「情熱」 杉山平一の詩
燐寸が発明された時
ベンサムは感動して詩を作った
赤いレッテルの小さな箱
燃えるものをぎっしり詰めて
いまだ我が手中にあり
、、、、
いつ頃この詩に巡り会ったのか覚えてないのだけれど、
この詩がストンと入った。
情熱というものが自分の中にもある、、、
そんな気持ちになった。
一度で覚えてしまったことも覚えているけれど、
上のがあっているかは自信がないよ。
図書館で彼の詩集を探してみよう。
「情熱」 杉山平一の詩
燐寸が発明された時
ベンサムは感動して詩を作った
赤いレッテルの小さな箱
燃えるものをぎっしり詰めて
いまだ我が手中にあり
、、、、
いつ頃この詩に巡り会ったのか覚えてないのだけれど、
この詩がストンと入った。
情熱というものが自分の中にもある、、、
そんな気持ちになった。
一度で覚えてしまったことも覚えているけれど、
上のがあっているかは自信がないよ。
図書館で彼の詩集を探してみよう。
ボタニカルアートの教室へ行って来た。
来週3日間、駅のプチギャラリーで、
私も仲間に入れて貰ってるグループが展示する事に。
私にとっては初めての公開というか、
何処のどなたか知らぬ人の目の前に私が描いた絵が晒される、
わけなんだ。
まぁ地理的にそれほど、と言うか、かなりと言うか、
すぐ目に付く場所じゃないから、
新聞社が来ることもないであろう。アハハ。
だが、生まれて初めての体験だよ、こういうことが。
その日その場で自分がどんな気持ちになるのか、、、
大いに楽しむことにしよう。
本の中に 篝火 という文字があった。
篝火 で思い出す。
産まれた私の名前にこの篝火の篝という名前にしようかという話があったそう。
突拍子も無い名前だと反対されて今の
ナンタラ子にしたそう。
ナンタラのの意味もいいとは思うけど。
篝 という名前を付けたかったのは父だったか、母だったか、
忘れてしまったが、母ではないような気がする。
母 という人がどんな人だったのか、私から観えた母は
あまり決めつけのない人ではあった。
相手がどうだろうと、合点が行かないことがあると、
ストレートにその相手に
容赦なく抗議、反論する面もあった。
そんな母のエピソード・・・
自宅の隣が近くのパチンコ屋さんの駐車場で、
そこに暴走族みたいな若者がエンジンを吹かして
大きな音を立てていた時、それを聞いた母は飛んで行き、
その音に負けずと大きな声で、それをするなら自分家の前でやれ‼️
というようなことを叫んでいた。
彼らは出て行った。
もう一つよく覚えているのは、
我が家は大きな通りから少し入った所にあって、
その大通りからの入り口に車を止められたことがあり、
我が家からその大通りに出られないことがあった。
それがわかった母はその車の主に出られないじゃないかと
腹立ちを込めて言ったからだと思うが、
乗っていた若い二人連れは怒り、この糞婆!と叫んだのだ。
それに対し母は一段と怒り、
あんたらも年をとれば糞婆や糞ジジイになるんだ!
そう言ったのだ。
その2件目撃した。
私は母が逆恨みされるのではないかと心配して、
追いかけて行ってそれを見たのだ。
そういうエピソードを持つ母が
「篝」などという言葉を思うわけがないと思う私だ。
でも母は読書好きという一面もあった。
父はわけのわからない元非行少年の大酒飲みの飲んだくれ、だった。
気が弱いのか、善悪に関心がないのか・・・・
常識に囚われない面もあった
私がまだ小さな頃、新聞沙汰にもなったことがある位だ。
そのくせプライドも高くて、
よくわからない人だった。
そのどちらとも篝などという名前を思いつく感じがしない。
もし私が戸籍上、篝 と名づけられたとしたら、
どんな人生になったのだろうと夢想する。
篝火 とは輝り という意味があるそうだ。
どんな名前だろうとそんなことは人生と関係ない、、、
と言う人も多いとは思うけれども、
そうとも思えない私だ。
人生の始まりより終わりの方にずっと近いこんな時に
こんなことを考えるなんてアホらしいとも思うけれど、
夢想するのも面白い。
篝
かがりさん、なんて呼ばれたら
きっと、かなり、多分、幾らかは、、、
全く違う人生になってた、、、
なわけないか、やっぱり。
自己嫌悪に時々なる。
自分を好きじゃない心境になる。
以前は自己嫌悪になるとかの話を他者から聞くと、
自分を好きじゃないなんて、どういうことかわからなかった。
その時点でそのようでしかない自分を嫌いなんてことがあるのか?
