ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

緊張感をもって

2018-04-20 09:59:35 | テレビを見て

安倍首相やなんかが最近の状況について、

まぁ、自分のことも入っているんだろうけど、

緊張感を持って・・・云々といったことを言っている。

自然体とは遠い世界だと思うな。

まぁ、家庭での姿と職場の姿では違うのは多くの場合そうだけど、

そういうことじゃなくて、

心や記憶に何かあるものを出さないように注意しろよ、

緊張感を持ってないで自然にしてたら、

よからぬ在るものが出てしまうぞ・・・

そんな感じがしてしまうよ。

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「看取りの演劇」

2017-11-16 20:44:54 | テレビを見て

何日か前、いや、昨日だったか・・・

(~アレが昨日のことなのか、一昨日のことなのか、わからなくなってることがよくある。)

いつもの、まぁ、いいか、にしよう。

NHKのEテレで「看取りの演劇」というのをたまたま見た。

菅原直樹さんという介護施設で働きながら劇団を主宰してる人が

インタビューを受けていた番組。

私も以前介護施設で働いたことがあるので

言っていることに同感!同感!だった。

その人が言った言葉、「介護と演劇は相性がいい」。

その言葉だけ聞いたら、なんのこっちゃ?だけど。

認知症の人が話す内容が実際の出来事と違うと、

いや、違うなどと訂正とかしてた彼だったけど、

それは間違いだったと。

認知症、その人の心は話しているその内容の時空に居る。

間違いやウソを言ってるわけじゃない。

 

演劇の舞台は観客の居るその時空とは別の世界だ。

それを観て、実際と違う、と言って訂正しようとする人はいない。

演劇というものが存在できるのは、

人が自分とは別の時空世界(意識)が在ると知っているからだ。

そして、観客が感動するのは舞台の世界と自分が一つになってるからだと思う。

舞台の世界に乗れないでいるほどつまらないものはない。

まぁ、あまりに舞台がお粗末だとそういうことはあるだろうけど。

認知症の人の心が今現在という時空に居ないとき、

それはちっともお粗末じゃない。

とてもリアルに生き生きとしている。

その舞台で共に踊り、演ずるのは心地よい。

それも本気でやることだ。

そういった感じでその人、菅原さんは言ったんだと思う。

 

~アレが昨日のことなのか、一昨日のことなのかわからなくなっている私としては

是非是非皆さんにそうなっていただきたいと切に思うのであります。

本当だよ。これ。

 

 

 

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健康常識の大転換???

2017-10-12 15:39:41 | テレビを見て

なんだかんだと頭がこちらに行かず、書きながらのものがあった・・んだった。

 

あの番組で「健康常識の大転換」と言ってた。

そうだろうなぁと思う。けれど、あれを見るとこんなふうな思いが出て来た。

いろんな病気があるけれど、原因なんてわかりません・・・

原因なんて特定できません・・・

原因なんて一言では言えません・・・

原因という言葉も使えなくなるんじゃないかしらん・・・

・・こう書いて来たら、はて、原因という言葉の意味は???

で、広辞苑を見たら、ある物事を起こすもと、というのと、

事物の変化を引き起こすもの、とあり、これだと思った・・ところ、

こんなのが出て来たよ。

アリストテレスは原因を形相因・質料因・動力因(作用因)・目的因の4種を区別した、

とあり、今の科学でいう原因は動力因にあたるもの、とあったよ。

こんな言葉初めて聞いたわ。

よし、これで考えよう。

形相因というのは例えば家屋の出来る原因のうち、

大工の頭の中にある家屋の設計図のようなものだという。

 質料因というこれまた初めてだけど、

上の例でいうと、建築に使う資材だと。

目的因は・・広辞苑にはなかったけど、

住むために建てたい、家が欲しい、とかそういうことだろうか・・

動力因は大工の作業のようなもの、ここでいえば、

各臓器各細胞が設計図があるかのように働くから、か・・・

 

あの番組を見て、これで考えると・・高血圧になる原因は・・・???

そのようになるという設計図・意志・資材?がどこかにあったのか??

各臓器があって、それが、それならそれでと働いたから??

