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波打ち際の考察

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波屋山人

私家版差別語辞典読了

2011-06-18 21:58:55 | Weblog
上原善広さんの新刊が届いたのでさっそく目を通した。
、乞食、めくら、気違い、外人、支那など、メディアにおいて自主規制されている言葉について感じたことを述べている。

実に読みやすい。
上原さんは差別者を攻撃することなく、差別をめぐる構造を自分なりに誠実にたどっている。

学校教育では被差別者の歴史について教えられることはあまりない。
先日、学生時代に日本史が得意だったという編集者に浅草弾左衛門の名前を聞いたら知らなかった。
日本史においてとても重要な人物だと思うのだが、学校では習わないのだろうか。

政治家や経営者や学者などは社会組織の発展に役立ってきたのだろうけど、
そういった人たちだけが世の中に存在しているのではない。

人々が嫌がることであっても、社会組織を維持するために、
家畜の生命活動を止め、肉や革製品を作り出す人が存在する。
社会秩序を乱す人を消し去るために刑を執行する人が存在する。
人々の欲望を解消するためにエロティックな要求に応える人もいる。

社会組織の維持には役立たず、時には犯罪者として疎外されてしまうけど、
自分の視点を信じて、性表現や暴力表現を行う芸術家がいる。
腕力によって対立者を威嚇し、利益を得ようとするアウトローがいる。
働かず、のんびり暮らすことを追求するダメ人間だっている。

彼らを否定して疎外すれば、きっとそのとき社会秩序も組織化の力を失い消滅していく。
世の中は、秩序だけで成り立っているのではない。
混沌があってこそ秩序がうまれる。

世の中の構造を知るためには、秩序の外側にあるものを感じ取る必要がある。
だから、ぼくは差別に興味がある。

差別はよくないことだ、否定されるべきだと思っている人が多いけど、そのように意識する必要はない。
差別を疎外しようとすることは、差別者と同じレベルの意識にとどまってしまう。

差別が解消された社会に住む人たちは、きっと差別者を突き上げたり否定したり疎外したりしようとはしない。
差別と言われる、特定の人に不利益を強いたり不快に感じさせる行為をなくしたいと思っても、表面的な言葉や行為を禁止することは臭いものにふたをするようなものだ。

差別があることは問題だ、と認識している人は、自分が不快に感じるものを攻撃して葬り去る前に、
なぜ自分が不快に感じるのか、なぜ不当に感じるのか、その構造を確認してみてはどうだろうか。
差別に反対する人も差別者と同じく、ひとつの価値観に基づいて何かを否定してしまっていることが少なくない。

現代社会において、自分は差別なんかしていないと思っている人がいても、
常識としてまったく問題ないと認識している行動が、差別的構造を秘めていることは多い。

数十年後には、犯罪者の価値を否定することが、重大な差別問題になっているかもしれない。
ハゲ、デブ、チビ、ブス、路地、変態、売春婦、などと言った言葉は立派な差別語として使用禁止になり、むかしの人は意識が低くてあんな言葉を平気で使っていたんだよ、と言う人がいるかもしれない。

時代によって支配的な価値観は変わっていくので、差別問題として表出してくる差別的構造も変わってくる。

そんな中でも、上原善広さんのように、とがめず、否定せず、攻撃しない姿勢は、古びることはないだろう。
世の中の構造を誠実に見つめようとしているからだ。
実に差別は興味深い。


追記
差別的な印象を与える言葉を攻撃する人は多い。
多くの編集者は抗議してくる人との交渉をわずらわしく思い、差別的な印象を与える言葉の使用を控える。
原稿に要注意語が出てくればすぐに言い換え語に差し替える。
だが、そんな態度では表現者は守れない。
勉強することなく表現者を見捨てる編集者が多い出版社は、そのうち表現者に見捨てられてしまうだろう。




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