ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

見つかったよ。

2014-08-31 21:40:58 | ひとの幸福
友人が来ていろいろ話した。

とてもいい機会だった。

話すのはいいなぁ。その時の自分がぴょんと出た。

その話を終えて、ちょっとして、別の話をしてる最中・・

アレッ・・!?

なんだ、さっきの自分!

自分がそれを話した時の気持ちが観えた。

すごく恥ずかしくなった。

ひとがしてることをこういうことだと決めて、否定してる、

上から目線の偉そうな気持ちだった。

それを見つけられて本当によかった。

そんな気持ちが在ったのに、在ったことを知らないでいた!

知らないのは無いのと一緒だから、

ずっと偉そうにしてた。

恥ずかしい。そしてごめんなさい。

大いに反省してる。

でも、見つけられて、とても嬉しい。

やっぱり、普段と違うメンバーと話すのは本当にいいね。

それも気を使うことなどない人に。
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砂上の楼閣

2014-08-30 10:09:37 | ひとの幸福
ひとに起こるいろいろなことは本人の気持ち含めて、

たくさんのことが相まって今はこうなっている。

ちょっと今、何かが起こったら、変わる可能性なんてすぐにある。

それは誰にとってもそう。

この前の広島の災害だってそうだ。

その時までその場にいた人は暮らしが変わるなんて思ってなかった。

それほど大きな事でなくとも。



人生は強固な地盤の上になんて無い。

みな、砂上の楼閣といっていい。

そういうものだという覚悟があれば恐いものなんか無いのかと思う。
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「軽転」