そんな感じだったのだと思う。
今はその嫌いさがよくわかる。
どういう時にその状態になるか。
こう在りたいという無意識的な願望に反している自分
が、現れている時なんだと思った。
うん、そうだ。
昨日だか、ボタニカルアートの教室から帰宅して、
直ぐに家事をいろいろして多分かなり疲れ、
少し座って休めばいいのに、自分勝手にやり続け、
ずっと座っている配偶者にイラッと来て、
テーブルに置いてある鍋敷きを乱暴に取った。
多分、如何にも私は怒ってるんだ!風が彼にもわかったろう。
それをした途端に自己嫌悪に。
自己嫌悪くらいしんどいものはない。
この自分でしか生きてないのに、その自分を嫌悪するなんて。
疲れたら休めばいいのに。
休める状況は充分あるのに。
声を掛けたら配偶者はすぐに何かしてくれる人なのに。
それをしなかったのは私。
それをしなかったのは私。
イライラした、そんな自分は嫌い。
気分悪さは自分が作っているのに、
加害者でもない配偶者に嫌な思いをさせてしまった。
そんなこと、したくないのに。
何でもやりたいことは直ぐにやりたい、がある。
そして、直ぐに一人で頑張ってしまう自分になってしまう。
何故こんな自分になった?
一体誰によって?
一体何によって?
DNAのせい?
遺伝子のせい?
持って生まれたもの?
いつも自分より周りの人のことを優先しなさい、と
教育された?
そうだとしたら、その教育に反発しなかったのは誰?
多分全ての過去と、持って生まれた性格?持って生まれた何か他のもの?
、、、こんなこと考えてしかたないね。
やめよう。
自分が〜こう在りたい、のがあるなら、
それを常に自覚することしかない。
疲れた位で吹っ飛んでしまう自覚なら、その程度のこと。
それなのに、
〜こう在りたい、、がしぶとく在る。
無意識的に。
それが無ければ苦しむ事はない。
なのに、それは無くなることが出来ない。
どうして???
風邪にしてはなかなか治らないなぁと、
近くの大きな病院へ。
朝9時頃から夕方の4時位までかかったよ。
幾つかの検査をして、あとはひたすら診察を待つのみ。
怠さが増した気がしたよ。
で、軽い肺炎と診察された。
抗生物質二種と風邪薬、痰が出やすくなる薬、喉痛用の薬などを処方された。
2日ほどで熱は下がったけど、怠さと痰はずっとある。
あ、いま、怠くない!と思う瞬間はあるのだけど、
少し経つと、う〰️ん、、怠い、、になる。
今までの人生でこんなことは初めてだよ。
周りからは「もう年なんだから・・・・」。
そうなのか、年をとるとこういうことになるのか・・・
♪もう若くないよと〰️♪なのか。
怠いというのは不便なものだ。
パッパっと動けない。
あれもやりたい、これもやりたい、という気持ちはあるのに、
身体がそう動いてくれない。
いや、動こう・・・になる前に、
動きたくない・・・という気持ちがやって来る。
痰を出したいという欲求、
トイレに行きたいという欲求、
横になりたいという欲求、
薬を飲むために食べようという欲求、
一番、病気!!!!という時の欲求はこれ位しかなかったなぁ。
今はピークを過ぎているから、食欲も出て来てくれて、体重も戻った。
多分一番しんどかったとき、体重を計ってみたら、
