながら過ごした。

そういえば義父のことは誰の口からも出なかったなぁ。

私もそれどこじゃなかったなぁ。


七七日忌はゆっくりと故人を忍ぶ・・なんてことありませんでしたね。

みんな過去なんか振り返らない・・よう。

去る者日々に疎しだね。

そしてそれがいいんだし、自然なんだろうなと思うよ。




ガンとストレス ストレスと人生

2015-03-19 17:21:40 | 本を読んで
同じ「神秘」という小説なんだけど、

これ何か月か前の毎日新聞の書評に載っていて、

どうして読みたいと思ったのかすっかり忘れてしまったのだけど、

この前やっと読み始め、読み終えた。

この小説の主人公は膵臓がんの末期とある日突然言われて・・・

そこから始まる。

結末は書かないね。

主人公が興味深く読んだ本として出てたのが「奇跡的治療とは何か」。

・・・ストレス学説の提唱者である科学者のハンス・セリエは

網状細胞肉腫というガンに罹って、余命何年とか言われた・・・

一年を泣き暮らすか、そうではないか、

人生最大の闘争のチャンスをガンは与えてくれたと彼は思った。

泣き暮らさないことを決めると不思議なことが起こった。

三年経ってハンスはラッキーな例外になっていたという。

ストレスとガンの関係はかなり複雑で、

ガンは肉体が自分自身の肉体を拒否する病気だと説明する人もいるようで、

ハンスはその前提をさらに一歩進めて、

人間が基本的な要求をひどく拒否するとき

ガンになる可能性がより高いと言えないだろうか?と考えた。

言葉を換えると、

“人間が自分自身の要求をはねつけると身体が身体に反抗する”

と言えないだろうか?と彼は言っている。

自分自身の要求をはねつけるって、自分が在りのままでいることをしないで、

無理しちゃうことなんだろうなと思う。

さっき書いた、否定的に評価するとストレスになる、って奴。

あれ?恐いと思って狭い所を通ること自体ストレスになるんだろうか??

いや、やっぱりどんな肉体的に辛いことでも、

それをしたくてしてればストレスにはならないんじゃないか・・な。


こういう記述もあった・・・肉体的疾病の非常に多くが、程度の差こそあれ、

もとをただせば心身相関に源を発するということだ。

・・・そうなんだろうなと私も思ってる。

日本には病は気からという言葉があるけど、

同じことだと思ったよ。

心身相関というので分かりやすい例として

梅干しを見ただけで唾が出ることがその証拠だと

海原純子ドクターが新聞に書いてた。

梅干しが身体に物理的に入らないのに身体に作用してしまうんだもんね。

梅干しだ、って心で思うだけなのにね。

若いかっこいい男が担任のクラスでは、

女の子は月経になる時期が早いとかいうデータもあるとかいうのも読んだ記憶があるよ。





白石一文「神秘」の中・・他人の利益優先・・

2015-03-19 16:50:22 | 日々の暮らし・思い出
白石一文の「神秘」という小説を読んだ。

面白かったわ。

大筋とはそれほど関係のない文章だとは思うけれど、

その本の中にストレスについてこんな記述があった。

「他人の利益を優先する人生を歩んでも、

それを自分が肯定的に評価している限りは

決してストレスにならないのだ。・・・」


人生の歩みとは行為の連続だと思うので・・・

他人の利益を優先する行為をしても、

それを“自分が肯定的に評価している”限りストレスにはならない・・

これはどういうことか?

