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波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
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波屋山人

香取神宮、佐原旧市街 (Katori Shrine and Sawara Old Town)

2010-11-28 23:34:54 | Weblog
10月の三連休に軽井沢に滞在した折、長野北部の戸隠神社に足をのばして奥社の杉並木と澄んだ雰囲気を味わった。
彼女が引いたおみくじに、香取神宮に行くといい、というようなことが書いてあったことも記憶にあり、香取神宮や近くの佐原市街に足をのばしてみた。

ぼくは迷信や流行にあまり関心がなく、気楽な日々をすごしている。
霊感なんてないし、仏滅も大安も関係ないし、北枕を好むし、ゲンもかつがない。
根拠のないものに拠り所を求めることは、知的なことに興味のない人や物事の仕組みを冷静に見極めようとする気のない人の、安易な判断行為ではないかと思っている。
おみくじも引かないし、占いも興味ないし、迷信に同調するつもりもない。

浅草の今戸神社がパワースポットだと耳にしても、本当に今戸神社のことを知っているのか? と疑問に思う。
1937年、すぐそばの”エタ頭” 浅草弾左衛門の敷地内にあった白山神社が合祀された。
近くには今も解放同盟東京都連合会のオフィスがある。
被差別民が心を寄せていた今戸神社(白山神社)に、多くの人が足を向けてくれるのはありがたいけど、パワースポットだなんだかと言って集まるのは、ただ流行に流されているだけだろう、と感じる。

だいいち、あのあたりは河川敷というか氾濫原というか、人が住むには適さない土地だった。
堤防が整備されてなんとか安心して住むことができる場所になったけど、今も土を掘ればすぐに水が出てくる。
地盤がゆるく、水分が多い安定度が低い土地は、繊細な人にとって優先度の低い土地だ。
系統化された風水学ではないけど、自然を肌に感じる人々は、陽あたりや湿度や安全性や、地下水位に意識が向いている。
今戸神社がパワースポットだと臆面も言う人は、パワーを察知する能力のない流行好きの人ではないかと思う。

日本各地の風俗街や飲み屋街は、湿地や河川敷や埋立地だったところが多い。
なぜ、そういったところに社会的評価の高くない産業が勢力をのばしたのか、社会学者や歴史学者はちゃんとその構造を把握する必要がある。

敏感な人は、標高や地形や道や日あたりや地下水の流れや地質などを総合的に感知して「これはすばらしいバランス」とか「これはポジティブ」などといったバランスを把握している。
固い石英(水晶)を多く含む火成岩である花崗岩の特徴とか、柔らかいカルシウムを多く含む変成岩である大理石の特徴を把握し、それらの影響も意識している。少なくとも、ぼくはそうだ。

厳かな山中でも看板や評判に影響され、重要な磐座(いわくら)の存在を無視し、本堂の奥行きを意識することもなく自己中なスタイルで拝んでいる人は、自己満足はあるかもしれないけど何も得ていないのではないだろうか。
ぼくは自己満足なオカルトには興味ないけど、ちょっと意識を集中させれば、ナルシストな占い師よりはマシな判断ができるのではないかと思ってしまう。


香取神宮には行ったことはないけど、なんとなくその位置づけはわかる。
おそらく、その前身はかなり古い。
茨城や千葉は長く海に覆われた時代があった。
いまいち茨城や千葉のお米が高く評価されないのも、その土地に砂地が多いことが原因だ。
お米のことを知っている人の間では、砂地の田んぼは稲の成長が早いけどお米にうまみが少ないと言われている。
(新潟でも、信濃川河口の砂地の地域よりも山間部の南魚沼の粘土質の田んぼのほうが評価が高い)
そのような土地で聖地としてあがめられるのは、ちょっと標高が高い地域だ。
遠くから見ても目印になるし、日の昇る方にあれば太陽崇拝と結び付けられやすい。

古い時代から聖地として尊重されていた場所が、西日本からやってきた神社信仰と結びついて神社の体裁を整えた。
香取神宮の主祭神は経津主神(ふつぬしのかみ)だけど、これは古事記にはまったくない名前で、日本書紀で取ってつけたように出てくる。
「神名の『フツ』は刀剣で物がプッツリと断ち切られる様を表すもので、刀剣の威力を神格化した神」と言う人がいるけど根拠は薄い。
物を断ち切るときの擬音語として「プッツリ」が出てきたのはいったい何時代だろう。しかも、刀剣の威力を描写する際には、糸が切れるような「プッツリ」より物を断ち切る「バッサリ」の方が適切。
刀剣の威力を神格化するなら「ばっさりのかみ」とか「すっぱりのかみ」のほうが語感がいいだろう。
「フツ」の語源を考えるならアイヌ語系の「プツ(putu)=河口、川尻」を主張したほうが説得力があるのではないか。
まあ、プツカムイ、みたいな存在が征服部族によって経津主神になった、という可能性もなくはない。

そんなことをぼんやり考えながら、八重洲南口9:40発のバスに乗って11時前には香取神宮に着いた。
本殿、宝物殿を参拝。茶髪男と細身女性のヤンキー夫婦がかわいらしい子どもを連れて七五三のお参りをしている。
12時すぎ、香取神宮からうなぎの山田屋へ。タクシーで1200円程度。
30分以上並んでうな丼とうな重を注文。うな重の「じか」はうなぎをごはんに直接載せたもの。どちらも肝吸い付きの「上」は2200円。
炭火焼の香ばしさと、生らしき鰻の白身フレッシュさが印象的。行列になるのもうなずける。
観光舟が行く水路沿いの板壁の街並みをすぎ、「カフェしえと」をめざす。
伝統とモダンの融合した店内は開放的で静か。
インドとメキシコのコーヒー、栗きんとんとレアチーズを注文してシェア。
コーヒーはしっかりとした強さがありながら繊細でフレッシュ。デザートも栗の風味が生生しい。手作りな印象。
ちょっと歩いて麻生屋ですずめ焼き(極小フナ8匹の串焼き?80円)とうなぎ串焼き(350円)とドジョウの蒲焼(100円)を堪能。
柏屋もなか店で各種もなかの詰め合わせを注文して佐原駅へ。
16時50分のバスに乗って東京へ戻る。
東京駅に18時半すぎ着。

あっという間にゆるやかな休日は終わった。
東京からたったの1時間少々で、古い街並みが見られるというのはポイントが高い。
外国人が喜びそうな場所だ。
Sawara Old Town は今後もっと外国人に知られる観光地になるだろう。
(すでに、岐阜の高山は有名だ)
今度外国から友人が来たら、ちょっと佐原の町を案内してみたい。


コメント
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