波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。
波屋山人

俳句再開1年

2009-03-27 07:07:02 | Weblog
句作を再開したのは去年の3月だった。
ある日、ふと思いついて同郷の俳人の名前をネットで検索すると、公式ブログがすぐ見つかった。
告知されていた俳句の集まりに参加させていただいたのが、句作再開のきっかけだ。

10代の後半は雑誌に投句し、20代の半ば頃はネット句会に投句していた。
東京勤務になってからリアルの句会にちょっと参加したこともあるけど、満足できる句は1つもできなかった。
句を作るにはひらめきもセンスもねばりも必要だ。
ぼくはものぐさだからすぐに限界を感じ、長く句作をやめていた。

大学時代には句会の授業を受けたり、俳句に関する授業を受けたりもしたけど、
記憶に残ることはなかった。

卒論は俳句に取り組んでもいいなと思っていたけど、ある日、ぼくが蕪村の句の示している構造を分析してみたことに対し、先生が「それほど意味の深い句じゃないわよ」というような言葉を発したことがある。
(雨は上から下への方向性であり、それに垂直に云々、というような構造を説明したんですけどね)

その時、「ああ、この先生は芸術とは何か、とか句の構造とは何か、といったことに関して考えている人ではないんだな。文学史系の先生なんだな」と感じ、俳句を卒論にすることはあきらめた。

俳句に関わる人の多くは、俳句に関してさまざまな持論を持っているけど、「俳句とはこういうものなんだ」という理論をはっきり言う人は少ない。
俳句に対しての評価の語彙もあいまいなものが多い。

なぜ、俳句の本をほとんど読むこともなく、歳時記すら持たない私がそれなりに俳句について意見を述べ、俳句を作ることができるかと言えば、俳句の本や俳人のセミナーから俳句の世界に入ってきたわけではないからだ。

世捨て人系の者として、世の中の物事の調和とは何かということを考えていると、構造とかバランスといったことについて意識的になる。
おそらく、構造とかバランスについて考える調和学(仮称)について学んできた人であれば、生け花でも俳句でも絵画でも合気道でもカメラでも、すぐに一定以上のレベルに達するのではないかと思う。

私たちは、芸術の構造を分析することができる。
代表的な「情緒」である人間の表情ですら、科学的に構造を分析され、ロボットでの再現を可能にしている。
情緒というあいまいなものでごまかす必要はない。読解をあきらめなくていい。

芸術の構造を分析することによって、なぜその構造が意味を持つのか、価値を持つのか、人にインパクトを与えるのか、などといったことが明らかになってくる。

合気道だって神秘ではなく、きちんと合理的な作用によって相手を組み伏せる。
強い武道は、その武道の世界の外に出ても強さが通用する。
様々な武道は時折格闘技イベントで異種格闘技を行う。

芸術も同じだ。
すごい日本画は、日本画の世界の外に出てもすごさが通用する。
優れた民俗芸能は、外国に行っても芸術として通用する。
おいしい料理は、外国に行っても評価される。
もし、日本舞踊の世界独特の価値観だとか、
俳句の世界でしか認められていないスタイルに固執するのであれば、
世界では闘えない。
異種格闘技イベントに参加できないローカルな弱い格闘技と同じように、文化財として残すことしかできないだろう。

いい俳句は、俳句の世界での常識を知らない人にも感動が伝わる。
私は、俳句の世界の外の人にも伝わる俳句を作って行きたい。

俳句に芸術として価値のある構造があれば、翻訳して外国人に伝えることすら可能だ。
今年は精進しなくては。


追記
生け花やカメラは俳句に似ているところがあると思う。
どちらも構造を切り取らなくてはいけない。
生け花は、花と葉と花器、カメラは対象物と枠と紙(画面)が必要だ。
俳句は、5・7・5の17文字と季語。

上記の条件をそろえただけで、形はすぐにできるけど、芸術として通用する構造がなければ、芸術とは言えない。
逆に言うと、芸術として取り組むのであれば、花器や枠や季語を取り払うこともありえる。
大事なのは、構造とバランスであって、形や枠ではない。


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資格や検定の質を保証する「(財)資格標準化機構」の代表理事が、漢検協会の会長でいいのか

2009-03-27 01:52:53 | Weblog
もうすぐ4月。(財)資格標準化機構が本格的に始動するのではないだろうか。

・一般財団法人 資格標準化機構
http://www.shikaku.or.jp/summary/organizational.html

この団体は、各種の資格・検定の評価を行う。
全国的にあやしげな資格や検定が乱立していたから、文部科学省も資格や検定のありかたについてガイドラインを設けた。
それを受けて、資格標準化機構は資格や検定を評価する組織を整えようとしている。