超簡単な行為について考えてみる・・・

そこを通りたいのに、その人が恐くて、「ちょっとどいて」と言えず、

自分に無理をして狭い所を通ったが為に、

自分が大変な思いをしたりすると、

ストレスを感じる例。

これなんか、自分がその行為を否定的に評価している、ということだろうか・・・

・・・と、考えた。

ストレスを感じるのは、

“他人の利益を優先”させて、そこを通らなかったことを

その人のせいにしてる、ということからかと思う。

自分の行為を自分で納得していない、とも言える。

そのことは、その行為に対し自分が否定的な評価をしている、と言えないかな。


見た目、他人の利益を優先させている、といった同じ行為をしても、

ストレスを感じなかった場合は、

そこを“通れなかった”ではなく、

“通らなかった”という意識状態なのかと思う。

その人が恐い自分だから、そこを通らなかったと、

自分の行為に納得がある。

恐いからそのように行為したということを

ダメだとか思わず、肯定的に評価している・・んじゃないかと思う。


この前、“出来ないことをしようとしてるんじゃない!?”と友人が言ってくれたことが

最近の私にぴったり来た、というのをここに書いたけど、

あの後、また一つ楽になったことがあった。

同居の夫に対して、

こういうことはコレコレこうしてほしい・・みたいな願望が私にはあったみたいで、

(それがあったことにやっと気が付いたんだった・・んだけどね。)

