ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

小さな子ども

2012-10-28 16:27:24 | ひとの幸福
自らやりたい。小さな子どもはよく「自分で!自分で!」と言う。

命令されることを嫌がる。自由にやるのが好き。

自主的、自発的にやるのが好き。

抑え付けられるのを嫌がる。

美しいもの、変わったもの、珍しいものを喜ぶ。

不安感情なんて湧いて来ない。

子どもが・・こんなふうだということは、

ひと は 生まれながらにそう成っている、 

・・と言えると思う。なので・・・

「~しなくてはいけない」という状態になると、窮屈な気分になる。

抑え付けられている感じがする。

人間というものが元々「~しなくてはならない」という思考をするものとして生まれたら、

そういうふうに思ったときに窮屈に感じないはず。

当たり前のことに人は動揺したり、抑えつけられる感じはしないはずと思うから。


子供の目

2012-10-28 15:45:59 | ひとの幸福

このことはこういうことである・・・

こういう場所は危ない所である・・というような見方を、

子供は体験を通して学ぶ。

大人の行動とそれをするの時の大人の顔付き、雰囲気、様子をセットで観察する。

そういう経験で見方、分別を体得していく。

体得とは多くの経験でこれはこういうことである・・というような見方が自然と身に付くことである。

大人が楽しそうに仕事をしている様子を観れば、仕事とは楽しいものだ、

という仕事観が潜在意識にインストールされるし、

真剣にしている様子を多く観れば、仕事とは真剣にするものだというのもインストールされるだろう。

面白そうにしていたら仕事って面白いもんなんだと潜在意識に刷り込まれる。

仕事は大変だ、うんざりする、という大人ばかり観たら、

仕事はうんざりするものだ、になるのも仕方ないことだ。

人生を楽しんでいる大人を多く観た子供は幸福になるだろうし。

すべてそれらは自動的な反応になる。

人生は楽しいもんだよと口を酸っぱくして言っても、

内実がなかったら、言葉だけあっても屁の役にも立たない。

子供の目に限らないけど。


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そのまんまでいい世界

2012-10-28 15:01:40 | ひとの幸福
なかなかタバコを止められない人。

朝が苦手で起きられない人。自分で食事を作れない人。人の悪口ばかりいう人。

コレをしてないと安心感がない人。コレコレこういう物だけ食べる人。

ナニカをしたくない人。したい人。何でも食べられる人。

なかなか色々と出てこないけど、世の中にはいわゆる苦手・欠点・癖・タチ・・・があり、

誰でもみんな不完全だ。得手不得手がある。完全な人なんていない。

でも皆、全くそのままでいい。変えようなんてしなくていい。

こうでなくちゃいけない・・なんて無い。

こうでなくちゃいけない・・があるから世界はおかしく“なる”

これは量子力学理論であきらかだ。

どんな人のどんな行為もそのままでいいと受け止められ、

一人ひとりが機嫌よく生きられる世界。

そうだったら、犯罪行為なんかする人は居なくなる。

そういう行為は否定されたことによって起こる、満たされない思いが積もり積もって出て来るものだから。

そんな人がたくさん居たら、各人の足りないところは自然と補い合えて、みんなで一つ。全体。

頑張らないし、がんばる必要なんかこれっぽちも無い。

在るものだけでやっていける。無いものねだりなんかない。

ひとが自他の在りのままを否定肯定なく観られる、そういう人に成り合うことで、

そういう世界は創られる。

一人一人がそう観ることが出来るようになることで世界は変わってゆく。

気持ちが満たされたら、関心はよりよい自分へと自然に向かう。

自然と世界は良く“なる”


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感謝

2012-10-28 14:46:49 | 言葉
「感謝」という言葉は動作や行為を表わす言葉じゃない。

心の働き、認識を表す言葉だ。

感謝の気持ちが表現された動作や言葉はいろいろとあるだろう。

お辞儀やら「ありがとう」やら。

感謝は意識を表わす言葉であって、

動作・行為そのものを表わすものではない。

本来、「感謝するべき」という言葉遣い(思い)はおかしなモノと言わざるを得ない。

「するべき」の「する」という言葉は、

目に見える行い・動作を表現する動詞である。

気持ちは“する”ものではない。

気持ちは目には見えない、在るもの・起こるものである。

日本語というのは『理としての心』を表現している言語かと思う。

「言うことをききなさい」・・・これが云っていることは・・・

意味的には大人が子供に、言っていることをやりなさい、という意味で、

相手が言っているその事柄をやるという気持ちになって聴くという、

相手と一体の心になるということを云っているのだろう。

「私は私とあなたに分かれた片割れである」・・この言葉は、

月本洋教授の「日本人の脳に主語はいらない」という本にあった。

この本は本当に面白いよ。


「ありがとうって言って」

2012-10-28 11:06:09 | ひとの幸福
イブが私にナニカをしたとき、「ありがとうって言って」と言った。

少し驚いた。人に「ありがとうと言わせたい」というプログラムが既に出来ている。

それまでイブが何かをしてもらった時に、

周りは「ありがとうは?」と何度も言って来たのだろう。

ありがとうと言わせようとして来たのだろう。

その成果が見事に出て来ている。

イブ自身が何かをしてもらった時に「ありがとう」と言うこともそうだろうが、

・・と書いたけど、これは周りがひとに「ありがとう」と言っているのを観て、

真似ているのだろう。言わせようとしたので言うようになったわけではないと思う。

イブがひとに何かした時に、人に「ありがとう」と言わせようとしている。

子供は大人の“言う通りにする”のではなく、大人の“するとおりにする”。

観察して真似る。

こうして、役立ちたくて自分がやりたくて頼まれもしないで行なった行為に対して、

ひとから感謝の言葉が無いと言って腹を立てるようになる。

争いの元を生むようになるように子供を育てている。

シツケと称して。