ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

昨日の続き

2016-08-31 09:08:24 | ひとの幸福
パソコンが今日からしばらく使えなくなるから、

ちょっと昨日の続きを書いて考えたいと思ったんだけど、

その関係の工事の人が今、来たのでおしまいにするね。

もっと考えたいのでまた書くつもり。

夫が風邪!!??

2016-08-30 14:15:50 | 日々の暮らし・思い出
移住の日まであと数日なのに夫は風邪をひいたよう。

昨夜タオルケットも掛けずに寝てた私は寒くて目が覚めたんだ・・・と思う。

隣の部屋から夏掛けを持ってきて掛けた。

隣に寝てる夫を見たらタオルケットをきちんと掛けて寝息を立てていた。

タオルケットだけで寒くないかな??と思ったけど、

よく寝てるところを布団なんか掛けたら目が覚めちゃうんじゃないか????

私が掛けていても、夫はタオルケットを掛けないでいることが多いので、

ちょうどいいのかも・・・・

そんなことを思ったのでそのまま何もせず寝てしまった。

眠い時に大した用でもないのに起こされるのがイヤな私は、

ぐっすり眠っている人が目が覚めてしまうようなことはしたくない、というのが強い。


朝一度起きた夫はちょっとだるいと言って、また布団に入ってしまった。

さっき起きてきて熱を測ったら38度2分。

上に書いた顛末で風邪をひいてしまったんじゃないか・・・と思った。

あの時、布団を掛けていたら・・

もしかして熱なんか出なかったかも・・・しれない。

そうしても熱が出たかもしれないけど・・・


ぐっすり眠っている人が目が覚めてしまうようなことはしたくないというのも

自分よりの一面的な考えに過ぎないし、

全くの見当違いだったかもしれないね・・・

今度同じようなことがあったら、布団を掛けようと思った。

目が覚めても又寝るだろうし、

暑かったら剥ぐだろうし。

躊躇いが生まれた時って、気を付けた方がいいね。

最初の、相手を思う気持ちのまま行動する方が後悔の質がいいかもしれない・・・な・・・






所有意識と気分

2016-08-30 12:15:08 | 実例体験観察
昨日娘から電話があり、彼女はちょっと情緒不安定な感じだった。

でも話の中で大笑いしたり、小笑いしたりしながらいろいろ話し、

電話が終わる頃には気持ちが安定して来たようで、

最後は明るい感じで終わることが出来た。

夜になってその事をキッカケにして、

娘の前に居る自分について夫に話した。

夫に自分の気持ちを聞いてもらったという表現がぴったりかな。

話しているうち、可笑しくなってきた。


今までの、娘の話を聞いている時の自分の姿が見えた。

今までの自分の姿といっても二十数年の間のことだし、

その姿も程度はいろいろだったなぁと思うんだけど、

はっきり言って話を聴いてなかった自分だった。

彼女の言葉を耳では聞いてはいたけど、

彼女についての自分の思いで頭がいっぱいで見事に話を聴いてなかった。

見事にその時の彼女を聴いてない。


このブログに娘との間で生まれる自分の思いについて何度も書いてきた。

書くことで気付いたこともいっぱいあったけど、

話を聞いている時の自分の心が今回ほど鮮やかに見えたことはなかった。

そうしたらなんということだろう・・・

気分がとても愉快になった。可笑しくてたまらなくなった。


娘にしてみたら本当に災難の続きだった。

何とお詫びをしていいかわからないくらいひどいことをして来た。

こういうふうに全面的に心から思うのは多分初めてだと思う。


今まで娘に対してのひどかった自分に気付いたとき、

なんて酷かったんだろうと泣けたこともあった。

それが今回泣けるどころがおかしくて笑ってしまった。

ごめん!娘よ!笑ってしまって。



酷かった自分を見つけて泣けてしまった自分と、

笑ってしまった昨日の自分とで何が違うんだろう???

