とうとう今日は、FC東京の原監督が、看板を下ろす日。沢山の東京ファンが集まった。始め、寒いので日向にいたが日が翳り、寒くなると共に涙腺も緩んで来た。特に後を向いて、なかなか言葉が出ない涙の文丈さんに涙がこぼれた。
始め原さんが監督として来ると聞いた時、原さんを良く知らなかった。友達が「浦和がJ2に落ちた時、監督していた」と言っていた。「ふ~~ん」と。クマさんの後で、どんなサッカーをするのだろうと開幕を待っていた。
そして、「攻撃サッカー」で始まった開幕の“鹿島戦”のうそのような4-0の楽しいサッカー。小林成光が一番輝いた日。
スローガンはいつも“攻撃”を掲げていたが、攻撃しきれず、ゴールも遠く苦しんだゲームも多々あった。選手達が勝てずガックリ肩を落としていても、原監督はいつもスックと背筋を伸ばして次を見つめていた。
ゲームが終わり、選手達と一緒にゴール裏に来る原監督が好きだった。勝ったら嬉しそうに、負けたらすまなそうに・・・。なかなか、そんな監督はいない。私達ファンを大切に思ってくれ、そして楽しませてくれた原監督。4年間、楽しい日々をありがとうございました。
私は今とっても寂しいです。もう一年、原東京を見てみたかった。でも、別れは必ず来る。“今”で良かったのかも知れない。原監督の為にも、私達ファンの為にも・・・。
アンコールに応えて、もう一度、姿を現した原監督。もし、来年まだフリーであったなら、ぜひ東京のサッカーを味スタに見に来てください。たぶん、私達の東京選手達は、原東京のスタイルを忘れてはいないと思います。
始め原さんが監督として来ると聞いた時、原さんを良く知らなかった。友達が「浦和がJ2に落ちた時、監督していた」と言っていた。「ふ~~ん」と。クマさんの後で、どんなサッカーをするのだろうと開幕を待っていた。
そして、「攻撃サッカー」で始まった開幕の“鹿島戦”のうそのような4-0の楽しいサッカー。小林成光が一番輝いた日。
スローガンはいつも“攻撃”を掲げていたが、攻撃しきれず、ゴールも遠く苦しんだゲームも多々あった。選手達が勝てずガックリ肩を落としていても、原監督はいつもスックと背筋を伸ばして次を見つめていた。
ゲームが終わり、選手達と一緒にゴール裏に来る原監督が好きだった。勝ったら嬉しそうに、負けたらすまなそうに・・・。なかなか、そんな監督はいない。私達ファンを大切に思ってくれ、そして楽しませてくれた原監督。4年間、楽しい日々をありがとうございました。
私は今とっても寂しいです。もう一年、原東京を見てみたかった。でも、別れは必ず来る。“今”で良かったのかも知れない。原監督の為にも、私達ファンの為にも・・・。
アンコールに応えて、もう一度、姿を現した原監督。もし、来年まだフリーであったなら、ぜひ東京のサッカーを味スタに見に来てください。たぶん、私達の東京選手達は、原東京のスタイルを忘れてはいないと思います。
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