波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
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波屋山人

百瀬さん

2020-10-20 22:50:13 | Weblog
週刊文春で「不良ノート」の連載が始まったのが1992年。
読者を引き付ける穏やかな文体の中に、刺激的な内容。思わずその世界に引き込まれた。
著者の百瀬博教(ももせひろみち)さんは、ヤクザの親分の家に生まれ、裕次郎のボディーガードをしていた。
たくましいのに感傷的でロマンチックな一面もあり、獄中生活が長かったのに教養や品性を感じさせる。ふところ深く、情熱、闇、知性、純粋さ。とても魅力的な存在だった。

2008年1月に亡くなられてからも、未だに時々思い出す。
何年か前に訪れた池尻のスノードーム博物館には、百瀬さんのコレクションだったスノードームが遺されていた。
スタッフには、百瀬さんを知る人がいて、直接お会いしたことのない私はうらやましく感じた。

久しぶりに百瀬さんについて検索すると、一昨年書き込まれた次のようなブログを見つけた。

https://ameblo.jp/yukiton-4030/entry-12277396289.html
>百瀬さんが亡くなってから早いもので、10年たつ。わたしにとっては忘れられない人の一人なのだが、もう思い出そうとする人もいない。みごとに忘れられてしまった人の一人である。

百瀬さんと深い交流のあった編集者のようだ。
交流がなかった人でも未だに思い出す百瀬さんのことについて、これからも書き残してほしい。

ただ、百瀬さんに多額の負債があったとは知らなかった。
しかし、百瀬さんの評価を下げるものではないと思う。


https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:RYniUfhxTEAJ:https://note.com/lonewol1431/n/n0c0bb31d4bd3+&cd=3&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
百瀬さんのこと その二  
塩澤幸登 2020/10/08 03:30
(略)
百瀬さんはわたしも細かいところまでは分からないが、本人のブラフも交えた回想によれば、バブル時の株の投資で何十億というお金を手に入れながら、その後の株の大暴落で無一文になった、という話で、一円も貯金の無い状態で生活していた。
しかし、いろいろなところに小口の投資をしていたというか、上納金とか、企業のトラブルシューターとかを勤めていて、はっきりした金額は分からないが、本人談では毎月、三百万円くらいの現金収入があるようなことをいっていた。表参道のペントハウス風最上階マンション(150平米くらいあった)家賃が150万円だが、それを90万円にまけてもらっているんだと言っていた。残りが二百何万あるのだが、それで、一銭も貯金せず、「お金は使わないと入ってこない」といって、その二百万を毎月の生活費に使って生活していた。
(略)
彼の死の前後のこととか、株式投資で何億円か借金をしていて、株の値が下がって追い証が発生しているんだとかいっていたのだが、そういう財産の状況とか、わたし自身も分からないことだらけだった。
(略)
百瀬さんはとにかく、手元に現金がなく、花田さんにも借金をしていたのである。その借金の返済の一部として、わたしが編集して作った『HIROMICHI MOMOSE SOUVENIR PHOTOBOOK』を『昭和不良写真館』という書名の本にして、花田さんの出版社から発売するという話にまとめたのだった。
(略)
死後の破産整理で、負債と財産の実情が明らかになった。細かいことは書かないが、家庭裁判所が下した判決が残っている。財産は借金の十分の一しかなく、最大の債権者であった横浜のなんとかさんは、百瀬に二億円貸してあったが、それはもどってこず、市川のマンションを処分するうちの二千万円がその人の取り分だった。花田さんは貸金の十分の一、百五十万円しかもどってこなかった。わたしの原稿料三十五万円は証拠不十分で、返済項目に採用されなかった。


コメント (1)
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