鳥栖は思い出の場所。私が東京のサポーターになって、初めて一泊応援ツアーに参加したのが鳥栖戦だった。
参加者は数えるほど。福岡空港に着いて迎えに来た観光バスに乗り込んだのは、フロントを入れても10人いたか。
その時、いっしよだった彼女は、私が初めて日帰り応援ツアーに参加した時、声をかけてくれた人だった。
サッカー応援初心者の私には分からない事だらけだった。
雨の市原臨海でのナビスコ戦は、今の私への入り口であり忘れられない体験だった。
その時の彼女とは、その後は別々の仲間と別々の場所で応援していた。スタジアムで会えば、熱く語り合う仲だった。
ある暑い夏の国立競技場。日陰で開門を待っている私に、知り合いの男性が、「○○さんが亡くなったの知ってる?」と言った。
その日の試合はシッョクで覚えていない。
まだ若くて、丸いメガネをかけて、太陽のように、丸く笑う人だった。一人娘と聞いている。ご両親の嘆き苦しみを思うと心が痛くなる。
東京を応援し始めて12年、いろいろな事があったな、としみじみと思う。
参加者は数えるほど。福岡空港に着いて迎えに来た観光バスに乗り込んだのは、フロントを入れても10人いたか。
その時、いっしよだった彼女は、私が初めて日帰り応援ツアーに参加した時、声をかけてくれた人だった。
サッカー応援初心者の私には分からない事だらけだった。
雨の市原臨海でのナビスコ戦は、今の私への入り口であり忘れられない体験だった。
その時の彼女とは、その後は別々の仲間と別々の場所で応援していた。スタジアムで会えば、熱く語り合う仲だった。
ある暑い夏の国立競技場。日陰で開門を待っている私に、知り合いの男性が、「○○さんが亡くなったの知ってる?」と言った。
その日の試合はシッョクで覚えていない。
まだ若くて、丸いメガネをかけて、太陽のように、丸く笑う人だった。一人娘と聞いている。ご両親の嘆き苦しみを思うと心が痛くなる。
東京を応援し始めて12年、いろいろな事があったな、としみじみと思う。
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