先日、稲村ガ崎に行く予定があったので、ついでに鎌倉山まで足をのばした。
以前行ってみたいと思っていた場所があったのだ。
七里ガ浜東の、山を切り開いた小高い住宅地をすぎると、緑の多い静かな鎌倉山。
小鳥のさえずりの中に、都心ではなかなか見かけない広い庭をもつ邸宅が点在。
「住所でポン! 鎌倉山 加納」で検索すると、すぐに住所がわかった。
めざしたのは、芸術家、加納光於のアトリエ。
たどり着くと、どうやら敷地は傾斜の下に続いているらしく、入り口の柵と表札しか目に入らなかった。
奥様は、画家の山田美年子。
山田美年子さんは、かつて彫刻家の砂澤ビッキと結婚していたことがある。
その時の息子が東京藝大で彫金?を学んだ後、ミュージシャンとして活動しているOKIさんだ。
加納沖として育ったOKIさんの生みの親は砂澤ビッキ。だから、アイヌの血を引いている。
砂澤ビッキは北海道に戻った後、九州出身の女性と再婚している。
その時の息子は、アイヌに関する汚職問題などを追及している砂澤陣さん。
私は、OKIさんも砂澤陣さんも、至近距離で見たことがある。1~2メートルもない距離。
2人とも、アイヌの血を引いているといえば引いているようにも見えるし、九州か東北に行けば溶け込める容貌にも感じた。
OKIさんは細身で面長、身長は175前後なのだろうか。細いのでそれほど高く感じない。
砂澤陣さんはやや筋肉質というかずんぐり系の印象。背は高くない。
この2人はまったく交流がない様子。特に砂澤陣さんの姿勢は...
それを知っているのか、OKIさんはあまり砂澤ビッキのことには言及しないようだ。
異母兄弟の間にはいろいろ他の人にはわからない軋轢があるのだろう。
私はアイヌ文化がとても好きなので、ときどきアイヌ関係のイベントに顔を出す時がある。
参加者を見ると、アイヌといっても日本人離れした容貌の人は、2~3割いるかどうかといった印象。
むしろ過半数は日本人というか和人と区別することがむずかしい。
実際、薄い顔立ちの日本人との混血が進み、平たい顔で一重瞼、ストレートヘアという自称アイヌ人も少なくない。
彼らがアイヌの伝統衣装で踊っているとなんだか少し違和感がある。明治時代のアイヌ人が見たら、「なんで和人がアイヌの格好をして踊っているんだ?」と疑問に思うのではないだろうか。
それはともかく、私の尊敬する砂澤ビッキはかつて鎌倉に住み、澁澤龍彦などと交流していた時期がある。
七里ガ浜の海を眺めたこともあったのだろうか。
鎌倉山を歩きながら、砂澤ビッキのことを考えると感慨深かった。
<参考>
http://ningyonoie.com/zukan/6inui.html
> トロに続いて紹介したいのは、山田美年子(やまだみねこ)・愛称はネコ。エネルギッシュで小柄で目のクリクリとしたモダンアートの絵描きで、良く喋るし、良く動く。あとから「つくし座」へ来たアイヌの大男の砂沢ビッキと北海道の阿寒湖辺で知り合い色々な体験をしたことは、武田泰淳の小説「森と湖のまつり」の中に描かれているという。ところで、この二人、一九五五年の五月に人形劇団「ひとみ座」のあった鎌倉市大町の伊藤成彦邸に、山田家の敷地で取れた竹の子を売りに来たことがある。お金に困っていないような人が、お金のない人形劇人にモノを売りに来るなんて・・・と、私は吃驚したが、その後、色々な経験をしてみると、それがお金持の子供の一つのパターンのようでもある。面白がって行商のようなことをしているだけなのである。その上、そういう感覚で生きている人なので、私等が地方へ巡演に行くのを知ると、「ね、お土産買って来てね。」とサラッと言われて「いいよ。」って言ってしまう。そのネコさんは未だ元気でやっておられるようだが、もう何十年と会っていない。ビッキの方は大分前に池袋の東武デパートでの展覧会場で会って以来、テレビで二度ほど見たが、もう他界されている。ビッキは晩年、音威子府(おといねっぷ)を仕事の根城にしていたようだが・・・
