ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

嬉しい気持ちと感謝

2012-10-29 15:29:12 | ひとの幸福
自分が困っている時、さっと手を貸してくれる人がいると、

すごく嬉しい。教えてもらわなくても人は喜ぶ気持ちが自然に出て来る。

こんな経験をすると、自分が味わった豊かな気持ちを人にも味わってもらいたくなる。

誰かが困った時に自分もそうやれる人になりたいと思う。

こういう気持ちは誰に教わったわけでもなく、

自然と出て来る気持ちだ。

小さな時から無償的な心でやってもらう経験をたくさんすると、

同じ無償的心で何かをする人に自然となる。

ひとは受けた来た過去の経験(生まれつきも含めて)で出来上がるもの。

恩着せがましくやってもらった経験ばかりの人は、

そういうものしか受けとってないのだから、

それしか持っているものがないので、それしか人に与えられない。

そうなったのはその人一人のせいじゃない。

人の心は社会で創られる。


教えている?

2012-10-29 15:11:38 | 量子力学と心
風呂上ってすぐのイブに「パンツ穿きなさい」

「パジャマ着なさい」と言うおばあちゃんがいる。

今までこういう光景を見ても何とも思わなかった私だ。

もう1年以上イブは風呂上りにパンツを穿いて来た。

風呂から上がったらパンツを穿く事はわかっていると思う。

それを言う人が居ても居なくてもイブは自分でパンツを穿く。

あーせーこーせーと言う時の心は教えている状態なんだろうか。

教えるというのは知らない知識を伝える時に使う言葉だ。

教えなければ相手はわからないと、

相手を観ているということだ。

この行為は教えなければわからない者として相手を扱っている、と言える。

そう観ている場からは、相手はその場に留まっている。

パンツを穿かないでいる。

ピグマリオン効果だし、観測によってそのように波動関数が収縮している。

パンツを穿かないイブと穿きなさいと言う人とイタチゴッコが続いている。

「パンツを穿きなさい」という言葉はイブにとってまるでBGMのようだ。

全然意に介していない。

こういうプロセスを数多く経験して、

その人の言うことを聴かなくなるのかと思った。

聴きたくなくて聴かなくなるというより、

その言葉は意味を持たないものとして耳に入っているからではないかと思う。

まさしくBGM。

イブは悪意も何も無い。

パンツ穿きなさいを言う人も勿論悪意なんか無い。


感謝ってなんだ?

2012-10-29 11:25:57 | ひとの幸福
子供に「ありがとう」と言うようにと教える。

“教える”ということがあるのは、

教えないと子供はわからない、・・という前提があること。

教えないとわからないとわかっている心の状態からの行為だ。

教えなければわからないものとして扱っている。

これって、人間は本来そういうものなんじゃないか・・が浮かんだ。

感謝することは当たり前だという常識があるんだけど、

本当の常識なのか・・?

人に何かやってもらったら感謝するのは当然だという考えは強い。

圧倒的多数がそう思っているだろうし、そう言う。

前に頼まれもしないでやっているということを書いた。

隣の住人は私から頼まれもしないのに、火事を出さないで居てくれる。

対向車は私から頼まれもしないのに突っ込んで来ない。

頼みもしないのに太陽は照ってくれるし、雨も降ってくれる。

頼みもしないのに、ノーベル章をとった山中教授は研究してくれている。

頼みもしないのに、福岡伸一教授は「動的平衡」を書いてくれた。

頼みもしないのに、面白いドラマや映画を作ってくれている。

それぞれが自分のしたいようにしている。

結果的に私の役に立っていることばかりだ。

対向車は私から感謝されなくても平気で居るだろう。

隣の住人も火事を出さないで居てくれる事に感謝されなくても怒らないだろう。

頼まれもしないのに、重い荷物を持っているお婆さんに親切にしたくなって、

つい手伝ってしまうのも、

太陽と同じ、対向車や山中教授と同じ働きなんじゃないだろうか。

それぞれが自分がしたいようにやっているに過ぎない。

それぞれが自分の意思でやりたいと思ってやっているだけなんじゃないだろうか。

それに感謝するのは当然と言うのもおかしいといえばおかしい。

感謝しちゃいけないということは勿論無いけど。

感謝しないと機嫌を悪くする人が今のところ多いから、

社会生活を円滑にするためにしている場合は多いだろうと思う。

人の意識が進化し、社会全体もそれによって、進化発達することで、

消えていく運命にあるのかと思う。