2014-08-29 11:10:05 | 日々の暮らし・思い出
ここのところ心が不調だった。

私にしては暗かった。

だいたいいつもこころ元気だからね。

・・・と、書くところを観るとそこから脱出したということなんだ。

いろいろとぐちゃぐちゃ思ってた。

ひとの事を聞いて、それを夫と話していて、

その人のことは自分のことと同じなんだと思ったのが

軽転(私の造語・気分が軽いものに変化すること)のキッカケだった。

この造語なかなかよろしいなぁ。

陽転という言葉もあるけど、これは医学用語で

反応が陰性から陽性に転ずることという意味のようだし、

躁うつ病、今は双極性気分障害というらしいけど、

それでは気分がハイの時期になったことを言うようだからね。

軽転と重転。これ、いい。

こんな下らないことを書いてるのは気分が陰性じゃない証拠だねぇ。

重転は避けたいよ。

下らぬ一つの思いを持ち続けると重くなる。やばい。

やばいと思ってもそこから抜け出せないことがある。

気分転換したりしてたけど、それが今回はキッカケにはならなかったよ。

夫との会話がキッカケでいろいろ思って、それがよかった。

と、まぁ。


「ま、いいか」この言葉をブログでもよく書くことあるけど、

本当にそうだ。

済んだ(過んだ、これも造語)ことを「ま、いいか」と受け止めると、

次の展開が早く、そして軽い。

在りのままでぇ~♪ やって行く。

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わざとらしさ

2014-08-20 11:17:09 | 日々の暮らし・思い出
人をなんとかして笑わせようとか、何かさせようとか、そういうのはわざとらしい。

今、広辞苑を見たら、「態とらしい」と書くんだって。知らなかったよ。

意味は『いかにも不自然で意図してたようである』。

『態』の意味は「すがた。かたち。様子。ふるまい。」だから、

それに「らしい」が付くのは本当はその姿、かたち、ふるまいではない、

偽物だということなんだろうね。

ほんに言葉は面白い。


ひとは“わざとらしさ”というものをイヤだなぁと思ったり、反発することが多い。

それは自然であることを求めてしまう人間の本質から来るもんなんだろうなと思う。

十代の頃、紅葉を見に行くという意図があっての旅というものを嫌悪してた。

今なんか、紅葉を見に行く、いいなぁって思ってるんだけどね。

若いというのは本当に潔癖というか、とんがっているもんだ。

紅葉を見て感動したいという予めの意図があっての喜びはけしからん、と思ってた。

たまたまそこへ行ったら、山が紅葉していて感動した、

というのがあらまほしい姿である、なんて思ってた。

今思うと、それはわざとらしさとは違う気もするけどね。

でも、そんなふうに、一番人に対してイヤだなぁと思うことは

わざとらしさ、だったよ。

すごく無意識的だったけど、無為自然というものを求めていたんだろうねぇ。










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自主性を邪魔するもの

2014-08-20 10:36:04 | ひとの幸福
家に来た「やんちゃな子」についてのエピソードを昨日書いたけど、

もうちょっと考えたいので書くね。

小学3年生の女の子が自分から私にふざけてパンチをして来たのは、

(私から)何の働きかけもないという働きかけがキッカケだったかと思った。

それは、自分が自分の行動のキッカケを作りたい、

という気持ちを引き出したんじゃないかと思った。

子どもが親から「~しなさい」とか声かけられると、

・・今、しようと思ったんだよ・・言われるとやる気がなくなるよ~

・・なんていう展開になることがある。

まぁ、子供でなくても人にはそういうところがある。

親から声をかけられたというキッカケであっても、

それをしようと意志するのは その子供なんだけど、

そうしようとなるキッカケは自分でつくりたい、というのがある。

自分の気持ちをキッカケにしたい、というのが強くある。


『自発的』という言葉がある。

これは「自分からすすんでするさま」と広辞苑にある。

『自主的』というのは「他からの干渉を受けないで自分で決定して行うさま」。

そんなふうにこの言葉は日本で使われている。


何かを為そうと決めるのに、

そのキッカケを作るのは自分で在りたいという願望が人間にはある。

それが“干渉を受けないで“ということと関係ある・・・

干渉を受けることが自主的で在ろうとする人間に邪魔をする。

干渉さえしなければ、ひとは自主的に本質がそうであるように行動する。


女の子は私と遊びたかった。その意志を自分で行為に繋げた。

こういう事ばかりなら・・・誰からも干渉を受けなかったら・・・

人は主体的に人生を生きることが容易になるんじゃないかと思った。


前回小学2年生だった彼女と会った時に私は失敗したんだ。

すましてる彼女になんとか笑わせようとか、面白がってもらおうとか、

そんな干渉が基で何かの行為をしたことを憶えている。

そんなことがあったから、今年の私は昨日書いたみたいになった。

失敗したからこその出来事だった。






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やんちゃな子たち

2014-08-19 17:41:26 | 日々の暮らし・思い出
昨日、お盆がらみで親戚の小さな子供たちが来た。

小学3年生の女の子と1年生の男の子。

年に一度か二度くらいしか会うことはないんだけど、

会えるのが楽しみだった。

女の子は前回もそうだったけど、ずっとすましている。

下の子には去年会ってないから多分2年振りくらいかな。

すごく大きくなって、顔も真ん丸かったのがちょっと伸びて、

ヘアスタイルも今風なジャニーズ系。

その変化にびっくりして、いやぁ、大きくなって・・・なんて、

にこにこして 声かけたら、

そういう対応にちょっと嬉しそう。

まだ1年生だし、女の子と違って子供っぽい。

僕に声かけてもいいよ~みたいなオーラを発してる感じがしたので、

なんか声かけたら、すぐに乗ってきて、

テーブルにちょっと残ってたぶどうを見て、これ食べたいだの、

レッグマジックを見て、乗っていい?だの、

とても可愛らしかった。

レッグマジックに乗って、いろいろ動いてたんだろう、ちょっと目を離したら、

ドッスゥン!と音。

頭でも打ってやしないかとびっくりしたけど大丈夫だった。

近くに両親もいたけど、そういう騒ぎにも淡々としてた。

いいなぁと思った。

女の子はずっと弟や私の様子を見ているようだった。

そんな彼女を見てて、この子には強いて声かけない方がいいな・・って思って、

特に構わなかったら、

(もっと小さな頃は来ると一緒になって遊んだりしたことはある)

