ふみさんの日々雑感

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新巻シャケの解体

2013-12-26 17:37:45 | Weblog
久しぶりに新巻シャケを一本、解体(?)した。

私の田舎では、お正月は何処の家でも、新巻シャケを一本買って来て、それを切り身にして焼いてお正月を迎える。

子供の頃、シンシンと降る雪に埋もれて、父親の手元でシャーシャーと動く包丁を見つめていた。貧しい農家では、何よりの御馳走だった。

結婚してから、暮れには夫と私の実家に新巻シャケを送っていた。そして、家用にも一本買って帰った。

今度は、私の子供達が、目を輝かせて私の手元を見つめていた。

何回か引っ越しを繰り返しているうちに、いつの頃からか、田舎に送る事も家で買う事も無くなった。

そういえば、暮れの今頃、昔はどこのお店にも新巻シャケがゴロゴロ並んでいたが、今は見た事が無い。今は、切り身でしか売っていない。

今では、その切り身を買って来て子供達の為にお正月には塩シャケを焼く。

新巻シャケを解体する為に、油紙を巻いた出刃庖丁を出した。

もう、出刃庖丁の出番はほとんど無い。

私には出来ないが、田舎に住む妹はブリさえも、まるまる一匹買って来て刺身におろしている。

まず、頭を落として、と包丁を入れたら、「あれ、切れない!」

ずっと、使わなかったから、包丁がナマクラになっていた。

「あららら、砥がなくては…」 と思ったが、水盤の下の物入れの奥から砥石を出すのが面倒だ。

本当に、職人さんが使うような立派な砥石を私は持っている。もう、本当に持っているだけだ。

時々、本当に時々、包丁を砥いでいる。父親のように上手には砥げないが、まあ、何とか切れるようにはなる。

でも、砥がなくても、何とか切り身におろした。

一切れ一切れラップに包み、骨の付いた方は家の冷凍庫に、骨の付いていない方は娘の家に持って行った。

この新巻シャケを送ってくれたのは、姉妹のように育って、もう一人の姉のように慕っている従姉から送られて来た。

その彼女の旦那さんは、今、末期がんで、もう寝たきりになっている。

随分前にガンの手術をして、3年前に再発をした。その時に、「長くて1年でしょう」 と言われたが、3年も立つ。とうとう、今年の夏ごろから、床に着く事が多くなったと言う。今は、寝たきりになって、家でいとこが看病している。

普通は、もう病院に入院する状態だが、彼女は車の運転が出来ない。バスで通うには、本数も無いし、駅まで行って乗り換えなくてはならない。

市の総合病院は、昔は駅から歩いて便利な所にあった。でも、あまり駐車場が無かった事もあり、柏崎原発での補助で立派な病院と広大な駐車場が市の郊外に出来た。

確かに、車を運転できる人には便利だろうが、運転できない人や、亡くなったウチの父親のように年とって運転出来なくなった人には、どうしょうも無いほど遠い。

だから、いとこは自宅で介護をすることを選んだ。本当に大変な事だと思う。

「毎日、天井を見つめて、イロイロな事を考えているみたいで、ふみちゃんに何か送ってと言うのよ」 と。

そんな…私の方こそ、何かしてあげたいのに…。

夫も姉も、眠ったらもう目覚める事は無いのを自覚しないで永遠の眠りに着いてしまった。

でも、いとこの旦那さんは、3年前からその日を見つめて生きて来たのかと思うと、その気持ちを想像するのは難しい。今は、その日の来るのを、ただ、じっと見つめて時の刻む音を聞いているなんて…。

お正月には、帰って来る子供達に、その事をちゃんと伝えなくては。

尻尾の所を、早速一人で焼いて食べた。

涙が出る程、美味しかった。ありがとう。


コメント
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