ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

FC東京、ナビスコ準々決勝へ

2009-06-13 19:36:30 | FC東京とサッカー
今日は、午後から曇りで夕方は所により雨のはずだった。一応、ポンチョや傘を持って行ったが、いい天気で暑かった。

懐かしの駒沢。早く行ったが、退屈しなかった。陶器市があり、ゆっくりと見て歩いた。

そばの体育館でハンドボールの試合をしていた。入った所がゴール裏だったので、その迫力に圧倒される。目の前のキーパーのビックセーブの連続に、心の中で「ゴンちゃんもガンバレ!彼のようなビックセーブを見たいよ」と。

そう、その祈りが通じたのか、ゴンちゃんのビックセーブが見れたのだ。

PK阻止!!

あの、PKが決まっていたら、勝敗はどうなっていただろう。これは大きかった。

しかし、米ちゃんの運動量は凄い!!前半の走りを見ていて、後半大丈夫?と思ったが最後まで走っていた。彼は、ビックリするくらい足が長く感ずる。あっという間にボールを持っている選手の所まで行き、その長い足でボールをこそげとる。彼のプレーは面白くて目が話せない。縦横斜めに楽しそうに走り回っている。

米ちゃん、ガンバレ!!

梶山君は、いつものように味方が予期しないパスもあったが、やっぱり、彼は東京の中心だと思う。本当にボールがよく集まるし、さばいてくれる。時々、パスコースを読まれる事はあるが、見ている私が感ずる方向とは、全然違う方向にパスが通ると「おおー!」と思う。今日の彼は守備意識が徹底していた。

“東京の10番、梶山陽平”ガンバレ!!

赤嶺のPKは面白かったし、ソウタンのインタビューも面白かったし、久しぶりの駒沢は楽しかった。




次は準々決勝。今度こそは決勝まで行ってほしい。

あの、国立での歓喜をもう一度!!
ガンバレ!!東京!!





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友達と、仙川愉快な散策

2009-06-11 08:20:33 | Weblog
友達が、“アイボリー”に載っていた仙川近辺の散策に行こうと言う事で出かけた。アイボリーの地図を頼りに竹林を目指した。

ところがおしゃべりに夢中でどこかで道を間違えたみたい。歩いたあたりにはそれでも、昔は雑木林だったのだろうと思われる面影が残っていた。そして、モダンな住宅地が続いている。今でも、残り少ない緑を伐採して住宅を作っている所が多々ある。もったいないナと思う。確かに必要な住宅はあるだろうが、人々の心の平安の為には、もっともっと緑の空間は広げて行かなければならないだろうにと思う。








途中で「武者小路実篤記念館」に進路を変更し、通りすがりの人に聞きながら歩く。満開のおしゃべりをしながら。

入り口まで100メートルの看板があり、レンガの小道を歩く。右手にフェンスに囲まれた緑の公園沿いに歩きながら「此処がそうね。でも、こっちは入り口がないみたい。グルっと回らないといけないみたいね」と、しばらく歩く。公園が住宅にかわり「えっ、どっち?」道がトの字の所に方向を示す看板が・・・。

私達が歩いてきた方向に向けた←で「入り口320メートル」と。「ええ!どこに入り口があった?」

散歩の人に聞くと「じゃーこっちから回って行ったら」と言われ、トの字の登り道を右折する。車が一台やっと通る道をドンドン行くと、左手にそれらしき公園と、右手にもさっき歩きながら覗いた公園が・・・。

さア、どうしょうか。

その時、2匹の犬を連れた女性が来たので聞く。彼女が笑いながら「よく、この辺で道を聞かれるんですよ。分かりづらいみたいですね。連れて行って上げます」と歩き出す。

付いていくと「ここが近道だから、ちょっと失礼して」とよその家の庭のフェンスのドアを開ける。「いいんですか?」「いいの、いいの。グルッと回るのは大変だから」と。

出たのはさっきのレンガ道。そのレンガ道を横切り入り口に案内してくれた。「さっき通ったけど、入り口こっちと看板が出ていないと絶対に分からないよね」と、お互いに笑いあう。

緑豊かな公園の中は本当に気持ちがいい。遺族が調布市に寄贈しなければ、残らなかったであろう貴重な自然。そうでなければ、此処も住宅密集地に変わっていたのだろう。歩いて来た道々で小さな自然を壊して住宅を建てている所を目にしてきたので、よけいに緑が心に染み渡った。