いきなり、私をパンチするような恰好をしてきた。

それにすぐ私も乗って、ボクシングの恰好をして、

パンチパンチ。

彼女もにこにこして応戦。

特に構わずに居て、よかったなぁと思った。

何故って・・・私になにか言わせようとしないで・・

私に何かさせようとしないで・・・

彼女からそんなオーラを感じてた私だった。

私が受けた勝手な感じだけどね。


彼らが帰った後、夫がやりたい放題だなぁと、

ほんのほんのちょっと批判っぽく言ったように感じた。

私が受けた感じよ、これも。

すぐに、そうだね、と相槌を打ったけど、

彼らの行為に対してなんにも思ってない自分だったことに気が付いた。

伸び伸びしてていいなぁとは思ったけど。

何年か前の私は、彼らのような振る舞いを、

わがままだと思っていたなぁと思った。

自分の見方が変わったんだなと思った。

それが知れて嬉しかった。



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おのずと記憶がなくなる・・・

2014-08-18 17:16:06 | ひとの幸福
最近、何かを探すということがあまりないような・・・

そ、そうでもないか・・・

ここのところは腰が不調だから畑に行ってないけど、

畑でハサミを見失う、どこへ置いたか忘れる、ということがなくなっている。

軽トラで郵便局に行き、帰りは歩き、という恥ずかしい出来事も二回で止まっている。

二回もするなよ~ なんだろうけどね。


「あ、アレ、しよう!」という思い付きをしょっちゅうするけど、

すぐにやらないとすぐに忘れるのは相変わらず。

でも、何かを見て、あ、そうだ、アレをしたいんだっけ・・と思って、

これまたすぐにやらないと又忘れる。

こういうのは緊急の事でもないから用件的にも構わないし、

しよう!と思いついても気が変わることもあるしで、まぁいいか・・


「忘れる」を広辞苑で調べると一番に、

おのずと記憶がなくなる。と、ある。

「おのずと」とは自ずとであり、自然に、という意味。

自然に・・という言葉は(自ずと・自分から)であるというのが凄いなぁ。

人から強制させられたりするのは自然の道に外れるのであるなぁ。

だから、忘れるのは自然なことといえる。

思ったこと、したことを全部憶えてるなんて狂気の沙汰だしね。

そういうのを忘れてるけど、

必要な時に潜在意識から取り出せるのが認知症になってない普通の人なんだろうな。

認知症ってのはそれが出来なくなっている状態か・・


忘れるのが認知症じゃなくて、

潜在意識と顕在意識を繋ぐパイプが切れてしまっている状態なんだ。

認知症がひどくなると、

ご飯の食べ方までわからなくなる。

ご飯を食べるとき、いちいち、右手で箸を持とうとか、

今、飲みこもうとか、

思ったりしてない。自然に行為してる。

こういうのは全部潜在意識に経験によるプログラムがあるから、

考えなくったって出来る。

車の運転もそうだ。

意識的にやるのは教習所に通ってる頃だけであって。


自分の意識を自覚してる状態というのは、

潜在意識と顕在意識を繋ぐパイプの通りがいい、という状態なんだろうか・・・


認知症は潜在意識にあるプログラム通りの行為行動ばかりしてると、なりやすい・・・

・・そうなんじゃないか。

これはこうするもの・それはこうするべき・そういうときはこうして当たり前・

こういうことはいつもこうせねばいけない・・・

そういう潜在意識に自動的に操作されてる状態ばかりだと、

今ここという常に新しい時空を生きてる顕在意識が自覚されなくて済む。


自動的に生きて、自分も周りも幸せで生きやすいならそれはそれでとてもいい。

車の運転や食事の仕方みたいに。

でもいつも、

(これはこうするもの・それはこうするべき・そういうときはこうして当たり前・

こういうことはいつもこうせねばいけない・・・)

ばかりじゃ、楽しくないし、なんで人生があるのかわからない。

過去の人として生きてるみたいだ。

でも、そのこと自体がいけないわけじゃない。


ここではこうするもの、という考えを今、ここで自分は選択する、

という自覚があれば認知症になりにくいかと思う。

いや、認知症にならないために生きてるわけじゃないから、

認知症云々は余計かもしれないけど、

自分の人生を主体的に生きるのは、

人生を生き生きさせることだもんね~


今という時代に認知症という病気がクローズアップされているのは、

これからの人間の在りように本当に意味あることなんだと思う。

いいチャンスなのかと思うなぁ。

なんせ4人に1人“なる”んだからね~

やっぱり認知症がらみで終わりました、この文章。
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思いだそう、思いだそう・・・・・・??