建築でいえば資材や大工さんである各臓器の働きが正常でなくなったから??

それは各臓器が大局的に観られなかったせいか・・・

いや、見てるという感じはしたなぁ・・・

各臓器は奇跡的な調整、これは調正という言葉を使ってもよさそうな行いをしているというのに、

何故人体は病気になるんだろう???

 

かなり不調になったら各臓器の働きだけでは各臓器を完璧に治すことなど、無理・・・

そういう感じする。 

あの番組を見てた人の健康常識は変わったんだろうか・・・

そしてそれが日常生活に影響を及ぼすんだろうか・・・

健康常識の一つが番組でやってたように高血圧の治療は外科手術になること??

 

何故人体はいろんな病気になるんだろう???

人間の身体というものに耐用年数があるから???

そんなのあたりまえでしょと言われると思うんだけど、

??が浮かぶ。

結局原因なんてわからない・・ということか・・・??

振り出しに戻ってしまったわ~

 

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人体・社会

2017-10-05 15:13:29 | テレビを見て

録画してあったNHKテレビの人体のやつ、「腎臓」をやっと見たよ。

いやはや、全く面白い。そうかそうかやっぱりやっぱり。

興味津々という感じで見た。

脳が指令を出して各臓器はその指令通りに

動くというふうなのが今までの常識だったそうだけど、

各臓器が他の臓器のメッセージを受け取り、それぞれがいろんな調整をして

人体というものを正常に維持していこうとしている、

ということがどんどんわかって来ているという。

各臓器に意志があり、その細胞にも意志がある。

人体という自然に上意下達なんてシステムはない。

一体である人体が正常になるように各臓器が、

その意志のまま働く。脳からの指令もなく。

各自に任されている動きだ。

生まれたばかりの赤ちゃんの臓器は本当に綺麗なんだろうなぁ。

各臓器は必死になったりすることもなく自然におおらかに働いているんだろうなぁ。

高血圧患者は腎臓からレニンというメッセージ物質(血圧を上げよう)が出過ぎることで

血圧が上がってしまうのだそうだ。

赤ちゃんの腎臓はそんなメッセージ物質の出し過ぎはしないんだろう。

何故そういメッセージを必要ない時にも腎臓は出してしまうんだろう・・

赤ちゃん時代の美しい臓器が大人になると何故こういうことになるのか・・

それは人体が一体だからだろう。

この人間界や世界と同じだ。

今存在する世界中の人、今までに存在してた人類全部で、

今の人間社会が出来ているように。

今の北朝鮮やアメリカや日本や韓国や…全部全部・・・。

間違ったメッセージ受けたり、送ったり、

正しいメッセージをその通り受け取れなかったり。

そのままの本当の気持ちを互いが聴けたら・・・・

・・・あぁああああ・・・

良くも悪くも一体でしか在り得ないわたしたちだ。

今度の選挙もどんな一体の姿が現れるんだろう???