ひかりごけ


帰りは間違わないように駅への道を聞き歩いたが、おしゃべりに夢中で「曲がり角はどこだった?」状態で駅前の商店街に着き、美味しくランチとスイーツを頂く。本当は「アイボリー」に載っていた「美味しいランチ」の店に行くつもりだったが、定休日だった。

「最後まで珍道中のミステリー散策だったわね」と笑いあった。が、まだ終わってはいなかった。最後の“落ち”があった。

調布で乗り換えの普通電車に乗った。またまたおしゃべり満開で、途中で電車が止まった時「ここはどこかしら?」と外を見ると、なんか見覚えのあるような工事中の駅。「あ、調布!」とあわてて降りて・・・。

「あれ!何か違うような・・・」そこはまだ“国領”だった。気がついた時には電車は行ってしまった。

そして、3台の通過電車を見送り、4台目の電車に乗り込み“楽しい?一日”が終わった。

会社に勤めていた時、同僚に「一見、落ち着いて見えるけど、性格はおっちょこちょいの所がある」と言われたが、まだまだ、健在だった。
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遺産相続の格差

2009-06-11 07:58:53 | Weblog
相続にはいろいろある。親の遺産相続。過去の人々からの文化遺産。そして、一番問題になっている地球環境を守るための緑の遺産。

今を生きている私達の立ち位置は、今、この瞬間の現在。一番大切な遺産は、過去から延々と未来に続いていくであろう地球の環境であり、自然だろうと思う。人類が生きて行く為に、全ての地球上の、ミクロからマクロまでの生命体の為にも。

そして問題になるのは親からの遺産相続だろう。この遺産相続は住んでいる所、生まれた所により、比べられないほどの差がある。私にとっては眩暈がするほどの格差である。

私の知っている稲城市の農家の未来の跡取りは、過去の遺産相続に苦しんでいる。バブル時におじいさんが亡くなったために、私には実感の出来ない天文学的な(私の感覚)額の相続税に苦しんでいる。

それは彼だけではない。たくさんの遺族が背負い切れない税金の為に、土地を失って行く。そして、売られたり、物納された土地は、細かく細分されて住宅地として売り出される。そして、農地だったり雑木林だったりした自然は次々と姿を消して行く。

果たして、この時代にそれでいいのだろうか。地道に農業を生業にしている人の土地を相続税として取り上げていいのだろうか。そんな事の為に、貴重な自然環境を破壊していいのだろうか。

「家屋敷が無くなっても、アパートの一室にしか住めなくなったとしても、この緑豊かな里山を未来の子供達に残したい。このままでは、数年後には里山が無くなってしまう。どうしたらいいのだろう」と。私は、それを聞いて胸が一杯になった。

たとえ、78haの南山がなくなったとしても、せめて、それに連なる東山はどうしても開発させたくない。奇跡的に生き残った里山や雑木林が、開発の名の下に破壊されて行くのは、東京近郊の宿命なのだろうか。

そして、思い出されるのは、私の亡くなった父の事。私の生家は田中角栄さんの選挙区だった。三方を、今で言う里山に囲まれて実り豊かな田んぼが広がっていた。

団塊世代の私が小さい頃は、家にも村にも溢れるほど沢山の人々が住んでいた。私の家は祖母と両親と3姉妹の6人家族で、珍しいほどの小家族だった。

戦後、整地された田んぼは見渡す限りの黄金の稲穂で揺れていた。三方の里山は、春のパステルカラーに、夏の濃緑に、秋は紅色や黄金色に萌え、冬は白色に佇む。

何と、豪華な風景だった事だろう。まだ、TVの無かった頃は、人々の世界は村の中だけだった。鬱陶しい事もあるが、貧しいながらも濃密な関係の豊かな人々の生活があった。

TVが普及し、マイカーと言われる車が普及し、子供達が都会の大学に行くようになり、減反政策が実施され、村々は少しずつ少しずつ変わって行った。

帰るたびに、虫食いのように広がって行く減反の田んぼ。帰るたびに田んぼの中に車の通る道路が出来て行く。帰るたびに村中の店が無くなって行く。帰るたびに家々の家族数が減って行く。

田中角栄さんは、貧しい裏日本を豊かな表日本のようにしたいと、必死に働いてくれた。人々は本当に期待した。都会の人のような生活がしたいと。バラ色の未来を想像して。

豊かさとは何だろう。

今、豊かな農地は虫食いのような水田に変わり、里山は一年中が緑の杉林に変わろうとしている。

もっと奥地に入れば、崩壊集落が点在している。家々が建っていただろう場所も田んぼや畑だっただろう場所も山に帰ろうとしている。そして、誰も住んでいない集落でも、舗装された道がどこまでも伸びている。

