ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

ボタニカルアート

2023-10-26 19:03:26 | 日々の暮らし・思い出

ボタニカルアートの教室へ行って来た。

来週3日間、駅のプチギャラリーで、

私も仲間に入れて貰ってるグループが展示する事に。

私にとっては初めての公開というか、

何処のどなたか知らぬ人の目の前に私が描いた絵が晒される、

わけなんだ。

まぁ地理的にそれほど、と言うか、かなりと言うか、

すぐ目に付く場所じゃないから、

新聞社が来ることもないであろう。アハハ。

 

だが、生まれて初めての体験だよ、こういうことが。

その日その場で自分がどんな気持ちになるのか、、、

大いに楽しむことにしよう。

 

 

 


篝火の、篝

2023-02-18 13:55:52 | 日々の暮らし・思い出

本の中に 篝火 という文字があった。

篝火 で思い出す。

産まれた私の名前にこの篝火の篝という名前にしようかという話があったそう。

突拍子も無い名前だと反対されて今の

ナンタラ子にしたそう。

ナンタラのの意味もいいとは思うけど。

篝 という名前を付けたかったのは父だったか、母だったか、

忘れてしまったが、母ではないような気がする。

母 という人がどんな人だったのか、私から観えた母は

あまり決めつけのない人ではあった。

相手がどうだろうと、合点が行かないことがあると、

ストレートにその相手に

容赦なく抗議、反論する面もあった。

そんな母のエピソード・・・

自宅の隣が近くのパチンコ屋さんの駐車場で、

そこに暴走族みたいな若者がエンジンを吹かして

大きな音を立てていた時、それを聞いた母は飛んで行き、

その音に負けずと大きな声で、それをするなら自分家の前でやれ‼️

というようなことを叫んでいた。

彼らは出て行った。

もう一つよく覚えているのは、

我が家は大きな通りから少し入った所にあって、

その大通りからの入り口に車を止められたことがあり、

我が家からその大通りに出られないことがあった。

それがわかった母はその車の主に出られないじゃないかと

腹立ちを込めて言ったからだと思うが、

乗っていた若い二人連れは怒り、この糞婆!と叫んだのだ。

それに対し母は一段と怒り、

あんたらも年をとれば糞婆や糞ジジイになるんだ!

そう言ったのだ。

その2件目撃した。

私は母が逆恨みされるのではないかと心配して、

追いかけて行ってそれを見たのだ。

そういうエピソードを持つ母が

「篝」などという言葉を思うわけがないと思う私だ。

でも母は読書好きという一面もあった。

父はわけのわからない元非行少年の大酒飲みの飲んだくれ、だった。

気が弱いのか、善悪に関心がないのか・・・・

常識に囚われない面もあった

私がまだ小さな頃、新聞沙汰にもなったことがある位だ。

そのくせプライドも高くて、

よくわからない人だった。

そのどちらとも篝などという名前を思いつく感じがしない。

もし私が戸籍上、篝 と名づけられたとしたら、

どんな人生になったのだろうと夢想する。

篝火 とは輝り という意味があるそうだ。

どんな名前だろうとそんなことは人生と関係ない、、、

と言う人も多いとは思うけれども、

そうとも思えない私だ。

人生の始まりより終わりの方にずっと近いこんな時に

こんなことを考えるなんてアホらしいとも思うけれど、

夢想するのも面白い。

篝 

かがりさん、なんて呼ばれたら

きっと、かなり、多分、幾らかは、、、

全く違う人生になってた、、、

なわけないか、やっぱり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


自己嫌悪

2023-02-10 16:30:42 | 日々の暮らし・思い出

自己嫌悪に時々なる。

自分を好きじゃない心境になる。

以前は自己嫌悪になるとかの話を他者から聞くと、

自分を好きじゃないなんて、どういうことかわからなかった。

その時点でそのようでしかない自分を嫌いなんてことがあるのか?

