1940年代、ぼくの親は裏山の道なき道を歩いている時に、細い竹の切り株を踏み込んで足の甲を貫通させてしまった。
日ごろ、はだしかわらじで歩いていたらしいけど、その時は何をはいていたのだろう。
2010年の今、はだしやわらじで歩く人は目にすることがない。
東南アジアではまだ舗装されていない道も多いけど、日本ではほとんどの道がアスファルトでおおわれている。
世の中は、さまざまな道でつながれている。
大企業のビルが並ぶビジネス街の大通り。
一歩裏に入った飲み屋街の小さな通り。
駅前に続く商店街のメインストリート。
バスが通る都心の住宅街の道。
準工業地帯の路地の道。
農村の田んぼを横切る道。
舗装された林道。
田舎の山道。
たんぼのあぜみち。
なかには、地図にない道もある。
見慣れていない人には判別しづらいだろうけど、山中に笹や低い雑木が密生して足を踏み入れることができないところにも、動物たちが通る道がある。
それは、けもの道という。
少年時、ぼくは身をかがめて裏山のけもの道を小走りで駆けていた。
たんぼのあぜ道を友だちと歩き、雑木林や茂みの道なき道をめぐった。
やがて野山を駆けめぐることが少なくなり、国道沿いを中高に通い、モダンな学園都市の歩行者専用道路を利用して大学に通った。
混沌とした繁華街や被差別地域に興味をもち、やがて静かな高級住宅街のゆるやかな道の曲線を好むようになった。
これからぼくはどのような道を歩むのだろうかとふと想像する。
一般的には、ビジネス街の大通りに面する土地の価格が高い。
文化人や経営者が住む高級住宅地や保養地の道も多くの人を集める。
それにくらべて、田舎の農道沿いの土地はとても安価だ。
社会的評価は、農業よりも工業や金融、中小企業よりも大企業のほうが高いのだろう。
ぼくは今後、かつてのように、けもの道を小走りで駆けていくことになるのか、都心のビジネス街を闊歩することを望むようになるのか、表参道の裏道を歩けば満足だと言うようになるのか。
さまざまな道に魅力があり、あらゆる道を知ることに興味があるけど、寡黙なぼくはいつかまた一人でけもの道を走ることになるのかもしれない。
その時、表参道や広尾や代官山などの裏道を歩いた記憶は、きっとぼくの感覚を豊かにしてくれるはずだ。
笹やつる草をかき分け、斜面の落ち葉に足をとられ、樹皮や樹液のにおいをかぐとき、カラフルな昆虫や美しい常緑樹の葉にアートを感じることだろう。
もしかすると、骨董りや旧山手通りや職安通りを歩くぼくは、すでにそこにけもの道を見出しているのかもしれない。
都心のけもの道をしなやかに走り抜けるのもわるくない。メインロードもわるくないけど、人と人がすれ違うことも難しい細いけもの道は、原初的な衝動を秘めて刺激的だ。
日ごろ、はだしかわらじで歩いていたらしいけど、その時は何をはいていたのだろう。
2010年の今、はだしやわらじで歩く人は目にすることがない。
東南アジアではまだ舗装されていない道も多いけど、日本ではほとんどの道がアスファルトでおおわれている。
世の中は、さまざまな道でつながれている。
大企業のビルが並ぶビジネス街の大通り。
一歩裏に入った飲み屋街の小さな通り。
駅前に続く商店街のメインストリート。
バスが通る都心の住宅街の道。
準工業地帯の路地の道。
農村の田んぼを横切る道。
舗装された林道。
田舎の山道。
たんぼのあぜみち。
なかには、地図にない道もある。
見慣れていない人には判別しづらいだろうけど、山中に笹や低い雑木が密生して足を踏み入れることができないところにも、動物たちが通る道がある。
それは、けもの道という。
少年時、ぼくは身をかがめて裏山のけもの道を小走りで駆けていた。
たんぼのあぜ道を友だちと歩き、雑木林や茂みの道なき道をめぐった。
やがて野山を駆けめぐることが少なくなり、国道沿いを中高に通い、モダンな学園都市の歩行者専用道路を利用して大学に通った。
混沌とした繁華街や被差別地域に興味をもち、やがて静かな高級住宅街のゆるやかな道の曲線を好むようになった。
これからぼくはどのような道を歩むのだろうかとふと想像する。
一般的には、ビジネス街の大通りに面する土地の価格が高い。
文化人や経営者が住む高級住宅地や保養地の道も多くの人を集める。
それにくらべて、田舎の農道沿いの土地はとても安価だ。
社会的評価は、農業よりも工業や金融、中小企業よりも大企業のほうが高いのだろう。
ぼくは今後、かつてのように、けもの道を小走りで駆けていくことになるのか、都心のビジネス街を闊歩することを望むようになるのか、表参道の裏道を歩けば満足だと言うようになるのか。
さまざまな道に魅力があり、あらゆる道を知ることに興味があるけど、寡黙なぼくはいつかまた一人でけもの道を走ることになるのかもしれない。
その時、表参道や広尾や代官山などの裏道を歩いた記憶は、きっとぼくの感覚を豊かにしてくれるはずだ。
笹やつる草をかき分け、斜面の落ち葉に足をとられ、樹皮や樹液のにおいをかぐとき、カラフルな昆虫や美しい常緑樹の葉にアートを感じることだろう。
もしかすると、骨董りや旧山手通りや職安通りを歩くぼくは、すでにそこにけもの道を見出しているのかもしれない。
都心のけもの道をしなやかに走り抜けるのもわるくない。メインロードもわるくないけど、人と人がすれ違うことも難しい細いけもの道は、原初的な衝動を秘めて刺激的だ。