と思った。

泣いてしまったときの意識の奥深くの心が

それを自分一人の問題としている所有状態に在った、といえるんじゃないかと思う。

だから責任を感じて自分で自分を責める。

責められた自分は泣く。


娘の心や思いを聴こうとする心の姿勢などない状態の自分だったと知った、その事は一緒なのに、

泣けるのと笑うのと正反対の反応がある、その元はコレだ、と思ったよ。

何でも自分に都合のいいように考える癖のある、楽観的な私なので

未熟な自分の発見に笑えたことは大変結構なことじゃないか・・と思ったのでした。


明るいのが本当。


これからだってまだまだいろんなことがあると思うけれど、

楽しみにやって行くよ。









引っ越しか移住か・・・

2016-08-26 17:11:04 | 日々の暮らし・思い出
あと10日ほどで石垣に移住する予定。

移住とか引っ越しとか住所替えとか、言葉があるけど、

今回引っ越しという言葉より移住の方が合う感じがするのはどうしてだろう・・・

引っ越しというと家財全部ひっさげて移動するという感じがある。

ここに来る前は東京でアパート住まいだったし、

両親が住んでいるこちらの生活で重複するものは友人たちに貰ってもらったり、

処分したりして、要るものだけ箱詰めし、

当然だけど部屋を全部空っぽにしてここへやって来た。

今回は、夫の親が建てた家に居るので、

すぐに空っぽにしなければいけないこともない。で、

テレビ冷蔵庫洗濯機食器洗浄機箪笥布団エアコン座卓椅子鍋釜食器みんなここに居てもらう。

だから、引っ越しという感じがしないんだろうなぁ。


友人や近所の人からそこへ永住するのか・・とよく聞かれる。

この年齢になるとそういう発想になるのかなぁ・・と思う。

でも、そういう決心なんてない。

永住したいとかしたくないとかいう思いが全然ない。

あまりにそういう問いばかりなので、面食らう。

どうなるのかわからない・・なんていったら自分のことだろうがって言われるんだろうか・・・

でも、本当にわからないんだよ・・

永住するかしないか決めないで移住するのは如何なものか!?

でも本当に考えてないんだよ・・


軽いノリといえばノリなんだけどなぁ。

流れに乗ってこういうことに。

この前カフェをやっている友人に会ってその時話した。

店やら家やらが大変なとき、声がかかってたら、

ここで暮らす流れになってたかもしれないねって。

そうなってたら、石垣移住という展開にならなかった可能性は高いと思うから。

何処に住もうと変わらないものを自分の中に持っていればいいんじゃないかな・・・

などと思う今日の私です。

明日は何を思うやら・・・














真夏の出来事

2016-08-24 08:35:26 | 日々の暮らし・思い出
さっき、群馬の義弟が帰って行った。

なんだか寂しい。

この家に二人だけ。

義弟はよく話をするタイプだけど、夫は無口、といっていいだろうなぁ・・・

なので、この静寂。

私が声を出さなければ、ほとんどの場合ずっと静かだ。

今年の夏は今までと違ったなぁ。

一晩に10人以上の人がこの屋根の下で寝るというようなことがなかった。

その点は驚くほど楽ちんだったよ。

そんなことより何より、来月になったら石垣に移住するという思いが

この家で夏を過ごすことを鮮やかにさせた。

そのことが例年の夏との違いかと思う。

こんなに豊かに夏を過ごしていたんだなぁ・・・

本当にどんなこともそのことを自分がどう観ているか、

どういう捉え方をしているかで違って来るものだと

何かにつけて思うけれど、

移住すると決めたそのことがここの景色、出来事の色合いを変えた。

移住するという物理的事実じゃなく、

そうしようと決心したという『思い』の事実で変わる。

何が変わるって、見え方だ。

人生は見え方だ。世界も見え方だ。

それが物理的世界に即反映する。

(あ、ちょっと脱線だね。)

