ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

今ここ わたし

2014-07-30 21:04:28 | ひとの幸福
今ここという時空 

在りのままでいい。頑張らなくていい。

嫌なら嫌でいい。

今という瞬間を自分に正直に行為する。

今の気持ちで今の自分を生きる。

そういう自分で 今の次の今が変わる。



ひとのことはひとがやる。

ひとの思いはそのひとの受け持ち。

私の受け持ちじゃない。


明日の事は明日がやる。


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にっこり笑えて

2014-07-27 09:35:31 | 日々の暮らし・思い出
昨夜義父にお風呂どうぞと声かけたら「今日はやめとくわぁ」との返事。

それを聞いて私・・「でも、パンツとシャツは替えてなぁ」と言った。

そうしたら、義父は「いや、替えんでええ」と。

それを受けて私はにっこり笑って「替えてなぁ」と言った。

そうしたら義父は「あぁ、洗濯機に入れとくわ」と。


義父は昭和の初めの頃から風呂もない水も豊富にない船の生活だったせいか、

衣類を洗濯に出そうとしないので、

彼が風呂に入っている間に

着替え入れに新しい下着を置いて

着てた下着はチェックして、水が入ってる洗濯機に放り込んだり、

下洗いしたりする。

最近失禁も増えたし、どうしても替えてもらいたい私だ。

うち中が平和のうちに、洗ってある下着を義父が着るようになるのが望みだ。

失禁しても部屋が臭くならず、いろんな失敗しても

みんながにこにこして暮らせる家がいい。





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畑の草取りと「本当」

2014-07-25 13:16:33 | ひとの幸福
畑の草を抜くことを私は何故してたんだろう?

木村さんの「奇跡のりんご」関係の本を読んでいたら、

それが出てきた。

何がしたくてそうしてたのか、自分でわかってないことに気が付いた。

畑の草はとるもの・・そういうのでやっていたよう。

私は何にも考えずにやっていた。

木村さんも以前は何も考えず、

農薬や肥料はやるもんだとやっていたそうだ。

草もとるもんだと思っていたらしい。


青い本の山岸さんの言葉なのかと思うけど、

「本当はどうか・・」という言葉が言っているのは、

こういった“~するもんだ”・・というような見方を外して、

何処までも、それが生命の在りようと一致してるか・・・

・・探りながらやって行く、そのことなのかと思う。

木村さんは草取りをしないのがいい、とかじゃなく、

場合によっては草を刈ることもあるらしい。

生命はじっとしてないから、時と場合で人のやりようは変わるのかと思う。


「本当」を広辞苑で見てみたら、

偽りや見せかけでなく、真実・実際であること。

まこと。ほんと。

本来の筋道であること。

あるべき姿であること。まとも。当たり前。

・・・だった。


真実や本来の筋道、あるべき姿という言葉が

この「本当はどうか」の「本当」の意味合いかと思う。

あるべき姿なんていうと、

動かない、決まった、とかのイメージを私なんか持ってしまうけど、

姿というのは状態のことだし、

草も生命。土も生命。畑も生命。自然は生命。人も生命。

生命や状態は動いているものだから、

固定なんて在りようは絶対ないね~






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自分勝手

2014-07-23 12:43:42 | ひとの幸福
自分勝手でいいんだよ。

自分勝手だと自分の行動を振り返って思うことがある。

自分勝手がいけないことなんかない。

自分勝手で在ろうとして自分勝手になるんじゃない。

そういう自分だった・・と気づく機会になればいんだ。

かように自分勝手な私は思うのであります。

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数独と考え書くこと

2014-07-22 13:00:48 | 日々の暮らし・思い出
さっきブログの文章書いたら、その後、なんだか気分がイキイキして来た。

なんでだろう?・・・

この頃数独をよくやっていて、とても面白い。

だけれど、面白いのはやっている最中で、

それが終わるとその面白さはそれで終わり。

そんなの当たり前だと思うけど、

数独を解くことと考え書きすることの違いはなんだ?

