世の中の構造を認識するためには、秩序と無秩序というか、組織と混沌の関係に注目する必要がある。
法律や常識、学校とか会社とか国家といった組織や秩序のなかで肯定される方向性だけに目を向けていたのでは、世の中の仕組みを見誤ってしまう。
世界は、秩序で成り立っているのではない。
秩序は、混沌の中から一時的に立ち上がったものにすぎない。
秩序にとらわれた人は、組織化、秩序化、言語化など、目に見える成果を生み出す。
その反面、秩序の維持発展に適さないものを否定・排除し、目を向けなくなる。
そのことによって、世の中の構造を認識できなくなってしまう。
虹を7色だと認識すると、ほんとうは無限にあるグラデーションの色なのに、7色しか認識できなくなる。
言葉を学ぶと、ほんとうは音の種類は無限にあるのに、言語として聞き取れる音しか理解できなくなる。
不要なものをゴミや雑草や害虫や犯罪人と認識すると、価値を見出すことができなくなる。
人類は、AIの発達によってあらたな社会にたどり着こうとしている。
将来的には、男女とか外国人とか労働とか民主主義とか犯罪といった概念すら消滅してしまうかもしれない。
そんな中で、人類の意識レベルはあらたな段階に入って行くだろう。
事前に少し意識の準備運動をしておいてもいいかもしれない。
「正義」とか「正しさ」、「真理」や「神」などといった崇高な存在は、まぼろしのようなものだ。
あくまで、人間社会の維持発展にとって都合のよい、言い換えれば人間にとって「適切」「重要」だと相対的に認識されていることが、絶対的な概念で示されている。
世の中には絶対的な善や悪などといった存在はない。
法律や憲法あるいは戒律や常識などによって規定されたことは、絶対的に正しいのではない。
あくまで人間の社会の維持発展にとって不都合なことや不適切なことが、絶対的に否定されるべきことであると規定されているだけだ。
法律や憲法で否定されていることは許されない、という認識では、世の中の構造を見誤る。
私は、基本的に違法行為をしない。
しかし、それは法律に違反すると不利益をこうむるから違反行為をしないことを選択しているだけだ。
法律で規定されている「肯定されるべきこと」「否定されるべきこと」を受け入れているわけではない。
(個人のお酒造りが解禁されたら堂々とワインや日本酒を作るだろうし、大麻が解禁されたら試してみるかもしれない。牛のレバ刺だって堂々と食べるだろう。車でも一度200キロ出してみたい)
世の中には、強力な秩序を持つ組織がある。
会社、官庁、政党、宗教団体、等々。
なぜ国家や宗教や政党に関係する対立や争いが多いかといえば、それは秩序と秩序が干渉と衝突を起こしているからだ。
何かを否定することによって何かを構築する秩序と、別の秩序が接点を持てば、対立が生じるのは当然だ。
世界各地の宗教団体や共産主義政党や体育会系企業がなぜ異論を認めず強力な組織化を推進しているのか、
なぜ信者や同調者の確保に熱心なのか。
ほんとうに自己中心的ではない人たちは、強力な組織化を目指さない。
禁止事項を多数設けたり、信者獲得を優先したりしない。
どこか自分に嘘をついている組織が、強力な秩序を成立させる。
ある一方方向の秩序化を、肯定されるべきものとして設定。
何かを見ないことにして、何かに気づかないふりをして、価値がないと見なしたものを排除することによって推進されている。
混沌とした世界を眺めている人々は、やがて竜巻に飲み込まれるように、組織化を進める人たちに引っ張り込まれてしまう。
時間を守らず規律もゆるい気まぐれな人々は、競争力のある規律的な人々に負かされ、支配されてしまう。
やがて世界は強力なビジョンを示して秩序化を推進する宗教団体や政治団体にからめとられてしまうかもしれない。
それでも、大きな声の人たちの陰に、秩序に従わざる者、我が道を行く者、秩序や効率ではなく混沌や非効率に目を向ける者も存在し続けるだろう。
近年は、組織化が特徴的な特定の政治思想や宗教の影響を受けている人やメディアが工作的な言動を行っても、一般人に見透かされて反発を受けることも多い。
やがて砂上の楼閣や台風が姿を消すように、強力な秩序も崩壊を迎える時が来る。
ふたたび世の中に混沌が満ち溢れた時、混沌と組織の両方に目を向けている人が新たな指針を示すのではないだろうか。
私は社会人ではあるけどアウトサイダーでもあり、大人ではあるけど幼稚でもあり、時間や規律は守るけどゆるい世界が好きで、言語を使用するけど言語化できない世界にも関心があり、もどかしい思いを抱えている。
この「もどかしさ」は、効率や秩序が重要な学校生活や社会人生活には不要なものだ。
多くの優秀な人たちは混沌の中にたたずまない。スマートに問題を認識して解決方法を見出すだろう。
だけど、それでは見失ってしまうものも多い。
私は、脳の奥に浸透するようなキンモクセイの甘い香りに目が覚める。
人間の嗅覚には感じ取れない香りの存在を感じる。人間に感じ取れない世界の広がり。
氷山はごく一部しか水面から出ていない。同じように、キンモクセイの香りも、人間が感知できるのはごく一部。
氷山の、海面から出ている部分を世界のすべてだと見なしても、見誤ってしまう。
海面から出ている部分を削り取っても、また水面に氷は浮上して来る。
秩序や組織や言語に覆われた世界は、海面に出た部分の氷山のようなものかもしれない。
海面下の見えないところにも意識を向けたい。
だから、秩序と混沌の間でもどかしい思いをしながら、支離滅裂になりがちな文として残しておく。