その願望があったから、そういう行為をしない夫に不満があった。

けれど、その行為を今のところ夫はしないのだとやっとわかった。

私は出来ないことをしようとしてた・・・のだ。

自分の願うような、思うような、行為をしてほしい・・・

けど、彼がその行為をするという希望を捨てた。

そうしたらすごく楽になった。

考えてみれば、夫は既に私が出来ないいろんなことを諦めてくれていると思う。

いつか夫が他の人に言ってた・・・

夫婦はいいところだけを見てやっていけばいいって。

隙間風付きの古屋で

2015-03-17 17:04:01 | 日々の暮らし・思い出
今日は久し振りにいいお天気で楽しい気分であった。

お天気は気分に作用することあるね。

そうじゃない人もあるだろうけどさ。

ゆっくり国道を歩いても汗をかいたよ。

嬉しい嬉しい春だ。

石垣島に住んでいる娘がいるけど、

やっぱり春が来る喜びは東北や北陸の人なんかに比べると低いんじゃないかね~。


まぁ、うちは東北じゃないけど、家が隙間風が多い東北向きの古屋だから、

寒さがきついよ。

マンション暮らしの時はこんな寒さはなかったもの。

でもマンションじゃなくて、隙間風付きの古屋だから春が一段と嬉しいんだね。

古屋でよかったとも言えるね。






40センチの平鯖、青々としたうるめ鰯

2015-03-16 18:37:47 | 日々の暮らし・思い出
漁協の魚販売車が夕方来た。

今日はいろいろあった。

平鯖、うるめ鰯、刺身用ブリ、赤いか、鯵。

鯖大好きな私は鯖と夫が好きなうるめ鰯を買った。

鯖を持ってきたのは久しぶりのような気がするし、

この販売車で魚を買うのは義父を見送ってから初めてだ。

義父が生きていた頃は売りに来た度に買っていたような感じだ。

ここへ持ってくる前に売り切れてか、販売車が来ない日もある。

1キロ200円の鰯の3尾は刺身の好きな夫に。、

たくさんの鰯の残りは開いて冷凍にした。

これは別の日に蒲焼き風にしたり、やる気になればフライにするかも。

頭から尻尾の先までで40cmくらいの平鯖は

二枚に下ろして骨のない方を塩焼きにして食べた。

美味かった。

鯖の新しいのは塩焼きが一番好き。

半身食べた。一人分には多いよね。きっと。でも食べてしまったよ。

骨付きの半身は冷凍にしたよ。

別の日に味噌か醤油で煮る奴にしよう。

あとは白菜と菜花、大根の蒸したのに、ニンニクごま油しょうゆたれに付けて。

大根葉のさっと佃煮とフキノトウ味噌も。

全部うちの畑の作物で。

豊かだね~。有難いね~。


私が料理が大好きで夫が自家船を持ってたりしたら、

ここで田舎料理民宿なんてのもいいね~と

全くの架空材料を基にした話を夫にしたよ。

夫、「いいねぇ」と一言。







「事件なぜ起きたか『先生』と考えたい」

2015-03-16 13:37:30 | 新聞を読んで
今朝の毎日新聞。

社会面で、『地下鉄サリン事件20年・林郁夫受刑者の自供引き出した捜査員・

退職後も文通かさね・という見出しの記事があった。

林受刑者はサリンを地下鉄にまいた実行役の一人で、

また彼だけが無期懲役で他のメンバーは死刑に決まったようだ。

真相解明に協力し、真摯に反省をしていると評価されそうなったらしい。


取り調べの最初の頃の林受刑者は

「警察とオウム真理教との戦い」と対決姿勢だったという。

林受刑者と同い年だった捜査員はマインドコントロールを解こうと、

学生時代に見た映画や音楽の話をしたり、

かつては慶応大医学部卒の心臓外科医師として患者から頼りにされていたはずだと考え、

「先生」と呼んだりしたらしい。

「容疑者に『先生』とは何事だ」という異論もあったけれど、

この捜査員はそれを貫いたらしい。

そんな感じで取り調べをしていたその日その晩、

「先生、今日はこの辺にしよう」と告げて調べを終えようとしたら、

「話があります」と林受刑者が切り出し、

地下鉄にサリンをまいたと言ったそうだ。

一緒に取り調べをしていた捜査員は

「先生うそだろ」と絶句したという。

この捜査員は管轄が違って、応援の立場の捜査だったので、

事件の核心を知る信者を担当するとは思ってもいなかったし、

林受刑者のような幹部は直接の実行役とは考えにくいと思っていて、

だからたいした情報は持ってないだろうと思っていたらしい。


死刑と無期刑の違い・・・・

捜査員が別の人で「先生」などと呼ばないで、

最初から(こいつはサリンをまいた実行役に決まってる)なんて決めつけて、

そういう心の状態で取調べをしていたら・・・

もしかして林受刑者は捜査に協力しなかったままで、

死刑という結果になった・・かもしれない。

まぁ、こんなのは私の勝手な見解で、

どうこういうことはないんだけれども、

こんなふうな小さな心の動きが、

人の人生の岐路を作用することがある・・んじゃないかと思ったのだ。






「終わらぬオウム事件」・・・凡庸な悪

2015-03-15 10:07:47 | 新聞を読んで
『終わらぬオウム事件』今朝の毎日新聞に特集記事があった。

オウム真理教事件に興味のある私だ。

見出しに「『悪』が生まれた瞬間」。

中に「凡庸な悪」という言葉があり、

ナチス戦犯裁判を傍聴したアメリカの哲学者が言った言葉だという。

“思考を停止した平凡な人間が巨大な悪を引き起こす状況”をそう呼んだという。


何故自分の思考を停止させてしまうのか・・・

『これがいい』・・・これだ。これに憑りつかれたらそうなる。

これが正しい、これがいい、という価値観に憑りつかれたら思考は止まってしまう。

それは思考を止めるスイッチボタンだ。

そのスイッチを入れてしまうと後は自動的に作動する。

スイッチがオン状態だと、

