ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

私には何も出来ない

2021-03-25 16:34:16 | ひとの幸福

ちょっといろいろなことが起こって、

「私には何も出来ない」(その人に)

この思いが頭に浮かんだとき、

その人にこんなふうに思ったのは初めて、かもしれない・・・

と、思った。

そして、

私には何も出来ない、という思いが初めて、ということは、

それまでは、私には何か出来る、と思い込んでいた・・・

ということじゃないか・・・

そう思った後、

そうか。そうだよね。

が、来た。

そして、次には、

なんだか、気持ちがすうっとした。軽くなった。

お手上げ。

そうだ。お手上げ。

降参。

何に降参したのか?

降参する、ということは戦っていたのか・・・・

勝負してたのか、わたしは。

何に勝とうとしてたのか・・・

勝負など、最初から有り得ないのに。

無い勝負を放棄したのか、わたしは。

 

さて・・・・・

 


世代交代が社会変える

2021-03-15 15:49:02 | 新聞を読んで

一昨日だったか、毎日新聞の「時代の風」欄。

総合研究大学院というところの大学長の長谷川眞理子さんの。

世代交代が社会変える が大きなタイトル。

オリンピックのナンタラの会長だった森さんの女性蔑視発言について何だかんだとあって、森さんは辞職した。

森さんは何でこうなるのか、わかってなかったんだろうなぁ・・・と、私も思った。

顕在意識じゃなくて、潜在的な価値観が女は男より下というのが森さんにはあった。

森さんを一方的に責められない、と思った私だ。

森さんの発言は昭和のものだとかのことを立憲民主党の人が言ってたね~

本当にその通りだとは思う。

森さんも私たちも知らぬ間にいろんなその時代の価値観を植え付けられている。

今の若い人もいろんな今の価値観を知らぬ間に持つのかと思う。

顕在意識では妻や娘や孫娘を女だからと言って差別したりは

森さんもしないだろう。

私も女性解放運動に関心を持って、勉強会とかに参加したこともある。

差別待遇に怒ったりもした。

そういう自分が何処かの窓口の人に男を出してほしい、なんて思ったこともあるんだ。

なんてことだろう!と自分でも思ったよ。

毒されてる、とも思った。

自分の毒に自分が毒されてる。

明治生まれの祖母、大正生まれの母に育てられた私だ。

学校の先生然り。

そういう気風、そういう社会のなかで育てられた私だ。

反発しながら、そんな人間観にどっぷり浸かって育って来た。

横書きに、世界観 思春期に形成 とあった。

そうだろうなぁと思うよ。

紀元前の粘土板に書かれた記録にも、

今の若者は、という記述があるという。

基本的な価値観、人生観は思春期頃までに経験したことに基づいて作られる、という。

森さんは83才。彼の世界観は戦前のもの。

そう、あった。

そうなんだと思う。

良くも悪くもなく。

・・・こう言ったら、否定されるかな。

でも、潜在意識はしぶとい。

でも、変えられる。 

高校生の時、クラスに朝鮮人の友達が居て、親しくしてた。

彼女が「頭ではそう思ってなくても朝鮮人を差別する心があるでしょう?」と詰めよって来たことがあった。

私はそんなの絶対無い!と言ったことをよく覚えている。

けれど、

その時、私の奥深くに朝鮮人差別意識があったこともよく覚えている。

それが今は絶対と言えるけど、そういう意識は皆無だ。

社会が変わったからか、

私の中でなにかそうなることがあったからなのか、

多分、社会が変わったからじゃないかと思う。

朝鮮人への差別待遇や蔑視は実態が自分の知っている生活のなかではなかったから。

社会は必ず変わっていく。

そんな大きな波に私たちは、

同調しながら、

抵抗しながら、

それを共に創っているのだろうと思う。

 


河合隼雄さんの・・・もうひとつ の言葉

2021-03-10 13:42:13 | 本を読んで

・・・・・カウンセリングで相手(学生)が「行けなかった」と言った時、「でも行けるよ」って言ったら、

行けなかった悲しみを僕は受け止めていないことになる。

ごまかそうとしている。

「そうか」と言って一緒に苦しんでいるんやけど、望みは失っていない。

望みを失わずにピッタリ傍におれたら、

もう完璧なんです。

だけど、それがどんなに難しいか。

・・・・・これ。

河合隼雄さんでも難しいことなんだと。

でも、それしか方法はないんだなと思った。


聴く・・・河合隼雄さんの言葉

2021-03-10 13:06:11 | 本を読んで

もう亡くなっているけど、河合隼雄さんと作家の小川洋子さんの対談集を読んだ。

「生きるとは 自分の物語を つくること」だ。

聴くという中身がとてもわかりやすい表現であった。

日常のなかで何気なく人を励ましているつもりでも、

全然励ましてない場合があって、それは「頑張れよ」。

それは切っていること。「さよなら」と同じだという。

「あなたが持ってきた荷物は私も持ってますよ」という態度で別れる、

のが河合隼雄さんの、カウンセラーの、別れかただという。

あなたが持ってきた荷物は私も持ってます・・・

これって凄い。

聞き方が相手と一体になってる、と思った。

相手の上でも下でもない。

同じところに立っている。

私も心が多分もやもやとしてる状態の人と話をすることがあるけど、

これをどう聞いたらいいんだろう?となることがよくあるんだ。

あなたが持ってきた荷物は私も持ってます・・・

うーん、本当に実行してるひとの言葉だ。

それと、もうひとつ印象に残ったのは

聴く側、カウンセラーが、あかんかなと思いこんだら、

相手は、本当に良くないんだなと、不安になる・・・

ので、聴く側は絶対希望を失ってはいけないということ。

自分もひとの話を聞いているとき、

相手が辛さ苦しさを訴えたときなど、その辛さはこれからも変わらないんじゃないかと思ってしまうことがある。

直ぐに気付いて、それを打ち消す。

希望を持ってないと聞く方もが辛くなる。

希望をずっと変わらずしっかりと揺らがず持って、

相手が持っている荷物は自分も持っているというところに

自分を置いて、

いきたい。