書くことで、あ~じゃないかこうじゃないか・・

いや、こうか?やっぱりこうか?・・

なんて考えるのは数独も文章を書くことも一緒だけど、

文章を書き考えるのは、

その時の面白さだけじゃなくて、

それが終えてもなんだか自分がイキイキしてる感じがある。

そういう毎日は便通もいい感じ。

やっぱりこんなふうに書き考えるということが、

公開するかしないかはあるけど、

私が生き生き生きることに、今は必要なことなのかと思ったよ。







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「何故人を殺してはいけないのか」という問い

2014-07-22 10:49:02 | ひとの幸福
「救いとは何か」という2012年に出された本を読んでみた。

山折哲雄さんのもの。

その中に「何故人を殺してはいけないのか」というタイトルで

対談者と対話してる章があった。

途中で止めてしまったけど。

・・・途中で止めてしまう本が多い私であります。


おかしなこと、わからないこと、不思議なことにひとは問いを持つ。

わかっていること、不思議じゃないことには問いは持たない。


私自身で言えば、何故人を殺してはいけないのか?という問いを持ったことがない。

人を殺さないことが不思議でもなんでもない、当たり前のことだからだ。


けれど、その問いを発するのは誰か?

「人を殺してはいけない」という注意や訓告の言葉を聞く、“教えられる”子供だ。

人を殺さないことが不思議とも思ってない子供たちだ。

「人を殺すな」なんてわざわざ言われなくったって、わかる。

大人がわざわざそういう言葉を発するから、

子供はどうして?と聞くんだろう。


それに、どんなことも、「~してはいけないのか?」

という問いが発せられる前提には、~をしたいという欲求があるもんだ。

「あのお菓子食べちゃいけないの?」と幼児が発するのは

そのお菓子が食べたいからだ。


もし子供が人を殺したいと思ったとしたら、

「人を殺してはいけない」と言う前に、

どうしてそんなふうに思うのか、周りの大人は聴くのが先なのかと思うよ。

それを聴かずにやみくもに「いけない」では、

子供は(大人も)心を閉じるばかりだろうと思う。


何故人を殺してはいけないのか、その問いの答えは

人間は本来「人を殺したい」と“ならない”もんだからかもしれない。


人を殺したく“なる”のは、人の本質に外れている現象。

人を殺してしまう以外のことでも、本質に外れるように“なった”のは、

その人が本質から外れた扱いを多く受けたからかもしれない。

人に振り回されて暮らす人ばかりの中で暮らして来たからかもしれない。

自分の意識プロセスを観察しない多くの人の中で暮らして来たからかもしれない。


そんなふうになる多くのキッカケばかり掴んできてしまったのかもしれない。


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ちょっと古い女性週刊誌を読んで

2014-07-21 16:42:05 | ひとの幸福

女優の中山美穂は結婚した辻仁成?が男だか女だかわからなくなってしまって、

それについていけないというようなことで離婚したいとかで、