そのせいで来年も夏はここで過ごそう、と思うようになった。

また、その思いも変わって来るかもしれないけど、

今のところ強くそう思っている。


いろいろな、その物、その事、を放して見るという大きな体験が出来たよ。

持っていて当たり前、こうしていて当たり前、こうしてくれて当たり前、

そんな当たり前に気が付いた。

まぁ、また、これからもいろんな当たり前を持つだろう。

それも当たり前のことだしね。悪いわけじゃない。

持ってなければ放すことは出来ないものねぇ。







楽しい夏だったなぁ

2016-08-23 09:19:08 | 日々の暮らし・思い出
私たち夫婦は所謂再婚なので子供や兄弟はそれぞれに居る。

この夏、夫の方の息子、孫たち、私の方の娘、姪っ子がこの家に来てくれた。

他に友人たちや娘の友人たちも来てくれた。

姪っ子も娘の友人たちも滞在予定を延期してたから楽しんでいったんだろうな。

私の方の娘は長い滞在だったので、その誰ともかぶって居た。

夫の方の孫たちに対しての娘の在りように私たち夫婦は今回とても感心したんだ。

娘はどんなことでも彼女らの味方になってた感じ。

そういうこと自然にやれるみたいだ。

だから、孫たちは娘に懐き、一緒に遊んでた。

おかげで私は家事を集中してやれたよ。

夫の方の孫たちと娘は今回だけでなく、今までも何回か一緒に過ごしたことあるしね。

娘は今までのどの滞在時よりぐんと解放されてた感じで、

伸び伸びとしてたよ。


夫の弟もとても気さくな人で、娘のことも呼び捨てで呼んでたし、

娘の友人たちともごく当然といった感じで付き合ってた。

夫の息子も娘と自然にお喋りし、Uちゃんと呼んでた。

みんなが居たどの場面を思い出しても、

するするっ~と物事が動いて行った感じがする。


会うたびにお母さんはニューお母さんになってる、って娘から言われたことも嬉しかった。

また、会おうね、みんな。

残像が浮かぶから・・

2016-08-22 11:32:07 | 日々の暮らし・思い出
今朝起きてすぐに畑に行った。

用事を済ませて畑の傍を流れる川の淵を歩いているときに、

娘はもう起きてるかな・・・という思いが浮かんだ。

浮かんだ途端に、そうだ、もう居ないんだ、と気が付いた。

畑に来て家に帰ると、

眠そうな顔をして階段を降りてくる娘の姿を何度も見た。

一緒に過ごした時間が長いと、その記憶が生活の場の中にたくさん刻まれていて、

折に触れ、それがよみがえるんだ。

そして、今はもう居ないと確認することになる。

その喪失感が寂しさなんだな。

もし、東京の娘の家に長く居て、こっちに帰って来たとしても、

生活の場に刻まれた記憶はないからそれほど寂しさなんて感じない気がする。

今も数日で思いは浮かばなくなるんじゃないかと踏んでいる。

私が石垣に居る間、夫が石垣に来て一週間で帰ったとき、

狭いアパートに夫の痕跡がたくさんあって、当日と翌日はその喪失感で泣けたけど、

多分三日目くらいからはそんな思いは出て来なくなったからね。

今回は涙が出ることはなかったなぁ。

結構なことじゃないか。








娘が居なくなったよ

2016-08-21 16:49:51 | 日々の暮らし・思い出
ひと月と一週間居た娘が遊びに来てくれた友人たちと今朝帰った。