そんな感じだったのだと思う。

今はその嫌いさがよくわかる。

どういう時にその状態になるか。

こう在りたいという無意識的な願望に反している自分

が、現れている時なんだと思った。

うん、そうだ。

昨日だか、ボタニカルアートの教室から帰宅して、

直ぐに家事をいろいろして多分かなり疲れ、

少し座って休めばいいのに、自分勝手にやり続け、

ずっと座っている配偶者にイラッと来て、

テーブルに置いてある鍋敷きを乱暴に取った。

多分、如何にも私は怒ってるんだ!風が彼にもわかったろう。

それをした途端に自己嫌悪に。

自己嫌悪くらいしんどいものはない。

この自分でしか生きてないのに、その自分を嫌悪するなんて。

疲れたら休めばいいのに。

休める状況は充分あるのに。

声を掛けたら配偶者はすぐに何かしてくれる人なのに。

それをしなかったのは私。

それをしなかったのは私。

イライラした、そんな自分は嫌い。

気分悪さは自分が作っているのに、

加害者でもない配偶者に嫌な思いをさせてしまった。

そんなこと、したくないのに。

 

何でもやりたいことは直ぐにやりたい、がある。

そして、直ぐに一人で頑張ってしまう自分になってしまう。

何故こんな自分になった?

一体誰によって?

一体何によって?

DNAのせい?

遺伝子のせい?

持って生まれたもの?

いつも自分より周りの人のことを優先しなさい、と

教育された?

そうだとしたら、その教育に反発しなかったのは誰?

多分全ての過去と、持って生まれた性格?持って生まれた何か他のもの?

、、、こんなこと考えてしかたないね。

やめよう。

 

自分が〜こう在りたい、のがあるなら、

それを常に自覚することしかない。

疲れた位で吹っ飛んでしまう自覚なら、その程度のこと。

それなのに、

〜こう在りたい、、がしぶとく在る。

無意識的に。

それが無ければ苦しむ事はない。

なのに、それは無くなることが出来ない。

どうして???

 


軽い肺炎に

2022-10-21 15:28:16 | 日々の暮らし・思い出

風邪にしてはなかなか治らないなぁと、

近くの大きな病院へ。

朝9時頃から夕方の4時位までかかったよ。

幾つかの検査をして、あとはひたすら診察を待つのみ。

怠さが増した気がしたよ。

で、軽い肺炎と診察された。

抗生物質二種と風邪薬、痰が出やすくなる薬、喉痛用の薬などを処方された。

2日ほどで熱は下がったけど、怠さと痰はずっとある。

あ、いま、怠くない!と思う瞬間はあるのだけど、

少し経つと、う〰️ん、、怠い、、になる。

今までの人生でこんなことは初めてだよ。

周りからは「もう年なんだから・・・・」。

そうなのか、年をとるとこういうことになるのか・・・

♪もう若くないよと〰️♪なのか。

 

怠いというのは不便なものだ。

パッパっと動けない。

あれもやりたい、これもやりたい、という気持ちはあるのに、

身体がそう動いてくれない。

いや、動こう・・・になる前に、

動きたくない・・・という気持ちがやって来る。

痰を出したいという欲求、

トイレに行きたいという欲求、

横になりたいという欲求、

薬を飲むために食べようという欲求、

一番、病気!!!!という時の欲求はこれ位しかなかったなぁ。

今はピークを過ぎているから、食欲も出て来てくれて、体重も戻った。

多分一番しんどかったとき、体重を計ってみたら、

こんなに短期間でこんなに体重が減ってしまうのか!!とびっくりした。

そして、食欲が出て来ると又あっという間に元に戻ることにもびっくりした。

人間の身体って本当に驚異の世界だと、こんなことで思った無知の私だ。

でも、まぁ、元気だけが取り柄の私には、いい経験になっていると思っている。

自分の身体について過信していたなと思ったよ。

それにしても、元気な身体が恋しいよ。

 

 

 

 

 

 