それに対して歌手の和田アキ子が

自分も男みたいだけど、旦那とうまくやってる、

離婚にはならない云々と言ったそうだとかの記事が出ていた。

それを読んだとき、なんか違和感を感じた。

ひとが離婚したいと思うに至るプロセスは一人一人全部異なる。

まぁ離婚に限らないけども。

「ついていけない」という思いは単なるキッカケかなと思う。

それがキッカケになるには他人にはわからない縦糸横糸斜め糸強い糸弱い糸・・・そんな糸が

複雑に絡み合って一つの織物という人生があって、

キッカケという一目で離婚という織物の節目が仕上がるようなもので、

そんなふうないろんな糸の様子など他人にわかるわけがないし、

ついていけないから離婚したい、という表現の奥には

多くの糸の絡み合いがあるのかと思う。

旦那が男か女かわからなくなったからと言って離婚するのは如何なものか・・

なんて他者が言えるわけがない。

・・と和田アキ子の心もわからない私は思ったよ。



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赤毛のアン・・・

2014-07-21 13:04:18 | 日々の暮らし・思い出
ちょっと前に中学生の時に読んだ「赤毛のアン」をまた読んでみたいな・・と書いたことがあった。

今の自分が読んだらどんな感想を持つのか興味があったからだ。

赤毛のアンについての興味ではなくて、自分についての興味。

私はいつも自分に一番関心があるんだなぁと思う。


知ってる人の昔の写真を見るのが好き。

隣のKさんのでも、友人のでも、親戚の人のでも。

これもその人の今昔に興味があるというのは勿論だけど、

いろんなプロセスを見るのが好きという自分の趣味を満足させるため・・という感じ。


図書館に行ったときに「赤毛のアン」を手にとってパラパラとめくってみた。

パラパラ・・で、もう満足してしまった。

借りてまで読もうという気にならなかったよ。
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レッグマジックサークル

2014-07-21 10:21:59 | 日々の暮らし・思い出
書いたかどうかも忘れてしまったけど・・・

いや、書いたか・・

レッグマジックサークルをほとんど毎日活用しております。

一回1分というのを見たけど、もうちょっとやってもいいかなと。

内腿の筋肉は勿論のこと、二の腕の筋肉、腹筋も頑張っているなぁと感じる。

ダイエットは希望してないけど、筋肉を鍛えたいというのが

この私にある。

こんな言い方をするなんて・・と自分でも思ったけど、

運動は本当に苦手という自分観がしっかとあるもんだからね。

自分流にいろいろ工夫してその道具を使っております。

三日坊主に終わらない自分を讃えたいよ。

夫も義父もそういうことをしてる自分に何にも言わない。

干渉しない。

これは本当に凄いと思う。

そうしてる自覚もないんだろう二人を尊敬する。

何してるんやろ・・と義父は思っているかもしれないけど、

したいことをしてるんやろな・・となっているんじゃないかな。
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「人をつくる管理職―――笑顔の成果生む対話を」