2014-08-16 09:32:51 | ひとの幸福
昨日、友人と一時間近くお喋り。楽しかった。

認知症絡みの話だったんだけど、面白かったわ。

テレビでの認知療法を扱ったドキュメンタリーの話を教えてくれた。

軽い認知症夫婦に、外出して帰って来てから、

その日の出来事を記録してもらうという療法の話。

この療法ではやる前とやってからの脳の画像が凄く違うらしい。

その日、何処で何をしたか、何を食べたか、どういう道順を通ったか、

それを地図で書くとか、思い出そうとする作業を二人でするんだろうな。

前もそういえば聞いたことがあった。

(忘れた)で終わりにしないで、とにかく思い出そうとする・・のがいい、とかの話・・・

でも、待てよ、この認知症療法では何をしてもいいそう。

写真を撮って来てそれを見て記録してもいいんだそう。

後で記録するための材料をその場でメモしてもいいんだそう。

カメラを使うとか、メモをするとか、どんなこともオーケーなのは、

後でその写真やメモを見て、

それを“思い出す”という経験をすることに意味があるのかもしれない。

(思いだそう、思いだそう)というのは結構大変だけど、

これだと自然に(思い出す)という意識作用が起こる。

(思いだそう、思いだそう)という意識作用は努力が要るし、苦難だよ。

経験あるわ。出来ればしたくない。

この療法だと努力などせずに楽しく脳が活性化するのかもしれない。

そうだよ、思い出す、というのは行為や行動じゃないんだから、

出そう、なんてウンコみたいなわけにはいかない。

まぁ、ウンコも出そうとする努力は辛いな。

あれも自然に出るのが一番。

ウンコも努力なんかいらないのがベストだわな・・


一日好きなことをして楽しく過ごすけれど、

その出来事を後で記録する、ということを意識している、

ということがきっといいに違いない。

自分がしている事に意識というスポットを当てている、ということだ。

なんせ後で記録しなくちゃいけない・・というのがあるんだからね。

認知症という病気が良くなるための有効的な治療方法。

認知症を治したいという意欲があれば、努力したくて努力する。

こういう努力はやりがいがあるもんだ。


俳句や短歌を作るという趣味を持っている老人は呆けない、という話を、

認知症が注目されるよりずっと以前から聞いたことがあるけれど、

これも同じことだろうと思う。句を作りたいと始終思っていれば、

周りの出来事や自然の姿に接した際に発生する

自分の気持ち、心、意識に常に注目しているからね。


結局のところ、自分の意識を自覚している時間というのは、

もう一人の自分がこの世の自分を見つめている時間かなぁ。

あぁ、こんな時こんなふうに思うんだな、こやつは・・ふむふむ・・とか。

その、“もう一人“を見失ってしまっている時間が

年月的にも長いと認知症になってしまうのかなぁと思うよ。

認知症が発病するには25年くらいの歳月がかかるらしい。

でも、軽いうちならこの療法や俳句を作るとか、

とにかく自分が思ったこと、自分がしたこと、を書くというのを始めれば、

どんどん脳は活発に動き始めるんだから、

過去25年間も夢遊病者のようで居ても大丈夫だわ。

これはかなりの朗報なんじゃないかな。

数独も脳の活性化にいいとか言ってるようだけど、もっといいかも。
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頑張り症の正体

2014-08-15 11:04:28 | ひとの幸福
一昨日、ほんの2,3回、腰が崩れ落ちそうな感覚がやって来ることがあった。

その時以外はほとんど正常に近い感じ。

なので、食事の支度を「やらなくちゃ・・」と観ている。

私がやらなくちゃ、来客向けの体裁のいい食事は用意できない、と観ている。

こう書いてみると・・・

私がやらなくても、客も家族も食いっぱぐれることはない。

ぎっくり腰をやって間もない私がやることの方が客に気を使わせるかもしれない。

私がやらなければ、普段は苦手でも夫はやってくれるに決まってる。

私や夫がやらなくてもスーパーに買いに走ればいろいろ用意できる。

・・・こういうことがわかる。

そして、これがわかると・・・

如何に、他者がこうだろうと勝手に思ってるか。

・・・ということがわかる。

こんなふうに頭がすっきりすると、気持ちも本当に楽になる。


ひとが無理しないでねとか言ってくれるのは

その言葉の奥にある優しさを感じられるから嬉しいもの。

けど、自分で自分に無理しないようにしようと決心しても

ついつい長年のモードに突入してしまう。

「そうしないように、しよう」なんて思考が

その実現に寄与する可能性は量子力学的にも低いからだろうかなぁ。

「そうしないように、しよう」という反面教師は教師としては二流かもね。

子どもの習字の練習に下手糞な字を見せて、

こう書かないようにしましょう、なんてのがナンセンスなのと一緒だ。

それに「~しよう」とは未来の行動についての思考。

その思考を使ってる限りそれをすることは今じゃなくて先のこと。

今ここは「する」のみだ。

こんなの理屈だ、なんて声もあるかもしれないけど、

理が頭にきちんと入ることはとても大事なことなのかと思う。

本当に役に立つ。

知って、体験して、体験した時の感情を感じる・・・

この三つが揃うと本当に楽に生きられるのかと思う。
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頑張るわたし