ボタニカルアート始めて・・・

2022-08-15 17:13:08 | 日々の暮らし・思い出

去年の末頃から、ボタニカルアートの教室に行き出した。

月に2回で一回6時間ほど。

何故そんなに長い時間なのか聞いたら、

水彩絵の具を塗ってから、乾くまで待って、

次にまた塗るという行程が多いからだという。

以前、ボタニカルアートの絵を見た時に、こういうのを描いてみたいなぁと

思ったことがあり、そのままただの憧れだったんだけど、

たまたま近くにその教室があることを知り仲間にいれてもらった。

絵を描くなんて何十年もしてない。

ボタニカルアートというのは、

とにかく写実的に描くものだそう。

正確に、脚色せず、そのもの通り、植物図鑑にある絵のように。

まだ色を塗るのは練習してるだけ。

鉛筆でその通り描くのを10 枚くらいかな描いた。

それが楽しいのだ。

気がついたら4時間位描き続けたこともある。

自分でもびっくりしてる。

楽しい。

集中することが楽しい。

なんだろう?集中することが楽しいなんて、

今までそんな表現したことあるか?

記憶にない。

面白いと思って本を読んで、そのことを楽しいと表現したこと私あるか?

読むということと、描くということ、の違いかもしれない。

本の文字を読む →感じる。何を言っているのか、何を伝えようとしてるのか考える。

ボタニカルアートは、植物を見る →その物をそのまま描こうとする。

考える、という事はしない。

ただただその通りに描こうとする、それがいいのか。

何が楽しいのか、自分に問うたことなんてなかったけど、

人から、ボタニカルアートやってどう?というようなことを聞かれた時に

集中するのが楽しい、という言葉がすぐに出た私。

よく見てその通り描く。何も考えずに描く。

それがいいのだろうなぁ。

 

 

 

 

 

 

 