以前行ってみたいと思っていた場所があったのだ。
七里ガ浜東の、山を切り開いた小高い住宅地をすぎると、緑の多い静かな鎌倉山。
小鳥のさえずりの中に、都心ではなかなか見かけない広い庭をもつ邸宅が点在。
「住所でポン! 鎌倉山 加納」で検索すると、すぐに住所がわかった。
めざしたのは、芸術家、加納光於のアトリエ。
たどり着くと、どうやら敷地は傾斜の下に続いているらしく、入り口の柵と表札しか目に入らなかった。
奥様は、画家の山田美年子。
山田美年子さんは、かつて彫刻家の砂澤ビッキと結婚していたことがある。
その時の息子が東京藝大で彫金?を学んだ後、ミュージシャンとして活動しているOKIさんだ。
加納沖として育ったOKIさんの生みの親は砂澤ビッキ。だから、アイヌの血を引いている。
砂澤ビッキは北海道に戻った後、九州出身の女性と再婚している。
その時の息子は、アイヌに関する汚職問題などを追及している砂澤陣さん。
私は、OKIさんも砂澤陣さんも、至近距離で見たことがある。1~2メートルもない距離。
2人とも、アイヌの血を引いているといえば引いているようにも見えるし、九州か東北に行けば溶け込める容貌にも感じた。
OKIさんは細身で面長、身長は175前後なのだろうか。細いのでそれほど高く感じない。
砂澤陣さんはやや筋肉質というかずんぐり系の印象。背は高くない。
この2人はまったく交流がない様子。特に砂澤陣さんの姿勢は...
それを知っているのか、OKIさんはあまり砂澤ビッキのことには言及しないようだ。
異母兄弟の間にはいろいろ他の人にはわからない軋轢があるのだろう。
私はアイヌ文化がとても好きなので、ときどきアイヌ関係のイベントに顔を出す時がある。
参加者を見ると、アイヌといっても日本人離れした容貌の人は、2~3割いるかどうかといった印象。
むしろ過半数は日本人というか和人と区別することがむずかしい。
実際、薄い顔立ちの日本人との混血が進み、平たい顔で一重瞼、ストレートヘアという自称アイヌ人も少なくない。
彼らがアイヌの伝統衣装で踊っているとなんだか少し違和感がある。明治時代のアイヌ人が見たら、「なんで和人がアイヌの格好をして踊っているんだ?」と疑問に思うのではないだろうか。
それはともかく、私の尊敬する砂澤ビッキはかつて鎌倉に住み、澁澤龍彦などと交流していた時期がある。
七里ガ浜の海を眺めたこともあったのだろうか。
鎌倉山を歩きながら、砂澤ビッキのことを考えると感慨深かった。
<参考>
http://ningyonoie.com/zukan/6inui.html
> トロに続いて紹介したいのは、山田美年子(やまだみねこ)・愛称はネコ。エネルギッシュで小柄で目のクリクリとしたモダンアートの絵描きで、良く喋るし、良く動く。あとから「つくし座」へ来たアイヌの大男の砂沢ビッキと北海道の阿寒湖辺で知り合い色々な体験をしたことは、武田泰淳の小説「森と湖のまつり」の中に描かれているという。ところで、この二人、一九五五年の五月に人形劇団「ひとみ座」のあった鎌倉市大町の伊藤成彦邸に、山田家の敷地で取れた竹の子を売りに来たことがある。お金に困っていないような人が、お金のない人形劇人にモノを売りに来るなんて・・・と、私は吃驚したが、その後、色々な経験をしてみると、それがお金持の子供の一つのパターンのようでもある。面白がって行商のようなことをしているだけなのである。その上、そういう感覚で生きている人なので、私等が地方へ巡演に行くのを知ると、「ね、お土産買って来てね。」とサラッと言われて「いいよ。」って言ってしまう。そのネコさんは未だ元気でやっておられるようだが、もう何十年と会っていない。ビッキの方は大分前に池袋の東武デパートでの展覧会場で会って以来、テレビで二度ほど見たが、もう他界されている。ビッキは晩年、音威子府(おといねっぷ)を仕事の根城にしていたようだが・・・
Both of them seemed to be pulling blood of Ainu,