安倍首相やなんかが最近の状況について、
まぁ、自分のことも入っているんだろうけど、
緊張感を持って・・・云々といったことを言っている。
自然体とは遠い世界だと思うな。
まぁ、家庭での姿と職場の姿では違うのは多くの場合そうだけど、
そういうことじゃなくて、
心や記憶に何かあるものを出さないように注意しろよ、
緊張感を持ってないで自然にしてたら、
よからぬ在るものが出てしまうぞ・・・
そんな感じがしてしまうよ。
安倍首相やなんかが最近の状況について、
まぁ、自分のことも入っているんだろうけど、
緊張感を持って・・・云々といったことを言っている。
自然体とは遠い世界だと思うな。
まぁ、家庭での姿と職場の姿では違うのは多くの場合そうだけど、
そういうことじゃなくて、
心や記憶に何かあるものを出さないように注意しろよ、
緊張感を持ってないで自然にしてたら、
よからぬ在るものが出てしまうぞ・・・
そんな感じがしてしまうよ。
何日か前、いや、昨日だったか・・・
(~アレが昨日のことなのか、一昨日のことなのか、わからなくなってることがよくある。)
いつもの、まぁ、いいか、にしよう。
NHKのEテレで「看取りの演劇」というのをたまたま見た。
菅原直樹さんという介護施設で働きながら劇団を主宰してる人が
インタビューを受けていた番組。
私も以前介護施設で働いたことがあるので
言っていることに同感!同感!だった。
その人が言った言葉、「介護と演劇は相性がいい」。
その言葉だけ聞いたら、なんのこっちゃ?だけど。
認知症の人が話す内容が実際の出来事と違うと、
いや、違うなどと訂正とかしてた彼だったけど、
それは間違いだったと。
認知症、その人の心は話しているその内容の時空に居る。
間違いやウソを言ってるわけじゃない。
演劇の舞台は観客の居るその時空とは別の世界だ。
それを観て、実際と違う、と言って訂正しようとする人はいない。
演劇というものが存在できるのは、
人が自分とは別の時空世界(意識)が在ると知っているからだ。
そして、観客が感動するのは舞台の世界と自分が一つになってるからだと思う。
舞台の世界に乗れないでいるほどつまらないものはない。
まぁ、あまりに舞台がお粗末だとそういうことはあるだろうけど。
認知症の人の心が今現在という時空に居ないとき、
それはちっともお粗末じゃない。
とてもリアルに生き生きとしている。
その舞台で共に踊り、演ずるのは心地よい。
それも本気でやることだ。
そういった感じでその人、菅原さんは言ったんだと思う。
~アレが昨日のことなのか、一昨日のことなのかわからなくなっている私としては
是非是非皆さんにそうなっていただきたいと切に思うのであります。
本当だよ。これ。
なんだかんだと頭がこちらに行かず、書きながらのものがあった・・んだった。
あの番組で「健康常識の大転換」と言ってた。
そうだろうなぁと思う。けれど、あれを見るとこんなふうな思いが出て来た。
いろんな病気があるけれど、原因なんてわかりません・・・
原因なんて特定できません・・・
原因なんて一言では言えません・・・
原因という言葉も使えなくなるんじゃないかしらん・・・
・・こう書いて来たら、はて、原因という言葉の意味は???
で、広辞苑を見たら、ある物事を起こすもと、というのと、
事物の変化を引き起こすもの、とあり、これだと思った・・ところ、
こんなのが出て来たよ。
アリストテレスは原因を形相因・質料因・動力因(作用因)・目的因の4種を区別した、
とあり、今の科学でいう原因は動力因にあたるもの、とあったよ。
こんな言葉初めて聞いたわ。
よし、これで考えよう。
形相因というのは例えば家屋の出来る原因のうち、
大工の頭の中にある家屋の設計図のようなものだという。
質料因というこれまた初めてだけど、
上の例でいうと、建築に使う資材だと。
目的因は・・広辞苑にはなかったけど、
住むために建てたい、家が欲しい、とかそういうことだろうか・・
動力因は大工の作業のようなもの、ここでいえば、
各臓器各細胞が設計図があるかのように働くから、か・・・
あの番組を見て、これで考えると・・高血圧になる原因は・・・???
そのようになるという設計図・意志・資材?がどこかにあったのか??
各臓器があって、それが、それならそれでと働いたから??
建築でいえば資材や大工さんである各臓器の働きが正常でなくなったから??
それは各臓器が大局的に観られなかったせいか・・・
いや、見てるという感じはしたなぁ・・・
各臓器は奇跡的な調整、これは調正という言葉を使ってもよさそうな行いをしているというのに、
何故人体は病気になるんだろう???
かなり不調になったら各臓器の働きだけでは各臓器を完璧に治すことなど、無理・・・
そういう感じする。
あの番組を見てた人の健康常識は変わったんだろうか・・・
そしてそれが日常生活に影響を及ぼすんだろうか・・・
健康常識の一つが番組でやってたように高血圧の治療は外科手術になること??
何故人体はいろんな病気になるんだろう???
人間の身体というものに耐用年数があるから???
そんなのあたりまえでしょと言われると思うんだけど、
??が浮かぶ。
結局原因なんてわからない・・ということか・・・??
