ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

フキノトウあらわる♪

2016-01-26 20:18:25 | 日々の暮らし・思い出
フキがある畑の方はここのところ行ってなかった。

今日行ってみたら、フキノトウが幾つも幾つも顔を出していた。

梅の花はもう半月も前から咲きだしている。

ここのところ寒波で寒いけど、ここらは雪も降ることはなく、

多肉植物も外に出しっぱなしだけど、なんとか頑張ってくれている。

やっぱり温かい地域だなぁと思う。

春が来る。春が来る。春が来る。

フキノトウを見るといつも幸せな気持ちになる。



失敗して失敗して上手になる・・・けれども・・・

2016-01-25 16:54:12 | ひとの幸福
周りの人を傷つけて傷つけて人は成長する・・・

そう言えないかなと思う。

新米外科医が最初は切ったり貼ったりするのが下手だけど、

たくさん手術してだんだん上手になるってこと、ないのかなぁ・・・

いや、全くそのへんのことは知らないから勝手にそう思っただけだよ。

予行演習みたいなのをたくさんして上手になるだけなのか・・なぁ?


子供に対しての対応を失敗して失敗して失敗して・・・

いくらかはコツを掴めるようになる・・・

子供はそういう親(私)の犠牲者だ。

私だけじゃないとは思うけど・・

子供を虐待する事件が最近多いけど、

もっと知恵ある、愛情ある人たちが周りに居てくれたら、

そういう事件も起こりにくい・・・とも思う。



万歩計お前のために歩いてる・・・

2016-01-25 16:40:32 | 日々の暮らし・思い出
何日だったか十何日だったか前の毎日新聞仲畑川柳に載っていた・・と記憶してる。

一字一句違わないという自信はないんだけど、

そんな意味合いのものだった。

この心理は面白い。私も身に覚えがある。

この前来てた小学4年生も同じような気持ちを言ってたなぁ。

以前にここに書いたことがあるけど、

テルモの活動量計というのを毎日ズボンのポケットに入れてつけている。

一日に何歩歩いたか、何キロ歩いたか、速歩で何分歩いたか、一日の総消費カロリーはどのくらいか・・・

それがわかることになっている。

運動不足はよろしくないと思ってそれを付け始めた。

小4も面白がってそれをつけさせてと言って来て、

二日間つけていた。

それをつけることで私のウォーキングに付き合いたいという気持ちになったようだ。

何故それをつけると歩こうという気持ちになるのか・・・

そりゃ、やったことの結果が知りたいからでしょう??

小4もそういう気持ちになるというのは

テストで点数をつけられ、通信簿をもらう、という経験があるからか・・・

いい点や評価がよい通信簿がほしいから勉強する・・??