2014-08-14 13:08:33 | ひとの幸福
つい、安倍さんの話を思い出したりなんかして・・・

日本の幸福状態といえるものがどの国にとっても幸福状態になるのでなければ、

それはホントの幸福じゃない。

自分だけ、我が家だけ、この県だけ、この国だけ、という幸福は、

永遠の幸福状態というものに繋がらない。

そうならない一番の原因はやはり、

無意識的に働く、自分さえよければいいという考え方だなぁ・・・やっぱり。

安倍さんも自分さえよければいい、なんて顕在的に思ってるわけじゃないだろう。

そう思うし、そう書くけれど・・・


自分さえよければ・・って、自分さえ得をすれば・・・

自分さえいい思いをすれば・・・

っていうようなことを思いがちだけど、

私の頑張り症なんかもそのうちかと今、思った。

無意識的に働く、私がやらなくっちゃ・・という、

その時の“やらなくっちゃ”思考を他の人の考えより、何より優先させてる。

この我が家で誰もやれなんて強制してないのに、

無理するなと夫も義父も言ってくれるのに、

ついついそうなってしまう時がある。

“やらなくちゃ”思考は決して、「いい思い」じゃない。

結構「しんどい思い」だ。


良くも悪くも自分のことしか考えないことの続きは、

広がらない。固まったまんまだ。


がんばりしょう・・と変換キーを叩いたら、

「頑張り症」と最初に出たんだよ、「頑張り性」じゃなくて。

私の事わかってるのかしら!?このパソコン・・と思っちまったよ。
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温泉パンが届いたよ

2014-08-14 10:11:22 | 日々の暮らし・思い出
温泉パンが数日前に届いたよ。

懐かしい味だった。

うん、変わりなく美味しかった。

材料欄を見ると好きじゃないショートニングなんかも入っていたけど、

いいや・・と思った。

いろんな按配でそういう好きじゃないものが入っている物を

買わないときもあれば、買うときもある。

しょっちゅう食べるわけでもないし・・・

これ、食べたいし・・・

その時の気持ち気分、財布の具合、体調、家族の按配、

いろんな条件が一致しての、そのときどきの行為になる。


そこで生地をこねて焼いて売っているパン屋さんでも、

大手メーカーのスーパーで売ってるパンと同じに

添加物なんかを入れているんだぁって、表示見て思ったことがあった。

温泉パンもそうであった・・・

うちでホームベーカリーで焼くのはそういうものは入れない。

入れる気もないけど、そういうものを手に入れる方法も知らない。

パン屋さんで売っている微妙に美味しいパンは

そういうものが入っているからということもあるのかなぁ。

勿論、そういう物を入れてないパン屋さんもあるだろうけど。


もうじき米粉パンの材料米粉がなくなる。

あれは本当に気に入ったので、またネットで注文しようと思う。

好みだけど、わたし米粉パン大好き。

こんなふうに人によって好みが違うということは凄いことだなと思う。

この世界が豊かで素敵で深くて当たり前で凄いことの理由は

一人一人が全く違う持ち味を持っていることだ。

持ち味という言葉は昔憶えたものだけど、

個性というより、好みというより、性格というより、

持ち味という言葉は深いなと思う。

持っているものはそのときどきで違うこともあるし、

常に持ってあるものもあるだろうし、

味というのは感じるもので、その持ち味を感じる相手もあるだろうし、

感じない相手もある。

その相手もそのときどきで感じたり感じなかったり・・だろうし・・

いろいろいろいろ相まっての持ち味だ。

えーっと温泉パンの事、書いてたんだっけね~
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人間、この未知なるもの