友人たちも来ていたし、夫の弟も滞在してるから

とても賑やかな三日間で、面白かった。

義弟も今日明日と出かけたから急に夫と二人。

ずっと3人や4人5人6人だったから・・・

かなり静かで寂しいよ。

娘がここから帰って寂しく思うなんて初めてだ。

こんな気持ちにびっくりする。

へぇ・・こんなふうに思うんだねぇ・・・

娘が家を出た後でこんなに長く一緒に暮らしたのは初めてだったと思う。

心の方の病を持っている娘だし、

いつでも気楽に帰って来れるここが無くなることに

この間、少し不安や感傷的な思いを持ったこともあるよう。

けれど、元気に出発して行ったよ。


年に一回か二回会うのはどこに住んでいても同じことだともいえるけど、

来ようと思えばすぐに新幹線に乗って近鉄乗って・・と地続きで来られるところと、

石垣島ではちょっと感じが違うのもその通りだ。

さっき台所で夕飯のメニューを考えようとしたら・・・

冷蔵庫に張り付いているホワイトボードに娘の字が飛び込んで来た。

東京に帰るのに持って帰るものをメモしてたみたいだ。

それを見るなり、何とも言えない思いがこみ上げて来て

そのメモをすぐに消してしまった。

見ると寂しくなる。

見なければ思うこともない。



まぁ、私たち、来年一月にはここに来るし、

多分来年の夏もここで過ごすことになると思うから、

寂しい気持ちも一時の事だ。

このひと月ちょっと、夫の方の小学生の孫や息子とその孫5才や

私の姪っ子や娘やその友人やらでホント賑やかだったからなぁ・・・

でもさっき感じた寂しさは娘が居なくなったことでだ。

どうしてそう感じるのか、振り返ってみた・・・

今回、娘にほとんど何も求めなかった・・・と思う。

娘は在りのまま、無理することなく、その時々の気持ちのままに

ここで暮らしていた、と思う。

そうさせてもらった 有難かった、と言ってた。

そう出来たのも夫も一緒に在りのままの娘を受け容れてくれたからだ。

でもまぁ、今までもいつも夫の方はそう在ってくれたんだけれどね。

私は娘の問題ばかり見えてしまって、

どうしたら解決できるのかと一人で無駄にあがいていたよう。

それが無かったんだなぁ・・と思う。

その時その時の娘に問題を見つけなかった。

一般的な常識から見れば、問題もあったのかもしれないけれど、

私が問題にしなければ、問題は無いのだ。

これでいいのだ~

これからもこういう心でどこでもやっていきたいよ。









ウニを蹴った!

2016-08-18 16:05:07 | 日々の暮らし・思い出
歩いてすぐの海で泳いだ。

東京の娘が来ているので一緒だ。

岩場で潜ると岩にウニが結構いるのが見える。

魚も泳いでいる。まぁ、海だから魚は居て当然なんだろうけど、

感動する。

自分が水族館の水槽の中を泳いでいるみたい。

こういう感想は海に潜るという経験をしてないからだろうね。

この地に暮らして11年目の夏に初めてこんなふうに潜った。

今までは小さな孫と一緒に波打ち際で遊ぶとか、

少し沖の方まで泳ぐくらいで、岩場には行ってなかったんだ。

こんな近くにこんなふうな知らない世界があったんだと感動。

実に豊かな所だ。

だがだが、岩に張り付いているウニを泳いでいる時蹴ってしまった!