こんな最後の文章になってしまったよ。

さっき昼のワイドショー見てたからだな。

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人体とは巨大なネットワーク

2017-10-04 15:42:21 | テレビを見て

ついこの前、NHKテレビでタモリと山中伸弥さんが進行する番組があった。

人体ナンタラとかいう。

確か5年くらい前に読んだ福岡伸一さんの「せいめいのはなし」を読んで思ったことと、

同じなんじゃないかと思ったよ。

このブログをせっせと探したらあった。

福岡伸一先生の言葉・・・『生命は“事後的”に見ればデザイナーがいて、

きちんと設計されていたように見えるけど、

細胞は、一個の受精卵が二つに分かれて、

細胞同士がちょっとずつ相互に補完しあい、関係しあいながら、

分化を進めていて、細胞一つ一つは全体のマップを持っていないのに、

関係しあいながら、繋がりながら、全体としてある秩序を作れてしまうことが

生命現象の特性』・・・というもの。

細胞一つ一つは全体のマップを持っていないのに・・・

全体としてある秩序を作れてしまうという・・・・・・・

何の知識もない私は考えやすいようになんでも自分流な考え方をするんだけど・・

こういう家を作ろうと一級建築士とかが設計して

大工さんたちが家を建てる。

一人一人の大工さんや左官屋さんや屋根工事の人は

家の全体を設計したりはしない。

大工さんだけ、左官屋さん、電気工事士さん、屋根屋さんだけでは家にならない。

それはその誰でもがわかっている。

大工さんは他の左官屋さん、電気工事やさんなんかと、

関係しながら、繋がりながら、全体としてある秩序、家を作れてしまう。

細胞と一緒だ。

屋根工事の人は家の一部分である屋根を作っているとわかっている。

左官屋さんも家の一部を作っているとわかっている。

屋根だけで完成品、壁だけで完成品を作ろうとしてはいない。

・・ということは誰もが “共に家を作って行こう”という意志が元から在る。


細胞には、他と共に(関係しながら、繋がりながら)というなり方で、

成長するという「意志」「設計図」が存在するんじゃないだろうか。

一粒の種も様々な要因である、太陽、水、大地、らの環境全てと共に、

関係しながら、繋がりながら、一本の樹木や、一つの草や野菜になる。

種には“他と共に樹木や植物という全体になる”設計図、意志は仕組まれてあるんじゃないか。

そして、一本の木という全体はその地域全体と関係しながら、繋がりながら、

(調和して・バランスをとりながら)

成長したり、枯れて行ったりして、その時空でそのような全体になる。

その地域全体ももっと大きな地域全体と関係しながら、繋がりながら、

(調和して・バランスをとりながら)

発展したり、滞ったりする。

その大きな地域はもっと大きな地球という全体と関係しながら、繋がりながら、

(調和して・バランスをとりながら)

成長したり、発展したり、滞ったりする。

全体になる。

そういう「意志」が自ずから在る。

 

すべての生命は周りと共に、相互にもたらし合い、補完し合い、

関係し合いながら、成長したり、

枯れて行ったりするんじゃないだろうか。

全ての生命はそういうふうな“なりよう”でなる。

生命である人の意識も同じだ。

 

小宇宙である人体が巨大なネットワークなら、

この私たちが存在する宇宙もやはり巨大なネットワークなんだと思う。

数学の相似みたいに何処をとってもこういう現象なんじゃないかと思う。

一人一人の人間もこの日本という国も

世界に向かっていろんなメッセージを送って、

いろんなメッセージを受け取っている。

どこかが狂って、誤ったメッセージを送ったり、受け取ったりも、してる。

どこそこの人・国だけがよい、なんてことはあり得ないし、

どこそこの人・国だけが悪い、なんてこともあり得ないし、

無数の波紋が飛び交って

それぞれが互いに影響し合って、今ここ がある。

この地球からも無数のメッセージが

宇宙に向かって発信されているだろうし、

他の天体からもきっと多くのメッセージが届いているんだろう。

そんなこんな世界、地球は・・どう変化していくんだろう・・・?????

