波打ち際の考察

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波屋山人

砂子屋書房のあった場所

2010-12-29 15:11:16 | Weblog
詩人の田村雅之さんが昭和56年(1981年)に設立した出版社の砂子屋書房は、小さいながらも多くの俳人や歌人、詩人などにその名を知られる。

昭和初期にも同じ名前の出版社が存在していた。現在の砂子屋書房は、昭和初期の砂子屋書房創業者から許可を得てその名を継いでいる。
もともと、砂子屋は山崎家の屋号だった。

歌人の山崎剛平が昭和10年(1935年)から18年(1943年)まで営んでいた砂子屋書房は太宰治をはじめ当時の新進小説家や歌人などの本を出し、その丁寧な装丁でも評価されていた。

現在の砂子屋書房は神田駅近くの内神田にあるが、かつての砂子屋書房は上野桜木町27にあった。
東京藝術大学美術学部の通りを隔てた北側に、上野桜木会館がある。
その隣、現在の地番では台東区上野桜木1-6に位置する。

昭和9年(1934)年に上野桜木町に居を定めた山崎剛平はその地で翌年から昭和18年(1943年)まで砂子屋書房を営み、昭和20年に出身地の兵庫県赤穂郡に戻った。平成8年(1996年)にその地で亡くなられている。

・台東区上野桜木1-6(かつての上野桜木町27)
http://maps.google.co.jp/maps

<参考>
・山崎剛平年譜
http://kikoubon.com/yama_kou.html

・山崎剛平と砂子屋書房
http://merlot.wul.waseda.ac.jp/sobun/column/09/clm09-03.htm

西橋美保という歌人の方は、かつて山崎剛平の出身地に住み、現在の砂子屋書房から歌集を出されたこともあるらしい。
彼女は下記のように記述している。
http://www.sweetswan.com/ryufuji/29.html
> 先年、太宰研究をしている方がうちの村に取材に来たとき、教育委員会の当時の委員長
> だった方に、ご挨拶に行くとかで、私がご案内したのですが、「山崎剛平さんの資料は集
> めていないし、その予定もない」とはっきり言われ、仰天した記憶があります。「地域に
> 貢献してない」のがその理由だそうで、もう、田舎の人の見識の狭さにはゲンナリです。

もしかしたら、教育委員会委員長と教育長を混同されているかもしれない。
また、山崎剛平さんに関する文学資料を収集しようとしても、目ぼしいものは現地には少ないかもしれない。
山崎さんの著書の手書き原稿も私が保管しているし。

・西橋さんのサイト
http://www.eonet.ne.jp/~nishihashi/


来年、砂子屋書房の人や上郡町の教育委員会の人と顔を合わせることもありそうなので少しメモしてみた。


コメント (2)
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