「我 当然 執 抹殺」
という言葉があった。
私はコレコレこう思う、
私はコレコレこういうやり方が正しいと思う、
私はコレコレが好き、
私はコレコレするのが当たり前と思う、
私はコレコレするなんてとても出来ない、
私はソンナコトは無意味と思う、
私はコレコレするなんて恥ずべきことだと思う、
・・・こういうような自分の思いや考えを持っているのは当たり前のことだ。
人それぞれいろんな価値観、人生観、世界観を持っているのは当然だ。
けれど、その考えを知らぬうちに正しいと決めつけていることが多い。
他人じゃなく、家族とか、ごく身近な人の言葉や行動を
見聞きしている、その時、その瞬間、
自分の機嫌が悪くなってるとしたら、
自分の考えは正しい!と思い込んでいる証拠。
・・・・それは間違っているよ・・
・・・なんで又こんなことを言うんだ・・・
自分の気持ちがこんなふうな展開になるのは、
自分が思い込んでいる正しさを放せない状態だ。
そういう放せない自分の思いが自分の機嫌を悪くする。
自分の機嫌を悪くするのは自分しか出来ないことだ。
いや他者が自分の機嫌を悪くする、と思い込んでいることが
多いけど、
よくよく、自分のうちを観察すれば、わかる。
自分しか自分を傷つけることは出来ない。
肉体的なことは別として。
ちょっと脱線したけど。
在ること、在る思いや考えは否定出来ない。
そこに今、在る という事実は否定することは出来ない。
だって在るんだから。
在る は 無い ではないから。
人は否定されるとへこむ。
そうでない人は別として。
否定してるうちは、その現状は変わらない。
否定は否定しか生まない。
これを常に銘じていたい。
自覚していたい。
これをやってみてどうかをここに書けるといいなと思っているんだけど、
どうなるだろう。
また、しくじった、ばかりだろうか・・・
自分のためにやりたい。
自分のため以外ない。