2014-08-13 10:18:27 | ひとの幸福
人間とは本来どういうものか、どのような本質を持っているものなのか、

知らないで居る。

そして、知らないで居ることを知らないで居る。

人間てのはこんなもんだよ、とかで止まってることが進歩を遅らせるんだろうなぁ。

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ぎっくり腰とダシの出きったはらわた入りの煮干し

2014-08-13 08:42:08 | 日々の暮らし・思い出
一昨日台風が去って、庭の水道辺りを片付けているときに、

来ちゃった。

腰痛持ちの私は畑に行く時は腰ベルトをして行き、

作業するときも注意して行う。

ちゃんと心の準備をして事を始めるのが常。

それが庭先でちょっと・・なんて感じで不注意な姿勢で動いてしまったのが間違いの元。

ギクッぅ!と稲妻が走ったよう。

あぁ!しまったぁ!

深い後悔。と共に反省。

子供の頃、みそ汁に入ってたダシ用の煮干し(はらわた入り)を誤って食べてしまったときの感じ。

深い後悔と反省。

ダシの出きったはらわた入りの煮干し、それが非常に苦手だった。

それを口にしてしまった時のなんとも言えない気持ち・・・

当時の我が家のみそ汁にはそれがそのまま入っていた。

それを食べる人もあったのだろう。


何故それがお椀に入っていることをちゃんと確認しなかったのか・・・

それを食べなくても叱られなかったし、

いつもはちゃんとそれを避けてみそ汁を口にしていた。

あぁ・・・と深く後悔し、共に反省したものだ。


事を行うときはこのようにちゃんと準備態勢を整えなければいけない。

傾向には対策を。

肝に銘じようではないか・・・忘れたくないよぉ・・


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数独その後

2014-08-08 11:31:05 | 日々の暮らし・思い出
数独100問ほど解いて、中級に進みました(^^)

初級の最後の問題に数日かかってしまった。

いや、朝から晩までやっているわけじゃないから、

数日といっても数時間だと思うけども。

何分間もそのマスに入れる数字が見つけられず、問題解き放棄時間も間にあったから、

その問題に初めて取り掛かってから数日になるわけだ。

それを昨日また取り組み、出来た。

出来たぁ!と一人叫んだけど、それは出来た喜びじゃなくて、

出来るようになったすべを知れた、というか、

解決方法を知ることができた喜びなのかと思った。

問題が難しくなるとそれまでの方法だけでは行き詰ってしまう・・・

そんな感じだった。

もっとよくできる人から言わせれば、

え、なんで!?というようなことなんだろうなと思うんだけどけどね。


世の中のどんな問題も解ければいいんだけど、

解けても、なんで解けたのかわからないと又同じ問題にぶち当たる。

数学でもコレコレこういう過程で、

こういう答えが導かれるのか!という発見が嬉しいもんだ。

コレコレこれがこう“なる”から、あれがこう“なって”・・・

そのプロセスを知るとどんなに難解な問いでも解けるはず。

算数でも社会問題でも解ける基本はそういうことなんじゃないかなぁ。


解ける 溶ける 融ける 説ける 梳ける(髪を)

・・これみんな、とける だけど、

日本語というのは凄いね~

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「もし、仲よくしてる人が誰かに襲われても、放っておく気かっ!」

2014-08-06 17:09:41 | ひとの幸福
「あいつがいきなり攻めて来たらどうするんだっ!」

「もし、仲よくしてる人が誰かに襲われても、放っておく気かっ!」

実際、いきなり誰かが自分の家に押し入って来て、

家族を殺そうとしたら、そりゃ、何もしないわけがない。

家族が殺されていいわけがない。

それとか、「出窓に柵がないっ、もし、子供がそこに出て落ちでもしたらどうするんだっ!」

・・こんなふうな事前防衛思考は人の弱みに付け込む。

出窓から子供を落としたいなんて考えてない人は

そんなこと言われるとそりゃそうだ、となりやすい。

でも、ちょっと待って、と言いたくなる。


人から危害を加えられそうになった時に、

さっと本能的にそれを防ごうというのは人という生き物が当然することだ。

その事と、

まだ起こってない事をさも起こるかのように脅して、

防衛を納得させるのは次元が違う気がする。

人を怖がらせたり心配させたりすることが基でのやり方って如何なものかと思ってしまう。

ひとはそんな考えでは動きたくないものなんじゃないのか・・

こうなりたい、こうなりたい、と思って動く方が幸福なんじゃないのか・・・





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