だが、3回連続文部科学省にC評価を受け指導されている漢検協会が、この財団法人の設立と運営に大きく関わっている。
定款にも書いてあるけど、そもそもこの財団の設立者および財産拠出者は、財団法人日本漢字検定協会だ。代表理事も漢検協会の会長。

一般財団法人は官公庁の許可を得なくても設立することができる。
漢検協会は文部科学省の管轄下にあり、文部科学省が指導をすることができたけど、資格標準化機構には指導をすることができない。

漢検協会は、自らの関連団体である資格標準化機構によって、A評価でも優評価でももらうことができる。
文部科学省の忠告や指導を無視して好き勝手に稼いでいる漢検協会が、さらに自分勝手に資格や検定の評価すら自分たちで行おうとしていることに対して、文部科学省も怒りを感じたのかもしれない。

漢検協会の運営には問題点が多いと何度も指摘してきたのに、おそらく、資格標準化協会はお墨付きを与えるだろう。
文部科学省はそれを危惧したのではないか。

理事や評議員には東大、早稲田、同志社、立命館の学長などが名前を連ねているけど、きちんと財団に対してのチェック機能はあるのだろうか。
大学に多額の寄付をしてくれたから名前を貸しただけ、などと言わないでくださいね。

この財団法人が、きちんと資格や検定を評価することができるかどうか、理事や評議員たちは責任を持ってチェックしてほしいと思う。

ちなみに、理事や評議員の顔ぶれは立派だが、資格や検定の評価方法については詳細が見えてこない。
アメリカでの、大学に対する第3者専門機関のアクレデーション(適格認定)を参考にしているのだろうけど、誰か専門スタッフはいるのだろうか。チーフアナリストがいるのであれば、責任を持ってその人間に評価方法について発表させるべきだと思う。
(こちらから直接取材にお伺いしてもいいんですけどね)

きちんとした評価方法がないのであれば、資格や検定の実施団体を囲い込んで、各実施団体から審査料や認定料の名目でお金を集めることが目的の組織になってしまうのではないだろうか。

そのようなことになれば、文部科学省ときちんと連携する別の団体が資格や検定の評価をきちんと行うようになり、資格標準化機構は存在価値を失うだろう。


<参考>資格標準化機構の理事、評議員の一部
機構長 山本恒夫 筑波大学 名誉教授・八洲学園大学 学長
代表理事 大久保昇 財団法人日本漢字能力検定協会 理事長
理事 大久保浩 財団法人日本漢字能力検定協会 副理事長
理事 川口清史 学校法人立命館 総長
理事 小宮山宏 東京大学 総長
理事 白井克彦 早稲田大学 総長
理事 八田英二 同志社大学 学長
理事 藤原和博 東京都杉並区立和田中学校 前校長
評議員 新井健一 株式会社ベネッセコーポレーション執行役員
評議員 池坊由紀 華道家元池坊 次期家元
評議員 梅澤直臣 財団法人国際ビジネスコミュニケーション協会 常務理事
評議員 相賀昌宏 株式会社小学館 代表取締役社長
評議員 大久保幸夫 株式会社リクルート ワークス研究所 所長
評議員 田大進吉 財団法人日本数学検定協会 理事長
評議員 堀川一晃 エリーニ・ユネスコ協会 会長


<参考>資格標準化機構設立のニュース
http://eduon.jp/news/other/20090217-000485.html
■(09/2/17)検定試験の質保証へ資格標準化機構が設立
2009年02月17日18時00分 配信 Eikohまなび倶楽部
乱立する検定試験の質を保証と、一般財団法人資格標準化機構が4月から本格的に稼働する。同機構では、検定試験・資格試験の有用性認知のための環境整備を行う「普及啓発事業」や、試験の内容や質を適切に判断できることを目的にした「第三者評価事業」、試験の適正な実施を担保する「適正運営支援事業」、試験活用に伴う現状分析、課題などを踏まえ提言する「調査研究事業」などに取り組む。一定の条件を満たした検定試験などには「認定マーク」を付与する予定。乱立する検定試験の質を保証と、一般財団法人資格標準化機構が4月から本格的に稼働する。同機構では、検定試験・資格試験の有用性認知のための環境整備を行う「普及啓発事業」や、試験の内容や質を適切に判断できることを目的にした「第三者評価事業」、試験の適正な実施を担保する「適正運営支援事業」、試験活用に伴う現状分析、課題などを踏まえ提言する「調査研究事業」などに取り組む。一定の条件を満たした検定試験などには「認定マーク」を付与する予定。