振り出しに戻ってしまったわ~
録画してあったNHKテレビの人体のやつ、「腎臓」をやっと見たよ。
いやはや、全く面白い。そうかそうかやっぱりやっぱり。
興味津々という感じで見た。
脳が指令を出して各臓器はその指令通りに
動くというふうなのが今までの常識だったそうだけど、
各臓器が他の臓器のメッセージを受け取り、それぞれがいろんな調整をして
人体というものを正常に維持していこうとしている、
ということがどんどんわかって来ているという。
各臓器に意志があり、その細胞にも意志がある。
人体という自然に上意下達なんてシステムはない。
一体である人体が正常になるように各臓器が、
その意志のまま働く。脳からの指令もなく。
各自に任されている動きだ。
生まれたばかりの赤ちゃんの臓器は本当に綺麗なんだろうなぁ。
各臓器は必死になったりすることもなく自然におおらかに働いているんだろうなぁ。
高血圧患者は腎臓からレニンというメッセージ物質(血圧を上げよう)が出過ぎることで
血圧が上がってしまうのだそうだ。
赤ちゃんの腎臓はそんなメッセージ物質の出し過ぎはしないんだろう。
何故そういメッセージを必要ない時にも腎臓は出してしまうんだろう・・
赤ちゃん時代の美しい臓器が大人になると何故こういうことになるのか・・
それは人体が一体だからだろう。
この人間界や世界と同じだ。
今存在する世界中の人、今までに存在してた人類全部で、
今の人間社会が出来ているように。
今の北朝鮮やアメリカや日本や韓国や…全部全部・・・。
間違ったメッセージ受けたり、送ったり、
正しいメッセージをその通り受け取れなかったり。
そのままの本当の気持ちを互いが聴けたら・・・・
・・・あぁああああ・・・
良くも悪くも一体でしか在り得ないわたしたちだ。
今度の選挙もどんな一体の姿が現れるんだろう???
こんな最後の文章になってしまったよ。
さっき昼のワイドショー見てたからだな。
ついこの前、NHKテレビでタモリと山中伸弥さんが進行する番組があった。
人体ナンタラとかいう。
確か5年くらい前に読んだ福岡伸一さんの「せいめいのはなし」を読んで思ったことと、
同じなんじゃないかと思ったよ。
このブログをせっせと探したらあった。
福岡伸一先生の言葉・・・『生命は“事後的”に見ればデザイナーがいて、
きちんと設計されていたように見えるけど、
細胞は、一個の受精卵が二つに分かれて、
細胞同士がちょっとずつ相互に補完しあい、関係しあいながら、
分化を進めていて、細胞一つ一つは全体のマップを持っていないのに、
関係しあいながら、繋がりながら、全体としてある秩序を作れてしまうことが
生命現象の特性』・・・というもの。
細胞一つ一つは全体のマップを持っていないのに・・・
全体としてある秩序を作れてしまうという・・・・・・・
何の知識もない私は考えやすいようになんでも自分流な考え方をするんだけど・・
こういう家を作ろうと一級建築士とかが設計して
大工さんたちが家を建てる。
一人一人の大工さんや左官屋さんや屋根工事の人は
家の全体を設計したりはしない。
大工さんだけ、左官屋さん、電気工事士さん、屋根屋さんだけでは家にならない。
それはその誰でもがわかっている。
大工さんは他の左官屋さん、電気工事やさんなんかと、
関係しながら、繋がりながら、全体としてある秩序、家を作れてしまう。
細胞と一緒だ。
屋根工事の人は家の一部分である屋根を作っているとわかっている。
左官屋さんも家の一部を作っているとわかっている。
屋根だけで完成品、壁だけで完成品を作ろうとしてはいない。
・・ということは誰もが “共に家を作って行こう”という意志が元から在る。
細胞には、他と共に(関係しながら、繋がりながら)というなり方で、
成長するという「意志」「設計図」が存在するんじゃないだろうか。
一粒の種も様々な要因である、太陽、水、大地、らの環境全てと共に、
関係しながら、繋がりながら、一本の樹木や、一つの草や野菜になる。
種には“他と共に樹木や植物という全体になる”設計図、意志は仕組まれてあるんじゃないか。
そして、一本の木という全体はその地域全体と関係しながら、繋がりながら、
(調和して・バランスをとりながら)
成長したり、枯れて行ったりして、その時空でそのような全体になる。
その地域全体ももっと大きな地域全体と関係しながら、繋がりながら、
(調和して・バランスをとりながら)
発展したり、滞ったりする。
その大きな地域はもっと大きな地球という全体と関係しながら、繋がりながら、
(調和して・バランスをとりながら)
成長したり、発展したり、滞ったりする。
全体になる。
そういう「意志」が自ずから在る。
すべての生命は周りと共に、相互にもたらし合い、補完し合い、
関係し合いながら、成長したり、
枯れて行ったりするんじゃないだろうか。
全ての生命はそういうふうな“なりよう”でなる。
生命である人の意識も同じだ。
小宇宙である人体が巨大なネットワークなら、
この私たちが存在する宇宙もやはり巨大なネットワークなんだと思う。
数学の相似みたいに何処をとってもこういう現象なんじゃないかと思う。
一人一人の人間もこの日本という国も
世界に向かっていろんなメッセージを送って、
いろんなメッセージを受け取っている。
どこかが狂って、誤ったメッセージを送ったり、受け取ったりも、してる。
どこそこの人・国だけがよい、なんてことはあり得ないし、
どこそこの人・国だけが悪い、なんてこともあり得ないし、
無数の波紋が飛び交って
それぞれが互いに影響し合って、今ここ がある。
この地球からも無数のメッセージが
宇宙に向かって発信されているだろうし、
他の天体からもきっと多くのメッセージが届いているんだろう。
そんなこんな世界、地球は・・どう変化していくんだろう・・・?????
なるようになるんだろう。全く。