ノンフィクション作品を読むことが多い。
2016年にベストだと思った1冊は、上原善広による、やり投げの溝口和洋を描いた作品だ。
上原善広さんにとって、最高傑作ではないだろうか。大宅荘一ノンフィクション賞を受賞した作品よりも、すごさを感じる。
興味深い記述が多い。おすすめの一冊。
『一投に賭ける 溝口和洋、最後の無頼派アスリート』
上原善広著 角川書店 2016年
P44
一言でいえば、ウェイトは筋肉を付けると同時に、神経回路の開発トレーニングでなければならない。筋肉を動かすのは、筋肉ではない。脳からつながっている神経が動かすのだ。
P56
「実際は力を入れた状態だが、力が入っていないように感じる」
これが本当のリラックスだ。よほど強力な筋力がないとできない。
P70
この頃にあった日本選手権の前夜、私はナンパに成功して朝方まで女といたが、さすがに翌日は二日酔いと、いつもと違う動きをしたので疲れていた。それでも八十m台を投げて優勝したが、これは不意のことが試合前に起こっても、対処できるようにと考えて、意図的にしていたことだ。
P103
人間の体の中でもっとも硬いものは、筋肉ではなく骨だ。だからその骨の反発を使うのである。私はよく「骨を使って投げる」と表現するのだが、肩関節を支柱にして、腕と鎖骨など、骨の硬さをテコにして投げるのである。
P145
「あんな測り方ってありますかッ。絶対にあれはおかしい」
村木さんの気持ちはうれしかったが、私はもう気持ちを入れ替えていた。
冷静に考えると、いくら安物のメジャーを引っ張ったとして、それで八㎝も縮むわけがない。おそらく芝生にいた計測員が、再計測のとき、故意に着地点をわずか手前にずらしたのだ。
アメリカ人は、たまにこういうことをする。これが記録に厳格なイギリス、またはアジア各国や日本だったら、話はまた違っていただろう。
P147
「こら、アカン。もう行こうや」
私が呆れて言うと、
「なんて奴らだ……」
と村木さんが吐き捨てるように言った。
アメリカン・ドリームと口では言っておきながら、アメリカ人は平気で外国人の足を引っ張る。こんな低レヴェルな奴らとこれ以上、関わりたくなかった。
P154
日本記録なんか、どうでもいい。
記録には二つしかない。
世界記録と、自己ベストだ。
P160
実際、取材もせずに書いた嘘八百の記事がスポーツ新聞に掲載されたときなど、その当の記者を日本の国立競技場のグラウンドで見つけ、捕まえてヘッドロックをかけてやったが、マスコミは人の話で飯を食っているロクデナシのゴロツキばかりだ。こういう奴は、日本人とはいえ話は通じない。実力行使で制裁するに限る。
P212
私は指先が非常に敏感なようで、例えばやりを持つだけで、そのやりが曲がっているかどうかもすぐにわかったし、怪我した選手の体に手をかざすだけで、どこが悪いのかもすぐにわかった。
また、100m日本記録(一〇秒〇〇)保持者の伊東浩司が走っているのを見ているとき、彼の後ろに黒い羽のような影が見えたことがある。そのとき私は「伊東も、もう駄目だな」とわかった。事実、それからほどなくして伊東は引退した。
話がオカルトめいてきたが、私はべつに宗教も信仰していないし、「気」なども信じない方だ。
P215
よく「フォームを直す」と言うが、これは間違っている。投擲競技に限らず、すべての競技は全体の流れ、動きを見ながら指導することが重要で、フォームを直したりするとおかしくなる。
なぜなら、「フォームを直す」ということは、「型にはめる」のと同じだからだ。型にうまくはめて、それで飛ぶならいいが、事実は逆だ。新しいフォームを導入して記録が下がる選手は大抵、これに当てはまる。
P223
高校生レヴェルまで落ちたこの体で、どうしたら八十mも投げられるのか。それを一つ一つ点検し、突き詰めてトレーニングを確立したおかげで、一般の選手にもいろんなことを伝えることができるようになった。しかし、それができるまでは心身ともに、非常につらかった。
新しく見つけた技術を試すことができなかったこともあり、反省することはあっても、過去を振り返ることはない。
やり投げを好きだと思ったことは一度もない。
しかし、やり投げが私の全てだったことは確かだ。
2016年にベストだと思った1冊は、上原善広による、やり投げの溝口和洋を描いた作品だ。
