波打ち際の考察

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波屋山人

お詫びの論理

2013-11-17 10:22:53 | Weblog
メニューの原材料不当表示や、製品の不具合などに関して
連日さまざまな企業がお詫びを発表している。

「今回の件についてお騒がせし、みなさまにご迷惑をかけたことをお詫びします」
と述べるのが基本的なコメント。

自分たちの行為や責任について非を認めているわけではない。
世間を騒がせて、人々が不快に思っていることに関して頭を下げる、という姿勢。
論理的ではなく、感覚的にその場をやりすごそうという態度を感じる。

もしかしたら、自分の責任について非を認めてはいけない、ということを
一部の法的アドバイザーが助言しているのかも知れない。

たしかに、顧客対応を任されている部署では、謝ってはいけないと言われているところがある。
自分の責任を認めれば、法的な争いになったときに不利になるからだ。

だけど、多くの場合、謝らない方針の顧客対応の方がトラブルが生じやすい。
そのことを知っている企業は、自らの失敗の責任を認め、顧客の言い分を受け止めることによって問題解決を早めることが多い。
(最近感じた例だと、外資系のExpediaの顧客対応は驚くほど腰が低く丁寧。かつ論理的。NTT系のgooの顧客対応は高圧的で非論理的。問題解決能力も顧客満足度も低い。顧客対応の外注先を変えたほうがいいと思う)

お詫びというのは、非論理的な雰囲気が支配する社会においては、「低姿勢のポーズ」にすぎない。
頭を下げることによって、不満を持っている人をなだめる。敵意がないことを示す。
相手の不満をなくすことによって、賠償を回避しようとする。

論理的に問題を解決することができる社会においては、お詫びは「自分の非を認めること」にすぎない。
ただ、非を認めることによって自分の責任が問われることをおそれるというのは低いレベルの考え方。

自分の非を認めることは、論理的に問題を解決する上でのひとつのステップにすぎない。
まずは、責任ある者として顧客の不満を受け止める。
問題が生じた構造を把握し、問題解決の状況を想定する。
問題解決のための手順を提案し、顧客に選択してもらう。

顧客にそういったプロセスを受け入れてもらうためには、
高圧的に接したり、非論理的に同調を求めることは適切ではない。

日本を村社会から脱却させ、論理的なコミュニケーションが成立する社会にしたいなら、
大企業は論理的な謝罪や顧客対応ができるように考えたほうがいいのではないだろうか。

「今回の件についてお騒がせし、みなさまにご迷惑をかけたことをお詫びします」
と言われても、海外では「何を言っているのだろう」と不可解に思う人が多いかもしれない。


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