こんなに短期間でこんなに体重が減ってしまうのか!!とびっくりした。
そして、食欲が出て来ると又あっという間に元に戻ることにもびっくりした。
人間の身体って本当に驚異の世界だと、こんなことで思った無知の私だ。
でも、まぁ、元気だけが取り柄の私には、いい経験になっていると思っている。
自分の身体について過信していたなと思ったよ。
それにしても、元気な身体が恋しいよ。
去年の末頃から、ボタニカルアートの教室に行き出した。
月に2回で一回6時間ほど。
何故そんなに長い時間なのか聞いたら、
水彩絵の具を塗ってから、乾くまで待って、
次にまた塗るという行程が多いからだという。
以前、ボタニカルアートの絵を見た時に、こういうのを描いてみたいなぁと
思ったことがあり、そのままただの憧れだったんだけど、
たまたま近くにその教室があることを知り仲間にいれてもらった。
絵を描くなんて何十年もしてない。
ボタニカルアートというのは、
とにかく写実的に描くものだそう。
正確に、脚色せず、そのもの通り、植物図鑑にある絵のように。
まだ色を塗るのは練習してるだけ。
鉛筆でその通り描くのを10 枚くらいかな描いた。
それが楽しいのだ。
気がついたら4時間位描き続けたこともある。
自分でもびっくりしてる。
楽しい。
集中することが楽しい。
なんだろう?集中することが楽しいなんて、
今までそんな表現したことあるか?
記憶にない。
面白いと思って本を読んで、そのことを楽しいと表現したこと私あるか?
読むということと、描くということ、の違いかもしれない。
本の文字を読む →感じる。何を言っているのか、何を伝えようとしてるのか考える。
ボタニカルアートは、植物を見る →その物をそのまま描こうとする。
考える、という事はしない。
ただただその通りに描こうとする、それがいいのか。
何が楽しいのか、自分に問うたことなんてなかったけど、
人から、ボタニカルアートやってどう?というようなことを聞かれた時に
集中するのが楽しい、という言葉がすぐに出た私。
よく見てその通り描く。何も考えずに描く。
それがいいのだろうなぁ。
今月の半ば過ぎから、ぎっくり腰かと思うが、それが三回も発生。
おやおや!やれやれ!だよ〰️
2才の孫とほぼ同居してるから、夫と二人だけの暮らしとはまるで違い、
それまでにあまりしてない体勢をしてるからだろうか・・・
さっき友人と電話でお喋りしていて聞いたんだけど、
オムツ替えするときの姿勢はあまり腰に良くないようだ。
昨日、オムツ替えであの、ぎっくり腰のいや〰️な痛みが起こり、
あれ〰️!またぁ!?。
で、昨夜から今まで、ほとんど布団の中で過ごしてる。
少しの間は立っていられるから、さっき夕飯の支度をちょっとしたよ。
しゃっくりしても腰に響く。
ネットで見たけど、くしゃみや咳が出そうなときはテーブルとか固い動かない物に手をつくといいそうだ。
そうか、そういう手があったのか、知らなかった。
でも、なるほどと思った。
ぎっくり腰メモをつけてるけど、これで人生10回目のぎっくり腰だよ〰️
間隔が段々短くなって・・・
それにしても一月に三回は多い。
いつも何かしていたい癖があるから、少し良くなると動いてしまうからか?