いい点数をもらえるから歩くのか・・・

どうもそういう感じかなぁ・・・

鼻の前に人参がぶら下がってないと歩かないという馬みたいなものか・・・

・・と考えると今一つだなぁと思いがちだけれど、

それは歩こうとするキッカケであって、目的じゃない。

どんなキッカケで歩こうと走ろうと、それで運動不足が解消されるなら

それでいいんだ。

それが目的なんだからねぇ。

でもまぁ、その万歩計が故障して使えなくなって、

それをまた買うという経済力がなくて、

歩かなくなる、という結果になったら、

万歩計依存症ということになるんだろうか・・・

どうでもいいこと考えたかなぁ・・・




希望は戦争!? 「悪の力 」

2016-01-21 10:16:23 | テレビを見て
この前BS番組の久米書店で姜尚中先生の『悪の力』についてやっていた。

その本は読んだことがない。

番組の中で左わきの画面マスの中に「希望は戦争」という言葉が出ていた。

強烈!と思った。

誰の言葉なのかメモするのを忘れてしまったけど、

確か若い人の言葉だったと思う。

これはどういうことか考えた。


戦争の何が希望なのか・・・

戦争が起こることで様々なことが起こる。

非人道的な残虐な行為や原爆などで多くの命が失われるようなことも起こる。

人間の素晴らしい面が現われることもあるだろう。

戦争という状況下で杉原千畝さんのような勇気ある行動も現れる。

そんなに有名な事でなくても、たくさんの人の小さな美しい行為があったと思う。


この言葉を言った人は何を望んでいるのか・・・

戦争が起こることで何か自分の望んでいることが実現出来るんじゃないか・・・

そんな思いの現れなんじゃないかと思ったのだ。

それは何なんだろう。

人が死ぬことを望むという意味ではないと思う。

戦争によって経済が活発化するということでも無いように思う。


この世は相対性の仕組みから逃れられない。

汚れた洗濯物があるからきれいにする喜びがある。

お腹が減るから食べる喜びがある。

起きて何かをしてるから寝るという喜びがある。

粗末なものばかり食べていればご馳走が嬉しい。

障害、ハードルがあるからそれを超える喜びがある。

ひとが困難な状況でいるから、助ける喜びがある。


もしかしてこの人は今の暮らしの中で、

自分ではそういうことを見つけられない不幸な人なんじゃないか・・・

・・・そんなことを思ったんだけど、

全然違うのかもしれないとも思う。

NHK超常現象 量子のもつれ

2016-01-19 16:14:51 | テレビを見て
一昨日だったか、NHKのBSで超常現象ナンタラという番組をやっていた。

再放送だと思う。

虫の知らせとか予知能力とか、

テレパシー能力は誰にでもあるんじゃないか・・・

それが科学で解明できてないだけで・・

というような内容だったと思う。

ノーベル物理学賞をもらったブライアン・ジョセフソン博士という人が

こう言っていた。

物質の量子の世界には、

人間の超常現象とよく似た奇妙な面があると思う。

量子論の研究が進めば、超能力の謎も解明できる可能性ありと。


『不確かな物事を否定する前に、先ずは真摯に向き合う。

それこそが科学だ。』

これ、いいね。その通りだ。


意識は量子。


面白いか、面白くないか・・

2016-01-19 14:14:40 | ひとの幸福
やることがないと思うと面白くない…これ、私。

でもいつか何もできなくなる日が来るかもしれない。

老いさらばえて横たわるしか出来ない日が来るかもしれない。

注意力散漫な私は交通事故で寝る格好しか出来なくなるかもしれない。

そうしたとき、何かをしていないとつまらない、面白くない・・となる可能性が高い。

横たわっているだけで満足できるようになれるといい。

これは難しい。けど、目がよければ本が読める。ものを見ることが出来る。

話すことが出来れば人と語れる。

耳がよければひとの話が聞ける。

このすべてが出来なくなったとき、面白がれることをみつけられるだろうか・・・

思う・・ことだけが出来る。

意識不明になったとき、自分の中ではひとにわからないなんらかで意識をみることが出来るんだろうか・・・

病人が死にそうなとき、意識不明であっても、

ひとの言っていることわかりますよ、声かけてあげてください・・と

看護士さんに言われたという話を友人から聞いたことがある。

その看護師さんの独自の発想に過ぎないのか、

看護士の学校ではそういうのを勉強しているのか・・・

無知な私は知らない。

そういう意識があるといいのだけれど・・・

負けたくない勝ちたい

2016-01-16 10:19:30 | 日々の暮らし・思い出
今回3人でトランプ遊びをして小4の孫は負け続けても朗らかに笑っていた。