2014-07-21 09:21:51 | 新聞を読んで
昨日の毎日新聞の時代の風欄、

元世界銀行副総裁 西水美恵子さんという人が書いたもの。

この人のはだいたい読む。


「・・この旅で、世銀融資の成果は、発展途上国の子供たちの笑顔にあると学んだ。

プロジェクト件数や融資総額などのアウトプットは、

むろん無視できない。しかし、次世代の笑顔なしには、

世銀の未来さえ危うくなりかねない」



これは金融企業出身の新しい総裁が就任してまもなく

ブラジルとインドの貧民街を視察した感想を取締役会に

報告した時の開口一番の言葉だったそう。

その後に彼女のこういう文章が続いている。



『それまで「ソフトな成果思考」を侮っていた取締役会の空気が、

まるで頬を殴る突風のように動いたのを憶えている。

世銀の融資は長い。今日の融資を返済し終えるのは、

社会人となった子供たちなのだ。

「笑顔」の成果が、取締役会全員の腑にストンと落ちた。

総裁は続けた。

「笑顔の成果を追う仕事は、同じ笑顔の職員しにかできない」。

途上国の国づくりは、人づくり。

その国づくりを支援する世銀の組織づくりも、人づくり。

「笑顔」の成果を追及するなら、

人を大切に育てる組織でなければならないとまた腑に落ちた。

停滞していた評価制度改革に拍車がかかったのは言うまでもない。

組織の人づくりに本気になると・・・・大切なのは職員と上司の対話だと学んだ。

・・・私にできる人づくりは、

自己研鑚への動機づくりくらいしかない。

だから、部下が抱く夢を聴くことから始めた。


仕事と無関係の夢でも、いつか叶えたい夢を

10年先の自分自身のビジョンにつなげてもらう。

そしてそのビジョンに行き着くまでの道を開く成果を、一緒に考える。

その上で過去一年を振り返り、足りない成果を話し合う。

研修や実務訓練など改善に必要な計画を練って、

最後に翌年までに成し遂げたい具体的な成果に合意する。


現実につながる夢は不思議な力を持つと知った。

例えば、「夢はジャズ演奏家」と苦笑した部下。

長年胸に秘めていたその夢を真に受けた対話は、二日間つづいた。

結論は「今、この夢に挑まなければ、死ぬときに後悔する。

仕事に身が入らない訳がやっとわかった」

惜しい人材だったが、去る者は追わず。

新しい門出を心から祝って送り出した。

その人のCDを聞くたびに、あれでよかったと心底思い、

「管理職などごめんこうむる!」と公言していた昔の自分を笑う。」



殆ど引用してしまったよ。


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奇跡のりんごの木村さん

2014-07-18 10:07:00 | 本を読んで
『奇跡のりんご』を読み終えた。久しぶりに一気に読んだ本だった。

もう何年も前に出版された本だけど、

NHKのドキュメントみたいなのでも取り上げられたそうだし、

この話は多くの人に知られたんだろうと思う


本の中で特に印象に残ったのは、

彼は奥さんが農薬で体調を崩したことがきっかけで、

無農薬、無肥料でりんごを栽培しようと思ってやり始めたんだけど、

虫や病気を殺してくれる農薬に代わる何かを探していただけだった、と気づくところ。

堆肥を入れ、草取りをし、りんごの木を周囲の自然から切り離して栽培しようとしていた・・


りんごの木の命とは何かということを考えなかった・・・


それは農薬を使っていたのと同じことだと気づいた・・

病気や虫のせいでりんごの木が弱ってしまったとばかり思っていた・・

それさえ排除できればりんごは健康を取り戻す、と思っていた・・

そうではない、虫や病気は結果なのだ・・

自然の中には益虫も害虫もいない・・

自然が織る生態系という織物とりんごの木の命を調和させることが

自分の仕事なのだ・・

病気だけをなんとかしようとしていたんだな・・

病気も自然の一部なのだ・・

9年目にりんごの花を咲かせたのは私じゃない、りんごの木だ・・・


・・・これ全部、彼木村秋則さんの気づきだ。

一生懸命一生懸命頑張ってやってきたことの方向が間違っていたと気づいた時の嬉しさったらない。

一生懸命やってきたからこそだ。

こうして自分のしてきた間違いに気づくこと位嬉しいものはない。

人は気づくこと以外で基のところが変わることはないな。
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暑い暑い暑い暑いなぁ!

2014-07-17 16:06:15 | 日々の暮らし・思い出
そんなに言ったって暑いのは変わらないよ~

去年の夏、義父に猛暑はきつかったようで、

夜もエアコンのある居間に寝てもらったのだった。

先月、義父の寝室用にエアコンを設置した。

考えてみれば、去年もこうして義父の部屋にエアコンを設置すればよかったのだ・・・

と、エアコンを買おうと思ったその時そう思ったのだった。

なんでそれに気付かなかったのか!?

エアコンを買うくらいのお金はあった。

本当に何故取り付けることが浮かばなかったんだろう???