そんな風景を見て、いつも「つわものどもの夢の後、後は野となれ山となれ」と空しく口ずさむ。

私の生家のある村は、町に近くて大きな集落だが、大きな家に住んでいるのはほとんど老人。子供達の声も聞こえず、姿も見えない。

私の家は9反の田んぼと、東山と西山にどれだけあるか分からない面積の山林があり、あっちこっちにある畑の面積もはっきりとは分からないが、平均的な農家である。家屋敷も都会に比べれば無駄に広い。

3年前に父がなくなったが、相続税など、ほとんどかからない。ホッとしながらも、何の価値も無いんだと空しさも感ずる。

先祖達が守り耕してきた実り豊かな農地が、無用な荒地となり、山際の棚田から木々に覆われて行くのを、帰るたびに見ていると、田中角栄さんに聞いて見たくなる。

「あなたが考え努力した、あなたの故郷の農民達の幸せとは、何だったのでしょうか」

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南ちゃんの会

2009-06-09 07:59:56 | 南ちゃんと南山
日曜日、里山の下草刈りについての、専門家の意見を聞こうと集まる。川崎市で、市から森林ボランティアを任されている人を招いて。


社会福祉協議会から、中高生対象の体験ボランティア受け入れの依頼があり、その為には、私達も正しいやり方を覚えようといつもの所に集合した。

作業のやり方も「なるほどなア」と思ったが、里山を保全して残して行くための行政への働きかけから、様々のノウハウを聞けて、本当に有意義だった。


昼食は、いつものようにトン汁を囲み、滴るような緑の中へ広がって行くおしゃべりは尽きなかった。


そして、講師の方から、この“稲城の里山”を「こんなに素敵な里山があるなんて、本当にうらやましい。私達が守っている所は狭くて、すぐに住宅が迫っている。私達も協力するから、皆で守って行きましょう」と力強く言われた。

いつまでも、いつまでも、この緑に包まれて心を無限に開放したいと思う。











どうして、この里山を丸裸にして、コンクリートで覆い、建物を建てたいと思うのだろう。どうして、この豊かな緑が札束に見えるのだろう。


ポール・コールマンさん達と植樹した木々がすくすくと育っている。


 

この、素晴らしい“稲城の里山”を未来の子供達に残す為に、もっともっと知恵を絞りアイディアを出して行かなければ強く思う。




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足利事件

2009-06-06 15:32:47 | Weblog
菅家利和さんが釈放されたのは本当に良かった。

でも、報道で知る限りだが、苦しさのあまり一度でも自白してしまったら、恐ろしい事になるのだなとゾッとする。

自白しなくても、この間の電車内での痴漢冤罪のように、犯人とレッテルを貼られてしまうと状況証拠が無罪と証明していても無罪を勝ち取るのは難しいのだなと思う。

逮捕された時、DNAが一致していますと言われれば、私達はその人が犯人だと思う。でも、今回はその時の鑑定書を専門家が見ても、「同じ型とは言えない」と言っているが、その時の鑑定者の責任問題はどうなるのだろう。

無実の人を約20年も罪人として、その人生を奪った罪。そして、本当の犯人に平穏な人生と時効を与えた罪。私達への検察や裁判官に対する不信感を植え付けた罪。

裁判員制度が始まった。果たして、冤罪はなくなるのだろうか。検察側から裁判員に示される証拠等は、本当に信頼出来るものなのだろうか。今回の事件だって、検察側から「DNAが一致していました」と言われれば、裁判員としては信じてしまうだろう。

いつかは私にも裁判員にと通知が来るかも知れない。微妙な事件であった場合、果たして検察側から提示された証拠から真実を見極める事が出来るだろうか。不安になって来る。
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FC東京、山形戦

2009-06-04 09:55:20 | FC東京とサッカー
忙しい一日だった。

1時30分まで仕事をして、“おとうさん”の梅林で梅もぎのお手伝い。生い茂る枝の中に手を入れて梅をもぐので、あちこち枝でかすり傷が出来た。長袖の服を着てくるべきだったなと。

