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ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

不愉快になる場合

2012-10-17 15:23:57 | ひとの幸福
(そんなこと なんでやらなくちゃいけないの!)

・・というような思いが浮かぶ時は必ず気分が不愉快なもの。

どういう状態のときにこう思うのか?・・・

それをやることにガテンが行かない場合、なんじゃないか・・・

ガテンが行かない・納得できない・なるほどと思えない・・・

そう思うことにはやる気が起きないのは誰しもかと思う。

人は誰も、有意義なことをしたい、と思ってしまう。

何の意味も認められないことをするのは苦痛だ。

ひとは元来、誰でも役立つことをすることに喜びを感じてしまうように出来ている。

(なので穴を掘っては埋め戻し、又穴を掘るというような刑罰が

一番服役者に苦痛を与えるという話を聞いたことがある。)

このことから考えられるのは、

ひとはそれが自他にとって役立つ・有意義と認められる場合だと、

やらねばならないという思考ではなく、

やりたいという思考に自然となる、ことを示している。

有意義だと認められても、凄く疲れていたら、なんでやらなくちゃいけないのか?が出てくるが、

それは「今やらねばならないのか?」ということだろう。

疲れがとれてからならオーケーとか。

状況が許せばオーケーとかもそうだろう。

ナニカをやれと言われた場合、状況に関係なく、ガテンや納得が行かない事には、

ひとは「やらねばならないのか」を発するもののようだ。

自他にとって意味のある、ガテンの行く、なるほどと思う、ことなら、

ひとはやりたい気持ちになるもの。

それが自然の姿なのかと思う。

それが人の心にナニカがあって、それを止めてしまうことがあるようだ。




共感のしどころ

2012-10-17 10:39:41 | ひとの幸福
イブが保育園に行くのに、保育園に関係ない物を持って行くと言って、叫んでいる。

母親は「そうだね~、持って行きたいよね~、でも・・・」と言っている。

イブは共感して貰った喜びなど無い様子。

火に油を注いだよう。

育児書の多くに共感が大事、と謳われている。

それでやってみて、やりっぱなしじゃなく、よく観察することが大事。

この場合逆効果。

「あいつを傷つけたい!」「あいつを殺したい!」に共感したらどうなるか・・

そうだよね~、殺したいよね~

と言ってるのとこの場合同じことかと思う。

何を共感するのか・・と今までも書いたかもしれないけど、何を書いたか忘れた。

保育園にコレを持っていくぅ!と叫ぶように“なっているそのわけ”に共感することが、

ポイントなんじゃないか、と思った。

娘が言うには赤ん坊を産む前、自分が保育園に連れて行ったときは、

行きがけにこんなふうになることはなかった、と。

今は二階に住んでいる姑さんがイブを連れて行っている。

さっき、姑さんがイブを連れて行く途中で、

お母さんがいい、お母さんと行く、とイブが言ったそう。

アダムが生まれてから、この発言は初めてのようで、

イブは母親と保育園に行きたい気持ちを無意識のうちに抑えていたのかもしれない、と思った。

ぐずりはそういう気持ちが表現を求めていたのだろう。

保育園に関係ない物を「持って行くぅ!」の言葉の裏には、

お母さんと保育園に行きたいという気持ちがあったのだろう。

共感て、それに共感することであって、

保育園に関係ない物を持って行きたい・・に共感することじゃないのだと思った。

大人でもイライラやぐずぐず、腹立ちになる、その元に共感して貰うことで、

救われる気持ちになることはあるだろうと思う。

それは“そうなっている”心の状態に共感することなんだと思う。

傷つけたい、や殺したいという言葉の奥に、その人のそうなるべくしてなっている心がある。

その傷ついた心が癒されなかったら、(共感されなかったら)

表現である行為や行動は変わらない。

共感で癒されるのは人が人と共に存在するもの、一体で在るものだからだろう。