夫も言わなかった。

「そんなもん付けんでええ」と言われそうな気もしたというのはあったなぁ。

義父は自分からコレコレこうしてほしい、なんてことは本当に言わない。

何か月か前、酒の肴は刺身がいいと言ったのが初めてだった位で。

5年前に亡くなった義母は義父と正反対で、

あ~したい、こうしたい、あれが欲しい、これが欲しい、

あ~してほしい、こうしてほしい、と

何でも言ってくれた。

共に暮らす私としては本当にわかりやすくて助かった。

あ~じゃないか、こうじゃないか(彼女の今の望みは)なんてことを察しなくても済んだ。

義父は元々あ~したいこうしたい、というのがあっても、

それに執着はあまりないように見える。

暑さに対しても、それをなんとかしたい、みたいなのがないようにみえる。

暑いな・・ただそれだけで。

居間のエアコンも夫がここに移住してきた時初めて付けたのかと思う。

それまでは扇風機や団扇くらいで、エアコンなんてものはなかったようだ。

亡くなった義母に比べて割と自分の事に倹約家(私がそう捉えている)な彼は

扇風機や灯りやテレビはすぐに消すけど、

エアコンのスイッチについては何も言わない。

居間にエアコンが付いているときも、

この部屋は「涼してええ」と言うだけ。

さっき「昼寝するわぁ」と言うので、「寝室、冷えてますよ」と言ったら、

嬉しそうな顔で「そうかぁ」と言った。


去年、エアコン購入を勝手に反対されると思い込んでいた・・のかと思った。

だとしたら、申し訳なかったと思った。

本当に、思い込みは命も知事縮める・・こともある。


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「百万人のエジソンを・・千万人のシャカ、キリスト、カント、マルクスに優る人を」

2014-07-16 15:38:29 | 本を読んで
青い本の知的革命私案のところで、山岸さんはこう表現している。

「百万人のエジソンを・・・

そして行を改めて小さな活字で

―――千万人のシャカ、キリスト、カント、マルクスに優る人をーーーー」


エジソンについては百万人でいいらしいし、“優る人を”が付いていない。

それ以外の人には“優る人を”が付いて、そういう人が千万人要るようだ。

当時の世界人口は30億人くらいだから、

千万人は総人口の0、33%だ。

1000人のうち3、3人がそうなったら世界はあっという間に変わるということだろうと思う。


一字一句を読み取って欲しいと言ったらしい彼の、

ここでの真意はどういうことなんだろう???

シャカやカント、キリスト、マルクスはいわば思想家だ。

エジソンは思想家とは言わない。

エジソンは自分の頭に浮かんだアイディアを形に表わした。

物理的アイディアを形に表わすのは百万人も要れば御の字で、

今の時代、エジソンのような物理的アイディアを考え付く人はもう百万人くらい居るのかもしれない。


思想家は千万人も居ないと幸福革命は成就しないということになるのか。

それも、そういう思想家に優る人・・と云ったのは、

それらの人が表わした書物や、口伝えとしてある言葉が

あまり一般的とはいえない難解なものだったからじゃないか・・・

誰でもがすぐわかるという感じじゃないと思う。

結構わかりやすく、多くの人が到達できる方法が、

彼が云った研鑚方式で、

それによって人口の0,33%位はシャカやキリストなんかに優る人になれる、と

彼は確信していたんじゃないかなぁと思う。


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死の瞬間と幸福 ②

2014-07-16 14:38:58 | ひとの幸福
この前、死の瞬間が人生で一番幸福なのは

その時の心の状態は無執着になっているからか・・と書いた。

けれど、その瞬間から以降はもう何の行為も出来ない。

心の状態というものは、人生での基盤、そこからスタートする肝心なところ。

その状態になっての行為をしたいのに、行為するところの身体は既に動かない。

こんなふうに思うと、青い本のあの章での「・・死の瞬間」とは、

今ここという時空のことを言っているんだろうか。

生も死も今ここにしかないのだから。
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「狭き門より入れ」

2014-07-14 14:53:07 | 言葉
「狭き門より入れ」という言葉の意味は

幸福になる一番の近道のことなんじゃないかと思った。

相対的に物事を捉えることを超えて、絶対的な処から自分を観る方法。

他はどうで在れ・・・と云った考え方で自分を観、実践する方法。

いろんな物事が今そのような姿で在るのは時間的空間的全体の動きでそうなった、

というのは勿論なんだけど、

自分の身に起こることは自分が引き起こしたと、

そうなったプロセスを納得できる自分になること。

幸福になるのも不幸になるのも自分。世界は自分。

青い本に、…自分に一番きびしい事で・・・

という箇所があったけど、

その意味はこういうことなんだとこれを書いて思った。


「狭き門より入れ」は、新約聖書の言葉で、

天国に至る道のけわしさのたとえ、と広辞苑にあった。

なるほどと思った。
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