なるようになるんだろう。全く。

 
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豊洲のいつ何処で誰が・・は空気の中で・・・

2016-10-13 15:13:31 | テレビを見て
さっきテレビのワイドニュースだったと思うけど、

都の豊洲の盛り土問題で

いつ何処で誰が建物の下は盛り土をしないと決めたのか、

小池知事が、それを解明すると張り切っていたようなんだけど、

解明が出来たのか、出来なかったのか、わからないけど、

それは空気の中でそうなった・・というようなことを発表したよう。

うまい表現だと思った。

そうとしか言えないことなんだろうな・・と思った。


日常の暮らしの中でもそれに似たようなことはあると思う。

Aさんが「アレがいいなぁ」と言った・・

それを聞いた人はAさんにとても好意的なのであげたい気持ちになってか、

ご機嫌をとりたいのか、

単なる早とちりなのか、いろいろだろうけど、

アレが欲しいんだな、と無意識のうちに解釈してしまって、

そのアレを勝手に用意したりする、なんてことありそうだ。

その人の中ではAさんが欲しがっていた、

欲しいと言った、なんてことになる場合だってあるんじゃないかなぁ・・

小池さんが『空気』と表現したのは

こういういろんな無意識的な思い、それには思惑なんかもあるかもしれないけど、

そういうものが作用してそうなった・・・

・・・ということなんじゃないかと私は解釈しました。

まぁ、私がそういうふうに解釈しても、

そのことで何の行動もとることにならないので、

なんの問題も起こらないとは思いますが。


でもでも、この世はそういう誤解曲解早とちりの山のような気もするよ。

こういう間違った解釈問題が解決したら、この世は格段に変わるはず。

いや、この世が成長したらこういう間違った解釈問題は自然となくなる、という順序か・・

いや、やっぱり反対か・・

解釈問題、というのは人間問題だからねぇ・・やっぱり。
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北朝鮮が威嚇してるね

2016-10-07 09:21:06 | テレビを見て
今朝のニュースで金正恩さんがアメリカに対して、

近い将来に身震いするような経験をするだろう・・・と

いうようなことを言ったらしい。

犬でもなんでも威嚇するのは内心恐いからかと思う。

弱い犬ほど吠えるように、金さんは不安や恐怖でいっぱい。

一人ぼっちなんだ。

仲良しだったキューバもアメリカと前より仲良くなったみたいだし・・

アメリカ君が自分にこんなことしたから、僕こんなになっちゃったんだ・・

って金さんは正直に思ってること言ってる。

北があんなことするからアメリカ君は頑張ってそうしてるのに・・・

どっちが折れるかは決まってる。

幼い人は折れない。

折れ方を知らない。

女子と小人は・・・と言うように、

器が大きい方が折れてあげるもんだと思うんだけど・・・

その折れ方が難しい・・のかと思う・・・
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好感度?

2016-07-27 09:45:46 | テレビを見て
この頃、テレビで『好感度』という言葉をよく聞く。

どうしてなんだろう???

好感度数?の低い人が多いからそういうことになるのか??

自分がどう思われているか、よく思われているか、に

気が行き過ぎているらそういう風潮が生まれるのか???

「良い人はいいね」という言葉が

小説の「伊豆の踊り子」の踊り子にあったことを何故か覚えているんだけど、

その当時の良い人は自然に振る舞っての良い人だったけど、

今は『好感度』の意識し過ぎ、

不自然にいい人をやってるようなのもある感じがする。

そうしていないと除け者扱いされる・・そんな不安感情があるのかもしれない。

けれど、不自然にいい人をやってると人を恨むようになる。

自分が所謂、いい人状態じゃない時に、

無理していい人のように振る舞うと、

相手に対し否定的な感情が生まれる。

そうさせているのは相手だと勘違いしてしまうからだ。

自分が無理してやったことを忘れて。

経験があるからわかる。


殺人数は毎年戦後最低を更新しているらしいけど、

知らない人を殺してしまう殺人は昔はなかった・・と思う。

そんな事件を起こしてしまう数は本当に少ないと思うけれど、

こういう人が現われるのはどうしてなんだろう・・・

バーチャル世界と現実を混同してしまうからという説もあるけど、

それだけなんだろうか・・・


この前、知らない人を殺した高校生の男の子は

何の問題もない・・所謂優等生だったようだ。

そんな例をよく聞く。

好感度のいい子であることをじわーっと押し付けている・・・

いい子であることを求め、させようとする、やらせ体質がじわじわと子供をむしばんでいる・・・

そんな気もしてしまう私であります・・・
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「~になります」ばかりで・・・