痛い痛い痛い。

ウニのとげが8カ所足の親指付近に刺さった。

とげが皮膚に入り込んで切れている。

娘もこの前同じように刺され、ネットで調べたところ、

ウニのとげは酸で溶けるので酢に浸すとよいという情報があり、

娘もそうしてよくなったので私も。

それでも数日は痛いだろう。


寿司屋に行けばウニなんぞはあがめられるようであるが、

それを蹴ったのだから、いい気味だ、よかったということにしようではないか・・・

何がいい気味で何がよかったんだか・・・わからないことではありますが・・


郷愁と人生の最期・・今・・

2016-08-15 18:44:27 | 日々の暮らし・思い出
この前、郷愁の念のことをここに書いた。

郷愁のような気持ちって人生の最期もそんなふうに思うのかなと思った。

友人とそのことをメールで話して、聞いて、

郷愁を持ってしまうことはなんか人生に後腐れがあるような感じもしてきた。

最期にそんなふうに思うような人生ってどうなんだろうか・・・

残念なことなんだろうか・・・

郷愁だけではないといいなとは思う。

ここでの10年間当たり前にあったこの美しい自然。

今まで住んでいたどこよりも美しい・・・

海に沿った道を歩く時、いつもいいなぁ、きれいだなぁ、

すごいなぁ・・って、

賛辞の語彙の少なさには自分でもイヤになるけれど、

10年過ごしても見るたびに感動してた。

感動してたからこそ、ここを離れることに並々ならぬ感情が湧く・・・んだろうか・・・

そう考えると、人生の最期に郷愁を覚えることは

それまでの人生に感動していた、と考えてもいいんだろうか・・・

石垣で暮らすことは自分で決めたことで、

迷いは全然ないんだけど、

やっぱりいきなりここを離れることになったから、

持っていたものの大きさにびっくりし、それを失うことにセンチメンタルになるんだ。

・・・すると、人生の最期の時をいきなりでなく、

あぁ、もうじきだなぁ・・・とゆったりとした気持ちで迎えられたら、

センチになるのでもなく、深い満足と感動だけ・・・かもしれないなぁ・・・・

いや、そうだといいなぁ・・・

そうなるように、なるといいなぁ・・・

そう考えると、人生の最期はやっぱり、今だ。

今を十分に生き生きと生きることだねぇ。


こういう事を考えるのはつまらないことではないなぁ。







「リオ五輪で楽しみにしている競技は?」・・・なんだけど・・

2016-08-06 09:37:53 | 日々の暮らし・思い出
それがないんだよ~

ナニソレの競技を楽しみにしているしていない、の前の、

五輪自体に興味がわかないんだよ。

どんなことでも楽しみがある方がない方よりいい気がするけど、

誰かが五輪を楽しんでいる時、

他の誰かは他のことをして楽しんでいる、ということもあるから

まぁ、なんでもいいということだ。

五輪を楽しみたい人はどんどん楽しめばいいし、

他のことを楽しみたい人はそれをどんどん楽しめばいいんだろう。

まぁ、こんなこといちいち書くこともないけどね。アハハ・・・



この山この空・・・

2016-08-02 14:38:29 | 日々の暮らし・思い出
畑に行く。畑に入った途端、イチジクの匂いがやって来る。

この木はどこまで伸びるんだろう??というくらい、

ぐんぐんぐんぐん大きくなっている。

今年はずいぶんと大きな実が取れた。

来年はどんなふうになって行くんだろう・・・

梅、夏みかん・・・・この畑で楽しんできた。

梅の木の下で義父と夫と短大に入る前の娘でお弁当を食べたっけ・・・

茗荷がたくさん採れたこともあったっけ・・・

10年暮らしたこの家にも思い出はあるけれど、

畑の思い出は特別だ。どうしてなんだろう??

庭や畑には特別な気持ちにさせるものがある。

自然のもの、それだからなんだろうか・・・

夏みかんの木や梅の木、私が挿し木したアジサイ、バラ、ハコネウツギ・・・

どれもが成長して姿を変え、年月を感じさせるから・・なんだろうか。

畑から上に目をやると広い空と山々。

山と空だけでその他は何も見えないこの風景。

この山この空をしょっちゅう眺めていた。いる。

今まで何度も何度も何度も引っ越しをして来たけど、

そこを去る時にこんな感慨を持つことはなかったように思う。

来年の夏もここで過ごすかもしれないのに、

これからの新しい暮らしもすごく楽しみなのに、

しみじみとしてしまう。

こんなふうにしみじみとしたことなんか一度もなかった。

年齢のせいだけとは思えない。

いや、こういう自然の中に居てもそこを去る時が10代や20代だったら

こんなふうには思わなかったかもしれない。

やっぱり年齢がそう思わせるのか・・・

近くに山も海も畑もない土地を去るのであっても、

この年齢になると郷愁のような思いはわいてくるものなのかなぁ・・・

でも、今までにない感情感覚が出て来るのはいいね。

新しい体験だ。