空と木々と・・

2022-08-12 13:37:29 | 日々の暮らし・思い出
だいたい毎朝6時から近くの公園で太極拳をしている。

晴れの日の空や木々を見ながら身体を動かすのはいい。

見上げるほど大きな木を見るのが本当に好きだ。

特に空が青いと最高だ。

この公園は大きな欅が広場を囲うようにぐるっと何本もあって、

その広場で太極拳や体操をしている。

上を向いて手を動かすのが、太極拳の整理体操みたいなのにある。

それをしてるとき、青い空と欅のたくさんの枝が風に揺れてるのが見える。

いつものことなんだけど、本当に美しいなぁと感動する。

一緒に太極拳をしている友人はそんなこと思ったことない、と言う。

これを見て何とも思わない人がいるのか。そう思ったよ。

今住んでるマンションのベランダからは

少し途切れる所もあるけれど、180度山波が連なっているのが見える。

低い山が三層になってる上に富士山が晴れの日には見える。

ここの眺めは美しい。特に夕方。

南西向きのマンションなので、

夕陽が山並みから落ちる頃、何とも言えないオレンジ色の濃淡が

空を刻一刻と変えて行く。

以前住んでいた三重県ではウォーキングコースは山と海の境の道だった。

天気のいい日の海の色!なんて美しいんだろって、その都度感動してた。

そっちの方が今の公園よりずっと美しいだろ、と思うかもしれないけど、

比べることは出来ない。今朝も見た空と欅の枝たちも本当に美しい。

こういうものを見て何とも思わない人より、

私は幸せなのかもしれないと思うけど、

いや、そうとも言えないなぁ。

この友人はどこそこのナンタラがどんなに美味しいか、

というようなことをよく話してくれる。

美味しい物を食べることが最高の楽しみだと言う。

私はこれから毎日の食事がずっと同じメニューだとしても

特に不満も感じないだろうなぁ、と思う。

そういうことを彼女に話したことないけど、

話したらびっくりするだろうなぁ。

こんなことでも、人って誰でも本当に唯一の存在なんだなぁと思う。

当たり前のことだけど。

それって凄いことだ、なんて思う。

だから、世界は面白いし、残酷だし、、、

何でもありだと皆が認め合えば世界は面白いだけなのかもしれないなぁ。



忘れる・・・忘れる・・・③

2022-08-08 14:22:23 | 日々の暮らし・思い出
さて、何を書こうとしてるのか・・・

(すぐ忘れ症)が幾らか良くなって来たような・・・

気がしないでもない・・・

認知症関係の本のなかに、脳の海馬というところが縮んでいる人でも

認知症発症にならず普通の生活が出来る人もある、

との文章があったような気がする。

海馬が縮んでも日常生活が支障なく出来るなら、

幾らでも縮んでいいわ〰️

と、海馬が縮んでる私は思うのだ。

海馬が縮んでも、なぜ短期記憶を覚えておくことの出来る人がいるのか? 

ちょっと考えたことがある・・・

私の経験(うまく出来た時のことだけ)なんだけど、

アレを探しに行き、途中でナニを探しているのか、

忘れてしまうことがよくあり、

そのことで日常生活が送れないということはまだないけど、

スッキリしない感が多々あり、どうしたものかと考えて、

声を出すことだ、と思ったのだ。

駅で働く車掌さん?がするような、「右よし!左よし!」

みたいに声を出すとその声が自分の耳にも入る。

周りの人の耳にも入るだろうけど、

近くに居る夫は何かに集中していることが多いし、
 
過去の病気のせいで耳が少し悪いし、

問題無しだ。

声に出そう、というのを忘れないときはバッチリではあります!!