2016-02-14 14:38:18 | テレビを見て
「・・・こちらが台所になります」

…こんな表現ばかりテレビで見る聞く。

イヤだなぁ。

耳障りだ。

気持ちが悪い。

落ち着かない。

うんざり。

BSのテレビ番組の建物探訪というのをさっき見た。

あまり真面目に見ていたわけじゃなく数分くらいで終わったんだけど、

その家の男の人が「こっちが台所でして・・」と言ってて、

とても快感を覚えたよ。

私の耳には心地よかった。

・・・台所になりますコトバにはアレルギー症状が出そう。

この前、病院から日にちを知らせるメモ書きをもらった。

それにもこれだよ・・・

「~月~日~曜日になります

~時になります」。。。。


~になりますアレルギー症状の人が他に居るかどうか知らないけど、

こんなの見たり聞いたりして他の人は何ともないんだろうか・・・

こういう言葉の使い方を以前は聞いたことがないから、拒否感を持つのか・・・

それほど私は新しいことに対して許容量が小さいのか・・・

保守的なのか・・・

老齢化による頭の硬化なのか・・・・・


~なんです の丁寧語だと思って使っているんだろか・・・

「こっちが台所です」は“こっち”の状態を言っているわけで、

「こっちが台所なんです」とも表現できる。

なんです の 「な」 は 「なる」の 「な」。

これの丁寧風として・・「こちらが台所になります」が出て来たんだろうか・・・

自分が他人に発する、なんです、なっているんです、は

他人ではなく自分か自分の子供とか自分側の何かについて言っているので、

これをもっと丁寧に言えば、謙譲語で「なっております」なんじゃないのかなぁ。


「なる」という言葉は深い。

すべての物・事は時間空間を経て相互作用の連続によって現象化するものだ、

ということをその言葉で表していると思うので、

な という言葉に敏感なのかもしれないなぁ・・・

言葉の流行りってこの頃スパンが短いから、

これも流行りの一種で早いとこ消えて行ってくれないかなぁ・・・

それともこのまま居座る気だろうか・・・





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希望は戦争!? 「悪の力 」

2016-01-21 10:16:23 | テレビを見て
この前BS番組の久米書店で姜尚中先生の『悪の力』についてやっていた。

その本は読んだことがない。

番組の中で左わきの画面マスの中に「希望は戦争」という言葉が出ていた。

強烈!と思った。

誰の言葉なのかメモするのを忘れてしまったけど、

確か若い人の言葉だったと思う。

これはどういうことか考えた。


戦争の何が希望なのか・・・

戦争が起こることで様々なことが起こる。

非人道的な残虐な行為や原爆などで多くの命が失われるようなことも起こる。

人間の素晴らしい面が現われることもあるだろう。

戦争という状況下で杉原千畝さんのような勇気ある行動も現れる。

そんなに有名な事でなくても、たくさんの人の小さな美しい行為があったと思う。


この言葉を言った人は何を望んでいるのか・・・

戦争が起こることで何か自分の望んでいることが実現出来るんじゃないか・・・

そんな思いの現れなんじゃないかと思ったのだ。

それは何なんだろう。

人が死ぬことを望むという意味ではないと思う。

戦争によって経済が活発化するということでも無いように思う。


この世は相対性の仕組みから逃れられない。

汚れた洗濯物があるからきれいにする喜びがある。

お腹が減るから食べる喜びがある。

起きて何かをしてるから寝るという喜びがある。

粗末なものばかり食べていればご馳走が嬉しい。

障害、ハードルがあるからそれを超える喜びがある。

ひとが困難な状況でいるから、助ける喜びがある。


もしかしてこの人は今の暮らしの中で、

自分ではそういうことを見つけられない不幸な人なんじゃないか・・・

・・・そんなことを思ったんだけど、

全然違うのかもしれないとも思う。
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NHK超常現象 量子のもつれ