けど、ネットで見たら安静にしてるより動いた方が治りがいいとあったなぁ・・・
動いてもいいけど、もっと注意深く、腰の存在を忘れずに動くことが大事なんだろうな。
こうして書きだしてみて、そう思ったわ〰️
まぁ、所謂馬鹿だ。
本当に注意深くない。
大丈夫だよダイジョブダイジョブ!・・・
こんな風に思うこと多い。
年だよ!と太極拳教室の友人には言われた。
そういう言葉を聞くと、そうだなぁと少し納得もする。
何でも年だからと考えるのもいい手だな。
憂えていても仕方ない。
年だからと納得し、それでも、
快適に生きていくのにそれなりの手を打っていきたいよ。
高齢者の四人に一人の割合で認知症になるという。
これはかなりの確率だ。
きみまろが「だから、四人で行動しないことです!」という馬鹿話をしてたけど、
最近も最近でない過去も四人で行動するようなことはあまり無い人生だったなぁと振り返る。
それなら、認知症にはならないはずなんだが、怪しい。
以前、ここであまりにも忘れるのが激しいから、
ブログ名を改めて、ムカデとここの認知症日記にして書こう、なんぞと書いた記憶があるけど、
その日も遠からずなのかと思うことがあるよ。
なので夫はいろんなことを確認してくれる。
私より5才年長だけど、四人のうちの三人に入る感じ。
無意識的に行為してることが忘れやすい。
それと何か別のことを考えたり、思ったりしてるとダメだ。
そう、「上の空」で行動してると駄目だ。
以前は上の空でしたことも覚えていたような記憶があるけど、
今は違うようだなぁ。
集中しないで事柄的に出来ること、例えばスマホをポッと何処かに置いたり、
この前はひどかった。友人と歩きながら電話してて、
ある時パッとスマホは?とポケットをまさぐり、何処かに置いてきたかと焦って、戻ろうと走りながら話してたら、
なんでそんなに息が荒いのかみたいなことを言われ、
スマホを何処かに置いてきたみたい、と言ったら、、、
あ!持ってる!
ひどいよねぇ。今なら笑えるけど。
メガネを頭の上に置いて、メガネを探してるという話を他人事で笑ってたけど、
それよりひどいよね。
脳の何処かがどうかなっているのかもしれないよ〰️
買ってきたものや頂き物を何処かにぱっぱっと収納して、さてどこにしまったか?忘れてしまってる。
確かに買って来たんだがなぁ・・・
この前、落合恵子さんの「明るい覚悟」という本を読んだんだけど、
なかに、一日に探し物をしてる時間が30分、というのがあった。
私より幾らか年上だと思うけど、住んでる住まいも私よりずっと広いだろうし、
本やら資料やら、他の物も量的にはたくさんあるだろうから、当然と思うけど、
そう書いてあるということは以前は探し物にそんなに時間はかからなかったからだろう。
忘れてしまわないように、何かをしまったら、
ホワイトボードの隅に品物名と場所を小さく書いておこうと思って、
書ける時もあるけど、書くことを忘れてしまうこともあるから困る。
それと、品物名を略して書いて、後で自分でも何だかわからないこともあるよ。
やれやれ、というのはこういうことを指すんだろうねぇ。
やれやれ。
来週はもう、手術した病院へ診察してもらいに行く週だ。
早いなぁ。
明日で2月も終わる。
いま、娘の医者送りのドライバーでそこに着き、
近くのコーヒーショップでコーヒー飲んでる。
空席がいっぱいある。
窓からは車の往来がよく見える。
車を走らせているひと、一人一人に何かの用事があって走らせているんだろうなぁ。
何を思って何処に向かって走っているのだろう。
ぼうっと見ているとそんなことが浮かぶ。
同じ物を見ても何を思っているのか、何をどう捉えているのか、
全く異なる!ということに気がついて、驚愕したことを思い出した。
小さな頃、一人一人が全く別の世界に生きていることに気がついた時の驚きったらなかった。
この世界には私一人しかいない、そういう世界のこと。
こういう一人でいるとき・・・
そんな気持ちに戻れる。
私はナンタラという名を持ってこの意識を生きてる・・・・・
この意識しか知らない。
なんで私はこの私なんだろう?
別の世界には住めない。
別の意識を生きることは出来ない。
一人一人が別宇宙にいるようなものだ。
そんな思いに浸っていたらコーヒーはもう冷めてた。