それを見て娘はすごいねぇ、と言っていた。

どっちもいいなぁと思ったよ。


負けたくない、勝ちたいという闘争心は誰にでもあるもんだと思う。

負けたいと思って勝負に挑む人はいないよね。

どんなことも裏と表があるもんだから闘争心の負というのもあるねぇ。

それは勝負の結果にとらわれることかな・・

勝負すると決めた時は勝ちたいと思ってやる・・が

その結果にはこだわらない・・それが理想的か・・


娘二人が小学生の頃だと思うけど3人でよくトランプ遊びをした。

その時次女は負けると機嫌が悪くなるので面倒くさかった。

そう思ったことをよく憶えているんだけど、

それは私がその勝気を鷹揚に受け止められなかったせいだねぇ。

この前その次女が長女に、うちの子負けると機嫌が悪くなるので、

ホント、やりにくいわぁ、と電話でこぼしたそうだ。

長女は 小さい頃あなたもそうだった と言って2人で笑ったそうだ。

広辞苑で『勝気』というのを調べたら、

人に負けまいとする気質 とあった。

気質というのは持って生まれたものを言うのかな。

あの人は勝気だから・・という言葉にはそれを褒め讃える、だけじゃないニュアンスがある。

勝負をしている最中は勝ちたいモードでやるのは当たり前。

それは自然なことで、

負けがわかって機嫌が悪くなるのは

いわば不自然なのかもしれない。

・・という意味で勝気も執着心の一つと言えるのか・・・

やっぱりそれを持って生まれて来たんだろうなぁ・・

ひとはいろんなものを持って生まれてくる。

持ちたいと思って持って生まれてくるわけじゃない。

それが何に対しての執着なのか、それが一人一人違うんだろうなぁ。

だから人生や世界は多彩なんだろうなぁ。


セブンブリッジ勝負大会

2016-01-16 09:37:11 | 日々の暮らし・思い出
夫の孫と私の娘と私の3人でこの前一日のかなりの時間セブンブリッジをして楽しんだ。

10回戦勝負を続けたんだけど、娘が来る前には孫小学4年生と

10回戦とか決めずに延々と勝負を続けたことがあった。

こういう終わりがない勝負で、

負け続けているとやる気がなくなる、と思った。

10回戦とか決めると、その回は負けても次は勝つぞぉ!

・・なんていうやる気が出て来るものだ。

こういうのってどんなことでも言えるんだろうなと思った。

人生が無限に続くなんてことになったら、生きる気力が萎えてしまいそうだし、

1年という区切り、1学期という区切り、1時間という区切り、

今回という区切りとか、いろんな区切りを設けるのって、

人間の知恵なんだなぁと思ったよ。

あそこまで頑張って走ろうとか歩こうとか、

今日だけはなんとかとか・・これはちょっと消極的すぎるかな・・

目標を設けるというのも区切りがあればこそだねぇ。


形あるこの世界は相対的にしか物事をとらえられないから、

区切りをつけるという知恵は当然なんだろうね。

酒粕という革命メニュー

2016-01-15 17:11:41 | 日々の暮らし・思い出
ここのところずっとじっくり座って文章を書く、

自分の心をゆっくり観察する、ということより、

何かをすること、の方に関心が行き、

ちょこちょこちょこちょこ動き回っている。

今はこういう時なんだなと思う。

でもちょっと書こうかな、と思い、書き始めると、

やっぱり面白い。書くという行為をすることで、

自分が知らぬ間に思っていたことなんかが表面に出て来る感じ。

こういうの、立ち止まる、ということなんだろな・・・

このブログ始めた頃は毎日一日中ほとんど立ち止まりっぱなしだった。

自分のそれまでの経験とその時の自己観察と真実とはこういうことなんじゃないか、という

発見?と、驚き!!とそんなのが自分にわぁ~っと押し寄せて来て、

あっぷあっぷしてどうしても文章にして整頓しなきゃならなかった。

書くという行為は凄いもんだと勝手に思う。

私は書かなきゃ考えられないし、書かなきゃ頭を整理整頓出来ない。

書かなくったってそれが出来る人ももちろんいるんだろうな。

わたしはそんなことが出来るほどに頭がよくない。

またこの場に座りに来るのは明日か明後日か一週間後か・・・わからない。


さて、今晩のメニューはなんと!粕汁なのだ。

何故なんと!!なのかというと、

幼き頃より苦手な唯一の食べ物、それが酒粕なのだ。

幼き頃一度口にしてこれはダメだ食べられないとなった時から数十年、

あれから40年ときみまろは言うけど、私は多分あれから60年は経っている。

一度も口にしたことがない。

それを自ら買い求め、作り、食べようというのだ。

これを革命と言わずして何を革命というのか・・・

さてさて・・・私の口はどう反応するんだろうか・・・???