法律や常識、学校とか会社とか国家といった組織や秩序のなかで肯定される方向性だけに目を向けていたのでは、世の中の仕組みを見誤ってしまう。
世界は、秩序で成り立っているのではない。
秩序は、混沌の中から一時的に立ち上がったものにすぎない。
秩序にとらわれた人は、組織化、秩序化、言語化など、目に見える成果を生み出す。
その反面、秩序の維持発展に適さないものを否定・排除し、目を向けなくなる。
そのことによって、世の中の構造を認識できなくなってしまう。
虹を7色だと認識すると、ほんとうは無限にあるグラデーションの色なのに、7色しか認識できなくなる。
言葉を学ぶと、ほんとうは音の種類は無限にあるのに、言語として聞き取れる音しか理解できなくなる。
不要なものをゴミや雑草や害虫や犯罪人と認識すると、価値を見出すことができなくなる。
人類は、AIの発達によってあらたな社会にたどり着こうとしている。
将来的には、男女とか外国人とか労働とか民主主義とか犯罪といった概念すら消滅してしまうかもしれない。
そんな中で、人類の意識レベルはあらたな段階に入って行くだろう。
事前に少し意識の準備運動をしておいてもいいかもしれない。
「正義」とか「正しさ」、「真理」や「神」などといった崇高な存在は、まぼろしのようなものだ。
あくまで、人間社会の維持発展にとって都合のよい、言い換えれば人間にとって「適切」「重要」だと相対的に認識されていることが、絶対的な概念で示されている。
世の中には絶対的な善や悪などといった存在はない。
法律や憲法あるいは戒律や常識などによって規定されたことは、絶対的に正しいのではない。
あくまで人間の社会の維持発展にとって不都合なことや不適切なことが、絶対的に否定されるべきことであると規定されているだけだ。
法律や憲法で否定されていることは許されない、という認識では、世の中の構造を見誤る。
私は、基本的に違法行為をしない。
しかし、それは法律に違反すると不利益をこうむるから違反行為をしないことを選択しているだけだ。
法律で規定されている「肯定されるべきこと」「否定されるべきこと」を受け入れているわけではない。
(個人のお酒造りが解禁されたら堂々とワインや日本酒を作るだろうし、大麻が解禁されたら試してみるかもしれない。牛のレバ刺だって堂々と食べるだろう。車でも一度200キロ出してみたい)
世の中には、強力な秩序を持つ組織がある。
会社、官庁、政党、宗教団体、等々。
なぜ国家や宗教や政党に関係する対立や争いが多いかといえば、それは秩序と秩序が干渉と衝突を起こしているからだ。
何かを否定することによって何かを構築する秩序と、別の秩序が接点を持てば、対立が生じるのは当然だ。
世界各地の宗教団体や共産主義政党や体育会系企業がなぜ異論を認めず強力な組織化を推進しているのか、
なぜ信者や同調者の確保に熱心なのか。
ほんとうに自己中心的ではない人たちは、強力な組織化を目指さない。
禁止事項を多数設けたり、信者獲得を優先したりしない。
どこか自分に嘘をついている組織が、強力な秩序を成立させる。
ある一方方向の秩序化を、肯定されるべきものとして設定。
何かを見ないことにして、何かに気づかないふりをして、価値がないと見なしたものを排除することによって推進されている。
混沌とした世界を眺めている人々は、やがて竜巻に飲み込まれるように、組織化を進める人たちに引っ張り込まれてしまう。
時間を守らず規律もゆるい気まぐれな人々は、競争力のある規律的な人々に負かされ、支配されてしまう。
やがて世界は強力なビジョンを示して秩序化を推進する宗教団体や政治団体にからめとられてしまうかもしれない。
それでも、大きな声の人たちの陰に、秩序に従わざる者、我が道を行く者、秩序や効率ではなく混沌や非効率に目を向ける者も存在し続けるだろう。
近年は、組織化が特徴的な特定の政治思想や宗教の影響を受けている人やメディアが工作的な言動を行っても、一般人に見透かされて反発を受けることも多い。
やがて砂上の楼閣や台風が姿を消すように、強力な秩序も崩壊を迎える時が来る。
ふたたび世の中に混沌が満ち溢れた時、混沌と組織の両方に目を向けている人が新たな指針を示すのではないだろうか。
私は社会人ではあるけどアウトサイダーでもあり、大人ではあるけど幼稚でもあり、時間や規律は守るけどゆるい世界が好きで、言語を使用するけど言語化できない世界にも関心があり、もどかしい思いを抱えている。
この「もどかしさ」は、効率や秩序が重要な学校生活や社会人生活には不要なものだ。
多くの優秀な人たちは混沌の中にたたずまない。スマートに問題を認識して解決方法を見出すだろう。
だけど、それでは見失ってしまうものも多い。
私は、脳の奥に浸透するようなキンモクセイの甘い香りに目が覚める。
人間の嗅覚には感じ取れない香りの存在を感じる。人間に感じ取れない世界の広がり。
氷山はごく一部しか水面から出ていない。同じように、キンモクセイの香りも、人間が感知できるのはごく一部。
氷山の、海面から出ている部分を世界のすべてだと見なしても、見誤ってしまう。
海面から出ている部分を削り取っても、また水面に氷は浮上して来る。
秩序や組織や言語に覆われた世界は、海面に出た部分の氷山のようなものかもしれない。
海面下の見えないところにも意識を向けたい。
だから、秩序と混沌の間でもどかしい思いをしながら、支離滅裂になりがちな文として残しておく。
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