だがしかし・・・それを忘れていると・・・

何を探しているのかわからなくなる・・・

声を出すことでその瞬間の意識がはっきりと自覚されて、

忘れないということなのかと思うのだ。

その瞬間瞬間を意識的に生きる、ってことが大事・・・

常日頃、自分の意識を見張っていること、

これに尽きるのでありますまいか。

意識生活。これがすべて。

自分が瞬間瞬間何を思って生きているのか・・・

認知症は記憶障害というものらしいけど、

意識障害と言ってもいいような気もする・・・











ラジオFM放送聴きながら

2022-08-02 14:53:25 | 日々の暮らし・思い出
さっきまで、ちょっと絵の練習しながらNHKのFM聴いてた。

歌謡曲、私の若い頃の流行り歌。

藤 圭子の 命 あずけます♪ とか。

こういう歌、本当にキライだった。

前にも書いた記憶あるけど、

着ては貰えぬセーターを~編んでますぅ♪

なんていうのを聞くと、そんなもん編むなよ〰️❗

なんて、一人で怒ってた。

それがあるセミナー?に参加して変わった。

それ(好きじゃないもの)が在ることを受け容れられるようになった。

私がそれを好きだろうが嫌いだろうが関係なく、

在るものは在る。

在るもの、在ること、は私の思い、考えに関係なく、

在るのだ。

それに気づいたのだった。

そのことは歌謡曲に限らず、私の人生にとても影響を与えた。

在るがまま、を受け容れる。

そのこと。

今も、それを見失ってしまうことはよくある。

そういう自分に気づくこともあるし、

気付かないで時が過ぎて行ってしまうこともあるだろう。

・・・ということは目を瞑って歩いてるようなものか。

何かにぶつかって怪我せぬよう、目を開けて歩かねば。


忘れる・・・忘れる・・・②

2022-07-21 14:58:38 | 日々の暮らし・思い出
以前に書いたブログ、認知症になる、ならないか、のタイトルの、

いま、間違えて削除してしまった。

その②を書いてて、それを消したつもりが前のを消してしまっていた。

確か、削除してしまった文を書いたのは4ヶ月位前のことだ。

私の意識状態は多分悪化してるように思う。

物忘れが増えている。

その時、調べたり、聞いたりすると、

あー、そうそう、そうだった、と思い出すんだけど。

昨夜、久坂部 羊さんという人の「老乱」という小説を読んだ。

この作者は医師でもあるらしい。

この作者の本は初めてだ。

出てくる主人公はアルツハイマーではなく、レビー小体型認知症というらしい。

今、ネットで調べると幻想があるようだ。

小説の主人公もえぇ!!と驚くようなことを言い出す。

周りの家族の狼狽えや、心配、恐怖、などの混乱がよくわかる。

そりゃそうだろうなぁ。

この本は夫が図書館から借りて来たもので、

彼が読み終えたので、私も読んだ。

自分が前と変わって来ている自覚があるから、

読むのは抵抗あるかなと思ったけど、

躊躇なく読もうとしていて、自分のことなのに、

へぇ、そうなのか、と思った。

最後まで嫌にならずに読めた。

読んでから夫に感想を聞いたら、

「認知症の人に何を食べたい?と聞くより、

大根と人参、どちらがいい?というような質問がいい、ということがわ

かった」というお答え。

まぁ、それは一つの感想なんだろうけれど、、、

私は認知症になるかもしれないから、よくよく勉強しといてね

と、言ったら笑って、わかりました、と言ってた。

「ぼけますのでよろしくお願いします」

とかいうドキュメンタリー映画があるそうだけど、

それを見てみたいなぁと思ってる。

さて、これからの私という人間は如何なりますか!?

大腿骨頚部骨折40

2022-03-02 17:55:57 | 日々の暮らし・思い出
骨折して明日で1年5ヶ月経つ。
だいぶ良くなってると思うけど、ここのところCORONAの陽性になって、
歩いたりもしてないから、
そういうのはあまり良くないかなぁ、なんて思ってる。
その日によって脚、腰の感覚が違う。
もうマリオネットみたいな感じはごくごく少ないんだけど、
やはり、骨折前とは全く違う身体の感じ。
日常の事柄は何でも出来るけど、
脚に意識が行かないことは無い、そんな感じ。
もうじき三才になる孫と一緒に歩く時、孫が走り出すと、ついていくのが大変。
三才の走りで、私の身体はこうとしか出来ないのだ。
これがわかったときは、日々成長する孫と二人だけで歩くのはちょっと危ないかも、と思ったよ。
いきなり走り出したりして、そこに車が走って来ることもあるからね〰️
まぁ、こんなんで、私の右足はこれからもっと良くなるのか?
ならないのか?
それは神のみぞ知るのか?
けれど、もっと良くなりたいという望みはまだまだあるから、
やれることはやっていこうと思う。



この頃のこと

2022-02-20 15:32:33 | 日々の暮らし・思い出
久しぶりだなぁ。
ここに来るの、半年以上は経っている。
書いてなくても読んで下さる方がいるようで、へぇ〰️と思う。

CORONA禍でかなり身近にも感染者が出て来た。
すぐ近くに居る2才の孫の保育園グラスで陽性者が出た。
濃厚接触者は居ないということだけど、
同じクラスでそんなことあるのかしら!?
一応、今度の水曜日まで休園だそう。
当の孫は元気にしてるけど、洟が出たり声がかすれたりしてる。
熱はないんだけど。
だからなのか、あまり不安感を感じてない。
同居の夫もそんな感じ。
なったらなったでしょうがない・・・
という感じかな。
多分オミクロン株はあまり重症化しない、というのでそうなのかと思っているからかな。
住んでる所は狭いマンションだから、隔離なんて出来ないし、
今現在孫が陽性の潜伏期だとして夫も私も感染していたら、
多分自宅でということになるんだと思う。
最近の状況からすると。
生協が毎週来るから、食べ物は全部持って来てもらって、
会わずに受け取ろう。
保健所の電話が通じなくて症状がひどくなりそうなら、救急車を呼ぼう。
と、まぁ、そんなことを考える。

さて、最近の私は何を思って生きているのか・・・・・
自分の心、気持ち、意識、、それには注目はしているけど、
改善?はされてないなぁ。
あ、幾らか、というよりかなりいいぞ、と思うことがあったわ。