上原善広さんにとって、最高傑作ではないだろうか。大宅荘一ノンフィクション賞を受賞した作品よりも、すごさを感じる。
興味深い記述が多い。おすすめの一冊。
『一投に賭ける 溝口和洋、最後の無頼派アスリート』
上原善広著 角川書店 2016年
P44
一言でいえば、ウェイトは筋肉を付けると同時に、神経回路の開発トレーニングでなければならない。筋肉を動かすのは、筋肉ではない。脳からつながっている神経が動かすのだ。
P56
「実際は力を入れた状態だが、力が入っていないように感じる」
これが本当のリラックスだ。よほど強力な筋力がないとできない。
P70
この頃にあった日本選手権の前夜、私はナンパに成功して朝方まで女といたが、さすがに翌日は二日酔いと、いつもと違う動きをしたので疲れていた。それでも八十m台を投げて優勝したが、これは不意のことが試合前に起こっても、対処できるようにと考えて、意図的にしていたことだ。
P103
人間の体の中でもっとも硬いものは、筋肉ではなく骨だ。だからその骨の反発を使うのである。私はよく「骨を使って投げる」と表現するのだが、肩関節を支柱にして、腕と鎖骨など、骨の硬さをテコにして投げるのである。
P145
「あんな測り方ってありますかッ。絶対にあれはおかしい」
村木さんの気持ちはうれしかったが、私はもう気持ちを入れ替えていた。
冷静に考えると、いくら安物のメジャーを引っ張ったとして、それで八㎝も縮むわけがない。おそらく芝生にいた計測員が、再計測のとき、故意に着地点をわずか手前にずらしたのだ。
アメリカ人は、たまにこういうことをする。これが記録に厳格なイギリス、またはアジア各国や日本だったら、話はまた違っていただろう。
P147
「こら、アカン。もう行こうや」
私が呆れて言うと、
「なんて奴らだ……」
と村木さんが吐き捨てるように言った。
アメリカン・ドリームと口では言っておきながら、アメリカ人は平気で外国人の足を引っ張る。こんな低レヴェルな奴らとこれ以上、関わりたくなかった。
P154
日本記録なんか、どうでもいい。
記録には二つしかない。
世界記録と、自己ベストだ。
P160
実際、取材もせずに書いた嘘八百の記事がスポーツ新聞に掲載されたときなど、その当の記者を日本の国立競技場のグラウンドで見つけ、捕まえてヘッドロックをかけてやったが、マスコミは人の話で飯を食っているロクデナシのゴロツキばかりだ。こういう奴は、日本人とはいえ話は通じない。実力行使で制裁するに限る。
P212
私は指先が非常に敏感なようで、例えばやりを持つだけで、そのやりが曲がっているかどうかもすぐにわかったし、怪我した選手の体に手をかざすだけで、どこが悪いのかもすぐにわかった。
また、100m日本記録(一〇秒〇〇)保持者の伊東浩司が走っているのを見ているとき、彼の後ろに黒い羽のような影が見えたことがある。そのとき私は「伊東も、もう駄目だな」とわかった。事実、それからほどなくして伊東は引退した。
話がオカルトめいてきたが、私はべつに宗教も信仰していないし、「気」なども信じない方だ。
P215
よく「フォームを直す」と言うが、これは間違っている。投擲競技に限らず、すべての競技は全体の流れ、動きを見ながら指導することが重要で、フォームを直したりするとおかしくなる。
なぜなら、「フォームを直す」ということは、「型にはめる」のと同じだからだ。型にうまくはめて、それで飛ぶならいいが、事実は逆だ。新しいフォームを導入して記録が下がる選手は大抵、これに当てはまる。
P223
高校生レヴェルまで落ちたこの体で、どうしたら八十mも投げられるのか。それを一つ一つ点検し、突き詰めてトレーニングを確立したおかげで、一般の選手にもいろんなことを伝えることができるようになった。しかし、それができるまでは心身ともに、非常につらかった。
新しく見つけた技術を試すことができなかったこともあり、反省することはあっても、過去を振り返ることはない。
やり投げを好きだと思ったことは一度もない。
しかし、やり投げが私の全てだったことは確かだ。
greaT POST Admin really worthy post thanks.
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