波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。
波屋山人

ミャンマーの古い日本車

2010-05-15 18:47:57 | Weblog
ミャンマーの街角では古い日本車を見かけることが多い。
経済的に孤立している面もあるミャンマーでは、古い車も大事な戦力だ。
ボロボロの車が現役のバスやトラックとして町の物流を担っている。

マンダレーでは昔懐かしいオート三輪を何台も見かけた。
小型のものから大型のものまで、さまざまなオート三輪が荷物を運んでいる。
日本の田舎では1980年代でもごくまれに目にすることがあったが、もう何年も見たことが無かったので思わず撮影した。

ぼくは車に詳しくないので、いつ頃に作られたものなのか想像がつかない。
ただ、パテインからビーチリゾートのグエサウンまでローカルバスに揺られながら、内装のボロボロさに、相当古いものだろうと感じていた。
たまには、薄く固い背にもたれ、足元に積まれた米袋に窮屈な思いをしながら、朽ち果てそうなバスに揺られて、峠を越えて行くのもわるくない。


■ダイハツとマツダの古い車。
2009年10月24日、ミャンマー中部マンダレー市のバスターミナルにて。


■日野自動車の古いバス。
2009年10月30日、ヤンゴン西方パテイン市のバスターミナルにて。



■番外 
ときどき見かけた自作車?
2009年10月28日、ミャンマー東部シャン州のニャウンシュエにて。


マンダレーのトゥクトゥクみたいなオート三輪。


マンダレーの市内中心部。


マンダレーのバスターミナル。


マツダや日野自動車やダイハツの関係者の方は、ぜひミャンマーに足を運んで、往年の名車が今も日常生活の中で活躍している様子を見てきてください。
きっと感動すると思います。

コメント (2)
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砂澤ビッキ回想展はどうなるのだろう

2010-05-15 15:38:49 | Weblog
5月に行われるという彫刻家砂澤ビッキの回想展を楽しみにしていたけど、なかなか情報がない。再延期、あるいは中止になるのだろうか。
あの迫力ある曲線を見られないのはとても残念だ。

Google検索をしてみると、回想展を企画したビッキさんのご子息が何やら活発に活動されているようだ。
後進民族アイヌ」という挑発的なタイトルで、アイヌ協会の不正を突いている。
どうされたのだろう。ちょっと緊張する。
保守系の「正論」5月号にも寄稿しているようだ。

父親の砂澤ビッキさんは社会党の五十嵐広三さんと親しかったと思うのだが。
産経新聞社の「正論」は、ちょっと書店で立ち読みしてみよう。

検索しているうちに、あるブログの記事を見つけた。
「正論」5月号について書いている。
もっとも、内容の分析ではなく、広告の量と内容を分析。
「正論」を否定したいのだろうけど、少しまわりくどい。

「こんな雑誌」「『正論』なんか」「質が低い」「記事のレベルが悪い」「まともな人が読んでくれるはずがない」などと書いている。
どんな視点から分析を見せてくれるのだろう、と興味を持ったけど、一方的に貶める言葉を使用するだけで、具体的な根拠をなかなか述べない。
保守派の人が「世界」や「金曜日」について論理的な分析もなく「とんでもない」「ひどい」「ばかげている」「極左」「反日」などと言って拒絶することに似ている。

判断力のある人は、どのような構造をどのような観点から判断するのか、淡々と論理を述べることができるはずだ。
自分と異なる考え方の論理を把握し、それについて分析・対応することもできるだろう。

相手の論理の読み取りを拒否し、否定的な言葉を投げつけて牽制しようとする人は、対立する相手と立ち位置が異なるだけで、その視点や姿勢は似ている。
差別者を差別する反差別者や、暴力を暴力で阻止する平和主義者や、排他的な人を排斥する良心派の人と同じく、差別や暴力や排他性を克服したとは言えない。

そのブログでは、砂澤陣さんのことにも少し触れられていた。

http://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/ecc372f245fe463ea132d542e1276bee?fm=rss
> なお、『正論』2010年5月号の目次によると「短期集中連載」として
> >全国紙が書かないアイヌ利権の腐臭
>  第一回 税金にたかるプロ・アイヌの実態
>  アトリエビッキ代表 砂澤陣
>
> というのを掲載しているみたいですね。
>
> (略)
>
> さて、この雑誌を読んでの私の勝手な感想を書きます。それは、
> ほんとつまらん雑誌だということです。
>
> 私とイデオロギーが違うとかそんなことを言っているのではなく、
> 執筆者の質が低すぎるし(略)、また新聞社のだしている総合雑誌だから仕方ないのですが、
> 産経新聞社関係の人が多く記事を書いており、彼らは実力が高いとはとてもいえず
> 記事のレベルが悪すぎます。これじゃあまともな人間が読んでくれるわけがありません。

なるほど。そんなにレベルが低いのか。
根拠となる分析を読んでみたいけど、残念ながら見当たらない。
自分の精神の安定を保つために、自分と意見の違う人のことを「ばかだ」「まともじゃない」と見下しているのだろうか。それはとても保守的な行為に見える。
残念ながら、リベラルや反権力を自称していても保守的な型にはまった人は多い。

「ライプツィヒの夏」を書いている人も、親に似て言葉がきたないとか厭味な人格だとか女性に評判悪いねとか言われたくないだろう。
もし否定的なことを言われるのであれば、どのような構造に対してそのような判断をしたのか、きちんと説明をしてもらいたいと感じるだろう。
そう感じるのであれば、自分が他人を否定するときもきちんと理由を述べればいい。

それをしないのであれば、意見の違う相手を左翼だとか反日だとか言って否定してひとときの安息を得ているような人たちと同じ保守的な人だと見られてもしかたない。

さっき本屋で「正論」5月号の砂澤陣さんの文を立ち読みしてみた。
編集者が校正しているせいか、ブログで見る文章よりもまとまっていて、読みやすい。
論理構成や状況把握についても、「ライプツィヒの夏」よりはわるくないように感じる。
少なくとも、適切な根拠を示さず「つまらん」「質が低い」「レベルが悪い」などと荒っぽく書くようなことはしていない。

「つまらん、質が低い」とぼやいている方が、保守的で楽しみの少ないおじさんのように、つまらないのではないか。
静かに相手の急所を突いたり涼しい顔で関節技を決めればいいのに手当たり次第に猫パンチを繰り出してくる人とか、論理を述べ合うディベートをすればいいのに感覚的なことを怒鳴っている人も、見ていると疲労を感じる。
人のことを「バカだ、アホだ、頭が悪い」と言っている人は知的に見えないし、「幼稚だ、子どもだ」とバカにする人が大人っぽく見えることもない。

ぼくはそういう人よりも、砂澤ビッキの彫刻に興味がある。
あれは、芸術だ。
保守とか革新とか右とか左とか関係なく、時代の流行や各国の美的感覚にも流さず、独自に到達した高度なバランスを示している。
芸術は、誰かを否定して保身を図るようなところで成り立つものではないのだ。

保守派の人たちを攻撃するついでに砂澤ビッキとか陣さんのことを否定してもいいけど、芸術の邪魔をするなら、出来のわるいものを見せてげんなりさせないで、上出来な作品を見せて黙らせてほしい。


追記 6/2
いつの間にか、2010年11月に回想展が延期になったらしい。砂澤陣さんのサイトに書かれていた。とても楽しみにしているのに、この急な告知は何なのだろう。残念だ。どのような運営になっているのだろう。


コメント (1)
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