ある人の言動を前にした時の自分の意識状態というか、
意識の在りように変化が出て来たように思う。
その人の話すこと、していることに対して、
以前より心穏やかになっている。
たくさんたくさんたくさんたくさんたくさん・・・・・
いや、こうじゃないか・・・
いや、それは変だよ・・・
そんなんだから、こうなんだよ・・・
こうするのがいいよ・・・
そんなことしてるから・・・
・・・・・まぁ、こんな言葉を吐いて自分勝手に不愉快になったり、
吐かずとも思うだけで不愉快になったり・・・
あ~あぁ、本当にそんなことばかりしてたなぁ。
この世界でその人に対してだけだ。こんなふうだったのは。
ようするに、その人の在りのままを受け容れられない私だった。

おや?こんな風に過去形で書いているよ、私。
こんな表現していいのかな?
でも、自然に記していたなぁ。

また、書こう。


10回目のぎっくり腰

2021-05-29 17:01:38 | 日々の暮らし・思い出

今月の半ば過ぎから、ぎっくり腰かと思うが、それが三回も発生。

おやおや!やれやれ!だよ〰️

2才の孫とほぼ同居してるから、夫と二人だけの暮らしとはまるで違い、

それまでにあまりしてない体勢をしてるからだろうか・・・

さっき友人と電話でお喋りしていて聞いたんだけど、

オムツ替えするときの姿勢はあまり腰に良くないようだ。

昨日、オムツ替えであの、ぎっくり腰のいや〰️な痛みが起こり、

あれ〰️!またぁ!?。

で、昨夜から今まで、ほとんど布団の中で過ごしてる。

少しの間は立っていられるから、さっき夕飯の支度をちょっとしたよ。

しゃっくりしても腰に響く。

ネットで見たけど、くしゃみや咳が出そうなときはテーブルとか固い動かない物に手をつくといいそうだ。

そうか、そういう手があったのか、知らなかった。

でも、なるほどと思った。

ぎっくり腰メモをつけてるけど、これで人生10回目のぎっくり腰だよ〰️

間隔が段々短くなって・・・

それにしても一月に三回は多い。

いつも何かしていたい癖があるから、少し良くなると動いてしまうからか?

けど、ネットで見たら安静にしてるより動いた方が治りがいいとあったなぁ・・・

動いてもいいけど、もっと注意深く、腰の存在を忘れずに動くことが大事なんだろうな。

こうして書きだしてみて、そう思ったわ〰️

まぁ、所謂馬鹿だ。

本当に注意深くない。

大丈夫だよダイジョブダイジョブ!・・・

こんな風に思うこと多い。

年だよ!と太極拳教室の友人には言われた。

そういう言葉を聞くと、そうだなぁと少し納得もする。

何でも年だからと考えるのもいい手だな。

憂えていても仕方ない。

年だからと納得し、それでも、

快適に生きていくのにそれなりの手を打っていきたいよ。


忘れる忘れる

2021-05-25 02:48:05 | 日々の暮らし・思い出

高齢者の四人に一人の割合で認知症になるという。

これはかなりの確率だ。

きみまろが「だから、四人で行動しないことです!」という馬鹿話をしてたけど、

最近も最近でない過去も四人で行動するようなことはあまり無い人生だったなぁと振り返る。

それなら、認知症にはならないはずなんだが、怪しい。

以前、ここであまりにも忘れるのが激しいから、

ブログ名を改めて、ムカデとここの認知症日記にして書こう、なんぞと書いた記憶があるけど、

その日も遠からずなのかと思うことがあるよ。

なので夫はいろんなことを確認してくれる。

私より5才年長だけど、四人のうちの三人に入る感じ。

 

無意識的に行為してることが忘れやすい。

それと何か別のことを考えたり、思ったりしてるとダメだ。

そう、「上の空」で行動してると駄目だ。

以前は上の空でしたことも覚えていたような記憶があるけど、

今は違うようだなぁ。

集中しないで事柄的に出来ること、例えばスマホをポッと何処かに置いたり、

この前はひどかった。友人と歩きながら電話してて、

ある時パッとスマホは?とポケットをまさぐり、何処かに置いてきたかと焦って、戻ろうと走りながら話してたら、

なんでそんなに息が荒いのかみたいなことを言われ、

スマホを何処かに置いてきたみたい、と言ったら、、、

あ!持ってる!

