ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

後味悪し!

2020-08-31 10:28:54 | 実例体験観察

あのブラウス凄く気に入ってたんだけど、

着られなくなって妹にあげたんだ・・・あげなければよかった・・・

着られたかもしれない・・いや・・・無理か・・・

・・・ふうなニュアンスのこと、娘が言った。

そうなんだぁ・・と言った自分だったけど、

又、そんなこと言ってる・・という冷ややかな反応をしていた自分だった。

そんな自分に満足してたらそれはそれでいいんだけど、

後味悪し。

「あぁ、そんなにそのブラウス気に入ってたんだね♪」

そんな言葉が口から自然に出てたら、後味悪いなんてことなかったろうなぁ・・・

 

他者のことは他者がやる、そんなふうに思っているのに、

いや、心底、思ってないのだ・・・

他者の言葉に、そんなこと言ってぇと判断し(否定し)偉そうにしてたよ。

相手のことを相手に委せられない、偉そうな自分だったよ。

次にこんな機会があったら、その時は・・・

希望を持って行こう♪

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太極拳で・・

2020-08-27 15:41:24 | 実例体験観察

最近夫の友人とその又友人と夫とで

近くの公園に行き、週に一度、太極拳をしている。

その友人たちは指導員とか師範の免許を持っていて、

いわば私と夫は無料で個人レッスンしてもらっているようなもんだ。

ここのところ毎日真面目にDVDを見ながら練習しているものだから、

それをする前に比べ、いくらか動けるようになっていた。

二回目の練習の日、

「太極拳は周りの人と合わせてやるものだからね」と言われた。

それを聞いてハッとした私。

以前より出来るようになり、速度がその時の自分流になっていて、

自分の前で動いている人の動きより私の動きが

少しだけどゆっくりだったところがあったのだ。

昔、『良いのが良いのではなく、合うのが良いのです』という言葉を聞いた。

その意味がそのときわかった気がした。

私は自分が観ていたDVDの速度と同じくらいの速度でやっていて、

その速度が良い、正しい、みたいな、それほど偉そう感はなかったつもりだったけど、

あったのだ。深い所に・・・あったのだ。

それって、「我一人」の境地だったなぁ。

やっぱり恥ずかしいという気持ちになる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひがみ根性の元・・・

2020-08-23 10:22:37 | ひとの幸福

20年位前に娘が定期購読していた月刊波動というのを

私も読ませてもらって、へぇこんな世界があるのかと思った。

いろいろととても勉強になったし、面白かった。

水は答えを知っている、という本を書いた江本勝さんが出している本のようだった。

いや、なんでそんなことを書いているかというと、

その本に波動調整というのをしている所がある云々の記事があり、

割と近くにそういう所があって、行ったことがある。

人の臓器には固有の振動数があって・・・云々・・

詳しいことはもう忘れてしまったけど、そこで手をその機械に入れて計ると・・・

私はひがみの波動の数値が高い、というのが出たんだよ。

とても納得が行ったのでよく覚えているんだ。

一緒に行って調べた人はそういうのは出ず、恨みの波動が高かった。

それはいわゆる、いい人 にそういう傾向があるということ。

無意識的に自分より他者を優先してしまいがちの人は

そういう波動が高くなるそうだ。

それも納得できる。

自分が一番自分を大事にしなければいけない。

でもやはり無意識的に人のためにとそうしちゃうんだよね。

そんなふうに育てられたりして・・・

 

幼稚園に行く前、何歳頃だったか忘れたけど、

もう話が出来てたから三歳か四歳頃のことだ。

毎晩のように私は庭に出て大きなツツジの植え込みの下で泣いていた。

自分が家の中に居ないことを家族にわかってほしくて、

探してくれるまでここに居ようと思っていたことを憶えている。

ほとんどの日が探されることのなかった日だった。

一度だけ、そんなところで何してるのっ!と言われた記憶がある。

その口調のせいかちっとも嬉しくなかった。

そして毎晩のように泣きながら眠った、という記憶がある。

あれはどういうことだったんだろう??というのがある。

よく、子供には厳しかったけれど、孫は可愛がるとか聞くけど、

同居の祖母はとても厳しい人で、

日常的にそんなふうにされた記憶はないんだ。

ケチばかり付けられたという印象がある。

わたしは女が嫌いなんだと堂々と私の前でも言っていた。

わたしは女の子だった。

そして祖母も女だった。

祖母は自分が嫌いだったんだろうか・・・

 

小学生になって家族以外の世界を知ってからは

毎晩泣きながら眠るというようなことはなくなって、

いわゆる元気で明るい子供だったよう。

なんでこんなことを書いているかと言えば、

自分の意識が暗くなるときは必ずひがみ感情が出てくるから

関係あるのかなと思って。

でも、関係あるからとわかったとしても、そんなことわかってもしようがない、

と、今書いてて思ったよ。

 

「どうせ私なんか」・・・・

あ、今この言葉を書いてわかった!

どうせ私なんか、と思うということは、

私という自我が凄く大きくなっているということだ!