2016-01-19 16:14:51 | テレビを見て
一昨日だったか、NHKのBSで超常現象ナンタラという番組をやっていた。

再放送だと思う。

虫の知らせとか予知能力とか、

テレパシー能力は誰にでもあるんじゃないか・・・

それが科学で解明できてないだけで・・

というような内容だったと思う。

ノーベル物理学賞をもらったブライアン・ジョセフソン博士という人が

こう言っていた。

物質の量子の世界には、

人間の超常現象とよく似た奇妙な面があると思う。

量子論の研究が進めば、超能力の謎も解明できる可能性ありと。


『不確かな物事を否定する前に、先ずは真摯に向き合う。

それこそが科学だ。』

これ、いいね。その通りだ。


意識は量子。

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団塊世代のナンチャラ・・・

2015-06-20 10:12:54 | テレビを見て
やだねぇ~ テレビ番組のタイトルも満足に覚えてないよ。

昨夜のNHKの元教育テレビの私の好きな女優の・・えーっとそう

風吹ジュンが出てる団塊ナンチャラを見た。

それに家事評論家?の吉沢久子さんの様子が紹介されていた。

彼女は団塊世代よりもっとずっと年上の97才。

彼女の脳の灰白質というところが91才の時より今の97才の方が

黒い所が増えている、というのが出た。

ようするに脳の細胞が増えているってことらしい。

彼女の最近の著書を何冊か読んだことあるけど、

一人暮らしで生き生きと自分で出来ることをして若い人たちとも交流したり、

新聞に連載エッセイを書いたりして暮らしているよう。

見た目も若い。

死んだように生きてないってことだろうな。

生きるとは生き生きすることか。

番組に出て来た研究者が言ってたけど、

子供の頃自転車に乗れるように一生懸命練習した、

そういうとき、脳の細胞はどんどん増えている。

大人になると、特に管理職なんてものになると、

問題だったかな、それを右から左に渡すだけで自分で考えることがなくなるし、

いろんなことが(わかっている)状態。

どんなことも慣れている・・わかっている・・オートマチックに物事を進める・・・

それが脳の老化を着実に招く・・・とのこと。

心の(わかっている)状態はどうしたって生き生きできないよねぇ。

苦手なことをしたい、となるのがいいのかなと

傍で数独をやっていた夫に話しかけたら、

ふむ・・というような返事・・で、

献立から何から全部自分で考えて段取り考えてあなたが夕飯つくるのなんていいんじゃないかな・・

っと自分のことは置いといて提案したら、

ふむ・・・でもこれも頭つかっている・・・けど・・

・・・偏ったところばかり使っているんだろうね・・・との返事。

夕飯云々については何のコメントもありませんでした。

わたし、またピアノの練習しようかな、と言ったら、

それにはすぐにいいね、との返事がありました。
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「死ぬと心はどうなるのか」

2014-09-18 15:53:48 | テレビを見て
死ぬと心はどうなるのか・・・

もう何日も前のことなんだけど、NHKで、「臨死体験」を書いた立花隆さんのレポートをやっていた。

死ぬと心はどうなるのか、というテーマだったと思う。

ここのところ、なんだかんだ忙しく、ゆっくりブログを書くモードにならなかったんだ。

立花さんはどこのガンだか忘れたけど、癌だそうだ。

彼が穏やかな感じだったのが印象的だった。

『臨死体験』の本は読んだことはある。

前に何か思ったことを書いたかもしれない。忘れている。

意識は蜘蛛の巣のようなもので、勿論蜘蛛の巣よりずっと複雑な繋がりそのもので

数学的に表現できる、とジュリオ・なんたらという教授が言っていた。

それでも脳が心を生じさせているのだから、死ねば心は消える、と言っていたと思う。

それでも、脳=心 になっていなければそういうことは言えないなぁ。



20年前だかに「臨死体験」を書いた時に取材したナントカ教授だったか、が

当時は死ねば何もなくなると言っていたのが、

その当人がその後、どんなキッカケでそうなったか、忘れたけど、

臨死体験をして、死んでも心はある、と思うようになったというようなことを言っていた。

彼はとても穏やかな心優しい感じで、以前より自分の心をみつめるようになった、

と言っていた。

そうだろうなぁ、と思った。


きっとまたいつか(死んだ後?)あなた(立花さん)に会えるだろうと思っていますよとニコニコとして言っていた。


「私たちはどのようにして臨死体験が起こるのかという脳の仕組みを知るだけで、

それが何ゆえ、そうなのかは信念に委ねるしかない」

と別の研究者が言っていたのも印象的だった。

そういう発言をする人は、死ねば心はなくなると言う人より、顔つきが穏やかで謙虚な感じがした。


死んでないうちに死んだ後のことはわからない。


臨死体験のような神秘体験をするときに動く脳の部分もわかっているという。

その脳は大脳の古い部分にあるそうだ。

と、いうことは人間は元々そのような神秘体験をするように出来ているということだという。

あぁ、そうなんだろうなぁと思った。

臨死体験はしたことはないけれど、

起きていながらの意識の神秘体験は小学生の頃したことがあるのでとても納得する。


番組の最後の方で立花さんが、

人は心楽しく生きる方がいいに決まっている。

本当に死んだらどうなるかは体験しかない。

この研究をして今は死が恐くなくなった。

お楽しみが待っていると思うようになった・・・


確かこんなふうなことを言っていたと思う。

正確かどうかは自信がないけど、感じとしてそんなふう・・・だったと思う。


彼がそんなふうに思えるようになって、本当によかったなぁと思った。
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長い年月