お母さんはピュア!??

2016-01-15 16:46:43 | ひとの幸福
この前、東京の娘が来ていて、その間、また彼女に余計な事を言ったなぁ・・・

またやっちゃった・・

この娘の前では自分の未熟さがとくに顕著に出てしまう。

でも、面白いことに、この本いいよとか、面白いよとか、言ってくれるその本が

その時の私にとってグッドタイミング的なものが多かったりもする。

だがだが、いわゆるひっかかる(気に障る)人でもある。

そういう引っかかる人と共に居た方が自分が成長する機会になる・・・

・・みたいな考えが私には強くあるのはこのブログでもよくわかってしまうと思うんだけど、

娘が帰った後に又そんなことを思っている自分に気付いた。

そうだ、私は自分のことばかりだ、と思った。


自分は自分だけど自分一人でなっているわけじゃない。

人と共に存在している、そういう存在のし方しかないのに、

ときどき私はとても自分勝手だ。

その娘から今回お母さんはピュアだと言われた。

嫌な感じで言われたわけじゃないんだけど、

私が傷つかないようにと、そういう言葉を使って言ってくれたんだ、と思った。

それは私にとっての警報だと思った。


自分の為に娘を利用しているつもりはなかったけど、

そういうことでもあったかと思った。

もうそれはやめようと思った。

彼女を使って自分の成長なんかしようとするまい。

自分の成長なんかどうでもいい。

そうだ!ホントそうなんだ。

この思いは私にとってかなり画期的だぞ。

成長したいという欲を放せた、ということかもしらん・・・???

新しい展開かもしれないぞ・・・・・!!

でも、こんなふうに思えたのもこの娘がキッカケだなぁ・・

なんて、いつものように思ってしまう自分ではあるなぁ・・・








今日は十四日だ。

2016-01-14 16:20:05 | 日々の暮らし・思い出
前回ここに来てから又ずいぶん日にちが経ったなぁ・・・

あの日の翌日から夫の孫、小学4年生が八日まで滞在し、その間、夫の息子、その子供5才、

私の娘、夫の弟、とが泊まりがけで来ていて、

その他に親戚筋数家族が年始のあいさつに来てくれたりして、

賑やかなお正月だったよ。

ちっとも疲れたなんて思わずに過ごせたなぁ。

小学生とはトランプ花札ウォーキング・・と、元気に一緒に遊んだ。

神経衰弱、5才10才65才では当然認知症近い65才は大負け。

私もこの子たち位の時はこんなふうだったんだろうなぁ・・・

・・・ということなど思い、致し方なく完敗したのであります。

やることがいっぱいあって楽しかった。

回遊魚の私はいつもやることがちょうどいいくらいにいっぱいあって動いているのが好きだ。

やりたい気持ちで動いているのは楽しい。

いや、楽しい、なんていちいち感じてるわけじゃないけど、

体中の細胞が元気に動いてる感じ、というのかな、それがいい感じ。

娘が帰ったのが十日でそれから夫と二人の暮らしになったんだけど、

その前日位から夫が風邪でダウン。

昨日やっと布団生活から脱出しました。

私はほとんど心配もせず、リクエストに応じてごはん作ったり、湯たんぽ入れたりするぐらい。


話は変わって、さっきテレビニュースで、

昨年、刑法犯罪の数が戦後で一番低かった、と言っていた。

新聞やテレビのニュースを見聞きすると、

なんだか暗い気持ちになりがちだけど、ちょっと嬉しくなった・・・

と思って見ていたら、その原因は防犯カメラの普及によるものではないか、

なんぞと言っていたよ。がっくりした。

いや、がっくりしちゃいけないか・・でも、

防犯カメラがあるから悪いことやらない、のか・・・

なければやるのか、と思っちゃったんだよ。

でも防犯カメラの普及ゆえ、というのはあくまで推測だね・・

本当の原因なんてわからないんじゃないかな・・

複合的、という気もする。

・・さぁ、今日はこれでおしまい。

今晩はてこね鮨を作ろうかと思ってる。