<参考>漢検協会は3回連続C評価
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/society/150056.html
■漢検協会に3回「C評価」 文科省検査 指導に再三従わず(02/28 21:20)
 財団法人「日本漢字能力検定協会」(京都市、大久保昇理事長)が公益法人として認められない多額の利益を出していた問題で、文部科学省が2003-08年に実地検査した結果、「事業内容と実施状況」の項目で3回連続して3段階のうち最低の「C評価」を付けていたことが28日、分かった。
 文科省は「早急に改善すべきだ」と再三、指導。検査対象のうち、残りの「業務運営」「会計処理収支、資産」「予算と決算」の項目も検査を重ねるごとに悪化した。
 08年には全項目で改善が必要と通知し、改善計画の提出を求めた。
 しかし、協会は期限内に提出せず、昨年末までに提出した計画も同省は「不十分」としている。
 文科省によると、検査は03、04、06、08年の4回実施。04年以降の3回は「事業内容と実施状況」が「法令または寄付行為に反するなど早急に改善すべきもの」とするC評価だった。
 08年には、会計処理などの項目もC評価に。「業務運営」「予算と決算」は「改善を加えた方が良い」とするB評価となり、全項目から「改善の必要がない」とするA評価が消えた。

<参考>漢検協会が資格標準化機構を設立、各大学に多額の寄付
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/society/151428.html
漢検、赤字事業買収で黒字減らし 検定料値下げには難色(03/07 17:07)
 公益法人には認められない多額の利益を上げていた財団法人「日本漢字能力検定協会」(京都市、大久保昇理事長)が、赤字の外国人向け日本語検定を3億3600万円で買い取るなど、2008年度に計約6億円を新規事業に支出していたことが7日、分かった。
 協会は文部科学省が求めた検定料引き下げには難色を示して一部しか応じず、代わりに見通しが不透明な事業への投資で黒字を減らし「もうけ過ぎ」との批判をかわそうとしたとみられる。
 協会の事業計画などによると、日本貿易振興機構(ジェトロ)から買収した外国人向け検定「ビジネス日本語能力テスト(BJT)」は05-08年度は年間2000万-8000万円の赤字だった。協会は今後5年間、広報費や研究開発費が増加し、赤字は年間1億円に膨らむと見込んでいた。
 また、国内に1000以上あるとされる検定や資格試験を第三者が評価する財団法人「資格標準化機構」設立に2億円を拠出し、代表理事に大久保理事長が就任。東大と京都大にも計4800万円を寄付した。
 協会はこうした事業を「社会全体の利益に貢献する活動」と位置付けていた。


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雑草を栽培したらどうなるか

2009-03-27 00:18:35 | Weblog
ふと思うことがある。
何千年も前の人たちは、食べられる植物や動物を確保するのに、大きな労力を費やした。

いつの頃から農耕がはじまったのか知らないけど、すでに縄文時代には栗や豆などが栽培されていたらしい。
野菜はいつの頃から栽培されていたのだろう。

もちろん、最初は野山に生えている草を煮て食べていたのだろう。
でも、野生の植物の多くは苦味成分があるものが多く、アクのない柔らかい植物は少ない。
秋や春の七草ですら、少々アクがある。

もしかしたら、アクの少ない植物を栽培するために、さまざまな取り組みを行っていたのかもしれない。
そして、土地を耕してから栽培すると、ひょろひょろとしてアクの少ない、食べやすい草になることを発見したのかもしれない。

現代人が一生懸命畑を耕して野菜の成長を願っているけど、ほんとうは畑の土を細かく耕すというのは、植物の生命力を弱める効果があるのかもしれない。

古代の人が、アクの少ない淡白なひょろっとした植物を作るために行っていた技術が、現代では植物が元気に育つための技術として認識されているのだろうか。

ちょっとした空き地に雑草が青々と育っているのを見ると、あのように野菜を育てることは出来ないのだろうかとふと想像する。
逆に、よく耕した畑で雑草を栽培すれば、ひょろっと細くなるのではないかと想像する。

だから、こんど実家に帰ったら家の裏の畑でちょっと実験を行ってみたいと思う。
畑を雑草だらけにする。草の根で土を耕させる。
そして、草を刈ってそのまま肥料代わりに放置し、野菜の苗を植える。
雑草が生えてきたら伸び放題にして、野菜と競わせる。

きっと、モロヘイヤやシソや大豆やピーマンなどは元気に育つのではないかと思う。
実家の畑では、すでに雑草の中でゴーヤーやツルナはよく育っているしね。


※不耕起栽培というのは、福島正信さんの著書で知った概念。
福島正信「自然農法わら一本の革命

<参考>
http://www.47news.jp/CN/200808/CN2008081601000051.html
■縄文時代に九州で豆類栽培か 土器に痕跡、熊本大調査
 九州各地で出土した約3600-3000年前の縄文土器の表面に、栽培種とみられる大豆や小豆の痕跡があることが熊本大の調査で分かった。定説では豆類の栽培は弥生時代以降とされるが、調査した小畑弘己准教授らは「縄文後期には九州地方にマメ科植物の栽培技術があった可能性がある」と指摘している。
(略)
2008/08/16 08:05 【共同通信】

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