2014-05-14 14:16:28 | テレビを見て
アルツハイマーで脳がかなり委縮してる状態になるには

15年から20年くらいはかかっているという。

あぁ、やはりそうなのだなぁと思った。

転んだことがきっかけで出血した血が脳を圧迫し続けて(硬膜下血症)

二か月後くらいに認知症状が出たなんていう義父のとは違う。

認知症になる要因として糖尿病・運動不足・喫煙・

中年期肥満・うつ病・高血圧なんかがあると番組で言っていた。

このどれをとっても一朝一夕になれるもんじゃない。

今日運動不足で明日脳が委縮するということじゃない。

ちょっと鬱っぽい気分になったから危ないということでもない。

みんな蓄積だ。


今の自分の身体、今の家庭、今の自分を取り巻く世界、

今の日本、今の世界、良いものも悪いものも何でも全部、

それまでのことの結晶と言える。

病は気からということも思う。それも長い年月の。




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何を忘れるのか?

2014-05-14 13:33:37 | テレビを見て
昨日認知症特集のテレビ番組を見た。

その中でも言っていたけど、昨日何を食べたのか忘れるのは

単なる物忘れで、病気ではない。

食べたことを忘れるのが認知症という病気。

「物忘れ」とはよく言ったものだと思う。

何を食べたかという「物」は忘れるけど、

食べた事というのは忘れない。

何かを取りに行って何を取りに来たのか忘れるなんてことはよくある。

何かを取りに行こうと思ったけど、その「何か」は物だから忘れるけど、

(取りに行こうと思った)という(思い)は忘れてないわけだ。

昨日の夕飯に何を食べたのかはその時に思った(思い)を覚えていれば容易く思い出せるけれど、

料理が大好きというわけでも大嫌いというわけでもない私が作るものだし、

うちみたいに変わり映えのしないメニューばかりだと関心もなく覚えないということもあると思う。

似たような材料で似たようなメニューだと忘れやすいかなと思う。

義父の希望でほとんど毎日刺身にしてるし、

野菜は買わないでうちのでやろうと思っているから、

毎日キャベツ、玉ねぎ、スナックエンドウ、菜花、きぬさやばかり。

こういうんじゃなくて変わったものを食べたら忘れない気がする。

「超美味しい!」とか「なんじゃこれは???」なんて思ったら、

その(思い)は忘れにくいんじゃないかな。

ほとんど変わり映えのしない毎日は認知症になりやすいのかもしれない。

そういえば、昨日の番組でも茂木健一郎さんが

ときめくことが認知症になりにくいとか言っていた。

短期記憶をつかさどる海馬というところで神経細胞が破壊されると、

海馬は委縮するのだという。

ときめくと脳の中でドーパミンやエンドルフィンがたくさん出て

神経細胞が増えるので海馬は委縮しないとか言っていた。

そうだ、覚えている記憶というのは喜怒哀楽を伴っているものだ、というのも言っていた。

記憶というのは映像と共に過去の(思い)が今の自分の意識に浮かび上がってくることなので、

やっぱり(こう思った)ということを意識的に自覚することが

認知症になりにくいと言えるんじゃないか。

あまり喜怒哀楽を伴わない行為である、畑で剪定ばさみを作業の途中で置くことも、

置いた後で「はさみをナンタラへ置いた」とわざと意識的に思って

声に出して言うと忘れないというのも予防法の一つかもしれぬ。

認知症は自分のしたことを忘れてしまうのだから。

意識を見張ること・したこと、していることを自覚するというのは

何を描いてそうしてるのかということに当然つながることだし、

自分が認知症になるならないにとどまるもんじゃないと思うから、

常に自分の意識を見失わないようにしたいものだ。
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