よじ登って木をゆする人、落ちた実を集める人、それを梅酒用と梅干用に仕分けする人、楽しかった。

私は途中で国立に行く為に抜ける。梅を2K頂く。

水曜日なのに国立のソシオ待機列は長い列が出来ていた。お勤めの人はお仕事は?と、余計は心配をする。

ドロンパとヤクルトのキャラクターが私達の為に、音楽に合わせて踊りを披露してくれる。ドロンパは「あー息が切れる」とゼイゼイする仕草で私達の笑いを誘う。子供達も楽しそうだった。


取材に来ていた小倉氏。


バックスタンドの通路用の座れない座席がいつもよりも多くてちょっと「ムッ」とする。そのため、下の方への降り口が渋滞して危ない。私はもっと中央寄りに席を取りたかったが、その通路の方に行かないで、いつもよりもゴール裏寄りで我慢した。

前に、その通路用になっている座席の間を歩いた時、バランスを崩して転びそうになった事があるので危ないなと気にしてた。案の定、一人の男性が転んだ。それも、2回転してあちこち打ちながら下の方の座席にはまりんでしまった。周りの人が引きずり出して、その人はビッコを引きながら通路用を歩きだしたら、又、バランスを崩して、同じように大きく2回転しながら、転げ落ちた。

彼は大丈夫だったかしら。もっと、いい方法はないのかしら。

試合は前半と後半が別のチームだった。前半は酷かった。友達と「こんなプレーしか出来ないなら、もう次は来たくなくなる」と話していた。やる気があるのかしら、勝ちたくないのかしら、プロのJ1の選手?と、愚痴っていた。

後半は動き出しから見違えるように違っていた。皆、守備にも攻撃にもサボらず走り回っていた。「やれば、出来るじゃん」と私達は身を乗り出した。

そして、梶山くんの素晴らしいゴール!!
「やれば、出来るじゃん」と私達。

それから、梶山くんのゴールでスイッチが入ったように、更に動きが良くなった。全員の意識が次のゴールへと押し上げて行くのが分かった。選手やサポーターの心が乗り移ったように、カボレがボールでネットを揺らした。彼らしい2点!


私達はハーフタイムに入る時「監督に怒られるだろうね」と話していたら、やっぱり、監督に怒鳴られたらしい。

次回からは、怒られて動くんではなく、怒られなくてもファイトして欲しいな。学校の部活ではないのだから。

次回は駒沢競技場。駒沢は本当に久しぶり。カンカン照りの暑さでも、ザアーザアー降りの雨でも辛いな・・・。でも、絶対に勝って決勝トーナメントに行きたい。

私達も力を入れて応援するから、選手達も山形戦の後半のようなファイトを見せて。

勝って決勝トーナメントに出場しよう!!
そして、カップを掲げよう!!



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稲城の里山は魔の山か

2009-06-02 20:40:08 | 南ちゃんと南山
朝日新聞の「石原知事の発言から」を読んで、あまりの石原都知事の見識の無さに寒気がした。多分、もっと色んな言葉があったのだろうが、あれは酷い。

高畑監督やポール・コールマンさんが実際に里山を歩き、その素晴らしさを絶賛し、ぜひ残してほしいと切に願った稲城の里山。

石原都知事は一度も現場を見ていない。開発者は都知事の許可を得る為には、都税を48億円も投入してもらう為には、どんな事を言ったか見当が付く。

朝日新聞だけでなく、読売新聞の「石原語録」はもっと凄い。まるで、稲城の里山が3人も殺したように読める。里山は子供達を殺さない。そこには人的要因がある。皆、いろいろな思惑があり、真実を表ざたに出来ないで来た。ここに至っては、真実を公表するべきだと思うし、近々公表するそうだ。

又、多数の合意を得て行っているプロジェクトだからと言っているが、それも真実とは違う。ほとんどの住民が知らないうちに始まったプロジェクトだ。開発派は「今さら、考え直せと言われても…」と言うが、ほとんどの住民が知ったのが“今”なんだから。

又、「放置した山林は危ない」と言うが、稲城の里山は、沢山のハイキングの人達が入って来るし、歩けば、あちこちに畑があり、炭焼きもやっているし、里山保全の為に、複数の団体が下草刈りも行っている。石原都知事が言うように「荒廃した山」ではない。

ぜひ一度、石原都知事には、稲城の里山を自分の足で歩いて、そして自分の目で見て欲しい。知性と教養を備えているであろう石原都知事なら、緑のプロジェクトを取り仕切っている都知事なら、きっと里山の素晴らしさを実感するのではないだろうか。

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