自然に浮かんでくる自分の気持ちやその時の感情は無視される・・・ことになりやすい。


思考は感覚を始まりとするもの。

そのスイッチをオフにしないと自動的に思考は停止状態になる。


そしてそういう“これが正しい”という強い価値観を持つものが集団になると、

オウムみたいになる。

集団の力は恐い。

だって周りがみんな自分と同じ“これが正しい”という価値観の人ばかりだと、

自分を疑うことがなくなる。

いや、その中でも疑うことはあるかもしれないけど、

多数に流されてしまう・・・

その経験があるから思う。


流されてしまうような弱い者は流されないために、

集団から離れているのが賢明な気がする。

家族も集団だし、学校も会社も集団だけど、

頑なな集団には気を付けた方がいいね。

あらあら、今日はこういう展開になったわ。

春だ♪

2015-03-13 15:35:46 | 日々の暮らし・思い出
いつの間にか春が来ている。

庭のモッコウバラが一杯蕾を付けている。

シンピジウムも沈丁花も咲いている。

畑にはラッパ水仙が咲きだしている。

嬉しい春がやって来ている。

歩いている国道の桜も蕾を膨らませている。

おとうさんが亡くなっても、私が年とっても、夫が年とっても、

子供がそれなりに年とっても、

関係なく、春が来る。

心がどんなだろうと、

何があっても、何がなくても春が来る。

それって本当に嬉しいことだ。

でも春に目をやることがなければ、

春が在ってもないのと一緒だ。

何処かで春が生まれてる~♪

大好きな歌。




出来ないこと

2015-03-13 09:43:48 | 日々の暮らし・思い出
この前来た友人にいろいろ思ってることやなんか話した。

いわば、心がもやもやしてる内容を思うがまま話した。

すると彼女が「自分に出来ないことをしようとしてるからよ。そんなこと出来ないよ」と言った。

はっと思った。

そうだ、その通りだ、と思った。

自分に出来ることと出来ないことの見分けが出来ない状態にあったんだと思った。


そのことが以前出来たこともあったから、

今も出来るはず・・みたいなのが自分にあったんだな。

身体の動きでも、昔出来たことが今できないということがあるように、

心の在りようも以前はそう在れたけど、

今はそうなってない、ということがある。

考えてみれば当たり前のことなのにねぇ。

また、前みたいに出来る日もくるかもしれないけど、今はそうじゃない。

それをわかってなくて、背伸びしてたんだなと思ったよ。

無理してたんだね~。

よしよし、無理なことしてご苦労さんでしたね、と自分に言ってやろう。


出来ない自分なんだと本当にわかれば、

人に対して偉そうに意見なんかできなくなるのは当然だもんね。

はい、そうであります。

それでも生きている

2015-03-12 11:25:04 | 日々の暮らし・思い出
一昨日昨日で、割と近くの友人夫婦が来てくれた。

彼らにもうじき孫(初孫)が生まれるんだよね~と、

その前日の晩に夫と話していた。

初孫の誕生を待って待って待っていた二人だ。


ねぇ、孫もう生まれた?と聞くと・・・

それがねぇ・・・という返事。

まさかと思った。

陣痛が始まって入院してから胎児の心音が聞こえなくなったという。

お腹のなかで死んでしまった男の子を息子のお嫁さんは産んだという。

男の子は3390グラムあったという。

髪はふさふさと真っ黒だったという。

息子が産まれた時とそっくりの顔をしていたという。

名前まで決まっていたという。

担当の医師は交通事故に遭ったようなものです・・・と言ったという。


亡くなってまだ一週間も経っていない。

二日間泣いたと旦那の方が言っていた。

そうだよね・・・。

40才近くなってた息子が結婚してから、3年経ってやっと赤ちゃんが宿ったんだったもの。


代われるものなら代わってやりたかった、と旦那が言った。

どんなに大きな悲しみがあっても、

死にたいと思っても、

もういやだと思っても、

それでも人は死ねない。生きている。


綾小路きみまろのトークで、「死にたい時もある・・・

けど、心臓は勝手に動いてんのっ、止められないのっ。」というのがある。

死にたいと思っても心臓は勝手に動いている。

反対にもっと生きたいと思っても、心臓は勝手に止まるんだろう。その時は。

心臓は思うようにはならない。

心臓は止まってと言っても、動いてと懇願してもそうならない。

勝手な事言わないでよ、って心臓は思ってるかもしれない。

けれど、心配や不安や恐怖というような感情になると心拍数が上がったりするし、

喜びでも胸は高鳴る。


そんなふうに自分の心を映すけれども、

その瞬間の自分の顕在的な意志や考えの通りなんかにはならない。

心臓や身体は他者と同じだなぁ。

他者に自分の感情は映るというか、作用するけれど、

自分の考え通りなんかになりっこない。


それでも人は生きてるうちは生きることしか出来ないんだ。

やれやれ・・・と、スヌーピーのチャーリーブラウンみたいに思うか、

面白いと思うか、やるぞ!と思うか、

やだやだと思うか、

その時によっていろいろでも、それはそれでいいんだろうな・・・・と思った。


勝つと思うな~ 思えば負けよ~♪

2015-03-11 15:08:07 | ひとの幸福
勝つと思うな、思えば負けよ・・という美空ひばりの歌にあった言葉をメールで使ってしまった。

自分で書いたんだけど、自分でもよくわかってない。

ただ、そんな言葉が浮かんでしまった私だった。

この言い回しってってどういうことなんだろか・・

相手に勝とうと思わず、ただ、自己最高でやる、ってことしか頭にない状態でやることが

結果として勝つことになる、という意味合いなんだろうか?