ひどいよねぇ。今なら笑えるけど。

メガネを頭の上に置いて、メガネを探してるという話を他人事で笑ってたけど、

それよりひどいよね。

脳の何処かがどうかなっているのかもしれないよ〰️

買ってきたものや頂き物を何処かにぱっぱっと収納して、さてどこにしまったか?忘れてしまってる。

確かに買って来たんだがなぁ・・・

この前、落合恵子さんの「明るい覚悟」という本を読んだんだけど、

なかに、一日に探し物をしてる時間が30分、というのがあった。

私より幾らか年上だと思うけど、住んでる住まいも私よりずっと広いだろうし、

本やら資料やら、他の物も量的にはたくさんあるだろうから、当然と思うけど、

そう書いてあるということは以前は探し物にそんなに時間はかからなかったからだろう。

忘れてしまわないように、何かをしまったら、

ホワイトボードの隅に品物名と場所を小さく書いておこうと思って、

書ける時もあるけど、書くことを忘れてしまうこともあるから困る。

それと、品物名を略して書いて、後で自分でも何だかわからないこともあるよ。

やれやれ、というのはこういうことを指すんだろうねぇ。

やれやれ。


コーヒーショップで

2021-02-26 15:38:25 | 日々の暮らし・思い出

来週はもう、手術した病院へ診察してもらいに行く週だ。

早いなぁ。

明日で2月も終わる。

いま、娘の医者送りのドライバーでそこに着き、

近くのコーヒーショップでコーヒー飲んでる。

空席がいっぱいある。

窓からは車の往来がよく見える。

車を走らせているひと、一人一人に何かの用事があって走らせているんだろうなぁ。

何を思って何処に向かって走っているのだろう。

ぼうっと見ているとそんなことが浮かぶ。

同じ物を見ても何を思っているのか、何をどう捉えているのか、

全く異なる!ということに気がついて、驚愕したことを思い出した。

小さな頃、一人一人が全く別の世界に生きていることに気がついた時の驚きったらなかった。

この世界には私一人しかいない、そういう世界のこと。

こういう一人でいるとき・・・

そんな気持ちに戻れる。

私はナンタラという名を持ってこの意識を生きてる・・・・・

この意識しか知らない。

なんで私はこの私なんだろう?

別の世界には住めない。

別の意識を生きることは出来ない。

一人一人が別宇宙にいるようなものだ。

そんな思いに浸っていたらコーヒーはもう冷めてた。

 

 

 

 


🎵三線の花 BEGIN

2021-02-06 20:00:37 | 日々の暮らし・思い出

録画してた鶴瓶とBEGINが出てるテレビ番組を観た。

夫が三線を習ってて、そのグループから紹介されて、録画してたもの。

最後に三線の花♪で終えたんだけど、その前まではトークに笑っていたりしたのに、

その演奏が始まったら涙がいきなり出て来た。

流れるほどに。

録画だから、もう一度観た。

又もや涙がぼろぼろ。

自分でもびっくりした。

なんで???

その歌が特に好きだとか、思い出があるとかはない。

夫とカラオケで歌ったことはあるけど。

昨日だか、太極拳の友人に、

石垣はよかったけど、

四季のある内地の方がやっぱり住むにはいいなぁ・・・

なんて言ったばかりだ。

それが歌を聴いていたら、

石垣島での暮らし、その時の自分の心境・・・

そんなものがふぁーっと押し寄せて来たのか・・・

又、南の島で暮らしたい・・・・・

そんな気持ちがむくむくっと湧いてきたのには自分でもびっくりした。

実際どうなるかなんて今は全くわからないけど。

夫にそんな気持ちを話したら、

「いいね」だって。

へぇ、そう思うのか・・・・・