波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
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波屋山人

立川談志師匠

2011-01-18 23:40:19 | Weblog
さっき、新宿の紀伊國屋ホールで立川談志師匠の高座を見てきた。
2011年1月18日(火)、「談志が帰ってきた夜」刊行記念落語会。
前座の立川平林(たてかわひらりん)は軽快だが緊張感を漂わせている。
次のスタンダップコメディアン松元ヒロも立川談笑も笑いをとっているが緊張感を隠せない。
それほどまでに談志さんにとって特別な一席なのだろうか。
鈍いぼくにも重要さが伝わる。

休憩時間が終わり、いよいよ談志師匠の出番。
6時半からはじまったこの会も8時前に師匠を迎えることになる。
300人ほどの満席の聴衆は静かに幕の上がるのを待つ。
5分、10分、それでも開かない。
静かな緊張した空気の中で、雰囲気を読めない彼女はバッグから撮影やら取材やらのスケジュールを出して眺めている。
ぼくも時計を確認しようと思った頃、ようやく幕が上がった。

談志師匠が20センチほどの歩幅で歩いてきて、高座に上る。その一瞬、少し声が聞こえた。
段差のある高座を登るのは一仕事だ。

頭を下げれば万雷の拍手。
細く、顔色も白いけど、気合を感じる。
精気が失われても体の中心から表現を行う。

かすれた声を、耳をすまして読み取る。
話を理解して笑う人もいるけど真剣に耳を傾けている人が多い。

七福神にちなんだ縁起のいい話の後、もうひとつ話を終え、さらに近親相姦ネタで笑わせた。
もう、忘れているものはないかな。最後。今度真打ちになる誰それが死ねばいいのに。
そんなことを口にしたあと、降りる緞帳の向こうで少し手を振り、腰をかがめたその姿。
ぼくはその姿を忘れない。

もしかして、覚悟されているのだろうか。

数年前に宮城県で忌野清志郎の最後の野外ライブ(アラバキロックフェスティバル)を見たことがある。
病気が治っていないのに、あえて華やかな舞台に踊り出てくれた清志郎に表現者魂を感じた。

数年前に吉祥寺の書店で鴨志田穣さんの出版記念サイン会に参加したこともある。
列の最後に並んで最後に握手して、記念写真を撮ってもらった。
あのときの鴨志田さんも痩せてもう肉体的には限界なのに、しっかりとした心と佇まいを見せてくれた。

忌野清志郎、鴨志田穣、立川談志、みんなガンなのか。
死と向き合っているのか。
みんな痩せこけて、それでも輝き続けるのか。

高座が終わり、控え室に入る林家ペー、パー子を眺めながら会場を後にした。

向かうのは新宿三丁目駅近くの焼き鳥「田むら」。
ここは、西原理恵子さんの夫でもあった鴨志田穣さんが20歳の頃に働いていた店だ。
「遺稿集」には「田むら」の本店のオーナー夫妻やメニュー、スタッフ仲間、当時オープンしたばかりの近くの支店などについての記載がある。
「焼き鳥屋修行」という短編を読むと、この店に来たくなった。

彼女と焼き鳥コース、煮込み、砂肝の刺身などを食べる。
ビールに日本酒も頼む。
焼き鳥のレベルはとても高い。
食べておくに値する。

また田むらには行くと思う。
吉祥寺でのサイン会、鴨志田さんにサインしてもらったあと、西原理恵子さんにも絵本にサインしてもらったけど、あくまでぼくは鴨志田さんに会うのが目的だった。
鴨志田さんに会いたかった。

会いたい人は、多い。


コメント
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