いや、ここでこう書いていて、そういう意味なのか?と

たった今思ったんだ・・・

そういうことなのか・・・

私はそう受け取っていなかったようだ。

じゃあ、どう思っていたのか・・

勝ちたいという思いをちょっと横に置いといて事を行なう方が

結果として勝つことになる、というふうに思ってた。


正当さは不当さに勝ってほしいと思う。

勝たなくてはいけない。

悪と正しさでは正しさの方が悪より正しいのだから。

でも・・・

『敵に勝とうと思った途端、その欲につられて、

体に余計な力が入って動くが鈍くなる。

敵に勝つのではなく、

普段の力を発揮できない自分の弱さに勝とうと思えばいいのです』

・・これ、今ネットで「勝つと思うな思えば負けよ」をみたらこういうのがあった。

・・上手い表現だ。

私が思った二つと似てると言えば似てる。

『その欲につられて体に余計な力が入って動きが鈍くなる・・・』

なるほど、と思った。

身体が自然でなくなる・・んだな。

勝ちたいという欲は体に悪影響を及ぼす・・のか・・・

身体というものは自然そのものだということがわかる。

身体という自然は心の不自然さに影響される、そして、

そういうことが長期にわたって蓄積されると病体になるのかもしれない。

・・・こんな展開になってしまった。


そのことは自分がするもの!?

2015-03-05 13:19:36 | ひとの幸福
知らぬ間に無理して頑張ってその結果身体が疲れたり、

やったそのことに批判されたりすると、

「何もしないで文句ばかり言う」と周りを恨む。

同じように知らぬ間に頑張っていても、

身体が疲れなければ、どうということもなくルンルンで終わる。

批判されなければ、どうということなくもなくルンルンで終わる。

これ、“我一人頑張る病”だと自分では思っている。

前も書いたかもしれないけど、

“その事は自分がするもの”って、自分が無意識的にだけど、

決めてる状態から起こるんじゃないかな。

もちろん、そんなふうに自分がなってしまったのは自分だけのせいじゃない。

親や学校や周りの人たちの中で出来上がったしろものだ。

そうなったのも、そうなるような社会なのだからしょうがなかった。

でもそれはそれとして、自分が不愉快になるのは避けたい。

自分が気分よく快適に生きて行きたいしねぇ。

知らぬ間にやっちゃってる、それを、

知っている状態でやらない、ふうになるには・・・

身体がうんと疲れる前に休む方法をとる、これは

自分の体を観察していないと手遅れになるし、

一人で頑張ってないか、

自分の心を観察できるようにならないと難しい。

さてさて・・・


いい天気♪

2015-03-05 10:16:07 | 日々の暮らし・思い出
二階の窓から見える海がきらきらしてる。光ってる。

天気がいいのはいいなぁ♪

義父の介護やらの暮らしの時はほとんど外歩きしなかった。

歩くくらいの時間は十分あったのに、歩こうという気にならなかった。

~する気にならない、時は頑張ってすることもないなぁと思う。

ちょっとしたキッカケでころっと又それをする気になったりもするんだからね。


今日は義父の月命日ということで午後に寺の坊さんがお経を上げにきてくれる。

昨日は四七日(よなのか)というので、やはり坊さんが来た。

仏教では七七日(しじゅうくにち)経つと魂があの世に行くということになっているらしい・・・

他の宗教ではまた別のことを言ったりしているんだろう。

多くの死んだ人がこの世に戻ってきて、みんなの前でこれこれこうでしたよ、と明るく発表されてないから、

見解はいろいろなんだろうなと思う。

おとうさんは今頃どんなふうなんだろう???

あの世が在るのか無いのか科学では証明されてないらしいけど、

こうして亡くなった人を自然に思ってしまうということは

自分の中で亡くなった人は何処かの時空間に生きているというか、存在してるって、

なんとなく思っているんだろうなぁ。

無いものを思うことって出来ないはずだもの。

だって無は無で無なんだから。