ここに私さまがおるのがわからんか、このたわけ者めが・・・これだ。

言葉にして出してよかった。

ひがみ、なんてちっとも偉そうとは思ってなかったけど、

本当に偉そうな自分だったんだ。

それがわかってとても嬉しい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

認知症とピグマリオン効果

2020-08-17 15:00:45 | 日々の暮らし・思い出

この前認知症の検査のことを書いた。

クリニックに行ったんだけど、そこのナースの対応が

認知症であろうこの人は、的な対応なんだねぇ・・・

まぁ私がそう感じただけで、本当はそういう意思はないのかもしれないけど、

今日の検査の結果は何たら日ですが、家族の方と一緒に来てください・・・

まぁ、検査自体も家族と・・・と言われ、夫と一緒に行ったのだった。

今まで医者に行った時の感じと明らかに違う・・・

まぁ、検査が検査だから仕方がないのかもしれないけど、

あなたはすでに一人前ではないのですよ的な対応で、

あの、ピグマリオン効果を思い出したよ。

教師がこの子は伸びる子だと観て、その子供に接すると

その子供はそう観たとおり伸びるというもの。

異論はあるらしいが、さもありなんという気はする、私は。

取調室で「おまえがやったんだろ!証拠は挙がってるんだ!

こうしてこうしてこうしてやったんだろ・・・え!?」などと・・・

何度も何度もそう扱われていくうちに、

そういう人だと観られていくうちに、

その人はそんな気になって事実ではない自白をしてしまう・・・

こういうことがあるらしいというのを以前何かで読んだことがある。

自分がしなかったことまでそんなふうに・・・

こいつは人を殺したと観ると、そう観られた人の心はそうなっていく・・・

心というもの、意識というもの、そんな危なっかしいものだ・・・と思う。

認知症だと観られて常にそういう対応をされていると、

そうでない人もそうなっていくことはあり得ると思ってしまった。

そうならないまでも、自分の意識が本当のものじゃない・・ふうに、

狂って行ってしまうんじゃないかと・・・思う私です。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長谷川式認知症スケールが・・・・

2020-08-14 21:18:16 | 日々の暮らし・思い出

認知症かどうかの検査にこの前行って来た。

長谷川和夫さんという認知症介護研究の権威というか、

研究者でもあり、精神科医でもある人が認知症になって

「ボクはやっと認知症のことがわかった」という本を出していて、

それに出ていた長谷川式認知スケールがやっぱり利用されていた。

あのスケールの項目、覚えておけばよかった・・・などと

馬鹿なことを思ったけど、そう思ったように覚えてなかった・・・

最近物忘れがひどいなぁと思っていて、娘からも指摘されて、

なんでもなければいいんだし、もしそうであっても

早いうちに発見できれば、進行を遅れさせることもできるから・・・

などと強く勧められ、行って来ました、クリニックへ。

全くの無実だと確信があれば、いくら強く勧められたって

行かなかったと思うけど、身に覚えがあるので行って来ました。

脳のCT写真も撮り、検査の結果、認知症ではないということになったんだけど・・

このブログにも何年も前にひどい忘れようのことなど書いたことがある。

車で郵便局へ宅配便の荷物を持って行き、

歩いて帰って来た。

それも帰宅してから、夫に車で行ったんじゃなかった?

と聞かれ、それでも瞬時には何を言われたのかわからず、

数秒後?あ!置いてきた!・・・・だった。

これが確か5年以上前の事だと思う。

漫談家のきみまろのトークで、元々呆けている人は

医師も判断がつかない、などと言っていたけど、

笑い事ではないのである。

やはり以前このブログに『ナントカさんの認知症日記』

というタイトルに変えて書こうか、などと書いた記憶がある。

認知症と診断されたら、観念して、きっとそうすることにするよ。

諦めが早い私で、諦めるというか、受け止めるけれども、

そうならないように努力はする意思はあるんだよ。

自分の顕在意識を監視するというか、観察を怠らないというか、

自分が今、何を思っているか、を

いつもわかっている状態にいるように・・・

そうしていれば認知症にならないのではないかと、

このブログに書いた記憶がある。

結構たくさん書いてるから、いつ書いたのか記憶にございませんが。

けれど、自分の意識を観ていよう、と意識するその意識が消えてしまうのが

認知症なのかもしれぬ。

けれど、今のところ、無意識的に動いている時にした行為は忘れやすい、

ということはわかっている。

いつか、テレビだったと思うけど、

玄関のカギを掛けて家を出たか、掛けないで出て来たか、

思い出せない、というようなことがあるなら、

右利きの人は左手で鍵を掛けると忘れにくい、

というようなことを言っていた。

なるほどと思った記憶がある。

ようするに利き手でない方が意識的になりやすいのだと思うのだ。

自分の意識を観察するという目的が一つではなくなったよ。

いや、その目的に今回のことも合致するものかもしれぬ・・・

今後の自分の意識状態も正直に書いていこうと思っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする