ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

丘陵をハイキング

2017-04-28 15:15:04 | 日々の暮らし・思い出

娘が保育園時代の時からの友人、いわゆるママ友と、出かけた。

彼女は東北の出身で山菜に詳しい。

ハサミやイージーバッグを私の分まで持ってきてくれて、

それで山菜採りというのかな・・セリ、クレソン、ヨモギ、三つ葉、ノビル(野蒜)、

を山、河原、から頂いてきた。

楽しいもんだね~

クレソンはお浸し、三つ葉はお浸しと佃煮にし、

三つ葉の佃煮は彼女から教えてもらって初めて作り、

生まれて初めて頂いたけど、いい香りがして美味しかった。

野蒜は刻んで味噌と鰹節で和え、これがまた美味しかった。

この料理法も彼女に教わった。

子供の頃、隣の桑畑に生えてた野蒜を祖母と採ったことがあるから

野蒜も実感を持って知ってた。

その時はたぶん酢味噌和えにしたように覚えてる。

地面から自分で野菜を採った思い出があるのは

そういうことがないより豊かだと思う。

スーパーでしか食べ物を知らないのは不幸だなと思う。

今度は孫と山菜採りに行こうとこれを書いて思ったよ。

ヨモギは茹でてとりあえず冷凍にした。

今度、草団子か、よもぎパンにしようと思う。

 

 

 

 

 

 


新緑・・・ドキドキする。

2017-04-27 22:14:54 | 日々の暮らし・思い出

この前、昭和記念公園に行ってきた。

新緑が美しかった。

それが嬉しくて嬉しくて胸がドキドキした。

恋い焦がれていたみたいな感じだった。

去年は新緑を見ないで石垣島に行ってしまったから

春がなくていきなり夏という感じだったものね~。

お隣さんの庭に黄色のモッコウバラが咲いている。

蕾をいっぱいつけているときに発見。

まぁ、遅い発見と言えば言えるね。

見ないでその前を歩いてたんだろ。でも、見つけたときは

我が家にあって溺愛してたからか、やっぱり嬉しくて胸がドキドキ。

気づいてみればあちこちにモッコウバラが咲いてる。

二軒続いてそれが咲いてると、きっと一軒の人が隣の人にあげて

挿し木したに違いないなんて思ってしまう。

去年3月までいた我が家のモッコウバラも咲いているだろうなぁ。

来月には行くから様子は見られるけど、

その頃は全部散ってしまっているだろう。

新緑も盛りを過ぎているだろうけど、やっぱり楽しみだ。

山と海がある町。

ここを又離れて何処かに住むことになったとして、

今のこの地にそれほどの思いを持つものなのかなぁ・・・

山や海や畑や庭、木や花たち、そういう自然が身近にあるのと、

身近にない暮らしでは思いの馳せようが違う気がする。

大臣が大地震が東北でよかった云々と発言したことで

ネットでそれについての批判もたくさんあったけど、

東北で良かった 東北がいい という東北賛歌もいっぱいあった、

という記事が今朝の新聞に載っていた。

それはやっぱり自然の大きさなんだろうなぁと思う。

視野が緑でいっぱいになると幸せになる。


最初に決める。

2017-04-21 10:28:39 | 日々の暮らし・思い出

ほとんどの人は否定されると気持ちが暗くなる。

嫌な感じに思う。

これは小さな子供から死ぬ間際の人までそうだろなと思う。

悪いことをしたと自覚があってもそうなんじゃないか。

した行為を悪いと思っても、自分そのものを否定されたと思うからなんだろうな。

うちの小さなひとは結構気が強い。

自分が悪かったと思っているような感じのときでも、

それを認めたがらない。

自分の思い通りにしようと力で弟を抑えつける傾向がある。

見た感じいい感じはしない。笑えない。

なんでこうなのか、なんでこんなことになったのか、

なんてことをついつい思ってしまっていた。

そんなこと思っても何のいいこともないとやっとわかった。

で、最初に決める。私が。言葉と様子で。

「まるこは可愛いね」とニコッと笑って言う。

二人だけの時、話をしてない時、なんの脈絡もなく。

また、

「この頃、まるこ、~が変わったねぇ(いい方向に)」と

打ち合わせ済みのまるこの母に向かって淡々と言う。

まるこの母も「そうだよねぇ」

あまり長い言葉にしない方がいい感じ。

まるこがそうであるかのように扱う。

ままごとでいいところのお嬢さんのように扱うと、

すぐそうなるのと同じことだね。

ままごとで悪い怪獣として扱うとやっぱり悪い怪獣になってくれる。

そういえば、~として扱うと~になるということ以前によく書いてたっけ。

ここまで書いて思い出した。

やれやれ・・・・実践しなきゃなんの意味もないねぇ。

小さなひとは正直で自由で反応が早いからすごく面白い。

 


右の頬を・・・

2017-04-17 11:04:31 | 言葉

この前怒鳴ったことを書いたけど、書くという行為をすると、

後になって、その文章だけでは済まないものが浮かんで来るときと、

全然そんなことが浮かばない時とがある。

怒鳴ったことを書いた後はこんなのが浮かんだ。

いきなり右の頬を叩かれたら、左の頬も差し出しなさい・・・

こんなふうなのが聖書にあるようだけど、

それを思い出したんだ。

いきなり頬を叩かれるなんて、通常そんなことないよなぁ・・

そう思ってた自分だったけど、今回のこれ、

この前書いた、自分がなんの落ち度もないのに(そう思った)、

いきなり怒りをぶつけられた、そのことはこういうことも言ってるのかと思ったのだ。

そうだ、通り魔とか無差別殺人無差別攻撃なんかもそれに入るね。

相手の勘違い、誤解や曲解による怒りを受けた場合のことも言ってるんじゃないか・・

そう思ったんだ。

いや、本当の意味は知らないよ。

もっと違うことなのかもしれない・・わからないけど。

その時の自分にとっては理不尽な対応も、

相手がその時そうなった・・ことは自分に全く無関係とはいえない・・

いや、初めて会っていきなりのことであっても・・

そういう全てのことは時空の中で繋がって今ここに在るのだと、

時間的にも空間的にも一体なのだと、

心底納得出来ていれば、

右の頬をいきなり殴られても、腹立ちは生まれないのかもしれない・・・

腹立ちがなければ、それが起こらないためにじゃあどうしたらいいのかを

理性的に考えられるはず・・・と思う。

けど、実際腹が立ってあんなふうに我慢なく、八つ当たりしてみて、

馬鹿なことしたなと思ったし、

また同じようなことをされたときに

自分がどんなふうに振舞えば双方の今後にとっていいか、

いろいろ考えるきっかけにはなったよ。


怒鳴り、八つ当たりしたよ。

2017-04-09 16:29:02 | ひとの幸福

この前、小さな人、孫の言動にかなり腹が立ち、

どかんとやった。やりながら腹が立ってるなと思った。

何か悪いことをしたり、傷つけるようなことをしたならともかく、

不意打ちのようにいきなり怒鳴るように言われるのは心外だ・・・・

というようなことを強い調子で言ってやった。

孫はシ~ンとなり押し黙った。

そのことが不本意なら黙っているような人ではない、と思った。

もう一人の小さい人はえへらえへらとして私の様子を見ている。

怒鳴り終えても、そこにあった乾いた洗濯物をバシンバシンと音を立て、

テーブルに投げつけた・・ながら畳んだ。

ようするに腹立ちまぎれの八つ当たりだ。

後で小さな人がごめんなさい、と言ってきた。

何がごめんなさいなの?と聞いたら、

怒ったこと、と言ってた。

つい本当かな?と思ったけど・・・

腹立ちによるこの叱責の効果はいくらかはあった・・とは思う。

けれど、それは力による抑圧だ。

(なんせこちらは権力も腕力もある)

力による抑圧が一概に悪いとは言えないと思うけれど、

必ず副作用を生むなぁ・・と思った。

小さな人がそういう理不尽な行動をしたのも、

そうなるプロセスがあったと思うし、

生まれながらの性向というのもあるとは思う。

その人だけでそうなったわけじゃない。

でも、二度とそういうことはしてほしくないという願いの実現方法としての、

力による脅しや抑圧は、必ず副作用を生む。

けれど、抗議や要望があるなら出していかないといけない。

それが怒気を含んでいるか、含んでないか、が

副作用を生むか生まないかの分かれ目かと思う。

怒気が含まれてしまうのは、無意識のうちの判断のことだけど、

その出来事をその人個人だけのこととしてとらえているから・・と思う。

あってほしくない行動もその人ひとりで創ったもんじゃなし、

そうなったことはそうなるべくしてなった、と心底わかってれば、

その人個人を責める怒気は生まれないのかも・・と思う。

頭でわかって実践できるに練習要る、で、

楽しみであります。

 

けれど、こんな小さな人とのやり取りも、

国と国とのえらいさんのやりとりも同じなのかと思うよ。

で、世界平和は個人の心の平和からしか生まれないのではないかと。

全体の平和は個人の平和から・・・

個人の完璧な平和は世界全体の平和から・・・

一日一歩♪三日で三歩♪三歩進んで二歩下がる♪

これだったら平和はすぐなんだけど・・・・・